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第9話  遠く遠く


 人間というのは疲れる生き物だ。

 走れば疲れる。歩けば疲れる。立っているだけで疲れる。


 息を吸うだけで、吐くだけで疲れる。

 皮が破れる。水が洩れる。


 こんなの欠陥品でしかない。

 生きているだけで辛い事しかないではないか。



「マキナ、おぶってやるからこっち来い」

「タナトスの馬鹿が見てるから恥ずかしいです。義父様がタナトスの両目を潰してください」


「日が暮れちまうんだよぉ。さっさとこっち来い」


 その代わりなのか触れ合いという肉体なしでは叶わない至福が存在する。

 アタシはクリーヴァ義父様に抱えられてご満悦だ。

 義父様もきっとご満悦だ。



「俺様一人ならもう着いてんぞぉ。まあタナトスは鈍足だしマキナも——覚悟してたがなぁ」


 ふっ。義父様の言う通りタナトスはダメな奴だ。


「だったらクリーヴァが是も抱えて飛んでよ」

「……ダメだぁ。負担がでけぇ」



 日が暮れると義父様は山の麓にある大きな家のドアを叩いた。

 中からは男が出てきたてすぐに驚き怯えた表情に変わった。

 きっとタナトスの顔のせいだ。


「その人……なにか御用ですか?」



「あ〜、ちょっと道に迷ってなぁ。三人を一晩泊めてくれよ。見るからに怪しいだろうが誠意と迷惑料ってとこだ。貰っとけやぁ」

「こ、これは機械時計!……え。盗品?貴方達は強盗?」


「俺様が作ったんだよ!まぁ、本当に迷惑かけるから気にすんなぁ」


 義父様のお言葉に応じない人間なんていやしない。

 男はご機嫌になりながら家へと招いてくれた。



 久しぶりに部屋に入った。

 幽霊だった頃は入れなかったし、タナトスの家は部屋なんて呼べない。


    あんなのゴミ箱だ。

 寝て起きたら腐った匂いが蔓延してたし

 身体がベチャベチャしてたし。



……


「明朝には出るからもう寝とけぇ。俺様は家主と酒でも飲んでから寝るからよぉ」

「お酒?是も飲みたい」


「タナトスは一滴でも飲んだら半日は起きねぇだろがあ!」


 ぷぷ!義父様に怒られていい気味だ。




「義父様!アタシは一人でちゃんと眠れます」

「昔はなんか話さしてやらねぇと泣きじゃくってたマキナが……大きくなったな」


 義父様はアタシの成長をしみじみと感じてくれていた。



 

……


「うっぅうぅぅ。ううぅうぅぅぅ」

「……」


 うめき声。

 言うまでもなくアタシのうめき声だ。


 隣でうめき声をあげているのにどうしてタナトスは寝てられるの?どんな神経してるの?


「ううぅ……うううう!あううう!!!がるるる!!」

「なに?うるさいよ」


 アタシが唸り声を出すと、

 やっぱり起きてた。


「義父様まだ来ないのかな?」

「クリーヴァ?……今人間の男と話してるよ」


 どうしてだろう?怖くて眠れない。

 いつもは屋台の下で蹲ってたら勝手に朝が来たのに。


 きっと義父様のせいだ。



「なにか昔の話してよ」

「是はもう寝たいんだけど」


「義父様はアタシがちゃんと眠るまでお話ししてくれたのよ!タナトスもしてよ!」


 義父様の昔のお話しを聞きたくなったんだ。

 アタシが知らない義父様。

 アタシが知らない母様。


「昔から是はずっと家にいたよ。昔話し終わり」


 こいつ  本当になんなの?

 ひょっとしてタナトスは馬鹿じゃなくてアタシを馬鹿にしてるだけじゃないの?


 アタシからなにか話すしかないのかな。


「……義父様の昔話は母様はあんまり出てこないの。本当に稀だけど母様と義父様が会えば絶対に喧嘩してたの」


「クリーヴァはニーチェが嫌いだからね。ロクシィはニーチェ大好きだからお互い意見が合わないんだよ」

「でも全然お話しに出ないのはおかしいでしょ?嫌いだとしても沢山お話しがあっていいと思う」


「意見が合わないだけでお互い嫌ってないよ。クリーヴァの言ってる事は理解出来る。でも是はニーチェが悪いとも思わないしロクシィが可哀想とも思わない」


「なんの話し?ニーチェなんてどうでもいいから母様のお話ししてよ」




 母様はどうしてアタシを嫌いなのだろうか?

 アタシはこんなにも母様が大好きなのに。


「ロクシィの話で面白エピソードなんてないよ。是だって毎日会ってるのに話せる事ないし」


 あ? こいつ今なんて言った?


「タナトスは……毎日母様と会ってるの?」

「是が寝てる時は知らないけど。あ。今日は一回も来てないね。こんなの本当に久しぶりだよ」


 どうして?どうして母様はこんな馬鹿に会いにいくの?




「母様のこと……なんでもいいから教えて。アタシこれ以上母様に嫌われたくないの」


 それまで背中を向けていたタナトスが寝返りを打ちアタシに振り向いた。

 それはとても真剣な眼差しでアタシを見つめている。


「なんでもいいなんて事はないんだよ。ロクシィだって知られたくない過去はある。マキナが知って軽蔑するか同情するかなんて是にはわからない。少なくともロクシィはマキナのこと嫌ってないから」


「どうしてタナトスにそんな事わかるの?」



「ロクシィはね、覚える気がない人の名前を絶対に呼ばないんだよ。人物の特徴を言うだけ。でもマキナは名前で呼ばれてた。興味なかったら『ゾンビ女』とか付けられてるよ」


「アタシの名前。そっか……えへ、えへへへ」


 頬がニヤけてとろけそうだ。

 これも肉体がないと味わえない至福の一つなのだろう。



「えへへへへ〜——……『ゾンビ女』ってなに?」



「その身体、見つけた時は既に死んでたんだよ。アイシャの加護みたいなので腐敗は逆転させたけど長く持たなかったみたいだね。だから是はマキナの魂が還る前に身体を返してもらいに行くしクリーヴァはあれでも焦ってる」



 ああ、この部屋が臭いのも、ベッドがベチャベチャになっていくのも……アタシが原因なんだ。

 


「だからなるだけ体力を温存させて——」

「そんな事より母様のお話ししてよ。アタシが眠るまで」

「……是の話し聞いてた?」


「話してくれないと騒ぎ立てるから!」

「はぁ、みんなで飲みに行った時の話しだけどね」

「うん、それでそれで?」


「ロクシィは普段お酒を飲まないんだけど一度だけ——」



 アタシの知らない母様の事が知れる。

 アタシが知らなかった父さんが話してくれている。

 

 アタシの身体の事なんて些細な出来事に過ぎず、

 考えるまでもなく今のアタシは十分過ぎるほどに幸福なのだ。

 



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