幕間 2 いびつにゆがんだ
他の獣人に急かされながらも魔狼フェンリルの歩みは速くならない。どれ程の危機かを説明されようとも変わらない。
「フェンリルさん急いでください」
「辺境の村でようやく貴方を見つけたのですから」
同じようなセリフに飽き飽きとする。
同じような世界を恨みたくなる。
聞けば相手は人間1人というではないか。
それも名のある奴でもない。
しかし長年生きてきて数回だけ……
暇つぶしで覚えていた数ある名前、中でもその名前は随分と昔に聞いたことがあった。
懐かしさよりも、呆れよりも、怒りが込み上げてくる。
だから命令でもないのに出向いたのだが、
「…………。あれか?」
大勢の獣人に取り囲まれ赤に染まった人間の子供が立ち尽くしていた。
瞳は虚空を見据え呼吸のたびに何処かしら血を垂れ流していた。
それらは他者からの傷ではない。
飲まず食わず、数日間の不眠不休による単純な息切れ
自らの魂を燃や尽くした結果だった。
「あれはもう死んでいる。放っておけ」
両足は動く事を放棄している。
あの物体は自分からはもう動けない。
無傷で殺すなら遠目から見守る事が一番だ。
「しかし……仲間がこれだけ殺されているのに」
「俺たちがやっとここまで追い詰めたのに」
「お願いしますフェンリルさん。仲間の仇を討ってください」
獣人の言葉に思わず顔をしかめた。
なぜ自分達でやらない?
怯えるのなら何故人間に喧嘩を売った?
そもそも追い詰めてすらいない。
あの子供は自ら此処を死に場所としただけだ。
散々人間を殺しておいて報復をされたら更に報復を返す。
「……くだらん。下がっていろ」
歩みを進める。取り囲んでいる獣人達と距離が出来る。
しかしせいぜい20m弱、
下がるの意味もわからないのか。
余程人間の子供の死に様を見たいのだろう。
自らが手を汚さず得る栄誉はさぞ甘美であろう。
「おい、起きろ」
こちらの射程はとうに超えている。
そしてようやく身動き出来ない子供の射程へと入り込む。
僅か50cm、
この距離が、ようやくお互いの命を取れる距離だ。
「あー……あー……」
「気狂い、世界の意識に触れて尚意志を持つ。引導を渡してやるから覚悟が決まればかかってこい」
「あー……殺す。お前も……殺す」
予備動作もない袈裟斬りに払われた手刀だった。
速いのではなく俺の身体を切り裂く為だけに身体が一瞬で変質したのだ。俺が反応出来ない速度で、俺の硬皮を貫く堅固さで。
「たしか名を疾風打と言ったな。過去に奇跡の末子が使っていたが生憎と俺には通らない」
「あー……あ、あれ?」
子供は我に帰ったようにキョトンとした瞳をしていた。
「もう生きる力は残ってないだろう。気がすんだのなら己が魂を手放せ。捕まっても碌な目に合わんぞ」
この子供を捕らえたとしても獣人共が人間の真似事をするのは目に見えている。
そんな事をさせれば奴等は増幅する一方だ。
子供は周囲を見渡し己の身体を確認しようやく理解した。
自分が何をしていたのか。自分が何を成したのか。
「は、ははは。お父さんお母さん。村のみんな。私やったよ。全部じゃないけど私は頑張ったよ。私だけの力じゃないけど私も力になれたんだよ」
命の炎はとうに燃え尽きている。
もはや魂すらも果てる寸前。
子供は憑き物が落ちたかのように感謝していた。
三百を超える獣人の死体の山の頂上で。
ここに来るまでにも相当数の獣人を屠ってきたのは想像に難くない。
「ありがとう。ありがとう。ありがとう。私は満足しました。私なんかのお願いを聞いてくれてありがとう……貴方の声はもう聴こえない。でもそこにいるのですよね?」
子供の掠れるように小さな言葉は風に乗ったように響いた。
フェンリルは風に乗った遥か先を見据えていた。
「多大な犠牲を払いシングルハートを起こしておきながら奇跡の末子を殺さず放置した結果がこれか」
「まだ終わりたくない! どうか、どうか!」
『ちゃんと観てるよ。貴方はどうなりたいの?結果なんて変わらないしそれ以上は人ではなくなるんだよ? それでもいいの?』
「チィッ! 此処から離れろ!」
俺の言葉は取り囲む獣人全てに伝わったはずだ。
今すぐ離れれば間に合ったはずだ。
しかし意思の疎通とはかくも難しいものなのだ。
「死に行く私の身体も……心も……魂も……野蛮な獣人達に汚されたくないです。無力な私たちのように、どうか誰もが無力でありますように。どうか私の身勝手な願いが届いたのなら」
灰色の雲が集まりだし、ポツポツと小雨が身体を弾いた。
『物言わぬ意思持たぬ沈黙を通した物達よ
焼かれ爛れ溶け落ちた虐げられし物達よ、
僅かながらの生を欲するのなら彼女へ集え
強欲なる罪業 役不足 』
「 あぁ。これが私が望んだ末路なのですね。
世界よ 全てよ 永遠に死に続けろ! 」
……
………
「——報告は以上なの?」
「あぁ。周囲にいた同胞は俺を残して全滅だ」
シェリーに事の顛末を報告している。
最近は特に表情がなくなってしまったシェリーだったが今回は違った。
「その女の子……どうなったんですか?」
「人の形を模した意識の集合体、関わればお前は死んでいただろうな」
「本当に死ぬと思ます?」
「シェリーの願いに自らの死が含まれているはずだ」
「はは、そんな願い覚えてませんよ」
シェリーはごまかすように乾いた笑いをしながらも古びた書物を開いた。
「キルセ、キルセ——焔からの復活者キルセ・ガナ。これかな? 本当に魔王様関連だけはめちゃくちゃ丁寧に書かれてるのに——。確認ですけどその人?フェンリルさんぐらい強いんですか?」
「数回見た気がするな。今の俺より弱いことはないだろう」
「……メネントって詐欺師より強いですか?」
フェンリルは首を振った。
いくらなんでも比べる相手が違いすぎる。
「奴は灰燼剣を扱っている。かつてシングルハートの肉体と魂を切り離した武器だ。振るわれれば太刀打ちなど出来ん」
「じゃあどうすれば」
「この世界全ては旧神がシングルハートの気を引くために創った駒でしかない。シェリーが何もせずともシングルハートを傷付けた灰燼剣を持つ者は殺すし些細な行動全てが殺す為の礎となる」
「むー、意味わかんないです」
「インユリアが動くぞ。もしもシェリーが見かけたら殺しておけ」
「……人間専用の女神様でしょ?色んな人に恨まれてたのは知ってましたけどフェンリルさんにも恨まれてたんですね」
「あの時代を生き抜いてきた者は全員同じ思いだ。あの女狐は常に同じやり方を使う。目的のために世界中を敵に回すつもりだろうな」




