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三題小説

三題小説第五弾『サングラス、魔法、美少女』

作者: 山本航

 とうとう私は花の妖精の国に辿り着いた。

 世に聞く妖精の国はどこにでもあり、どこにもないという。その国はこの世界のどこにもないが、その国へと至る入口は世界中に存在するという事だった。ただしその入口はとても見つけにくい。

 私もある魔女のコネでようやく入口の一つを教えてもらえた。


 とある地方都市の雑居ビルに備えられたエレベーターに乗って地下へ行くと、そこには四季折々の花々が一面に咲く花畑だった。

 赤青黄緑紫白黒茶桃色、様々な色が溢れかえっている。なおかつそこには規則性などというものは皆無で、グロテスクにも思える斑な色の大洪水が目を傷めつけてくる。また粘つく甘い匂いが鼻から息を吸うまでもなく押し寄せ、マスクを付けている甲斐もなく私の肺に侵入し、毛細血管の奥の奥まで蹂躙する。

 地下に下りたが、そこには青い空が広がっている。しかし何故かなどと考える事自体が馬鹿馬鹿しい事だ。様々な魔女に出会ってきた私はもう何かを不思議がる感性など擦り切れてしまった。


 遠目に立派な屋敷が見える。牛乳パックのような形の縦長の屋敷だ。壁は煉瓦のようだが、屋根は巨大なタンポポの綿毛だ。あの屋敷が今回の――そして願わくば最後の――目的地である。


 屋敷に至る道はないようなので気にせず花畑を突っ切る。ナノハナを踏みにじり、ヒマワリを押し倒し、ヒガンバナを蹴飛ばして、アネモネを薙ぎ払った。


 気がつくとそこかしこに妖精がいた。ある者はアジサイの裏に隠れ、ある者は空に止まって、皆一様にこちらを見ている。

 その背はどれも私の膝丈ほどで、彼らの背丈ほどの2本の触角を頭の上で揺らめかせている。髪の色はここに咲く花以上に色とりどりだ。その身に纏う服は植物の葉のようだが、生きているかのように瑞々しいままだ。何かこそこそと喋っている者もいるが私には聞こえなかった。聞こえたとして通じるかも分からないが。


 私は花の妖精の国に辿り着いた。が、しかし会いに来たのは妖精ではなく、魔女だ。何故花の妖精の国に魔女が住んでいるのかは分からないが、ここを紹介してくれた魔女は信用できる人物なので理由など詮索すまい。

 妖精には用はないので気にせず花畑を突っ切り、屋敷の門の前まで行き着く。真鍮の門と真鍮の柵に屋敷は取り囲まれている。この屋敷の柵より内にある花は全て薔薇のようだ。それでも様々な種類の薔薇が無造作に植えられているのだが。


 門の前には『黒衣を纏った老婆』が揺り椅子に座っていた。老婆は椅子を揺するのをやめ、白く濁った眼で私を見上げてぼそぼそと喋った。


「失礼ですがアポイントメントはお取りでしょうか?」

「いえ、マダム・『雨燕』のご紹介で参りました。森谷と申します。今回『雲雀』嬢に美を分けて頂きたくございまして参りました。お目通り願います」

「今どのような格好をしておられるのかお教え頂きとうございます。なにぶん盲の身にござりますれば」

「格好は単なるスーツです。濃紺のジャケットにパンツ、ワイシャツ、ネクタイ。それと衛生マスクを付けております。あとポール・スミスのビジネスバッグを持参しております」


 スーツはともかくマスクは怪しいだろうか? しかしここに来るような人物は多かれ少なかれ容姿に自信が無い者だろう。


「少々お待ちください」


 そう言うと『黒衣を纏った老婆』は俯き舟を漕ぎだす。寝息と、何やら寝言を漏らしているようだ。ものの数秒だ。暫くするとはっと目覚めるように口を開く。


「失礼ですが目は良い方でしょうか?」

「はい。お陰さまで。両目ともに良好です」

「では、これをおかけください」


 そう言ってどこからか取り出されたのはティアドロップ型の大きなサングラスだった。私は理由も聞かずに素直にかける。マスクも相まって完全に不審者だが、屋敷の主の求めなのだから仕方あるまい。

 まるで日食グラスかのようなかなり濃いサングラスだ。一気に花の妖精の国が闇に包まれてしまう。


 これまたどこからか現れた『サルのようなトカゲのような生き物』が敷地内から門を引き開いてくれた。門を開ける間も開き切ってからも誰も何も言わないので私は無言で門をくぐる。

 『サルのようなトカゲのような生き物』が先導してくれるようだ。薔薇のむっとした香りが肌にまとわりつく。『サルのようなトカゲのような生き物』の毛のような鱗のようなものの光沢をしげしげと眺める内に屋敷の扉の前に着いた。今度もまた『サルのようなトカゲのような生き物』が扉を開けた。


 そこは大きな広間だった。この屋敷10軒分くらいの広さだ。あっちには巨大な本棚があり、こっちには豪華な浴槽がある。どうやら本来リビング、ダイニング、キッチン、寝室と部屋ごとに壁で仕切られるべきところを全て取っ払っているようだ。

 とはいえ物に溢れていてあまり広くは感じない。本、リモコン、地球儀、靴、鏡、しゃもじ、額縁、鉛筆、たわし、金づち、モップ、CDケース、ビー玉、アルミ鍋、万年筆、箒、靴下、ノート、タオル、巾着袋、電池、歯ブラシ。


 私の目の前には水の溜まったプールがある。そしてプールサイドに置かれたビーチパラソルの陰、二人分も座れそうな大きなデッキチェアに胡坐をかく少女がいた。




 豊かな黒髪を後ろでまとめているところだった。さっきまで泳いでいたのか赤のボーダー柄の水着からは水が滴っている。年のころは14、5というところだろう。その均整のとれた肢体はどのような角度から見てもそのように作られたみたいに美しい。一つ一つの動き、一瞬一瞬の姿が直前のそれよりも洗練されている。


 彼女もまた大きなバタフライ型のサングラスをかけているが、鼻や唇、顎の形からその美しさは容易に想像できた。濃いサングラスを間に置いてなお輝かしいばかりの美に目が眩むようだ。

 少女が指図すると私の目の前に籐の椅子が回転しながら生えてきた。


「座ってどうぞ」


 艶やかに動く唇、覗く白い歯、ピンクの舌が魅惑を振るい、玲瓏たる声が耳の中に注がれる。

 私の全身は痺れ、薄れゆく感覚の中でなんとか椅子に腰かけた。


「辛いなら目瞑ってていいけど」

「いえ」


 そう言う事しか出来なかった。話には聞いていたがこれほどとは思わなかった。瘴気のように人間に障る程の美を持つ少女。それが眼前にいる魔女『雲雀』だ。


「それで『雨燕』さんの紹介だっけ?」

「はい」


 私は慌てて懐から手紙を出すが、次の瞬間には『雲雀』の手の中に開かれてあった。手紙の中に眠っていた文字達が『雲雀』の周りで踊りだす。


「『雨燕』さんねぇ。人紹介するなんて珍しい。人間ともなれば猶更ね。まぁお得意さんだからいいけど。前もって連絡くらいして欲しいよね」

「申し訳ございません。なにぶん連絡手段が直接会う他にない、との事でしたので」


 少しの間が開く。表情はサングラスで正確には読めない。


「そうだっけかな? まぁいいや。それで、森谷さんも美が欲しいのね?」

「はい。捧げられる物次第でいくらでも美を譲って下さると聞きました」

「捧げるだなんて人間てのは大げさだよねホント。まぁ貨幣を使ってる魔女なんてそうそういないし」


 そう言ってケラケラ笑う。その笑顔と笑い声の魅力に心臓を刺し貫くような衝撃を何度も味わう。『雲雀』はいつの間にか持っていたトロピカルジュースをストローで飲んでいた。私もいつの間にかマダム・『雨燕』の紹介状を持っていた。


「あ、でも、いくらでもじゃないよ。どれくらいあげられるか、私にも分からないんだよ実際」

「そうなのですか」


 広間の奥の方に先ほどの『黒衣を纏った老婆』が箒で床を掃いているのが見えた。あるいは似た別人かもしれないが。


「うん。ちょっと説明すると、私ってね。生まれつきとっても美しかったの。それこそ持て余すほど、ね。だからそれ、おすそ分けってわけ。かといって全部あげちゃうわけにもいかないじゃない? だから、これ以上はちょっと無理かな、ってところで店じまいするつもり。それがどれくらいの量なのか分からないのよね」


 見れば良いのでは、と言おうとした途端、頭上から爆音が轟いた。

 同時に部屋のあちこちから無数の黒い手が間欠泉のように噴き出す。黒い手の掌には目玉が生えている。

 少し遅れて妖精たちが雪崩れ込んできた。妖精たちは黒い手を抑え込もうとしているようだ。

 広間中の家具が黒い手に叩き壊され、妖精が物をさらに散らかす。さらには床を割って糸杉が伸びて屋根を貫き、壁一面が薔薇の木に変わっていく。どこからかオウムが現れて酷い言葉を吐き散らし、広間の奥の方から突風が吹きつける。


 私は茫然としていた。目まぐるしい状況の変化に追いつけない。誰かに押し倒され、床に突っ伏す。両肩を黒い手が抑えつけていた。さらには耳の穴まで塞がれる。


 『雲雀』はデッキチェアの上に立ち、釣竿を構え、必死にリールを巻いている。糸の先はプールの中だ。


 おそらく争いが起きているのであろう事は分かったが、誰が誰と争っているのかまるで分からない。


「とりゃあ!!!」


 という掛け声とともに『雲雀』が何かを釣り上げた。

 見たところ『雲雀』より一回り小さい少女のようだ。白い髪が煙の如く噴き出している事を除けばいたって普通の少女だ。


 『雲雀』が少女の首根っこを掴んで持ち上げた。黒い手のいくつかがそこへ飛んできて『雲雀』の代わりに白髪少女を持ちあげる。


 少女は両手から火花を噴きだし、『雲雀』に浴びせかけるが、『雲雀』はまるで意に介さない。

 少女は必死に目を瞑っている。しかし黒い手がその瞼をこじ開けた。少女は涙目であちらこちらへ視線をそらそうとしている。


 『雲雀』はかけているサングラスを外そうとしたが、私に気付くとビーチパラソルで顔を隠してしまった。そうしてからサングラスを外す。ビーチパラソル越しに美の輝きが溢れかえる。

 白髪が噴き出すのをやめ、少女の体から力が抜けた。徐々に周囲の騒々しさが収まっていく。戦いは終わったのだろうか。


 私を抑えていた黒い手はどこかに行ってしまった。痛む肩を撫でつつおっかなびっくり立ちあがる。


 気がつくと何もかもが元の状態に戻っていた。糸杉も薔薇もオウムも突風も消え、家具は直され、物は元通りに散らかっていた。デッキチェアの上に『雲雀』が仁王立ちしている。ビーチパラソルに顔が隠れたままだ。


 突如現れた白髪少女は傍らに倒れている。そしてその周囲を妖精たちが気をつけの姿勢で取り囲んでいた。


「まったく。あんた達こんな子供に操られて恥ずかしくないの? さあさっさと片付けて!」


 妖精たちは呆けた表情で『雲雀』を見つめている。どうやらその美貌に見蕩れているようだ。


「早く!」


 妖精たちが少女を運び出していく。広間の向こうでは『黒衣を纏った老婆』がはたきをかけていた。


「何が起こったのでしょうか」


 尋ねていい種類の物事なのか分からないが、尋ねずにはいられない物事だ。


「たまにあるの、こういう事。殺し屋というか盗人というかね。ああいう使い魔、送り込んでくるんだわ。私も魔女の端くれだから色々と財物持ってるし。見た? あのオウム。危うく死ぬところだったね」


 私は何も分からぬまま危うく死ぬところだったのか。


「いえ、さっきの騒ぎもそうなのですが、その騒ぎを収めた手段といいましょうか」

「そうね。どちらにしろ説明するつもりだったんだけどね」


 『雲雀』はデッキチェアに腰かけ、私にも座るように促す。私が座ると『雲雀』は語り始めた。


「さっきも説明したとおり、私の顔には溢れんばかりの美を湛えている。それこそ私の顔を見た者を死に至らしめるほどのね。」


 闖入者たる少女は魔女『雲雀』の顔を見て絶命したのか。瘴気の如く障るなどという言葉では生温いようだ。目にすれば死ぬほどの美。最も見たくない美しいものの一つだ。


「という事はこのサングラスは……」

「そう。少しでも影響受けないようにね。私は顔を隠すため、お客さんは直接私を見ないようにするため。二人ともかけてようやくといったところだと思うけど。どちらかが外せば森谷さんは死ぬ。よくて目が潰れる。気をつけてね」


 先に説明して欲しいものだ。


「妖精たちは直視していたようですが」

「花の妖精は美で死んだりしないよ」


 一通りの説明でとりあえず合点はいった。


「しかし、失礼ですが、とてもご不便でしょうね」

「うん。まあね。生まれた瞬間、親死んで、たまたま妖精が拾ってくれて、ここまで育ててくれた。まあカラスが光るもの持ち帰るのと変わらないみたいだけど」

「もしや美を売るのも稼ぐのが主目的という訳ではないのでは?」

「察しがいいね。私から美を分け与えて、人を殺さない程度の美貌にする事が一番。そうはいっても安売りするつもりないけどね」

「承知しております」

「今までにも色々買ったよ。天使の棺、クラゲの骨、オーロラ五ダース、ケルベロスの首輪、盲の召使い百年分」

「棺の中身が気になりますね」

「質草にしたよ」

「なるほど」私は無感慨に相槌を打った。「それだけの取引をして、なお死をもたらすほど美しいのですね」

「安売りはしないからね。のんびりやってくよ。それで森谷さんはどういう品をお持ち?」


 私はビジネスバッグから数枚のリストを取り出す。今度はひとりでに『雲雀』の手に収まっているという事はなかった。立ち上がり、『雲雀』に近づき、直接手渡す。


「なんとまあ人間の身でよくもこれだけかき集めたよ。ただ美を得るためだけに収拾したの?」

「まだまだ足りないのです」

「ふうん。中毒じゃない? ただの人間にはよくあることだと聞くけど。整形だっけ? 美しすぎても良い事ないのに」


 私は何も言わなかった。『雲雀』はリストに目を通し続ける。


「この機械式ダイヤモンドってなあに?」

「歯車とバネで出来た機械のダイヤモンドですね。三つの竜頭で3Cを調節できます。ただ手巻き式なのでかなり面倒ですが」


 返事はなかった。


「小鬼のワインなんてどうですか?こちらリバーシブルになってまして、裏返すと赤も白も楽しめるんですよ」

「私未成年だし」

「それもそうですね」

「この薔薇花火の花束興味ある」

「ええ、それはもう美しい花束ですよ。随分昔に一度見た事ありますが今でも脳裏に焼き付いております。薔薇の花火から飛び散る馥郁たる香りの火花が……」

「この姿見って何?」


 気を取り直す。


「全身を映す鏡ですね」

「鏡って?」

「鏡の前にある物をそのまま映すのです」

「私が使ったら自殺ものね」

「そうなりますね」


 自分すら殺してしまうのか。ということは彼女も己の姿を見た事がないという事だ。


「それでは土の妖精なんてどうでしょう?」

「石像とか作る連中でしょ? 花の妖精でも似顔絵くらいは描けるのよ。死ぬほど美しい絵にはならないけど」

「土の妖精は石膏像を作るのも得意なのです。『雲雀』様の姿を写し取ることも可能なのです」

「石膏像が何なのかは知らないけど、写し取ったら死んじゃうじゃないの」

「写すのは形だけです。完全な着色をしない限りは致死量に満たない美しさに留まるでしょう。でも形だけは完全に写せるのですから、分け与えて失う前に死ぬほどの美の一端を残しておいても良いのではないでしょうか?」

「一理あるわ。じゃあそれと交換しましょう」

「では、そこにチェックを入れてください」


 『雲雀』は床に落ちていた万年筆を拾い、リストの土の妖精にチェックを入れた。途端に初めからそこにいたかのように土の妖精が現れる。花の妖精とは違って醜いものだ。土くれを雑に積み重ねたような姿形をしている。


「さあ立って、私とキスすれば美はそちらへ移る。光が闇を照らすように」


 私は立ち上がり、デッキチェアに腰かけたままの『雲雀』に近づき、背中に手を回す。


「マスク付けたままじゃ意味ないよ」


 赤い唇が艶めかしく呟いた。気を失いそうになりながら、マスクを外すと『雲雀』の全身から力が抜けるのが分かる。


 そのまま唇を重ねる。私の顔全体が熱を帯びる。


 手を離すと『雲雀』は後ろに勢いよく倒れた。サングラスが飛んでいき、そこにある顔は今やどこにでもいる普通の女の普通の顔だった。


 それに気付いた『黒衣を纏った老婆』が鬼のような形相をした後黒い煙を噴き出した。黒煙は黒い手に変わる。掌に浮かぶ白い目玉を剥いて黒い手が私に向かって飛んでくる。


 私はサングラスを取る。黒い手の目玉と目が合う。手は次々と黒煙に戻って霧散した。死ぬほどの美を手に入れてしまったのか。何故一瞬にして全てを奪い取ってしまったのだろう。だが醜いよりはマシだ。


 またもや遅れて花の妖精が屋敷内に飛び込んでくる。私はとっさに身構えるが花の妖精も次々に地に落ちた。そんな事が起こるはずはないのに。妖精は美では死なないはずなのに。


 恐る恐る手で顔に触れる。その形には何の変化もなかった。私の醜い顔は、人と花の妖精を死なせるほどの醜い顔には何の変化もなかったようだ。人を死なせるほどの美を奪ってもなお、私の顔は人を死なせるほどの醜さのままだった。ブラックホールが光を吸い取ってしまうように、『雲雀』の美をも呑み込んでしまったのだ。


 私の鼻から下を見ただけで気を失ってしまった『雲雀』を尻目に彼女の財物をリスト化していく。別にこれが目的という訳じゃない。ただ純粋に美しさが欲しかっただけなのだ。これらの財物は私が美しさを得るために利用していく、これまでと同じように。

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