「カレーと対G服とシルブィ」
黒い機体は超高度を軽々と切り裂きながら舞い、レーダーに映らぬ飛行種を探す。二人を待つのは平穏な日々か、それとも……?
遮る物のない澄み切った大気を突き抜けて、俺とカズンは翔んで行く。
地平線は雲、水平線はたぶん雲の下。空を仰ぎ見ればうっすらと星が見える……ような気がする。亜宇宙とすら言える高度である。常人ならば俺と同じようにマスクを付けなければ呼吸も満足に出来やしない。
前進四枚、後退四枚の複雑な翼を有する巨大な複座式長距離戦闘機。前傾した主翼が二対、後退尾翼二対の機体は遠くから見ると鏡の上でハサミを振り上げるサソリに見えないこともない。
ステルス塗装により暗灰色の機体は陽の光を吸収し、黒々としたその表面は通称【ブラックドラゴン】に相応しい。だが、地球上で最新鋭且つ最強の戦闘機にも関わらず、この機体のウェポンラックには……一切の兵器は搭載されていない。代わりに機動性を犠牲にしてでも航続距離を伸ばす為に、増加燃料タンクを追加しているのだが。
「カズン、頭は痛くないか?」
【痛くない、です。イチイ、痛くない、ですか?】
「俺か? 問題ない。……腹が減ったらザックにパンが有るから食べて構わないよ」
俺のことを名前ではなく一尉、と呼ぶカズンが座席の後ろに入れて置いたザックをゴソゴソとまさぐる音がして、キャッ♪ と一声上げたかと思ったら、モスモスと千切っては口に運び、モスモスと千切っては口に運ぶカズン。きっと眼を瞑りながらモグモグしているのだろう。
シルブィ達は人間ではない。勿論ロボットやAIでもない。歴とした生き物なのだが、例えばこうして高度一万メートル超を音速以上で飛行していても呼吸用のマスクを必要とはしないし、対G服も必要とはしない。羨ましいと思う反面、もし自分が同じような環境に身を置いたとして、果たしてこれだけ献身的に作戦任務に協力出来るだろうか、とは思う。間違いなく俺なら逃避するだろう。
【イチイ、私、パン全部、食べてしまう、です。御免なさい、です。】
「……気にしなくていいよ。パイロットは食い過ぎ飲み過ぎは厳禁だから、さ。」
【イチイ、優しい、です。有り難う、です。】
カズンはぎこちなく返答する。バックミラーに写るカズンが最後の一切れを口の中へと押し込み、円筒形のチーズ入りパンを完食する。
シルブィ達は大食いだ。特にカズンは見た目の線の細さからは想像できない程の量をペロッと食べても必ず【イチイ、カズン、甘いもの、食べてしまう、です。】とか言いながら、顔よりも大きなパフェとかをメニューの端から順番に開拓していくのだ。
真っ白な雲海の上を切り裂くように進む。雲の形を眺めているうちに、唐突にそれが巨大なご飯に見えてしまった。……巨大なご飯……特盛だな。牛丼……いや、気分的には山脈チックなライスだとしたら、きっとそこには湖よろしく褐色のルーが似合う筈……よし、今夜のご飯はカレーだな。
ボーッとそんなことを考えていると、ディスプレイに通信回線経由の着信が光る。
《……おい! …………毎度お馴染みの定期便だぜ? 菊地一尉。カズンちゃん、腹減ってねーか?》
粗野な口振りの無線が入る。空中給油機とのランデブータイム。しかし、当然ながら向こうにはシルブィ達は乗っていない。彼等の搭乗機にシルブィは必要ないし、乗っていたにしても戦闘機でない給油機に出来ることは、搭載燃料を廃棄して全速力で離脱することしかない。
《…………オニギリの人! こんにちわ、です!》
《やれやれ……まだオニギリから脱出出来てないのかよ俺は……まぁ、いいか。カズンちゃん、そっちは見張り、宜しくな?》
《ハイ! ……了解、です!》
給油機の市村一尉とのやり取りを聞きながら、オートで給油機と平行飛行させておく。カズンに任せておけば不意討ちはされないだろうが、それでも緊急時と言えど給油ホース切り離しとお互いの安全圏に離れるまで、軌道に制限は発生する。気は抜けない、と言うものだ。
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……シルブィ、とは造語だ。シルブ、またはシルフと言えば一般的に風の妖精を指すのだろう。彼女達シルブィはある日突然やって来た。総勢三千弱。全員女。年齢は……若い~若くない、位だろう。
彼女達は何処から来たのだろうか。本人達曰く、「異なる世界」からだ、と言うことらしい。だが、俺達にとってはそんなものはどこに在ろうと構わない。
彼女達は【支配者】からの離脱を選択し、我々の世界へと逃げてきたそうだ。その支配者からは身体の自由、そして……種としての繁殖の機会を奪われ服従を余儀なくされていた。
身体の自由、と言うのは良く判る。彼女達は……美しい。我々、他種族の人間から見ても……実に魅力的だ。占有欲が強いものならばそうした行為に及ぶのも判る。しかし、そのやり方は非人道的……いや、下劣の極みだ。見せしめに手や脚を切り落とされたシルブィも居る。酷いものだ。
だが、それよりも……種としての繁殖の機会まで奪うとは……何を考えているのだろう。シルブィ達を絶滅させるつもりなんだろうか? ……何故だろう……知りたくもないが。
まだお互いの意志疎通の方法も確立されなかった当初から、彼女達シルブィには……男性が居ないことは明白だった。それを後になって尋ねた時、返答した年長者代表のシルブィが言った言葉を……俺達は忘れない。
《支配者は、殺した数だけ、増やすこと、許可します。》
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【イチイ、サラマンダも、ドラゴンも、居ない、です。】
「そうか、それはいいことだ……。」
個人用の会話は全てブラックボックスに記録されている。だから性的な会話は御法度。当たり前だが当然だ。どのみち複座式の機体ではナニも出来ないが。
結果、話題は大抵こうした索敵と、
【……イチイ、今夜のご飯、なんですか?】
「そうだなぁ……たぶん、カレーかな?」
キャッ♪ と何時もの歓声を聞きながら、自然と話題は食べ物の話になっていく。彼女達シルブィは、この世界の食べ物に対して即座に順応していった。……彼女達の元居た世界は余程……酷い食事情だったんだろう。あまり詳しくは聞いていないが想像はつく。何せ最初の頃は食べ物の会話は【それはイルフンですか?】しかなかったから。
イルフン、とは我々の環境ではオートミールに近いものらしい。具の無いオートミール……ただのふすまの水煮、そこに僅かばかりの塩味と、付け合わせのワクワク感の無い地味な野菜程度……。味気ない奴隷の食い物か、……もしくは病院食。いや、それは医療関係者に失礼だな。彼等は彼等なりに職務に忠実なのだ。
【イチイ!イチイ!カレー、肉入る?】
「あぁ、勿論入るとも。もしかしたらシーフードかもしれないぞ?」
【キャッ♪ イチイ! ……シーフード!?】
「あぁ、エビやイカ、アサリやタコか……うーん、入る、かなぁ……?」
【イチイ! それは、肉じゃない?】
「うーん、違うな。でも……美味しいぞ?」
【キャッ♪ イチイ!! カレー、カズン、好き、です!!】
まだまだ語彙にバリエーションの少ないカズンの《コミュニケーション・アクセ》だが、そのうちに滑らかに相互翻訳出来るようになるだろう。
《コミュニケーション・アクセ》は、彼女達シルブィと俺達人間との会話をフォローしてくれる携帯型の翻訳ツール。半分は人間側の技術、もう半分は彼女達の魔力を用いた初めての魔導具。だと思う。
何故、思うだとかフワフワな表現なの? と、問われても……俺は理解できないからだ。まず、見た目は大きな宝石の付いたペンダントだが、その裏側には小さなマイクとスピーカーが付いている。中には複雑な電子機器と……謎の魔力関連の物質。この辺りまでが俺の頭で理解できる限界だ。
最初は人間側の用意した典型的な通訳ツールを利用して、互いの相互翻訳を目指したらしいが……彼女達の声に問題があった。
音としては認識出来るのだが、その音程は一定でモールス信号のような平坦な音階しかなく、耳で聞き取ろうとすれば……
「コロコロ……コロン。コロン。」
こんな感じなのだ。人がそのまま聞いても意味が判る訳がない。苦心して人間側とシルブィ達は長い時を掛けて互いの技術と能力を開示し合い、やっと完成したのが《コミュニケーション・アクセ》だ。
【イチイ、給油、終わった、です。】
カズンの報告を聞くまでもなく、ディスプレイに《給油完了。ホース切り離します。》と表示され、ズシン……と軽い振動を感じた後、右側に平行していた給油機が徐々に離れていく。
《カズンちゃん!気をつけて無事に戻って来てくれよ? ……菊地一尉、カズンちゃんをしっかり守ってくれよ?……何かあったら……判ってるよな?》
市村一尉のドスの効いた暖かい励ましを聞きながら、離脱していく給油機に敬礼し、
《勿論いつでもそのつもりですよ……オニギリ一尉。》
《くそっ!! お前にまで言われたくねーや!! それじゃ上でまた会おうぜ……武運長久を!》
お互いに軽口を叩きながら離れるとスーッ、と視界から消えていく給油機。
上で会う……か。確かにそうだな。
この付近の空から……ドラゴンやサラマンダが一掃されるまでは、俺達は地上へは戻れない。亜宇宙要塞機の《飛龍・改二》と共に地上に戻れるのは何時になるのやら……。
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この世界へは【支配者】自身は追って来なかった。代わりにやって来たのは……数多の強力で無慈悲な空の暴君共だった。
様々なブレス(息の形の攻撃手段)と飛行能力を有したドラゴン達、そして体格は一回り小さいが、それにより更に加速力を増した飛行能力と強力な顎を持ち、数で優る亜竜のサラマンダ達。奴等と我々の戦いは……人間側の一方的な敗北続きだった。
奴等、飛行種の生物達は……レーダーに映らず、更に自動追尾機器を無効化させる体表面の変温(周囲の温度と体表面が同じ状態)によりミサイルは全て追尾させられず、人間側の武器で唯一直撃させられるチェーンガン(連装機銃)も、高機動を誇る彼等に当てるのは至難の技だった。
焦りながら追尾をしつつトリガーを引き続け、やっと有効弾が鱗を飛散させ始めても無情な《残弾ゼロ。帰投して補給してください。》の表示と共に振り返りながら噴き出される超高温のブレス……回収されたブラックボックスの山から引き出された情報は、そんなテンプレ悲劇の連続だった。
……そうした袋小路の戦況に変化を与えたのは、《コミュニケーション・アクセ》を介したシルブィ達との意志疎通と、彼女達の持つ類い稀な能力だった。
超遠距離からでも飛行種に対する索敵能力(魔力感知はお手の物だ)と、風や水を遠隔操作することにより産み出される様々な攻撃手段……。
【混成対飛行種長距離駆逐部隊】、通称シルブィ隊の構成は、最新式の複座式長距離戦闘機にシルブィ一人、人間一人。
シルブィ達は後部シートに陣取り索敵と魔力を用いた長距離の攻撃手段、人間側は前部シートで機体操縦と近接用兵装のチェーンガン、そして稀に、亜宇宙航行時専用の短距離レーザー(五回程度しか掃射出来ないが)担当。
この組み合わせが空での戦い方を一気に変えた。飛行種達を【異世界との境目】まで押し戻し、膠着状態まで戻すことが出来るようになったのだ。
しかし空戦の無い空振りの偵察後に帰投する回数が増す度に、他の非戦闘要員からは【FA付き戦闘機】と揶揄されている。……FAって何だって? フライトアテンダント、の略、だとさ。
けれど彼女達は俺にお茶や茶菓子のサービスをすることはない。逆に彼女達への差し入れは俺達パイロットの思い遣りに過ぎないし……いや、喜ぶ彼女達の姿を一度でも目の当たりにすれば……誰でもそうなるが。
【サラマンダ、ドラゴン、居ない、です。】
「今日も平和か……あと二時間で帰投コースに……ん?」
カズン達、シルブィは決して常時万能……ではない。そのことを俺は経験で知っている。燃費が悪い彼女達は……空腹によってポテンシャルが著しく低下するのだ。
その異変に気付いたのは、俺の運が良かっただけだろう。
煌めく雲の切れ目にほんの僅かな滲みを見つけただけ。だが、それがキャノピーに付いた汚れか何かか……等と逡巡することはしなかった。
俺は即座に機体を反応させて相対させる。そして機体を最大速度にする前にカズンに一言、
「カズン……急加速……ッ!!……させるぞ……敵だ……」
【イチイ!!ごめんなさい!!カズン、ぼーっとしてた!】
俺は急加速に伴い骨が軋む重圧に呻きつつ、更にアフターバーナー点火。
遅れてカズンは謝罪するが……無事に帰れなきゃ……いや、帰らなきゃならん!!
「カズン、当てられる距離になったらアイスウィンド、抜けたらチェーンガンだ。」
【イチイ!! カズン、判る!】
背後からカズンの魔力の気配が濃厚に滲み出し、ディスプレイ上の表示が【機器に磁場干渉あり・正常な 示が出来ま ん♯】のエラー表示になる。知ったことか。
チェーンガンの安全装置を指で外し、物理的に射出孔の蓋を模擬弾で吹き飛ばすと、微振動を発しながら数発の曳光弾が飛んで行く。直ぐにヘルメットのバイザーにリンクした照準が表示され、薬物によって血流が増加するのを感じる。ドーピングによる増血と対G服の効果で強制的にブラックアウト対策が始まる……人権的配慮? ……そんなものは猫にでも食わせとけ。
バクバクと心拍数が激しく揚がる中、カズンの魔導錬成により機体表面の温度が急激に下がる……バックミラー越しに見えるカズンの睫毛も霜が付き、キラキラと輝いて見える……人に見えて、人に非ず……か。
【イチイ!! カズン……当てる!!】
ズシン、と強い振動を発しながら、機体の周囲の極低温が移動して行くのを感じる……俺には理解できないが、カズンはそう言っていたのだから、きっとそうなんだろう。カズン自身も低温化するようだし、そりゃ燃費が悪くもなるってもんだ。
キラキラと光りながら煌めく空気は小さな滲みへと殺到し、空中で四散する。当たったのか……当たらなかったのか……? 今の俺には判らない。
「…………ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……カズン、どうだ……?」
俺は荒く息をつきながらカズンに問う。増血剤は気管を狭めてしまう。鼻から通した過吸気ユニットで肺に強制的に空気は送り込まれては居るが、精神的に呼気の回数は上がってしまうのは妨げられない……最後はサイバネ手術しかないだろうな。……でも、飯、食えるのか?……そんな身体で。カズンと一緒に食えなきゃ……生きる意味もないぞ?
【少し、外れた、です……。】
一撃で落とせなかったことに責任を感じたのか、カズンの声は沈んでいた。まぁ、あまり気にするなって。結局、何時の時代だろうと最後の手段は近接戦闘に決まっているのだから。
空間の滲みは次第に大きくなり、瞬時に形を変えて翼を広げた飛行種と認識出来る。その瞬間、俺の脳波を通じてチェーンガンの機構がモーターを駆動させながら砲身を回転させて、瞬時に電子着火を開始。
相対する真っ赤な体表の飛行種は大きく口を開けて、その深奥に潜むブレス発射孔に帯電させつつ霧化した化液を噴出。口の中から先端に掛けて無意識下に具現化させた電磁機構(レールガンと同じ仕組み!)で粒子を帯電させながら倍加速し直線的に射出。つまり……ブレス・レールガンだ。
生きた兵器の飛行種と、限り無く非人間的な空戦対策によって、超々高速下での運行を可能にした、俺とカズンの乗る戦闘機から射出されるチェーンガン。
距離は違えど幻想奇譚の剣による闘いを連想されるのか、この武器の通称は《幅広片手剣》と呼称されている。
先に撃ち始めたこちらの徹甲破砕弾は容赦なく相手の顔面へと飛来……秒間三百発の三十ミリ弾は無慈悲に殺到し、飛行種の硬い鱗に覆われた体表を|穿《う
が》ち肉体内に侵入し破裂して破片を撒き散らし、脳や頸椎を徹底的に破壊……。ブレス・レールガンは発射されることなく、首の付け根まで一気に爆発させながら機体ギリギリを通過して落下……。
【イチイ!! ……撃破確認、カレー、です!!】
嬉しそうに感情と食欲を爆発させるカズン。そうだよな、カレーの魅力に勝てる飛行種なんて居る訳ない……か。
「よし、取り敢えず帰投するか…………オートモード、帰投目標《飛龍・改二》。」
《確認・帰投目標・飛龍・改二。》
正常に戻ったディスプレイに映る文字を視認しながら、対G服の圧迫が弛むのを感じつつ、俺はカズンとの雑談に専念することにした。
カズン、カレーってのは、辛い奴ばっかじゃないんだぞ?
イチイ! カレー、辛い奴、ばかり、違う!?
……あぁ、バターチキンカレーって言ってな……甘いカレーもあるんだ。
カレー、甘いカレー、ある!?
ココナッツミルクって言ってな……暖かい海沿いに生える、大きな木の実の中にある、白くて甘い液を入れたカレーだよ。
木の実……です。そのカレー、ヒリュー、有ります?
うーん、同じ物は……あ、缶詰あったな、確か。後はバターと鶏肉か。作れそうだな。
イチイ!今夜のカレー、バターチキンカレー、食べる、カズン!!
判った判った……揺れるなよ……まぁ、揺れないけどな。
バター♪ チキン♪ カレー♪ バター♪ チキン♪ カレー♪……
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夕焼け空を横切りながら、俺とカズンは《飛龍・改二》に到着する。
巨大な三角形の空中要塞機は夕陽を反射してオレンジ色に染まっている。その巨体に近付くと、自動飛行モードから着艦モードに切り替わり、フラップ(空中機動を制御する為の小さな翼)をヒコヒコと微調整しながら機体を安定させて、着艦準備。
《着艦モジュール接近……着艦。お疲れ様でした。帰投終了。待機モードに移行します。》
画面に現れる文字列を眺めながらアームで固定されて、要塞機内へと収納されていく。
「無事帰還お疲れ様です!……お、チェーンガン使用……ってことは落としたのか!! 相手は? ドラゴンか? サラマンダか?」
出迎えてくれた整備要員に機上で纏めた交戦レポートをタブレットごと手渡して、
「たぶん……ドラゴンだな。その辺はブラックボックスに聞いてくれ。こっちは急いでるんだ、カズンが……危ない。」
「危ない? 怪我でもしてるのかっ!?」
慌てる整備要員が振り向くと、嬉しそうな笑顔を満面に浮かべたカズンが、
【バター♪ チキン♪ カレー♪ キャッ♪ バター♪ チキン♪ カレー♪ キャッ♪】
と繰り返しながら、ウキウキと食堂へと向かってスキップしていった。
「……な? 《危ない》だろ?」
「……確かに。御早めのエスコート、って奴ですね。」
「あぁ、取り敢えず報告をせにゃならんが……ま、カズンなら一人でも問題なかろう。」
俺はカズンとは違う方向に歩き出す。戦果報告をする為に司令所に向かわないと……カズンも大事だが……ここは戦場なんだ。
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当直の上官に戦果報告と損害の有無を申請し、三十六時間の特別休暇(戦果が有った際は特例的に認められている)を得てから、食堂に到着する。
「…………なんだ、これ……は?」
食堂の入り口に小さな粒が舞い落ちている。それは食堂からヒラヒラと舞い上がり、静かに落ちていく。
指先で拾おうとすると、それは一瞬で解けて無くなった。いや、何だかは判る……たぶん、雪の結晶だろう……。
恐る恐る入り口から覗き込むと、白で統一された家具の広い食堂、その一角……隅の長いテーブルの端っこに、チョコンと座るカズン。
線の細い彼女は大きめの緑色のツナギ(通常のフライトスーツはシルブィ達には不評だった)をはだけさせ、白いノースリーブを露出させたその姿は、一見すると町工場の休憩中の工員みたいだが、銀髪を赤いリボンで束ね金色のブローチで纏め球形にしたカズンは、間違いなく注目を浴びる程に美しく見える。
陶磁器さながらの透明感のある白い肌に、朱の差した染み一つ無い頬。そして吸い込まれそうな深い鳶色の瞳の大きな眼と、整った形の艶やかな紅い唇……それらが理想的に配置された顔は、見る者を男女問わず魅了する程に美しく映るだろう。
しかし、今の彼女は俯きながらテーブルに配された椅子に腰掛けながら、口を真一文字にし、手を握り締めて膝上に載せてじっとコップの水を眺めたまま固まり、微動だにせず……。
だが、その周囲にやや離れながら遠巻きに見守る野次馬と、彼等の周りに時々吹き抜ける冷風に載ってヒラヒラと雪の結晶が舞い上がり、食堂の外へと運ばれていく。
(……これは……不味い、実に不味いな……こうなると機嫌悪くなって部屋に引きこもられかねん。ここは……平伏作戦しかないな。)
……俺は意を決して野次馬を掻き分けて進み、カズンの前に座るや否や、
「すまんカズン!! 戦時報告を先にしないと俺は飯の食えないことをお前に言い忘れてた! 悪かった!!」
ガン!!とテーブルに頭を打ち突けながら、可及的且つ速やかに事態を収拾すべく【イチイさん、カズン、待った……カレー、待った。】
俺の謝罪を遮るべく言葉を重ね、怒りの余り《顔面蒼白》になりながら、髪の毛をフワフワと舞い上げつつ雪の結晶を散らせるカズン。
俺は思わず見上げた顔を再度テーブルへと叩き突け、血を吐くような想いを籠めながら、
「カズン!待たせて済まなかった! バターチキンカレー、直ぐに食おう!!な? だから機嫌直してくれっ!! パフェだっていいぞ! 明日は一日休みになったから付き合う! 地上降下申請も出してみる!!」
一気に捲し立てながら、ゆっくりと顔を上げてみる。
【…………イチイ、許してほしい?】
「あぁ! 勿論だとも!!」
それを聞いたカズンはそれまでの怒りに震えた表情を融解させると、ゆっくりと跳ね上がっていた前髪も元の流れるような自然な位置へと戻り、そして……俺だけではなく、周りの野次馬にも聞こえるような大きさの声で、
【…………カレーの前、ギュッ、してください。】
顔を赤くしながら呟いた。
……なん……だとッ!?
「はぁ~っ!? おいこら菊池てめぇ何言わせてるんだよ!? 死ね。」
「はぁ~っ!? お前カズンちゃんに何を与えたんだ!? 殺す。」
「はぁ~っ!? カズンちゃん正気か!? 菊池てめぇは殺す。」
周囲の野次馬から呪詛の呻きと叫びを浴びせられながら、思わずカズンを凝視してしまう。俺はもう一度カズンを凝視すると、彼女は全く変わらぬ様子でもう一度、
【カズン、一杯、頑張って、我慢、した。だから、ギュッ、してください。】
……う、うおぅ……。
俺は迷いながら、指先を探るように差し出してカズンの肩に触れて、意を決して軽い身体を軽々と掴み持ち揚げる。そのまま天井近くまで掲げると事態を把握出来ずに無表情になったカズンと一瞬眼が合ったが、構わずそのまま抱き締める。
…………ギュッ。
ふわぁっ、とした柔らかな感触と、日の光りに暖められた洗い立ての毛布そっくりの香り。く、くそぅ……死んだ嫁を思い出しちまう……ぞ。
複雑な気持ちでギリギリと歯噛みしていると、不意にカズンが苦し気な息を吐きながら顔を上げ、真顔のままパムパムと肩を叩きながら、
【イチイ、平気、カズン、もう怒ってない。あと、皆さん、イチイ、悪くない、です。】
カズンがそう言うと、何だよそうなのかよ……と言いながら白けて解散する派と、はぁあああ……と力を抜くや否や、そのままその位置から動けなくなり白い灰になる派も居たが、もう気にすることは止めにした。
「カズン、悪かったな。この死体は放置しておけばいいけど移動しよう。な?」
【はい、です。カズン、移動、するです。】
俺とカズンは食堂を出てバルコニー型のテラス風の席へと移動した。
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「さ、早速飯だ……で、これがバターチキンカレーだぞ?」
カズンの目の前に、銀色のトレーに載せたカレーを差し出して、スプーンとチャイを手渡す。
(写真はイメージです)
【キャァ~ッ♪ バター♪ チキン♪ カレー♪ イチイ、食べる! いいか!?】
「当たり前だろう……お前の分だぞ?早く食べろって。」
【イエッサー♪ いただきます!!】
満面の笑顔で銀色のスプーンを手にすると、カズンは素早くルーとご飯の境目にスプーンを挿し込んで、そーっと小さな口へと運んでいき、眼を閉じながらパクっ。
もむ、もむもむもむ、むぐむぐむぐ……、
ほぅ……。小さく息を吐き、コップからチャイを口に含みゴク、と飲み込みながら、
【イチイ…………カレー、甘い! バターチキンカレー! 美味しい!!】
パッ、と表情を輝かせながら、パクっ、もむもむもむ。
【美味しい♪ イチイ! 美味しい♪ カズン、これ好き♪】
幸せそうに次々と食べ続けるカズン。俺も釣られて自分の皿から一口、ルーとライスの境界線部分をスプーンで削り取り、口元へと運ぶ。
まずは口の前で止めて香りを確かめる。……ターメリックとガラムマサラの刺激的な香りが漂い、料理長のカレー感(なんだそりゃ?)が確かな物だと理解出来る。そして少しだけ、口で息を吹き掛けて冷ましてから口の中へ。
まず舌に感じるのはバターとココナッツミルクの味と風味。話には聞いていたが、そこから訪れる筈の攻撃的な辛さの刺激はやはり到来しない。代わりに感じるのは、柔らかく口の中に広がる滋味深い優しい味わい……そして後から来る生姜の風味と香ばしく揚げてある鶏肉の味がハッキリと自己主張していて、辛いカレーに馴染んだ舌には却って新鮮だった。
しかし甘さだけに特化した子供向けの味付け等ではなく、幾ばくかの刺激もキチンと訪れはするし……カレーとして見ればライスとの相性もきっちりと確保されている。何よりも頼り甲斐のある香辛料の豊かな風味こそカレーには不可欠であり、甘さの奥にしっかりと煮込んだ微塵切りの野菜達も存在感があり、複雑な味わいに一役買っていた。
ルーとライスの境界線はルー側へと侵食を続け、気付けば半分以上は無くなっていた。……やるな、バターチキンカレー。
それにしても、カズン達シルブィを喜ばせたいが為に、料理長らは随分と奮闘したのだな……流石にいくらこの要塞機が巨大だとしても、何時でもバターチキンカレーがある訳じゃない。だがこちらも勝手知ったる経験がある。予め船内ネットにアクセスして「カズンの要望だ。あんたらの沽券に関わる一大事じゃないか?」と煽りを入れて大正解だったようだ。何せ船内所属のシルブィは、登録凍結中の一人を含めて四人しか居ないのだから、その破壊力は余りある物だった、ってとこだな。
「なぁ、カズン。……さっきのハグといい、お前にとって俺は……何なんだ?」
嬉しそうに次々とカレーを口へと運ぶカズンに、俺は訊ねてみる。もしかしたら……いや、例えカズンがどう考えていようといいんだが……、
【カズン、イチイ、好き♪】
キラキラと眼を輝かせながら、何時もと同じ様子で変わらぬ調子。カレーと同じ程度なんじゃないか?と疑うが、まぁ、それでも……いいか。
【カズン、イチイ、カレー、みんな、好き♪一番好き、イチイ♪】
幾度も告白されている事実は嬉しいが、カレーも好きと言っている……正直過ぎるのは……カズンらしくていいか。
俺は大皿に盛られたバターチキンカレーが、すっかりカズンの胃の中に消えていくのを眺めながら、今は亡き妻のことを思い出していた。
…………彼女達シルブィが現れた時、世界中は現れた追跡者によって未曾有の大災難に見舞われて、世界総人口は一割を切った。……その時、妻も死んだ……のだろう。
新婚生活中の地方都市上空に現れた、異世界との接点は観測史上最大級の規模で、そこから溢れ出たサラマンダは百を超え……地方都市を徹底的に破壊炎上させた。三日間猛威を振るった後は各地へと分散しながらサラマンダ達は都市から姿を消したのだが、当時トラック運転手だった俺が何とか家の在った辺りに戻ると、ガラス状になるまで高温のブレスで焼き尽くされた建材の跡と、そしてその中心で炭化した元人間の残滓しかなかった。俺は……彼女の亡骸なのか確かめることを、諦めた。
……弔い合戦で死のう、そう思って最前線に志願し、最も損耗率の激しい激戦地のここで出会ったのが、カズンだった。
あれから数年経ったが……妻は、許してくれるだろうか?彼女の好きだったバターチキンカレーを、こうしてカズンと味わうことを。
《……何時もそうやって本音を我慢して無理をして……私に遠慮して甘いカレーを食べなくてもいいわよ?……昌也。》
……ああ、そうだな。
【…………イチイ、カズン、奥さん、代わり、なる、ない?】
……カズンにはいつか妻のことを話していた……のだろうか。しかし俺は、慣れなきゃならんようだな。君が居ないこの世界に。
「……妻の代わりに、かい?……それは……無理だ。」
【カズン、なる……ない……。】
「……いいか?カズン。代わりは、要らない。俺は、カズンに、居てほしい。」
【代わり、要らない?】
「……お前はお前、カズンはカズン、だよ。誰かの代わりになんてなる必要はないから。」
【代わらない?カズン、……そのまま?】
「そうさ。お前はカズン。俺は死んだ妻の代わりは要らない」
……バターチキンカレー、甘くて好きじゃなかったけれど、慣れればこれはこれで旨いな。
「君はカズンだ。俺が求める偶像なんかじゃ……あ、ええっと……」
小難しい言い回しにキョトンとするカズンを見て、俺は言い方を変えた。
「……明日も、明後日も、一緒に飛んでくれ、カズン」
構想自体は去年末から転がしておいたのですが、縁有って狐カレー企画に参加する為に急遽半日で完成させました。毎度ながら現行を投げ打つ暴挙をお許し下さい。だがしかし反省はしません。
航空機のイメージは「戦闘妖精雪風」。あれ以上は有りません。誘導ミサイルをドバッと撃てばドラゴンだろうとサラマンダだろうと無双ですが、それじゃチートそのものじゃね?と考えて……こうなりました。ちなみに搭載可能弾数は通常時は近接用ミサイル十二、遠距離用ミサイル八、近接用二十ミリチェーンガン六千発(二十秒間発射可能)、仕様によってはミサイル非搭載時に亜宇宙限定で近接用レーザー搭載可能(照射可能時間五秒)。三基の三次元ノズル型ジェットエンジン搭載。搭乗可能人員二名。
《飛龍・改二》→超高度航行要塞機。ロケットエンジンにより亜宇宙付近まで上昇後は拡張翼を展開して滞空。何で飛んでるとかは考えてません。あはあは。太陽光発電で機内は快適。十二機の【ブラックドラゴン】を搭載可能。要塞機と言う訳で自衛用レーザー複数搭載。機内には緊急用で小さな原子力発電設備すらあります。食堂は二十四時間開いています。自慢の料理はカレーと自家製パン。カズンはよくバルコニー調のテラス風テーブル席でパフェを食べます。缶詰の果物大活躍、そして生クリームたっぷりで満足の逸品。
バターチキンカレー→作者は未体験。個人的にはグリーンカレーが大好きなので甘いカレーに抵抗感が……だがいつか食べてやる。作品に出てくるバターチキンカレーは煮込んで野菜はペースト状になっています。一度炒めてから煮込む鶏肉は皮はパリッ中はしっとりの出来具合。生姜の風味を生かす為に細かく刻んだ生姜をサッと炒めてから煮込んだ野菜と合わせてからスパイスを入れてあります。ってだから俺は食べたことないの!!失礼いたしました……。
追記……執筆から一ヶ月後、我が家に初バターチキンカレー降臨!!レシピに則って投入される想定内(さすがにココナッツミルクは無かったらしい)の追加素材達。実は想像で書いたレシピでしたが、三次元妻の作ったレシピはココナッツミルク→牛乳以外はドンピシャ!しかしまさかトマトが入るとは予想外!そしてウマー。嫁も「これは旨いわ」と絶賛、オタ(クな)娘も作中のカズンよろしくパクパク食べてたらしい。と、そんな感じで我が家のカレーのレパートリーが一つ増えました!