第一話 契約の日
吐く息が白くなる季節。
景色も様変わりし樹木はほうきのように葉を落とす。
そんな季節の中で木枯らしよりも寒い男がいた。
タクヤ・ウッドビレ、18歳。
彼女も友人もいない無縁仏一歩手前の貧乏人である。
彼はなぜそれほど不遇なのか。
その理由は3年前に遡る。
彼の生まれた家は名門中の名門、竜使いのウッドビレ一族である。
二千年前の聖戦時には光の勇者とともに魔王ラングースと戦ったという発祥伝説を持っている。
レクサンドロス大陸を統治する4つの聖王家と対等の家柄なのである。
当然子供の頃から厳しく育てられた。
学問は言うに及ばず、格闘術、古代語魔術、精霊魔法、神聖魔法…。
圧倒的な詰め込み学習である。彼はその期待に十分すぎるほど応えた。
どれも優秀な成績でこなし後は竜神から主として認められればいい。
そして契約の日。彼は一人で竜神の祠に向かった。
ウッドビレ一族の直系で竜神との契約に失敗した者はいない。
ウッドビレの祖先は聖戦時に竜神王の命を救ったのである。
彼らはそのことに大変感謝しウッドビレ一族に僕として仕える契約を結んだ。
人間よりも信義を重んじる竜神が約定を違えるはずが無い。
そして、タクヤが唯一の例外になった。
彼と契約したがる竜神は一柱もいなかったのである。
「ウッドビレの面汚し」彼はそれから罵られ続けることになった。
当然性格は歪んでいく。度々
問題を起こし両親からも縁を切られた状態である。
友人も彼女もできなかった。
自分が野垂れ死んでも悲しむ者はいない。
そう思い込むようになっていた。
「くそう!」
タクヤは酒の瓶を壁に投げつけた。
ビンは砕けずに壁に穴が開いた。
当然である今の彼はホームレスとして橋の下で暮らしていた。
小屋の壁はバナナの葉っぱを貼り合わせた物である。
「竜神が何だ!そんなものはいらねぇ! 俺には拾ってきたエロ本がある」
自分を慰めようと住処の中を探り始めた。
落ちているエロ本を拾い集めることが彼の日課になっていた。
「AK-47は太ももがエロいなぁ…」
彼が住んでいるナトリ国では芸能活動が盛んで毎年のようにアイドルがデビューしていた。
AK-47は最近になって人気が急上昇しているアイドルグループである。
「俺が竜使いになっていればこんなかわいい女を彼女にして自分好みに調教することも出来たんだ」
卑屈になったタクヤは歪んだ妄想を持っていた。
かわいい女を調教したい。
何でも自分の言う事を聞くように仕込みたい。
彼の股間は憤り先走っていた。
「できますよ、タクヤ様。お久しぶりです」
突然声がして小屋の中に人影が現れた。
瞬間移動してきたのである。
現れたのは銀色の髪を持った神秘的な青年である。
ただし人間ではない竜神である。
「お前はばあさんが使役してる竜神だな。何の用だ。俺に関わるな」
タクヤは渋面で目をそらした。
一族の者からは罵られ除け者にされているタクヤだったが竜神たちは意外と友好的だった。
それが不思議なのだが何か隠し事をしているように感じるのだ。
何人かの竜神に話しかけたがなぜタクヤと契約する竜神がいないのか説明してくれなかった。
幼少の頃から竜使いとなるために厳しい修行に耐えてきたタクヤにしてみれば裏切られたと感じるのだ。
「お久しぶりでございますタクヤ様。族長リュウキの竜神コボルです。今日は良い知らせを持ってきました」
「なんだ彼女でも紹介してくれるのか」
タクヤは不貞腐れて腕を組んだ。
まともに聞く気がない。
「左様でございます。厳密に言えば違いますが」
竜神コボルは慇懃に答えた。
その表情からは何を考えているのか伺えない。
「厳密にってどういう事だよ」
タクヤは疑わしそうな目を向けた。
うまい話には裏がある。
ホームレス生活で身につけた知恵であった。
「はい、説明します。タクヤ様と契約したいという竜神が名乗り出ました。うら若い女性です」
「まじで!?」
「はい、大真面目です。竜神は嘘をつきません」
タクヤは突然立ち上がると服を脱ぎ始めた。
「どうなさったのですか?タクヤ様」
「着替えるんだよ!こんな汚いナリじゃ会いに行けないだろう」
コボルは落ち着いていた。
「会いに行くのは良いのですが段取りがあります。まずは契約の儀式を済ませなければなりません」
「やっと俺にも光が差してきたぜ!ゴキブリのような生活とおさらばだ! 早く会わせてくれ!すぐに契約だ! 一刻の猶予もならん!」
「まぁ、お待ちください。まずは族長のリュウキ様にご報告してからもう一度竜神の祠に行って契約の儀式をしてもらうことになります」
「竜神の祠だな!」
タクヤは皆まで聞かずに飛び出していった。
残されたコボルは軽くため息を付いた。
「まぁ、あれほど望めばなんとかなるでしょう。リュウキ様にご報告せねば」
穏やかに笑うと瞬間移動して消えた。
タクヤはひたすら走っていた。
ホームレス生活で体はなまりきっていたがそんなことは気にならなかった。
竜使いになるという一度は諦めた夢が再び目の前に現れたとき彼の心は激しく逆流していた。
暗い妄想から離れて勇者として人々の羨望を集める生き方がしたいと感じるようになっていったのだ。
目標が手に届くようになった時人は変わるということである。
「待ってろよ~! 俺の竜神ちゃん!たっぷり可愛がってやるからなぁ~」
竜神の祠までは50Km以上あるので走り続けても到着するのは夜になった。
タクヤは暗い山道を登っていく。
三年前の契約の儀式で一度行ったきりの場所だが迷うことはなかった。
驚くほどの集中力である。
間もなく祠の明かりが見えてきた。
こんな時間に訪問するのはタクヤだけだろう。
明かりをつけて待っていてくれたのか。彼の心は踊った。
祠の扉は押すまでもなくゆっくりと開いた。三年前には無かった事だ。
「竜神ちゃ~ん! ご主人様の到着だよ~ん!」
タクヤは満面の笑みで飛び込んでいった。
そのとたん明かりが消えた。
いやわずかに祠の奥が淡い光りに包まれている。
タクヤは浮かれた気持ちを抑えてゆっくりと祠の奥へ歩みを進めた。
明かりの正体がわかった。
祠の奥に正座している小柄な人影が薄い燐光を放っているのだ。
間違いない竜神だ。
タクヤは生唾を飲み込んだ。
雰囲気でわかるこの女は上玉だ。
ノーブルな気品と聖霊の様なオーラを感じる。
彼はかすれた声で尋ねた。
「お前が…いや、君が俺と契約したいという竜神かい?」
小柄な人影は無言で頭を垂れた。
タクヤは一つ困ったことに気がついた。
契約すればいい。
それは分かる。
だがどうすれば契約出来るんだ。
疑問が口をついて出た。
「君と契約するにはどうすればいいんだ?」
小柄な人影が顔を上げた。
まだ幼い少女だ。
人間なら一二歳くらいだろうか。
愛くるしい顔立ちをしている。
彼女はうっすらと不思議な笑みを浮かべた。
そのまま右手を上げる。
次の瞬間祠の中が爆発した。
「な、なんだ!?」
降り注ぐ瓦礫がタクヤを直撃した。
少女は笑っていた。
「私と戦って勝てば契約成立。負ければ死ぬだけ」
タクヤは戦慄した。
竜神の魔力は人間を遥かに凌駕する。
三年間修行を怠けてホームレス生活をしていた自分で勝てるのか。
しかしやるしかなかった。
負ければ死ということは逃げても死と言う事だろう。
「やってやろうじゃないか!」
タクヤは両手で印を結んだ。
今は武器を持っていない。
使えるのは東洋魔術だけだ。
「ノウマクサマンダバサラダンカン」
爆炎が渦巻きながら少女を取り巻いた。
3千度を超える浄化の炎だ竜神といえども無事ではいられまい。
少女の服が燃え始めた。
「どうだ降参するなら助けてやるぜ」
タクヤは勝ち誇ったことを後悔した。
「竜の牙は混沌を砕く」
少女は炎に包まれたまま呪文を詠唱した。
服は燃え落ちているが髪の毛一本も焦げていない。
タクヤの魔法は少しも効いていないのだ。
見えない牙がタクヤを襲った。勘だけで躱す。
つもりだったが右腕を噛まれた。
ボキリと音がして骨が砕ける。
タクヤの呪法が途絶えた。
浄化の炎が消える。
少女の幼い裸身が露になる。
「あなたは間違えてる。浄化の炎は邪心を持たないものには効かない」
「それなら!」
右腕の激痛をこらえ回し蹴りを放った。
少女は避けようとしなかった。
蹴りは見えない障壁に阻まれた。
彼女が冷淡に告げる。
「あなたが来る前にシールドの魔法をかけておいた。なんの準備もしてこなかったあなたの負け」
少女はゆっくりと手を伸ばすとタクヤを突き倒した。
彼はとっさに手をつこうとして激痛にうめいた。
「痛いの?」
少女はタクヤの服を脱がし始めた。
「何をするつもりだ!?まさか食べるのか?俺は三年も風呂に入ってないんだぞ!喰ったら死ぬぞ!」
少女はクスクスと笑った。
「あなたの名前を教えて」
「タクヤ・ウッドビレだ。短い人生だった」
「タクヤ…」
少女はうっとりと呟いた。
「私はあなたと契約したい」
「殺すんじゃないのか?」
少女はタクヤに身体を重ねてきた。
胸もまだ膨らみきっていない幼い身体だ。
それでも直に肌を合わせるとタクヤの脊髄に衝撃が走った。
「今すぐ殺すとは言ってない…」
少女の温もりがタクヤの思考を麻痺させていく。
「私の真名はルビィ・アルゴ・プロログ」
タクヤは驚いた。
竜神が真名を明かすことは支配を受け入れることだ。
「キスしてそれが契約」