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月は音もなく、世界を照らす。国も、人種も、病気も、関係ない。月の光は全てのものに、平等に降り注ぐ。
『施設』の一角、月光だけで照らし出された、五人のシルエット。
誰も動くものはない。
それぞれが、それぞれに銃口を向け、敵意をむき出しにする。
さっきからずっと震えている少女、白波。
声が出せないのか、今にも落としそうになる銃を、しっかりと両手に握り込んでいる。うっすらと浮いた血管が、青白い満月にそっくりだ。
白波に銃口を向けられている少女、冥奈。
どうして白波に殺されそうになっているのか、一瞬分からない顔をし、それから自分の標的に目を移し、納得した顔で笑った。
「そう。そういうことね」
冥奈に銃口を向けられている少女、水菊。
「冥奈、先輩……。やっぱり、あなたは私なんかより、紗乱のことを……」
両目に浮かび上がる涙は、海洋を思い出させるのには十分だった。どこかから吹いてきた風が、水菊の瞳から雫を舞い上げる。月光に舞う粒子が、そこにひとつの世界を創り出す。
それでも彼女は、銃を放さない。
水菊に銃口を向けられている少女、紗乱。
「どうしたの、あなた……水菊……」
信じられないといった表情の紗乱。
丸みを帯びた頬に月の魔力が宿ったみたいに、ひどく美しい。名匠が拵えた陶磁器のような肌は、とても病気に罹っているとは思えないほどに瑞々しい。日々の手入れをあまりしない紗乱は、それでも永遠の美貌を勝ち取った古代の魔女のように、以前と変わらない。
「なん、なのよ……みんな、みんな、分からないわ。私には、分からない……」
泣きそうになって、紗乱は銃を落としそうになる。指が震えている。葉の散り終わった冬の大木のように、風にすら負けそうに。
「ねえ、嘘なんでしょ……全部、嘘だって言ってよ。ねえ……紗奏」
紗乱は、狂気に支配された瞳で、私を見た。
「嘘じゃないよ」
嘘じゃない。全てはウォーパラノイアがいけなかったのだ。私は運よく治ったけれど、今のところ治す薬はないし、たまたま治るのを待つしかない。
けれど、それが私には耐えられない。
紗乱がいない世界なんて、私には考えられない。
「嘘じゃない。だから、ねえ、帰ろう、紗乱」
紗乱と一緒に帰りたい。私たちの家に。お母さんとお父さんのもとに。お母さんの得意のカレーを、また四人で食べたい。お父さんに連れて行って貰った水族館で、紗乱と一緒にペンギンを見たい。
「紗乱……」
「紗奏……」
風が、ひとつ強く吹く。
私たち五人の髪が、ゆらゆらと舞う。踊る。まるで魂みたいだ。私たちのこの、ちっぽけな身体の中にきちんと納まっている魂みたい。ゆらゆら、ふらふら。不安定に、不確定に、揺れている。
誰も動かない。風がやめば、それまで。
誰も引き金を引けない。
私はただ、紗乱に銃口を向けられているだけ。
ウロボロスの輪なら、私が白波を撃つべきなのだろうけれど、生憎彼女に恨みなどない。
誰も動かない。
誰も動けない。
もしこのまま時が止まれば――。
そんなことを思う。
さっきから遠くで聴こえていた声が、だんだんとはっきりしてきた。
私が振り切った『施設』の管理者たちだ。
だめだ。
今ここに彼らが来てしまったら、この月の下の永遠は失われる。
せっかく、私はこうしてずっと紗乱と一緒にいられるのに。
もっともっと、いろんなことをしたいのに。
私と一緒なら、紗乱だって病気を治していけるのに。
なのに、それができない。
でも、せめて今だけは。
この一瞬だけは。
私は紗乱と一緒にいられる。彼女と共に帰ることだってできる。この一瞬が、永遠に続けば、それでいい。
しかし、永遠が崩壊するのは一瞬だった。
苦労して作った積み木の家が、目を放した刹那に、崩れ去るように。
永遠を願う私の思考を破るように、銃声が『施設』にこだました。
そこで、私の意識は途切れた。
もう、何も見えない。
けれど、最後に見えた紗乱の涙を、私は永遠に忘れないと思う。
ひどく綺麗で、まん丸で、満月みたいな紗乱の涙を、永遠に恨むと思う。




