Escape4:灯り無き紅の戦士
ハーディストタワー内部であることは間違いないが、薄明るい蝋燭の火灯るのが記憶に新しい。
ぼんやりと浮かび上がる灰褐色の石に刻まれた剣を持つ兵士と祈る兵士の模様が元々は荘厳な建物であることを物語っている。
一方、此処は至るところに設置された灯篭のおかげで奇妙な眩しさを感じ、目を閉じる。
「いててて……あの野郎、ゼーウェルに執着しすぎだろ……」
レイザはゆっくりと立ち上がり、体を打った衝撃に顔を歪めた。
恐らくダークはゼーウェルと二人きりになりたいのだと予想し、げんなりとする。
早く行かなければゼーウェルが危険な目に遭うことを本能で感じ取り、歩き出す。
きっと此処は地下層なのだ。ラルクに連れられてやって来た地上部まで行く方法を探さなければならない。
いつまでも痛みに顔を歪める時間はなく、レイザは取り敢えず歩こうと思った。
****
不気味な唸り声響く暗闇に、全神経を尖らせて身構える。
灯りがはっきりと照らされているところと、自分の視野の範囲だけしか認識できないところがあり、目が疲れてくる。
「我らの聖域を侵す者よ」
道を歩いていると半透明の、黒衣を身に纏う者が立ちはだかる。
「遮断拳!」
直ぐに戦闘体制に移り、空を斬るように手刀を放つ。
「……油断大敵だな」
消えた姿を見て、レイザは肩で荒々しい息を吐いた。
ヴァンやダークは召喚術を使え、虚像を作り出せるのだろう。しかし、どうやって?
そもそも何故彼らは自分のことを知っているのだろう。
不似合いな灯を頼りに、あてがわれた扉を片っ端から開き、部屋に入って覗く。
飾られた坪やタンスを開けて中に何が入っているのか探す。少しでも手掛かりがあればいい。それだけを考えて、レイザはタンスを漁る。
「……ん?」
部屋の隅にあった花柄の坪の中に徐に手を入れると、何やら手触りのいい物に手が当たる。
口が広く、容易に取り出すことが出来たため、取り出すと、赤色の水晶のような物だった。
炎のように赤々と光輝き、どこかしら温かい。
これは何だろう。
「……とにかく先に行くか」
手当たり次第探したものの、これ以外の拾得物はなかった。
それに、こんな狭い部屋で敵と遭遇すれば身動きが取れなくなる。相手は虚像で魔法も使えるのだ。
部屋を出て、再び眩しい灯に照らされた道を歩き出す。
ひやりとした壁の手触りと蔦のような模様が浮かび上がる石造りの床を歩く。
此処は元々、立派な城ではなかったのだろうかとレイザはぼんやりと思う。
「何でかなあ」
とても、懐かしいと思う。
自分はこんな場所、知らないと言うのに。
『レイザ』
自分は一人の筈なのに。
『レイザ、今日は何食べるんだ?』
ここにはいない筈のゼーウェルの声が聞こえる。
「今日は、そうですね……」
答えようとすると、突然黒い何かが腕に絡み付く。
「しまった!」
これは罠だ。
こんな容易い罠にどうして引っ掛かってしまうのか。
抵抗すればするほど、引き摺られていく。
「放せ、放せ!」
ゼーウェルの声に安心感を覚えた自分の愚かさを悔やむ。
魔法が使えたら手が封じられても攻撃する手段があるだろう。だが、自分には魔力がない。
こんなにも無力なのが悔しい。
ゼーウェルやディール、リデルがいないと手も足も出ない現状が悔しい。
負けたくない。
「俺は、こんなものにやられてたまるか!」
引きずられようとしていたところを渾身の力で振り払い、走り出した。
しなる音がまだ聞こえるが捕まるわけにはいかなかった。
ゼーウェルはいる。
彼をダークの手に渡すわけにはいかない。
「しつこいぞ! 遮断拳!」
振り返り、手刀を放つとレイザの目の前まで迫っていた黒い物体は奇声を上げ、粉々に砕け散る。
肉を斬るような生々しさと血に触れるような気持ち悪さで眉間に皺が寄る。
後味の悪いものばかり寄越すダークにレイザは頭を抱えた。
そのまま歩くと小部屋に続くであろう扉を見つけ、乱暴に開ける。
「またタンスと鏡と坪か」
赤い玉を見つけた部屋と然程変わらない中身でこの後の作業を億劫に感じる。
タンスの中身を片っ端から漁り、坪に手を突っ込む。
今度はひし形模様が連なる口の大きい坪から青い宝玉を取り出す。
勿論、それ以外何もない。
敵が出てくるのは厄介なので早々に部屋から出ていった。
「侵入者だ!」
「敵か!」
半透明の、鎧を身に纏う兵士が三人。剣を構えてレイザに斬りかかる。
「烈殺弾!」
素早く身を屈め、蹴りを入れる。
剣を真上から降り下ろすのが見え、体制を崩すために放った攻撃は鋭く、兵士は物言わぬまま消えていく。
「悪く思うなよ」
軽やかに走り出し、足元を狙い体制を崩す。
奪い取った剣で止めを刺した。
ふわりと消えてゆく姿にレイザは召喚という力に嫌悪を覚え、顔を歪めた。
既に使い物にならず砂のような粒が地面に落ちる様をとても虚しく感じたのだ。
一から虚像を作り出すことは容易ではない。媒体を介して使役した方が効率的であるのはレイザ自身が知っている。
「だから、離れたんだ」
レイザは俯き、呆然としていたが弾かれたように顔を上げ、目を見開く。
『だから、お前は弱いんだよ、レイザ』
さっきまでいなかったはずの男――彼の目の前にいた黒髪の男が不敵に笑ってこちらを見ている。
『お前は逃げてるんだ。あの時も、今もずっと』
「うるさい!」
意味がわからないと激昂し、レイザは殴りかかろうとする。しかし、男は容易く受け止めせせら笑う。
『殴るってことは図星か?』
「違う」
『じゃあ何で俺を攻めるんだよ、それが答えだろ。ゼーウェルは、三年前』
「やめろ!」
『フィリカは死者の国だよ、レイザ』
「何が言いたい」
言い合うだけの攻防を繰り返した後、彼は身を翻す。
『最奥部で待っている。それまでにはもうちょっと強くなれよ。そんな弱々しい力じゃヴァンやダークには勝てないぞ』
長い髪が靡き、闇の中へ消えていく。
突然の邂逅はレイザの心を大きく乱したが、それでも彼は歩いていく。
「負けてたまるか」
強い闘志を胸に宿して。
****
小部屋が立ち並ぶフロアから、ただ広いだけの殺風景なフロアに風景は移る。
一つだけ、かなり目立つのは鎖に繋がれた悪魔の銅像があるだけだ。
「何なんだ、これ」
人ならざる存在。でも、顔だけは男性を模している。
そして、何か嵌め込む穴があることに気がついた。穴は全部で六つ。
「もしかして……部屋で見つけた玉がそうなのか?」
ズボンのポケットを探ると、右側には仄かな暖かさを感じた。
取り出してみると、それは赤だ。
きっとこれは嵌めるものだとまず一番に目についた穴――胸の部分に嵌めてみる。
「あ、いけねえ。落としたか」
穴が大きくて玉が落ちた。それを慌てて拾い上げ、表面を確かめると傷はつかなかった。
その後、右手の穴、腹部、足、翼、鎖に玉を嵌めてみるがどこに嵌めても赤い玉は落ちる。
「何なんだよ、もう」
頭をわしゃわしゃと掻いてみるが答えは見つからない。
「もう一度確かめてくるか」
分からなければ一歩前に戻って考えてみる。慎重なゼーウェルがよくやっていた。
彼は無事だろうか。
ダークに狙われていないだろうか。
そればかりが気にかかる。
ルディアス達のこともダークのことも、後にチラリと見え隠れするヴァンのことも。
ヴァン。
召喚の技術を使える魔術師であると、ゼーウェルを助ける時に立ちはだかったヴァン、フィーノの口から聞いた炎の鳥。
フィリカに対する憎しみを感じた。
力の暴発、だろう。
忘れたくても忘れられないハーディストタワーの出来事を思い出す。
「……ん?」
入り組む複雑な思考を振り払って銅像が飾られた広間から出ると小部屋へ続く通路に戻る。
「多分、あの銅像には六つの穴がある。六つの玉を見つけないとダメなのか」
また探索か。
景色の変わらない部屋で玉を探す行為に欠伸が出そうになるが、ゼーウェルの顔を思い浮かべて耐えた。
元々、こういうのは得意じゃない。
最も、好戦的で短気でディールにすぐ当たるレイザが地道な作業をするような人間には、誰の目から見ても考えられないということを彼は分かっているのだろうか。
また小部屋が立ち並ぶ狭い空間に戻る。そして、手探りで在処を探す。
「あった!」
今度は緑だ。次の小部屋に入るとまた宝玉を見つける。今度は黄色だった。
その次は黒、紫と、全て集めた。
ガタタタッ!
「!?」
水晶を六つ手に入れた途端、不安な音が響き、彼は振り返る。
六つの小部屋に続く入り口が閉ざされていくのが見え、レイザは慌てて走り出した。
通路も崩れていくのが見えたからだ。
走って、走って、走って。
「はあ、はあ、間に合ったか」
広間に転がると悪魔の銅像が目の前にある。
どうやら逃れることができたようだが。
「よう、レイザ」
「!」
背後から彼を呼ぶ声が聞こえ、振り向くとそこには――……。
「ラルク!」
短剣を構え、紐を頭に巻き付けている。
ジュピターで見た時と出で立ちは変わらない。そのままだ。
「この先に行きたいんだろ?」
身構える。
ラルクの不敵な笑いからただならぬ殺気を感じ取れた。それと同時に、背後から禍々しい赤が漂う。
ラルクを支配しているのは、あの赤だとしたら。
「ラルク……」
倒さなければならない敵なのに胸が痛むのは何故だろう。
レイザは顔を歪め、目の前のラルクを見るが、彼にはレイザを倒すことに対する戸惑いはないようだ。
「俺が相手してやるよ」
ラルクはレイザが最初に見つけた赤き宝玉と同じ色の剣を目の前で作り出した。
****
ヒュイン!
風を切るような音が聞こえ、爆発音が同時に響く。
彼の持つ力は炎と地を兼ねている。
前に戦った時は鉄製で出来た剣を、鋭く光る針を駆使していた。
だが今は自らの力を使って剣を作る。
奮われる度に石屑が固まり、それが火花となってレイザに襲い掛かる。
勢いを持つ赤にレイザはラルクに近寄ることもかなわなかった。
「くっ……」
火の粉を目の前にして呻くレイザを見たラルクが好機と言わんばかりに高らかに笑う。
「赤き夢よ現となれ、フレイムワール!」
剣を真上に翳すと円状の炎が煌めき始めた。
弧を描いた炎は一気に波状に放たれ、衝撃波と化した。
「赤を裂け!」
迫る赤を前に咄嗟の判断でレイザは遮断拳を放ち、円状の炎を絶ち切った。
風が炎の全てをかき消し、ぼやけていた視界をクリアにする。
「発勁!」
一瞬で気を集め、ラルクにぶつける。
放たれた気は澄んだように透明で何物にも染まらない気高い色。
透明な光はラルクに当たり、彼は歯を食い縛りながらも次の攻撃を開始する。
「負けるか……赤がお前を呑み込むんだ……火斬流」
対するは赤の剣だ。
最初は炎のように明るい赤が徐々に黒を抱きしめ、命を奪う刃となってレイザに斬りかかる。
「くっ、俺も退くわけにはいかない、赤を浄化する」
ラルクに接近していたレイザが離れ、両手を真っ直ぐ前に付きだし、透明な壁を作り出す。
なんてことない単なる防御だが、レイザはここまで来て自分の中で浮かべたイメージが此処ではそのまま再現される空間にいることを知った。
だからだろうか、光の壁を脳内で浮かべたら、想像通り透明で輝く壁が現れる。
攻める者、守る者――両者がぶつかり合って飛び散る火花。
「いっけぇ!」
「耐えろ!」
お互いの強さが直にぶつかる。
(ラルク……)
ふと、脳内にラルクの顔が過る。
脳内にいるラルクは――泣きそうで、震えていて、何かに耐えている。
その後、すぐに赤が震えているラルクを飲み込んで、悲鳴を上げて――生気を失ったように立ち尽くす。
――これが、今のラルクだ。
彼を飲み込んだ赤――怒り、妬み、苦しみ……負の感情が赤を作り出す。
(……届け!)
そう、この戦いは敵を倒すわけでも、自分が勝つわけでもない。
この戦いを終わらせなければならないと思った。そうでなければ、赤に支配されたラルクを助けられない。
――ラルクは、自分が使う赤、自分を飲み込む赤、この赤から解放されたいと願っているだろう……。
「ラルク!」
赤の波を凪ぎ払い、レイザがラルクに最後の一撃を決める。
「……ああ、レイザ……やっぱり……」
真っ直ぐと、寸分の狂いもなく当たった攻撃。
倒れゆくラルクが、一瞬だけ安心したように笑った気がしたのをレイザは見たような気がした。
****
赤が、消えていく。
自分の手にあった宝玉が銅像に集められ、嵌め込まれていく。その傍ら――横たわるラルク。
「ラルク!」
血でもない、紛い物の、ドロリとした液体が流れていく。
「ああ……」
ラルクはそれを見て、自分の行く末を悟り、どこか満足そうに笑う。
「今度こそ、解放されるんだな……ふふふ」
膝をついて泣きそうな顔をしてラルクを見つめるレイザに、彼は悔恨でもなければ恐怖でもない。本当に心から笑っていた。
「間違えなかった……俺が、レイザを、手にかけないで良かった……悪夢から覚めたんだよ」
ラルクが話す度に口から液体は流れ、無色の床に吸い込まれていく。
――本当に、跡形もなく消えてしまう……。
「ラルク――ラルク・トールス!」
ああ――どうして。
どうして忘れていたのだろう。
「どうして、ラルク……」
「なんて顔してるんだ、レイザ……でも、良かった、あんま変わってないな……あの時と。それだけでも、嬉しいよ……?」
苦しい筈なのに、怖い筈なのに、どうして笑っていられるんだろう。
彼は自分の状態を懸命に隠しながら話す。
「なあ、レイザ……お前が持ってる、今までの記憶は全部変えられたんだ……」
「ラルク……」
「俺も変えられたんだ。だから、こんな変な力持ってしまって……でも、俺はちゃんと、自分の居場所に帰らないといけない……レイザもそう思ってくれたんだろ?」
泣きそうになるレイザにラルクは消えかけの手を伸ばす。
「ラルクは、俺を助けてくれた! 虐められていた俺を、余計な一言で助けてくれたんだろ!?」
「そうそう、そうだよ……そこまで思い出したらよしとするか……ああ……何だか、眠たい……な……おや、す……み」
「ラルク!」
手を掴めば、彼はまた明るく笑って「行こうぜ!」と言ってくれるに違いない。
どこかで信じていた。
忘れていた記憶の欠片が埋まっていく今、レイザは必死にラルクを引き留めたけれど。。
「レイザ、頑張れよ……お前なら……止め、て、くれ……る……――」
「そ、そんな……!」
せっかく思い出したのに。解放できたのに。
「……ラルク」
だが、レイザは泣かなかった。
ラルクが最後まで満足そうに笑っていたから、泣くわけにはいかなかった。
彼は床に吸い込まれ、何事もなかったように静かに消えた。
赤は消えた。何もなくなった、けれど――正々堂々と戦っていた姿も勇敢なところも気合いの入った声も、なくなった。
けれど、ラルクは笑っていた。
だから、それでいいのだと思う。
それに――自分に立ち止まる暇はない。
自分にできること、自分がやるべきこと、それは。
「……止めてみせるよ」
****
ラルクのいた部屋の扉を開いた先には小さな通路。
一方通行の道を越えると、今度は桃色の光を灯す花形のランプと磨かれた水晶が散りばめられている。
至るところに水色の小さな花が咲いていて、摘み取ったものが壁にぶら下がった透明な花瓶に挿されていた。
灰褐色の殺風景な風景ばかり見ていたレイザはこの明るい空間に困惑し、ここが悪の全てが眠るハーディストタワーであることを忘れてしまう。
――ここにも、誰かいるのだろうか。
――それに、この部屋は、この花は、どこかで見たことがあるような気がする……。
「……ここは」
また、理由もなく胸が痛くなる。
無意識に胸に手をやりながら通路を歩いていた時だった。
『レイザ……?』
花を持って佇む女性の声。
振り返ってみると――初めてハーディストタワーに来た時、ディールを拐ったメーデルが、あの時とは別人のように静かな空気を纏いながら待っていた。
「メーデル、生きていたんだな……」
敵なのに、敵であるはずなのに、どこか彼女に安心感を覚えた。
ハーディストタワーで倒したからなのか、戦いを挑んだラルクのような禍々しいものは微塵も感じられなかった。
『……生きてる……のかしら? ちょっと、違うのよ』
レイザの言葉にメーデルは困ったように笑いながら壁に掛かった花瓶に活けている花を一つ取ってレイザに渡す。
『頼まれてくれませんか、レイザ』
「ああ、いいよ」
彼女の頼みを断る理由はなかった。断ってはいけないとも感じた。
『これを、この通路をずっと歩いた先にいる男の人に渡してくれませんか?』
「花を?」
『ええ』
「分かった」
短く答えて了承すると彼女は笑顔を見せ、ゆっくりと踵を返した。
「じゃあ、またな、メーデル」
別れの代わりに、また会う時の気楽な言葉をかけて、レイザは歩きだした。
お互い、二度と交わらないと知っている、はずなのに。
立ち止まらないと決めていたのに。
『……頑張ってね、レイザ』
反対側を歩くメーデルが振り返って、彼が歩く道に向かって言葉をかけた。
****
穏やかな空間から離れ、黒々とした壁と灯を点した蝋燭に切り替わる。
「侵入者だ」
剣を携えた兵士たちがレイザの行く手を阻む。
「いくぞ!」
言うが早く、前にいる戦士を持ち前の武術で易々と倒し、走り去っていく。
「逃がすな、撃て!」
壁から表れた姿無き紛い物も黒の輪を作り出し、レイザに向かって次々と放たれる。
走る先にも黒装束を被った者達が数名現れて手を翳す。
「神に背きし者を罰せよ!」
紫の霧が噴き出され、視界がぼやける。
「遮断拳!」
手刀で振り払うと走り出す。霧が風のような勢いを持ち、目の前にいた黒装束を凪ぎ払っていく。
発射音にも、断末魔にも、号令とともにやってくる戦士にも怯まず通路を駆け抜けると扉が見えた。
「開け!」
扉を開いて入ると通路とは一転、静寂がそこに訪れる。
「……花瓶」
茶色の木製の机の上に、金の輝く花瓶が置かれている。
「……花が」
ポケットに入れていた花が浮かび、ひとりでに花瓶の中へ入っていく。
花瓶の中に入った小さな花は淡い光を放ち、温かな空気に変えていく。
「どうだ? その花は。綺麗だろ、レイザ」
突如声を掛けられ、驚きの声をあげるレイザにクスクスと笑ったかと思うと、かつかつと音を立てて近付いてくる。
「その様子だとラルクやメーデルから力を貰って来たわけか」
淡い花の光に照らされた声の主は男。
女性とも思える妖しさと黒目、艶のある黒髪が目を引く人物だ。
男は気分を悪くさせるような笑みを浮かべて自分の目の前まで近付くと。
「おかえり、俺の半身」
ゆったりとした口調で、信じられない言葉を放った。
「……え」
レイザは呆然として立ち尽くしたが、彼が瞬間的に持っていた銀の剣を構えると。
「試させてもらおうか、俺の半身として相応しい力を持っているか」
男は髪を靡かせ、銀に輝く剣を振るった。
****
軽やかなステップと的確な剣捌きでレイザは寸でのところでかわすのが精一杯になっていた。
彼の剣捌きは防御も兼ねていて、攻撃を放てない。
「どうした、レイザ。ハーディストタワーに来た時は威勢が良かったじゃないか」
「くっ……」
早すぎる。
ラルクやメーデル達のように力に頼っていないのに、ただ斬りつけようとしているだけの動作だ。
「しまった!」
声をあげる前に彼が右側に素早く回り、斬りつける。
「……あぶねえ……」
咄嗟に左側にかわしてやりすごしたものの、肩から一筋の線が出来ていて、そこから血がゆっくりと流れる。
「後少し遅かったら首切ってたぞ」
「……くそっ……こいつ」
痛みを感じないよう立ち上がるが、彼は余裕綽々と立っている。
「まあいいか。お前、まだ気付いてないみたいだからな。見せてやるさ」
彼は勝ち誇ったように笑うと十字を切るように剣を動かした。
金に輝く十字が四方八方に飛び散り、一斉にレイザの元へ降り注ぐ。
「……!」
咄嗟に両手で防御すると光の壁が目の前に現れる。
「出来るじゃないか」
男は喜びを露にしつつ後ろに退くと再び剣を構え直す。
「……こいつ……」
あれだけ素早く動いたのに息一つ乱れていない。勝ち目があるかどうかも分からないが、やるしか道はない。
「一方的にやられるのは我慢ならないな……ブレイドロール!」
一気に走り抜けると回し蹴りを放つが男はひらりと身をかわす。
「読めるに決まってるだろ」
「発勁!」
「無駄だ」
またしてもひらりと身をかわしてやり過ごす。
「単純なんだよ、お前」
笑いながら剣を上に翳すと雷のようなものが作られる。
「させるか!」
咄嗟に左手で振り払うような動作を取ると風が男に直撃する。
「……な、なんだと」
雷が消滅したことに僅かな動揺を見せる。
それを見たレイザが真っ直ぐと見据え、走り出す。
「雷は風をかき消す、風は雷を作り出す。だから俺は!」
男に迫り、高く舞い上がる。
「お前の中にある闇を消してやる!」
防御も何も考えない、気合いの籠った声が響く。
「はあああ……っ!」
「……何だと……」
光が眩く、闇だけの空間を照らす。
強さの象徴である剣が壊れ、男は苦しそうに膝をついた。
****
「……手加減したのか」
戦いも終わり、砕けた剣が傍らに転がる。
「ああ、そうしなきゃ駄目だろ、それぐらい分かれよ……レイザ・ハーヴィスト」
自分がかつて名乗っていた名前だ。
復讐を誓い、いつしか憎しみだけで生きるようになってしまった。
憎むままに殺戮を繰り返し、大切なものを失って初めて復讐の無意味さに気付いたかつての魂。
「ゼーウェルを助けにいくんだな」
負けた自分の半身は静かに問い掛ける。
「勿論」
「また、お前のためにゼーウェルが死ぬかも知れないのに? 架空の世界でも生かしておいた方がいいかもしれないぞ?」
半身が指すのはゼーウェルのことだ。
「いや、そんなことしないさ」
レイザは自信満々に笑った。
「偽りの俺がさ、昔の記憶を持ってるお前を倒せたんだからさ、別の可能性があるってことだろ」
それだけを言うとレイザは先に行く。
ゼーウェルの待つ、ハーディストタワーの入り口へ。
「……分かった、じゃあ止めない。あとさ」
男は、半身は漸く立ち上がるとレイザに向かって一つの言葉をかける。
「もし、窮地に陥ったら助けに行ってやる。願えよ」
「力を貸してくれるのか、有り難いよ」
負けてもあの態度は変わらないらしい。それを見て自信満々に笑う自分も相当の自信家だ。
半身と、嘗ての記憶に別れを告げて、レイザは未だ敵に狙われ、過去に囚われたまま動けないでいるゼーウェルを助けに向かって走り出した。