阿保神と鯱と鰯たち
阿保神やる夫がアニメスクールのラノベ学校に講師として行った付き人として山田が行ったお話。
「ジョゼと鯱と鰯たちって映画あるじゃないですか、あの映画って渡辺聖夜さんが月刊丸川1984年6月号に書いた短編小説が元になっているんですね。それを映画プロデューサーが設定が面白いねってことで、映画監督の猫童百列さんの所へ持っていったんです。設定がいいといっても、そこからお話を膨らませるにはどうするか、まず、キャラクター間の対立とその解消を描くことによって話に立体感を醸成させる。それがストーリー構成の縦軸とすると、横軸はストーリーの起伏、つまり障壁ですね。主人公たちが乗り越えるべき障害。それを最初、小さなものから乗り越えていってだんだん壁を大きくしていく。その徐々に壁を乗り越える力を主人公たちが備える過程を描くのが、ストーリー構築の主軸となるビルディングですね。ビルディングストーリーのこと」
そこまで言って講師の映画監督、虎子さんは一息いれてペットボトルのお茶を飲んだ。
その横では阿保神やる夫が腕組みして椅子にすわって仏頂面をしている。
山田は今回、やる夫が虎子さんと一緒に呼ばれたアニメスクールラノベ学科の特別講師の講演会の
付き人として同行していた。
やる夫はさっきから何も言わない。
やる夫の不機嫌そうな雰囲気を察してか、虎子さんはその百倍は一生懸命しゃべっている。
映画監督というと、気むずかしくて横柄な人かと山田は勝手に思っていたが、実際会ってみると、
すごく腰が低くて優しくて丁寧な人だった。講演会の中でも「私みたいな女が映画監督をやって」という
言葉を何度も言っていた。女性で優れた映画監督は何人もいる。だが、山田は、その言葉の中に
業界で苦労した虎子さんの心の奥底に沈殿している何かがふと垣間見えた気がした。
「それでね、今日みなさんにやってもらうことは桃太郎さんです」
「へっ、子供かよ」
生徒の中から突っ込みが入る。どっと生徒たちが笑う。
「あ?」
阿保神が声をあらげる。
「まあ、まあ、まあ、阿保神先生」
虎子さんがそれを笑顔で納める。
「それでですね、桃太郎さんて、桃太郎が生まれて、成長して鬼退治して、なんかすごくすんなり話がすんでしまうんですね。全然障害がない。ここで、この桃太郎さんのお話をハリウッドに売り込んで映画化するためには、どうすればいいのか?さあ、みなさんだったら、どうします~、どうかな、どうかな~天才ラノベ作家の卵みなさんだったら、どれだけこのお話を面白くできるかな~、さあ、やってみよう!」
虎子さんはかわいいそぶりでピョンとはねて腕をあげた。
生徒たちは、ここぞとばかりに話し合って、グループになってお話を作る。
桃太郎が鬼と結婚する話、犬、鳥、猿がみんな死んでしまう話、桃太郎が女で女体化萌えする話。
生徒たちはここぞとばかりに自分の才能を誇示して発表する。
「うわーすごいね~」
虎子さんはピョンピョン跳ねて感心し、何度も頷いた。その間も阿保神は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
そして、授業が終わる。
「あの、せっかくですから阿保神先生からも何か一言~」
虎子先生が阿保神の方を向いた。
すると、それまで椅子に座って頬杖をついていた阿保神が突然たちあがって周囲を一瞥した。
「いいか、お前らの才能なんてどうでもいい、お前らのアイデアなんてどうでもいい、まず、先生の話を聞け、聞いて実践に生かせ。この意味がわからねえ奴はプロにはなれねえよ」
そこまで言って阿保神は部屋を出ていった。
「あ、ちょっと先生」
山田は急いでその後を追った。
「ちょっとまずいですよ、講演料もらってんでしょ!」
「講演料なんていらねえよ、俺は若い奴らがタメになるなら金なんていらねえ。そう思って来たんだ」
「じゃあ、ちゃんと教えてあげてくださいよ!」
阿保神は憤怒の表情で山田を見た。
「あいつらに教えることなんざ何もねえ」
山田は唖然とした。そしてその場にへたりこんだ。
「……わけがわからないよ」
その肩にぽんと女性のやわらかい手が当たる。
驚いて上を見ると、ニコヤカに笑う映画監督の虎子さんが居た。
「あ、虎子先生」
「どうしたの?あなた、阿保神先生のアシスタントよね?」
「あ、アシスタントというかTwitter担当というか」
「で、どうしたの?」
山田は、さっきの経緯を虎子に話した。
「ああ、阿保神先生、生徒思いだからね」
「え?意味がわからないんですけど、何で阿保神先生は怒ってるんですか?」
「それはね、あの子たちが私が授業で言ったことをまったく聞いてなくて、自分のアイデアをあの場で
発表して私を驚かせてやろうという気持ちでいっぱいだったから阿保神先生は怒ったのよ。そうやって人の話を聞かないといつまでたっても小説の書き方が上達しないからね」
「え?すいません、自分もあちらの生徒と同レベルかもしれません。意味がわからないです」
「私は、映画の脚本を書く上において視聴者を引きつける技術を二つ開示したわ。一つは、キャラクター同士の対立。作品を書く上において、作家は同じグループの仲間が仲良しこよしだったほうが書くのが楽なの。それは日常生活でもそうよね。でも、視聴者はグループの中で対立があったほうがドキドキして作品にひきつけられるのよ。最初から最後まで仲良しこよしだと退屈してしまうの。それから、作家は自分と主人公をかさねあわせたら、そりゃ、自分が連戦連勝だと気持ちいいわよね。学校で人気者で女の子にモテモテで。でもね、読者は主人公が何か大きな壁を乗り越えることによって爽快感を感じるのよ。俺ツエー系とか言われるけど、そういう話でも、ちゃんと障壁は作られているのよ。それをうまくステルスして読者から見えにくくしているのがツエ―系といわれる作風であって、決して障壁がないわけじゃないの。私が今日教えた事はそういう事なのよ、でも、あの教室のみんなは、いかに自分が天才か、アピールすることに必死で、私が教えたことを全然活用していなかった。だから、阿保神先生は怒ったのよ」
「そうだったんですか!全然わかりませんでした!じゃあ、あの生徒たちはけしからんですね!」
「いや、そうでもないわ」
「え?」
「若いうちは、みんな自分が世界一になれると信じているの。そして努力するのよ。何の根拠もない自信。有名作家を、あいつなんて小物だと嘲笑できるのも、若さ故の特権なのよ。それは、若いうちにしかできないことよ、そうやって、のびのびと想像力を膨らませて、自分の世界をつくって、その作った世界観の中で自分の作品を育てるの。それを、枠にはめて頭ごなしに叱ってしまっては、その子たちの成長の芽を摘むことになるわ。だから、私はあの子たちが私の言ったこと、ちっとも聞いてなもても、
笑顔で褒めてあげるようにしているの。そのうち、だれか、ほんの数人がその事に気づくことでしょう。その数人こそがプロになれるのよ、それがプロとしての素養かしらね」
「そうなんですか、なんかすごくいいことを聞いた気がします。さっそく、みんなにも教えてきます」
「だめよ、そんな事言っても若いうちは、自分の才能が否定されたって思って怒るだけだらから。人に教えて貰っても駄目なの。自分できづかなきゃ」
「そういうもんなんですかねえ」
山田を腕組みをして考え込んだ。
阿保神と鯱と群れで泳ぐ鰯の群れの物語。鰯はその群れの大きな影を見て、自分は鯨より鯱より大きな魚だと勘違いしている。ただ、群衆の中に埋没しているだけなのに。
登竜門それは、鯉があえて群れから飛び出し、ただ一匹、滝登りに挑戦して高みに登ることができたとき、
龍になることからそう言われる。龍とは実は生まれながらにして、選ばれたエリート神獣ではないのだ。
ただの鯉が、群衆に群れることをやめ、ただ一匹、死ぬことを覚悟で滝に挑んだとき、その先にある高みなのだ。