表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/10


「助けにきたよ、紗乱」

 と、チョコレートケーキみたいな声で黒髪の少女は言った。

 夜空に浮かぶ満月を味方につけたように、不敵に嗤って、紗乱を見やる。

 懐かしげに。

 狂おしげに。

 悩ましげに。

 愛おしげに。

「紗奏……」

 紗乱は信じられないといった顔で、短く少女の名を呼んだ。

 この少女が紗奏……。紗乱の妹……。

 先日の戦艦誤爆事件で、妹の紗奏は死んだのではなかったか。なのに今こうして、『施設』を襲った張本人として私たちの前に――正確には紗乱の前になのだろう――現れたのは、いったいどういうことなのだろうか。

 そもそも死んでいなかったのか。

「なん、で……紗奏……」

 事態が飲み込めない紗乱は、まだ口をぱくぱくさせている。白波の隣にいた冥奈先輩が、動揺しつつ口火を切る。

「どうして生きているの、紗奏。あなたはこないだの事故で死んだはずじゃ……」

 それを聞いた紗奏は、不敵に、素敵に嗤う。三日月みたいに唇をひん曲げて。

「私は『死』んだわ。けれど、それは『戦線』における『死』なのよ」

 一歩、紗奏は踏み出す。紗乱はぽかんと彼女の動作を眺めている。

「私が『死』んだのは、病気が治ったからなの」

 病気。

 治ったのなら、死ぬはずがないのではないか。むしろ、紗奏は今こうして私たちの目の前にいるのだから、きちんと生きている。死んでなどいないのだ。

「病気って、なによ、紗奏」

 不安げに、紗乱がようやく口を開いた。紗奏と紗乱は見れば見るほど似ている。一瞬でも目をそらせば、区別などできないみたいに。

「私たちは病気だったのよ。ウォーパラノイア……戦争偏執病とも呼ばれているらしいわ」

 淀みなく、けれど淡泊に紗奏は説明を始める。夕食のレシピを暗唱するように、淡々と。

「ウォーパラノイアに罹った人たちは、自分が戦争に巻き込まれたという妄想に取りつかれてしまうの。そして、ありもしない事件や事故をでっち上げて、周りの人に危害を加える恐れがある……。だから、私たちは『施設』に隔離されていたわけ」

 ひとつ、息を吸って、

「『戦線』と呼ばれる疑似的な戦争体験をさせる場所を設けて、私たちに本当に戦争しているように思わせたのよ……そうすれば心は平穏を保てるの。戦争なのにね、おかしいよね」

 紗乱も、私も、冥奈先輩も、白波も、誰もかれも紗奏の話を聴くだけだ。

 これは本当のことなのだろうか。

 分からない。

 確かめるすべなどないようにも思う。

「思い出して、紗乱。あなたは『施設』に来る前に何をしていたの」

 ふと私も過去を思い浮かべる。

 『施設』に来る前、私は何をしていたのだろうか。そもそもいつからここにいるのだ。戦争はいつから始まったのか。どうして私たちが『戦線』になど出ているのか。見えない敵とは、いったいどこの国なのだ。

 分からない。

 判らない。

 解らない。

「うそ……」

 思わず、声が漏れた。

 しかしそれは紗奏の言葉を認めた意味の声だった。

「そこの誰かさんも、紗乱と同じようにウォーパラノイアに取りつかれているだけなの。だからね」

 雲が風に流されてきて、満月を隠そうとする。うすら明かりの中で、紗奏はもう一度、嗤ってこう言った。

「だから、助けに来たんだよ……紗乱」

「紗奏……」

 ぐったりとうなだれる紗乱。

 その様子は少し可哀相な気もしたけれど、無様だなと心の中で揶揄する自分もいた。

「紗乱。帰ろう。一緒にいようよ。ずっと、ずっと。病気だって、私みたいに突然治っちゃうかも知れないんだから……」

 音もなく紗奏は私と紗乱のそばに歩み寄る。すっと紗乱の顎に細い指を這わせた。

 薄い雲がなくなり、月の光が私たち五人を照らし出した。

 帰ろう、紗乱、と短く言って、紗奏は紗乱に接吻をした――。

 ――かのように見えた。

「嘘よ!」

 刹那、小気味良い音と共に、紗奏の身体がよろめいた。紗乱が頬をぶったのだ。

「嘘よ、嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘――!」

 紗乱が叫ぶ。

「あなたは偽物よ。紗奏じゃない……嘘、嘘なんだ……」

 うわごとのように繰り返し、紗乱は黒い一丁の銃を抜いた。

 夜の寒さに似た銃は、ぴたりと紗奏の額に向く。

 チャンスだと、無意識に思った。いや、本当は意識していたのだとも思う。

 この角度なら二人に気がつかれることはない。

 腰から銃を抜いた。

 なるべく身体を動かさないように、狙いを紗乱に向ける。後頭部。この距離で撃てば即死だ。冥奈先輩の友達。でも、私にとっては、憎い存在。

 心の中で短く祈りをささげて、引き金に指を――。

「だめよ、水菊」

 冥奈先輩の声に振り返ると、先輩の銃が私に向いている。

「紗乱は殺させないわ」

 ああ。きっと、私は先輩に嫌われてしまったのだ。

 でも、だったらせめて……。

 せめて、この紗奏だけは。

 先輩から大切なものを奪った人間として、彼女の記憶にとどまれるなら……。

 そう思った時、冥奈先輩の後ろで銃を構える人影が見えた。

「白波……」

 がたがた震えながら、先輩に銃を向ける白波の姿がそこにはあった。

 その時、初めて彼女の想いが伝わってきたように思えた。

『水菊は、私が守る』

 言葉にならない言葉で、私に伝えているみたいだった。

 私たち五人は、互いに銃を向け合っていた。

 満月がそれを、美しく、そして残酷なまでに確かに照らし出す。

 誰も動かない。

 誰も動けない。

 月だけが、光を発していた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ