Escape3:銀峰に聳え立つ黒塔
灰褐色の壁面に描かれた老師――それを中心とした抽象画を背に男は立っていた。
他の壁面にも描かれている形――花を咲かせ、低空を舞う蝶。
この老師は哀れなまでに綺麗な空想を実現しようと駆使していた。
脳裏に浮かぶのは――今も胸を疼かせる哀れで、捨てられぬ過去の破片。
『力があれば、なんだって出来るんだ。死者をこの世に呼び寄せることも』
いつだって理想を語る締めの言葉として飾る幻想的妄想。最早、老師の口癖となり舌に絡みついていた。
老師の下に付く嘗ての己はその度に妄想の中枢である名前を発して聞き返した。
『それは、フィリカのことですか?』
『そうだよ。君は、可能性にかけたいと思わないのかい?』
男は本と、朽ち果てたガラスのコップを取り出して、自分に見せる。
『幻の島、フィリカは存在する。そうしたら、力を得られる。そして……』
老師の憎しみに燃える瞳は――どこともわからぬ場所へ向けられた。
その一点にあるのは……。
『不平を敷く、王国を滅ぼせる』
過ちは、何度でも――魂を浄化しない限り繰り返す。
だが――老師は幻想を語るのをそこで止めておくべきだったのだ。
「ふふふ、この理想郷は――私が統べる!」
****
敵からの急襲を退け、正気を失った飛兵を一先ず遠くへと運ばせた者――リデルを加えた二人は極端な角度で作られた坂を昇りながら現る偶像を退ける。
「ブレスレイン!」
紅の閃光が真っ直ぐと雪山を迷う霊を貫く。
射抜かれた霊は塵となり、透明な結晶となって消えていく。
「……切り裂け、ロードランチャー」
再度襲来した霊を鋼の糸が絡めとり、物体は砂のように脆く、雪のように淡く光る粉を空に散らせて消えていく。
意思を持たぬ者の正体を知りたくて、ゼーウェルはリデルに問うた。
「……リデルさん……あれは、何者かが作り出した守護者なのですか?」
「いいえ……厳密には違う。ただ、主を守るために生み出された……或いは作り変えられた偶像なのです」
「彼らにとって私たちは敵、ということですか?」
「そう、自らを生み出した主を脅かすもの。生まれる時に本能に手を加えたのでしょう……アースブレイク!」
無数に沸き上がる霊――両足を地面について堂々と此方へ向かってくるのをリデルは大地を揺らして阻止した。
終わりの見えない戦い。
尽きることのない命。
架空の世界が造り出された目的も、敵が何をするかも分からない。
相手には限界がないのに此方には限界がある。
「喰らえ!」
浮遊する物体とは言え、攻撃を与える感触は確かなようで魔法を使えないレイザでも止めを刺すことは出来るようだ。
こうして険しい山脈を登り、霧が濃くなるにつれて敵の気配も漸く減った。
「はあ、はあ……ハーディストタワーにさ、行けば、あいつに、ダークに会えるんだろ? リデル」
肩で大きく息を切らせながらレイザはリデルに問うと彼は確信を持って答えた。
「……会えるでしょう。ダークはあなた方が来るのを待っている。だが、ダークは強い。あなた方のように力の限界がないし、思うときに力を再現できる。それでも、あなたは勝てますか?」
そこはどうしてもレイザやゼーウェルには知って欲しいと思う。
だから、聞きたいのだ――ダークと対峙し、戦う覚悟を。
しかし、レイザはリデルの考えていたものとは違う答えを伝えてきた。
「そんなこと知らない、ただ、戦うだけだ」
「レイザ……」
彼の答えを聞いて、リデルは黙り、歩き出す。
(貴方に迷いは似合わないですね、レイ――……!)
感傷に浸っていると突如閃光が見え、雷鳴が鳴り響く。
少し、遠いところだろうか。
「……行きますよ、あと少しで彼らの領域に入る」
「いよいよだな」
「ええ……」
「ゼーウェル、俺たちは逃げられないんだ。逃げ道なんてこんな島にあるわけない――進むしかないんだ」
絶望にも、希望にも似た事実を突きつけられ、惑うゼーウェルを叱咤する。
雷鳴の轟く地点には、きっと怪異が蠢く巨塔が口を開いて誘っているだろう。
****
明かり一つない、色彩もない、灰で染められた空間。
錆と埃立つ土と、逃れる場のない籠った空気の混じる匂いを吸い込みながら、カツカツと耳につく靴の音を立ててやって来たヴァン。
彼を守るように立ち、獲物を囲う様に待つ三人の戦士――ルキリスとハワード――どこか悲しげに俯くラルクだった。
「ディール達はどうしてる?」
捕らえたディール達のことをヴァンは聞いた。
それに対し、ハワードが恭しく頭を下げて跪く。
「それは、彼方に」
左の上空を指差すと捕らえた三人が浮いたまま動かない。
「ほう、では私が連れていこうか」
優越感で満たされゆく心と微かな期待。
「我を守護する者よ、我に刃向かう者達を、監獄の中へ連れて行くのだ」
ハワードの指差した先に、同じくヴァンも掌を翳し、詠唱する。
刹那、三人の姿はヴァンの術によって消え、どこかへと行ってしまった。
「……ヴァン!」
一連の様子を今まで黙って見守っていたラルクが悲痛な声でヴァンを呼んだが、彼はラルクの声色が気に入らなかったのか威嚇するように前に立つ。
「ラルク、お前は相変わらず血気盛んだ……だが、分かっているだろうか?」
「……!? うぐっ……」
突如ラルクが胸を押さえて呻き、苦痛に身悶える。
一方のヴァンは気に留めることなく、命令を下した。
「さて、ラルク。レイザ達がやって来る。準備は出来ているかい?」
逆らう者には容赦しない――それが、ヴァンだった。
「……ぎょ、御意……ヴァン、様……」
「よろしい――絶て」
何かを斬るような手振りをラルクの目の前で行うと。
「ああっ! はあ……はあ……う……」
痛みから解放されたようにラルクはゆっくりと身を起こし、荒く息を吐いた。
「ラルク……」
心配になったルキリスは慌てて駆け寄り、ラルクに肩を貸す。
「すまないな、ルキリス……」
「気にしないで……。ヴァン様」
ルキリスはラルクを気遣いつつヴァンに視線を向けるが、それは彼には届かない。
「レイザ達が来るか。さあ、撃破するのだ」
ヴァンの傍を浮遊する名も無き物体が到着を知らせ、彼が下す命令の声が高々と響く。
ルキリスとラルク、その間静観していたハワードも門の向こうを見つめ、決意を表すように刃を構えた。
****
「もうすぐ、でしょうね」
山を登っている間あれ程降っていた雪と風が突然止み、視界が急に開けた。
取りあえず立ち止まって肩についた粉雪をレイザは軽く落とし、リデルに問う。
「このままハーディストタワーに乗り込むのか?」
「ええ、勢いで乗り込まないと勝ち目はありませんが、あちらも大軍で待ち構えていますから正面切るわけにもいかない……しかし、残念なことに正門を抉じ開けるしか今のところ方法はありません」
「勢いで乗り込むしかないってわけか。ヴァンとか来たら俺たちには勝ち目ないだろ」
どう足掻いてもこの先に待っているのは力尽きて土塊と化す最悪の結末である、が、リデルはまた話を続ける。
「私の予想ですが主戦力はラルク、ルキリス、ハワードくらいでしょう。ルディアスは負傷しているしヴァンやダークまで正門に来れば塔内を維持できないでしょう。彼らは内部にいる必要がある」
「へえ、詳しいんだな」
感心するレイザにリデルは「ははっ……」と困ったように笑って、その続きを話した。
「それから、ヴァンかダーク、どちらか――或いはどちらともない者がディール達を捕えている」
「……ハーディストタワーの内部に、か?」
「恐らく。それに、こんなことを言いたくはないが……」
「何だよ、今さら何が起こっても動揺しないよ。何でもありだろ? ここは」
「はは、そうでしたね。ディール達を捕えたのはカモフラージュに過ぎないと、思うのですよ」
「それってどういうことだ?」
「……」
リデルはその先については曖昧に笑って答えなかったので、些か腑に落ちない点があるがそこは追及するのをやめておいた。
「話変えるけど、注意した方がいいやつって誰?」
「そうですねえ……幻想を操る妖術師、ハワードでしょうか」
「ハワード……! うぇ~……そう簡単にくたばるとは思ってなかったけどやっぱしつこいな……」
ハワードと聞いてレイザは即座にリーフグリーンでの悪夢を思い出す。
……あの甲高い声と笑顔をもう一度対峙する羽目になるとは、つくづく己の不運を恨むばかりである。
どんよりとした空気を漂わせ、生気を失って沈むレイザを極々冷静なまま宥めながらリデルは続ける。
「まあまあ。ハワードは闇魔術を使えます。闇魔術は他の属性の魔術とは違い、バリアを使っても簡単に壊れますしガードなんて貫通するのでほぼ無意味。かといって丸腰で突撃するなんて自滅するようなものですし?」
「どう考えても詰むだろ! 何で冷静でいられるんだ! もう訳分からん!」
駄々を捏ねるように喚くレイザを暫し静観していたゼーウェルが申し訳なさそうにしつつ、ここで初めて声をあげる。
「……魔術なら、何とかして見せます」
「はあ!? てかもっと喋れよ! それにまた無茶なことするだろ!」
色々な方面からゼーウェルに突っ込みつつ、レイザは叱咤したがリデルが宥める。
「レイザ、気持ちは分かりますがもしかしたら画期的な案かもしれない。取りあえず最後まで聞いてみましょう」
「ありがとうございます、リデルさん。何となくですが……雷で闇の波動は遮断できないかと思っていたのです」
「……!」
「闇魔術で早く再現出来るものは少なかったはずです。しかし、雷は比較的早く再現出来ますし、波状攻撃でラルク達の体力を少しずつ削れるのではないかと考えていたのです。正門で全力で攻撃を挑むでしょうか……今までの経過を見ている限り、彼らはまるで私たちを塔に向かわせるように仕向けている。そんな風な気がしてならない」
「……ゼーウェル様!」
「? り、リデルさ、えっと」
突然リデルにガシッと手を握られ、ゼーウェルは困惑しながら応じる――その流れを見たレイザの感想はと言えば。
「……まるでアイドルの追っかけみたいなノリだな」
溜息を吐いてみるものの、最早有頂天になっているリデルには届かなだろうという諦めが広がった。
(何か違う……何か違うぞ……)
紆余曲折を経て、また進み出した。
****
迎撃の命令も人通りに終えたヴァンは自身が作り出した光に向かって飛び、目的まで辿り着くと光に身を委ねて最上階へと昇って行った。
掛かる時間は数秒もいらない。
軽やかに部屋へと降り立つと小さな一室を見渡す。
「……ヴァン!」
鋭い瞳で睨むのは傷ついた少年と二人の女性――捕らえた獲物、収穫物。
「おやおや、ディール君。随分強気だな」
ヴァンは嘲笑うように吐き捨てるとディールの傍まで駆け寄る。
「何で君が生きているのか……これは私にとって都合のよい話だ、君を恨めばいいのだから――ユリウス、さぞ苦しんだだろう。火に焼かれて、苦しみながら……寂しく死んでいった。彼女は死すべき存在ではないのに」
「ヴァン、その話はもう止せ!」
ディールを庇うように声をあげたのはルイズであった。だが、それさえもヴァンにとっては憎悪を駆り立てるものでしかないのかもしれない。
「ルイズ殿、ユリウスや私の味方であった貴方が何故ユリウスを殺したエルヴィスの息子を庇うのですか? エルヴィスは力欲しさにユリウス達若き命を利用した愚か者ですよ?」
「……ヴァン、それは」
「違う、とでも?」
何とかして言い返そうとしたルイズだが、彼の声が低くなったと感じたため、何も言うまいと口を閉ざした。
「まあ、エルヴィスの息子を庇い、私たち復讐と再生を願うサッグを裏切った貴女の言葉など何一つ聞くに値しないですけれどね」
そこでヴァンはルイズに向かって掌を翳す。
「させない!」
彼の不穏な動きに気付いたディールがルイズの前に出て彼女を庇う。
突如、赤き炎の玉が発せられ、ディールの直ぐ真横を突き抜けた。
「……ディール!」
「ルイズ、俺はもう迷わないって決めたんだ。守ってみせるって」
彼は曇りのない澄んだ瞳でヴァンを見据える。
「ヴァン、俺は負けない」
――揺るがぬ意思。
「あの時」も真っ直ぐな瞳を向け、逃げることなく対峙した。
「……レイザが、そんなに大事か」
苦悶の表情を向けるヴァンにディールは目を伏せる。
アイーダもルイズも何も言い返せないでいた――最早、彼を止める言葉など何処にもないと分かってしまったからだ。
そんな彼らの苦悩など知ることもなく、ヴァンは自らを討つためにやってくる存在へ思いを馳せた。
「さて、彼らは救世主か、破壊者か」
そして、一人の――ヴァンが生み出した僕が彼の元へ到着した。
自身が作り出したもの、当然言葉も手を取るように分かるのだ。
「レイザ達が、ハーディストタワーに」
ヴァンは愉しそうに笑い――僕に命令を下す。
「粗相の無いように対応するのだ」
****
ハーディストタワーの正門前まで来て一気に中へ入ると、やはりと言うべきか敵は彼らの到着を華やかに待っていた。
入った途端に爆発が起こり、火の粉が舞い、小さな刃となった吹雪が巻き起こる。
「吹き払え、ウィンドサークル!」
襲いかかる吹雪に対抗して風を起こし冷風を吹き払う。
「よし、視界が晴れたぞ」
そう言って三人は一気に走り出すが、ヴァンの用意した精鋭は簡単に退いてはくれない。
流石は召喚士ということなのだろうか。これでは体力が磨り減るばかりだ。
「しつこいぞ!」
レイザは忌々しく吐き捨て、蹴りを放つ。
唯一攻撃を繰り出すのに時間が掛からない彼だけが自由だが、反動による傷は絶えない。
「ロードランチャー!」
爆発音が再び起こり、立ち塞がる敵を凪ぎ払う。
広範囲まで及ぶ便利な術だが、爆発音と共に発せられた噴煙を吸わざるを得ないのが玉に瑕である。
「……ごほっ、ごほっ……それ、なんとかならないか……」
「なんともなりませんね」
「ああ、そうか……」
煙に呑まれ、咳き込むレイザとは対照的にリデルは平然と答えたので呆れるより他はなかった。
「ったく、相変わらずというか何というか……!」
突っ込もうとする直前に輝く破片がレイザの真横を掠め、リデルに向かって飛んでいく。
「……ルキリス」
刃をバリアで遮断しながら放った主へと声掛けると、彼女は表情こそ険しかったものの声色には僅かに安堵を滲ませていた。
「……漸く、枷を解いたのね、リデル」
「ルキリス、ディール君を、捕まえたのか」
ルキリスの言葉には答えず、ディールたちのことを問うた。
勿論返ってくる答えは、リデルも想像していた通りだが。
「そうよよ、リデル。でもディールたちは私の邪魔をしたの。だから捩じ伏せるしかなかったの。リデル、貴方もよ」
ルキリスはリデルに剣を向け、地面に突き刺した。
「二人とも避けろ!」
「……な、なに」
咄嗟にルキリスの対曲線から離れたと同時に氷の刃が地面から幾重にも突き出て襲い掛かる。
「アイスストーム!」
氷の魔術師である彼女が放つ凍てつく冷気が追い詰めていく。
勢い勝るこの風を突っ切るわけにもいかず、堪え忍ぶことも儘ならない。
「吹雪を弱めよ、ウィンドサークル!」
その中でも懸命に距離をとったリデルが手を翳し、視界を狭める吹雪を凪ぎ払う。
「ルキリス、加勢するぜ。地竜槍!」
刹那、槍を振り回し、嵐を起こしたのはルディアス。彼が竜から飛び降りてリデルに向かって駆ける。
「リデルは引き受けたぜ。レイザは頼んだ」
「ルディアス――ごめんね!」
槍を持って走るルディアスにリデルはどんな状況にあっても避けられるよう動きながら風の矢を放つ。
「ウィングナイフ!」
「こっちの世界じゃ魔術師か。お前の魔法綺麗なんだけどな」
ルディアスは槍でナイフを払うと斬るように振るった。
「ちっ……ロードランチャー!」
再び大規模な風を起こし、上空に舞う。
「ルディアス、悪い。トルネード!」
「……リデル!」
降下前に風の渦を巻き起こし、ルディアス目掛けて放つ。
そして、軽やかに着地して先を急ぐ。
「レイザ、ゼーウェル、待っていてくれ」
戦いの最中分かれてしまった二人に追いつくためにリデルはルディアスに追い付かれないよう走り出した。
****
混沌とする戦場の中でリデルと分かれてしまったが、力を合わせてこの状況を打破しようと二人は懸命に抗った。
飛び交う怒号、地を鳴らす咆哮、掲ぐ刃に散る破片。
「ゼーウェル、大丈夫か!」
幾ら生命なき物体でも砂が地に落ちれば肉塊と捉えてしまうゼーウェルをレイザが先導してくれたおかげで目立った傷は受けていなかった。
冷静さを維持しながらもやはり心配になってしまうのはリデルのこと。
「リデルさん、無事でしょうか」
「そうだな……でも、取り敢えずさ」
「分かっています」
黒衣と黒甲冑を身につける集団。自分らに向かって攻撃しようとする者たち。
「発勁!」
気を形にして放ち、確実に攻撃する。
「サンダー!」
曇天の空を切り裂くように落ちる光が直撃する。
「烈風拳!」
「ブリザード!」
これだけで敵の攻撃は終わらない。息つく暇もなく魔法と素手の攻撃で応酬する。
確実に体力は磨り減る中、突如吹き荒れる風が敵を凪ぎ払うのが見えた。
「二人とも、お待たせしました!」
擦り傷は至るところに見えたが大事には至ってないようで笑顔で駆け付けるリデル。
「心配しました、リデルさん。無事て何よりです」
リデルがいると心強い。ゼーウェルは安堵し、気を高めて迫る敵に再び雷を放つ。
ここから先へ進むのは容易である、はずだった。
「まだまだ、先には行かせない!」
剣を構えたラルクがやってくるまでは。
「ラルク……!」
「リデル、悪いが俺には二人を倒す理由があるんだ、落下斬!」
緩やかな風にふわりと彼の体が浮き、リデルめがけて高速で振り下ろす。
「レイザ、ゼーウェル!」
ラルクの攻撃をかわしながらリデルは応戦しようとする二人に向かって声をあげる。
「ハーディストタワーに行ってくれ。ラルクは俺が引き受けた……風流線!」
凄まじい風の音と煌めく刃が真っ直ぐとラルクに向かって放たれる。
「十文字!」
剣を十字に切り、刃を打ち消すとラルクはリデルに向かってナイフを投げつけ、軽やかに剣を振るう。
「……っ!」
そのうちの一薙ぎがリデルの足を掠め、痛みに顔を歪める。
「飛翔断!」
ラルクが剣を回転したのを見たレイザが彼の足元を狙って蹴りを放つ。
「……レイザ!」
「リデルを放っておくわけにはいかないだろ、立てる?」
「……」
レイザの肩を借りて立つリデルを見たラルクは一瞬だけ安堵したような表情を見せた。
「……ラルク」
「レイザ、邪魔しやがって」
憎々しげに吐き捨てた台詞もレイザには違和感を覚えた。
さっき、少しだけ表情と吐いた言葉がどう考えても一致しない。
それに――ラルクがリデルを見る目はどことなく優しいものに思えてならない。
「お前、本当はリデルと戦いたくないだろ。違うか?」
「えっ……そ、そんなわけ!」
「そうだよ、ラルク。お前、さっきリデルが無事だと知った時、嬉しそうにしてた」
「……そ、そんな」
ラルクは剣を振り上げようとするが、近寄ってきたレイザに振り払われた。
迷いの見せる、勢いのない持ち方だ。
「お前が剣を握る手はこんなにも弱々しい。なあ、ラルク」
「お、俺は」
ラルクは手を震わせ、レイザから逃れようと目を逸らす。
「ラルク!」
一段と強い、意思を持った声がラルクを呼ぼうとした時だった。
『お遊びはそこまでだよ』
地を這うような、まとわり着いて離れない甘く低い声。
途端に空は黒一色となり、レイザ達の体がひとりでに動き出す。
『ラルク、案内してくれ。丁重に、な』
「……はっ」
曇った表情のまま、ラルクは塔の入り口に三人を案内する。
敵も、攻撃をピタリと止めて成り行きを見守っている。
「ちっ! くそ……! 体が重い……何、しやがった!」
声の主を知るレイザは忌々しげに呟いたが、今は成す術がないことも知っている。
やむを得ず従うことにした。ゼーウェルもリデルも同様である。
塔の入り口に無理矢理案内され、中に誘導されるとラルクがリデルを取り押さえる。
「ラルク!」
「悪いな、リデル。俺とお前はこっちだ」
まるで操られたように感情を失った抑揚のない声で淡々と言い放つと、次階に続く階段の前に立つ二人を見ながら――闇に潜むであろう主の指示を待つ。
煮込まれる時に上る煙のように幽かで虚ろなもの。
だが、確かに何者かの気配は色濃くそこにある。
「ふふふ、こんなにも早く会えるなんて……客人の前にこんな姿で出迎えるのは失礼だな……」
浮かぶ煙が消え、階段上に現われたのは――ゼーウェルと瓜二つの容姿を持つ黒衣と赤目。
異様な狂気を全身から放つ青年。
「やあ、レイザ、ゼーウェル。会えて嬉しいよ」
「ダーク……!」
「ふふ、相変わらず忌々しい奴だな。ダークの名前で呼ばれるのは不愉快だ――ラルク!」
悦に浸りながらゆっくりと話していたダークが突然怒りの目をラルクに向けると彼は無言で頷き、リデルを取り押さえたまま空いている手で何かを操作する。
――ガタガタと小刻みに揺れる大地。
「ゼーウェル、伏せろ!」
嫌な予感がしたレイザはゼーウェルを突き飛ばした。
直後、ゼーウェルが立っていた床に穴が空き、底へ落ちていく。
「レイザさん!」
助けるために手を伸ばそうとしても間に合わない。
彼はあっという間に見えなくなった。
振り返るとラルクとともにリデルの姿も見えなくなり、ゼーウェルは一人取り残された。
「リデルさん……」
「大丈夫だよ、あの二人なら」
落胆する彼にけらけらと愉快そうに話しながらダークはゼーウェルを笑う。
「貴方は……」
悔しげに階段の前を睨むゼーウェルに、ダークは嘲笑ったまま声高らかに言い放つ。
「ゼーウェル、あの二人を助けたいなら塔の最上部に来なよ。辿り着けるなら。くっくっく……あはははは!」
耳につく笑いが塔内に木霊するが、既にダークの存在はどこにもなかった。
――こうして、ハーディストタワーに誘われた三人の、戦いが始まった。