第20話 ロイという男
ガタンガタン
ローリアから首都までの街道を走る馬車の車輪が小石か何かを乗り越える度に座席が振動する。ローリアまで乗ってきた割と高級な馬車と違う簡素な構造のため、直に伝わるその衝撃は脳天まで響くよう。これに慣れるまでに数日を要した。これまで様々な訓練に耐えてきた私、ロイことアルメロイ・ライト・シュテーガーをもってしてもこれだ。尻に敷いている厚手の毛布が無ければより酷いことになっていただろう。
隣を見ればアルという十二か十三歳の茶髪の冒険者の少年が、私の教えた魔力操作の呪文を繰り返し唱えている。教えてから今日で三日だが飽きずによくやるものだ。というか本当ならこんな二十人ほども乗っている乗合馬車の中で目立つ行動は避けて欲しいのだが。その更に隣には虹色の長髪を放り出して眠っているヘレナというエルフの冒険者が座っている。彼女の名前はここから遠く離れたうえに亜人差別の激しいはずの北西大陸でも一部の階層の者たちには有名だ。この二人はローリアの手前で盗賊の犠牲となった騎士たちの代わりに護衛として雇った。
この二人についてここ数日で思ったことといえば、この人たち一応護衛で雇っているはずなんだけど全然護衛する気が無いのでは、ということ。だって、今乗っているのが護衛つきの乗合馬車とはいえ、普通二人いたらどちらかは警戒の役割に付いたりするでしょ!
それが片方は魔術の訓練に夢中でもう片方は熟睡してる有様。この二人に護衛を頼んだのが本当に正しかったのか未だに悩んでいる。だが、あまり多くの人物に名前と顔をさらすわけにはいかないし、更に手持ちの現金は殆どが盗賊の襲撃によって失われてしまった今、護衛依頼を出すのも困難でありこれが最善であった……と思いたい。尻に敷いている毛布は隣のアルという冒険者が用意してくれたもので、冒険者としてはそれなりの者なのかもしれないし。
ふとそのアルを見れば未だに呪文と格闘しているが、上達した様子はない。
「魔術操作の調子はどうだい?」
「ああ、ロイ。まだ全然上手くいかなくて。たまに何か動いてるような気はするんだけどね」
それもそのはず、魔術の基礎である魔力操作だが、この習得には私でも半年近くを要し大学の同期の中には一年ほどかかってようやく習得したという者もいる。魔術の素養を見込まれた者が集まった帝国大学において、一年生の進級条件が魔力操作の習得であることからしてもその難易度がわかるだろう。もちろん学生たちは神聖言語や魔術理論についても学びながらなのだからそう単純な話ではないかもしれないが。だが魔術が本当に難しいのは魔術理論にこそあり、いわゆる魔術を使いこなすにはその研究を怠ってはならない。しかし学生でそこまで学べるものがなんと少ないことか。
そもそも魔術の呪文とは、唱えればそれだけで体の魔力を強制的に魔術の発動まで動かすものである。これに使われるのが神聖言語であるが、元は太古の昔に人が神から与えられた数多の呪文を解析して単語の意味を推測したものとされている。つまり神は呪文だけを人に教え、言語そのものについては教えなかった。多くの研究の結果、神聖言語は一文字一文字が魔力を動かす力を持っているので、文法上は意味を成さない文字の羅列ですら呪文となりうることが判明しており既存の言語体系では捉えられない無数の呪文が存在しているのだ。それを学ばずに卒業して魔術師を名乗る者がほとんどであることが嘆かわしい。
……まあ、それもこれから帰還する母国、ライト王国の魔術のレベルから比べれば天と地ほどの差があるのだが。魔術は貴族の間で秘匿され、魔術師を自称する家系に伝わる呪文は多くても三つほど。その呪文の意味も全く解き明かされていない。これでは魔導帝国との国力にとてつもない差がつくのも致し方ない。向こうは魔術や魔道具によって文明は遥かに進み、他を圧倒するほどの国力を有している。この意味を理解する者がわが国の政に携わる者の中にいたらよかったのだが、残念ながらそうではない。
私が魔導帝国に留学したのも自らの意思であり、誰かが何かを期待して送り込んだなんてことではないのだ。もっとも私自身、向こうへ行くまではただ自分の命を自分で守れるような年齢になるまで遠く離れた地に行きたいとしか思っていなかったし、自分の目でかの帝国の町並みを見ないことにはわからないのも仕方ないのかもしれないが。そういう意味では、国外に逃げるために留学せざるを得ないような事態にしてくれた者たちに感謝しなくてはならないかもしれないな。
と、あまりの暇さに窓の外を眺めながらそんなことを考えていたら後ろへと流れる景色が緩やかになり馬車が速度を落とし始めたのがわかった。もう日も傾き始めているしそろそろ今日の宿場町へと着くのだろう。
「あのさ、よかったら少しロイの事情について少し教えてくれないかな」
宿場町で宿に入るとアルがそう尋ねてきた。確かにこちらの事情もわからなければどれほど警戒すればよいのかもわからないだろう。ここ数日見てきた結果、彼は年齢の割には大人びているし、それなりに信用に足る人物であるということはわかったから多少なら話しておくべきかもしれない。ヘレナもうなずいていることから同意見なのだろう。
「そうだね、すまなかった」
旅の同行者としても不誠実だったと思い、頭を下げる。するとアルが気にすることじゃないからと制してくる。やはりこの子は悪い子ではなさそうだな。
「……改めて名乗ろう。私はライト王国の第三王子、アルメロイ・ライト・シュテーガーだ」
味方がほとんどいないこの場で名乗るのはそれなりに勇気の必要な行為で、覚悟を決めて名乗った。だが、二人はあまり驚いた様子がない。もしかして私の正体に気が付いていた?
だとしたら彼らの評価を少し上げたほうがいいのかもしれないな。
ともあれ、そうして私はことのあらましをアルたちに話し始めようとしたのだが。
「ロイ、お腹が空いたので続きは夕飯を食べてからにしましょう」
レインボーヘアーのエルフにぶち壊された。
そのあと少し不貞腐れながら夕飯を宿で食べたのは言うまでもない。