Charge17:空翔る夢の跡
「ヴァン、教えてちょうだい」
刃のように冷たい言葉と靴の音を響かせながらティアナが問う。
「ティアナ……どうかしたのか?」
二人の男女が無の空間で対面している。その片方であるヴァンはティアナの性急な態度に困惑していたが、彼を他所に彼女はスッと近づく。
「どうしてユリウスを捕らえなかったの?」
彼女の放った刃はすぐ様核心を突いてきた。割り込んできた少女、確かに自分の名前を叫んだ彼女は自分の手に届くところにいたはずだ。しかし、自分は手を伸ばさなかった。彼女はそれを責めているのだろう。
「わからない。だが、次は逃さない」
拳を握り締めてヴァンは宣言した。だが、その手は微かに震えている。それに目を逸らしながら憤るティアナを宥めた。
「迷わないで頂戴。もうすぐフィリカは現実のものとなるのよ。そうすれば、あなたはユリウスの傍にいられる。皆の願いが叶うのよ」
うわ言のように理想を連ねるティアナにヴァンは頷いた。だが、震えは消えない。震えを振り切るようにヴァンはティアナに宣言する。
「ティアナ、次は僕から行く。待ったりしない。奴らを待ち、撃破するのは面白くないんだ。だから、僕を行かせてくれないか」
懇願にも似た頼みにティアナは視線を外して答える。
「……いいわ、ヴァン。だけど必ず勝つのよ。もう私たちに敗北は許されないのだから」
そう、淡々と告げると、彼女はヴァンから背を向けて歩き出した。それを皮切りにヴァンも反対側へ歩み始めた。
本当は分かっている、この震えの正体が。だが、もう自分は戻れない。戻ることは出来ないと、ヴァンは瞬き一つせず無の空間を眺める。
この空間はティアナ曰く己の描いた理想を並べるものらしい。例えば、綺麗な海を間近で見たい、という風に呟いて、描く。幾重もの理想を描いて完成させるもの、だと。
(もう、ティアナには、理想を描く力がない)
彼女の中にあるのは憎しみだけ。彼女の中にあるのは無念だけ。理想を描くだけの気力も想像も枯れ果てているのをヴァンは知っている。
フィリカを創り出した神もまた、そのことを知っている。そして、憎しみのままにシナリオを創り出すティアナを消してくれる人を待っているのだ。
「せめて、最後の願いを聞いてくれないか──」
ヴァンの声に応えるように光が動き出す。
もう、分かっていた。ユリウスが自分の名前を叫んだ時から、自分は負けたのだと。必死に縋る彼女を抱き締めたいと思ってしまった。だが、彼女は違う。彼女の心の中に自分はいない。もう、いないのだ。そもそも最初から彼女の心の中には誰もいなかったのかもしれない。
「ユリウス、君が最後に見るのは僕なんだ」
ふわりと微笑んだ。彼女の心の根元を喰らうのは、自分であるべきだと。ずっと変わらない想いが自分の心をも喰らい尽くしていく。
彼の声に共鳴するように光が灰色の空を駆け抜ける。そう、鳥だ。空を翔ける唯一の存在であり象徴。この光が、ここに現れる者達を食い止めるための最後の力となる。
「行っておいで、そして、必ず逃がすな」
苦しみと悲しみが満ちたこの空間で、最後の戦いが始まる。
****
光に導かれやってきた一行は目の前に広がる風景をうまく受け入れられないでいた。
「やっと着いたか……ここは、何なんだ?」
レイザが辺りを見回す。建物も何もない。オブジェすら見当たらない。無の空間に迸る光だけ。他の人たちもこの空間に困惑していた。何を頼りに進めば良いかわからないでいたのだ。
「お待たせ、レイザ」
虚無の空間に声が響く。一同が声のする方に視線を向けると、ユリウスと──銀髪の青年、いや、ジャンが立っていた。何も言わずに、レディンとの戦いが始まる前辺りからか。その後からいつの間にか姿を消していた彼がどうしてここにいるのだろうか。
聞きたい事はたくさんあったが、彼はそのことを話さなかった。
「……様々な疑問がありましょうが、もう時間がありません」
ジャンは重々しい声で時間は有限であると告げた。
「この空間は、創造主の空想で成り立つ空間です。空想が具現化する場所。しかし……」
何も無い、ということは。
「彼女は世界を消そうとしている」
ゼーウェルの一言に皆が頷いた。今、世界の鍵を握っているのはティアナだった。だが、彼女は新しい世界を作る必要が無い。何故なら全て消せばいいから。全てを消す。彼女の願いが無の空間、つまり今目の前に広がる風景こそが彼女の全てなのだ。
「私が案内します。皆さん、ついてきて下さい……但し、私は戦えません……」
ジャンの無念の一言にリデルが反応する。
「……お前も、作られた存在だからか?」
リデルの問にジャンは肯定し、答えた。
「……私はティアナ様の希望を叶えるための存在。ここにいる者達に手出しが出来ないのです」
そこでジャンは言葉を切った。だが、歯切りの悪い返答から彼は何かを考えているような口振りであることが窺える。
「案内してくれるだけでいいよ」
同行を申し出るジャンの意図が気になる一行に対し、それを制したのはディールだった。
「ねえ、早く行かないと。そうしないと敵が増えちゃうよ。想像が現実になるんでしょ?」
となれば、ティアナの言葉一つでここは戦場に変わるのだ。
「そうだねえ、早く行こうよ。話聞くより身体動かしたいんだ」
ディールの呼びかけにルイズが同調する。漸く全員が納得したことを確認出来て、ジャンは安堵の息を吐いた。
「……こちらです」
ジャンがそう言うと彼の身体が光に包まれる。どうやら、この光を追いかけていけばティアナの元に辿り着くということらしい。
「さあ行くぞ」
先陣を切るレイザの後を皆が追う。
****
何も無い空間に歩く音だけが響く。無の空間を柔らかく包むように無邪気な声がレイザを呼ぶ。
「ねえ、レイザ」
「なんだよ、ディール」
問いかけたのはディールだった。何故こんなところで問うのだろうか。自分の疑問を余所にディールはのんびりした声で続きを話し出した。
「長かったねえ、ここまで。レイザは、ここに来て良かったと思う?」
率直な質問だった。今まで、ディールはレイザからフィリカのことは何となく聞けなかった。レイザが慕うゼーウェルやフレアを陥れたフィリカを、彼がどんな風に思っているかを聞くのは何となく怖かったのだ。
案の定レイザは表情を曇らせる。だが、彼は躊躇いもなく答えを聞かせてくれた。
「よくなかったなんて言えるかよ。もうここまで来たんだ。最後まで戦うさ」
正直、レイザが揺るぎない答えを出してくれるとは思わなかった。後悔を滲ませた答えを聞くのではないかと思ったのだ。だが、それは杞憂だった。レイザの問いがディールの悩みが杞憂であることを教えてくれた。満足げに頷いたディールが前を見たその瞬間、空気を引き裂くような甲高い声が全体を奮わせた。
影は草木が芽を出すようにぐんぐんと伸び、やがて刺客として形成された。
「侵入者だ! ティアナ様を脅かす者だ!」
口々にその言葉が広がっていく。
「構えろよ、ディール」
そう言ってレイザは剣を抜いた。
「先頭だもんね。大丈夫、分かってるよ、レイザ」
ディールも短剣を取り出し、詠唱を始める。
後ろにいた皆がそれぞれの武器で応戦しようと身構えた。
彼らを断罪する声は幾重にも共鳴する。間違いない、ヴァンとティアナが差し向けた刺客だ。それも、無数に湧き出てくる。
後方にいるリデルがルイズを庇うように前に出た。
「ルイズ、頼みますよ」
「リデルの頼みなら何とかするけど、持つかどうか分からないなあ」
そう言いながらもリデルとルイズが動き出し、それに反応して動き出した影と応戦する。
やがて、影はルイズとリデルを覆い、見えなくなった。
「リデル達を見失った!」
レイザとディールは襲い来る影を切り裂きながら二人の姿を探していた。そのすぐ後ろでアイーダが影と応戦している。
「ディール、アイーダを守ってやれ」
レイザの気を利かせた助言にディールは一瞬真顔になったが、直ぐにいつもの調子で答える。
「俺がいなくなったらレイザまけちゃうんじゃない?」
「生意気な! 俺が負けるわけないだろ?」
「ふーん、あとで泣き言言っても知らないからね!」
勝ち誇ったように笑うディールが、彼の助言通りにアイーダの元へと駆けていく。
「負けるわけないだろ!」
もう見えない彼への答えを示すかのように剣を振り下ろし、影が飛散する。その隙をついて、彼は自分の主であり、頼れる片割れ──ゼーウェルの姿を求めて駆け出していく。
敵は必死だ。行く手を阻むために手段を選ばない。この猛攻に以前なら確実に力尽きていたはず。それでも、負ける気は本当にしなかった。どうしてなのだろう。
ディール達を置いていくのは心苦しいものがあったが、すぐに追いつくと確信に近い自信を抱いていた。だから、一刻も早く姿を見失ったゼーウェルの元へ駆けつけなければならないと思ったのだ。
影が次々と来襲し、皆の姿が見えなくなった。
****
来襲する敵を薙ぎ払いながら先へと進むゼーウェル。皆は無事だろうか?
そればかりを不安に思う。これで最後。これで、すべてが終わる。ああ、やっと、ここまで来た。
今まで、目をそらしてきた過去からも耐えてきた痛みからも解放される。約束された不幸からも解放される。
ずっと、言えなかったことがあった。今、倒れて心残りなのは言えなかったことが胸につかえているからだ。吐き出したくともうまく形にならないまま残っていたものを、漸く吐き出せる。
──レイザ。
出会った当初から彼を遠ざけてきた。彼を疎ましく、憎らしく思っていた。反対側から見れば、彼から目を離すことができなかった。
言い知れない苦しみを表すための言葉を知らなかったから。自分とは対照的にレイザはあっという間に自分に近づいてくる。気付けば直ぐ隣には彼がいた。
侵食されるのを何より恐れていたのに、彼の隣は心地よかった。だから、ずっと共にありたいと思ったのだろうか。
ずっと、共にありたい。叶うなら、許されるなら、共に生きてゆきたい。
この戦いが終わって、無事に戻ることができたら、伝えよう。彼がどんな風に受け止めてくれるかは定かではないが。
「……待て!」
真っ直ぐと歩くゼーウェルの背後から声がする。聞き覚えのある声にゼーウェルは振り返った。
背後には、悲しげな、憂いを帯びた面持ちで立っている一人の男──自分の片割れとも言える存在だった。
「……ダーク……」
最後の最後で、彼が立ちはだかるのか。彼が、障害になるのか。いや、そうではない。
「行くのか?」
今まで罵声の限りを浴びせてきた彼から飛び出してきた言葉はたったひとつの問いかけだった。
今こそ、今だからこそ、彼に伝えたいことがある。彼が自分の片割れなら、分かり合えるはすだ。
「ダーク、この世界を守ることに意味はあるのか?」
破滅だけを願う創造主が作った仮想世界。形になるものは何も無い虚無の空間。築き上げたものを壊すためだけの存在。
「ダーク、この世界はお前の望む理想など叶えない! この世界は、全てを壊すためだけに造られた! 何故それがわからない!」
片割れの彼と戦いたくはない。半身同士で傷つけ合うことに意味などない。自分が不甲斐なかったから、彼がこんなにも強くなり過ぎたのだ。傷つけるだけの力しか、見出してくれなかったのだ。自分が、挫けなければ、もっと言葉をかけていたならば、彼は違う力を見出してくれていたはずなのだ。
「お前も分かっているだろう! だから、だからユリウスを……」
「違うね」
あっさりと彼は否定した。
今まで助けてくれたかのような素振りを見せた彼の否定にゼーウェルは絶句する。
彼は、この世界を無意味だと思ったから助けてくれたのではないのか。炎に包まれた現実世界から自分たちを逃がしてくれたのではないのか。
「あの女がどうなろうと……いや、この世界がどのような結末になろうと俺にはどうでも良かった。ただ」
一瞬の隙をついてダークはゼーウェルを突き飛ばす。咄嗟にかわすこともままならず彼は倒れた。
「……ダーク!」
叫ぶように呼び掛け、身を起こそうとした。だが、それはできなかった。
ダークが、自分の上に跨っている。身体を押さえつけられ、身を起こすことも儘ならない。
「俺は、お前さえいてくれたらそれで良かった」
──彼は、何と言ったのか。
この戦いが始まってからも罵倒ばかりを浴びせてきた彼からは想像もできない言葉だった。
呆然とするゼーウェルにダークは次々と吐き出した。
「お前が、俺を見てくれるなら、それで良かったのに。俺だけを見てくれるなら、それで良かったのに。それなのに、いつもレイザは俺の邪魔をする。いきなり現れて、お前を俺から奪い去る。いつだってそうだ! どんなに力を手に入れても! お前が見るのはレイザだけだ! レイザには怒るのに、手を上げることだってするのに! 俺には優しい! まるで俺には関心がないと言わんばかりに! お前が俺に抱くのは憐れみだけだ! 上辺だけの! 優しさですらない! 何の価値もないものばかりをお前は俺に与える!」
彼の手には刃があった。それが勢いよく振り上げられる。
ダークの目には涙が浮かび上がっていた。激情を吐き出した痕跡を確かに残して。
痛みは一瞬だろうか?
直ぐに何も分からなくなるだろうか?
結局、何一つ成すことができないまま、終わるのだろうか?
──彼は。
──ダークは、どうするのだろうか?
自分がいなくなったら、ダークは、どうなってしまうのか?
もし、自分がいなくなってダークが取り残されて、ダークが悲しい思いをするところは見たくなかった。これも彼からすればただの憐れみだろうか?
結局、自分の存在は周りを不幸にするだけ。半身であるダークですら救えない。彼の望みを叶えることができないのだ。
「せめて、お前も……」
ダークが独りだけ取り残されるくらいなら。何の為にもならない虚無で独り生きていくことを強いるくらいなら。
──彼も道連れにして全てを終わらせよう。
浮かび上がった炎が、二人を包んだ。
『すまない、何もしてやれなくて』
たった一言、懺悔を残して。
****
「くそっ、全然引かないじゃないか……っ!」
揺れ動く影にディールとアイーダは苦戦を強いられた。消しても消しても影は生み落とされる。
侵入者を排除するためだけの存在に翻弄されていた。
「……ディール!」
応戦するディールがついに膝をついた。アイーダが慌てて駆け寄る。
「……ごめん、アイーダ……レイザに、言われたのに……」
「ディール、しっかりして……! まだ終わっていないわよ!」
「うん……分かってるけど、もう、動けないよ……」
見れば身体のあちこちに傷を作っていた。今まで何一つ反応を見せなかったから大丈夫なのかと思っていた。
しかし、彼は悲鳴一つ上げずに戦っていたのだ。アイーダを援護射撃に集中させるために彼は黙って耐えていたのか。
「ごめんね……」
その時だった。
一際濃い影の戦士がアイーダに襲い掛かる。
「私ひとりでも勝ってみせるわ!」
ディールを守るようにアイーダが応戦する。唇を動かし、風を生み出して、雷を振り下ろして。
だが、どんな衝撃でも戦士は倒れなかった。アイーダに迫り、刃を振り下ろす。何とかかわして応戦するアイーダだが、徐々に追い詰められていく。
「弱音なんか吐けないだろ……!」
アイーダは自分を守ってくれているのだ。それが嬉しい。彼女には迷惑ばかりかけて振り回してきたのに、彼女は。
──いつだって、彼女が隣にいてくれたから。
鉛のように動かない身体を奮い立たせて、ディールは立ち上がる。
「いっけえええええ!」
走り出した身体が、戦士にぶつかった。
─────。
──……。
──……。
「……ル」
優しげな声がする。ああ、いつも聞いていた声だ。
そう言えば、今日は彼女との約束だ。だが、きっと待たせているから怒ってやって来たのだろう。
ああ、何て言い訳しよう。その前にまず何て──……。
「ディール……!」
彼女の声にディールは、薄らと目を開ける。
身体が痛い。苦しい。だが、意識はまだあった。
「……アイーダ……大丈夫……?」
「私は平気……でも、ディールが……!」
悲しい声が木霊する。だが、アイーダは涙声でディールに今の状況を伝える。
「……でもね、あの戦士が崩れたら……みんな消えたのよ……」
轟く悲鳴も、呻き声も聞こえない。ただ、無の空間だけが広がっていた。
「アイーダ……」
ディールが弱々しく手を差し伸べて、彼女の目元の涙を拭う。身体は相変わらず痛みを覚えていたが何ともなかった。
そんなことよりも彼女の悲しい顔は見たくない。どうにかしなければと、そればかりを考えていた。
「ディール、アイーダ!」
パタパタと足音を立ててやってきたルイズの声が響く。
「姉さん!」
「影がいなくなったから来てみたら……ふたりとも、酷い傷じゃないか」
ルイズはディールに寄り添い、無けなしの魔力で彼の身体の傷を癒していた。だが、無けなしの傷では限界があった。
「……姉さん、リデルは……?」
そうだ、ルイズの隣にはリデルがいたはずだ。そのリデルがいない。彼は、どこに行ったのか。
「……リデルなら、消えたよ。ユリウスもいない」
その言葉にふたりは絶句する。彼らはどこへ行ったのか。
だが、ルイズは答えなかった。それに今聞いても疲労で受け止められないだろう。
ふたりは問うのをやめ、身体を癒すことに専念した。
****
リデルは、ユリウスとふたり、無の空間を歩いていた。何も無い、黒一色の空間。
「ユリウス……」
彼女が心配だった。彼女は今、災厄を引き起こした相手と向き合おうとしている。
「リデルは優しいのね。私を心配してくれて……いいや、ふたりを心配してくれるなんて」
ユリウスは笑顔で返答していた。しかし、その笑顔は苦悩で薄暗く彩られている。無理をしていると察したリデルはユリウスに再度問いかける。
「やはり辛いのではないか──ヴァンに会うのは。お前も散々見てきただろうが、今いるヴァンはお前の知っている人間じゃないぞ」
「……分かっているわ」
彼の試すような問にもユリウスは淡々と答えたのみ。分かっている。もうあの優しくて、人の暖かさを怖がるヴァンはいないという事実くらい。それでも歩みを止めなかった。これが彼女の答えだとリデルは渋々受け取り、彼女の後ろをついていく。
ヴァン──アーサー・トールス。
お互いのことを知るまではまるで血のつながった兄弟のように接してきた。ユリウスが現れてから、その関係は氷のように冷えてきたが。
そもそもヴァンはユリウスを勘違いしているのだ。確かに彼女は無邪気で誰にでも優しいが、自分と接する時でさえヴァンのことを聞いてきた。
ヴァンを心配しているのに、ヴァンはそれを冷たく払うだけだった。
全てを奪っていったヴァンをリデルは許せない。だが、ユリウスとヴァンが行き違いになるのは悲しい。複雑に入り乱れる感情のためにリデルはついて行った。
「やあ、ユリウス、リデル」
降ってきた声にふたりは顔を上げる。ヴァンはふたりの正面に立ち、憎悪の限りを込めてふたりを睨む。
「ヴァン!」
「なんだい、ユリウス。見せつけるなんて悪趣味だね」
「……違うわ」
「何が違うの? 俺を心配しておきながら、その気にさせておいてから、一方でリデルといい関係になるなんて悪趣味以外の何物でもないね」
ヴァンの刺々しい声にリデルが反論しようとするが、ユリウスは真っ直ぐとヴァンを見つめる。
「あなたこそ、酷い人。私があなたをどう思っているか、聞きもしないくせに決めつけるなんて」
彼女の放った刃は氷よりも冷たく、透き通る。
「あたし、あなたが好きよ」
次に放った刃はどんなものよりも鋭利で、どんなものよりも熱を帯び、輝きを放つ。
「あなたが私を思ってくれるなんて知らなかった。あなた、いつも私を跳ね除けて拒絶するから嫌われているのかと思っていた……あんなことになるなら、最初から言えば良かった。もっと力があれば、あなたが振り向いてくれる。そう思ったのよ」
「う、うそだ……」
「まだ言うの?」
取り繕うヴァンに、ユリウスは躊躇いなく近付く。
「信じてくれないの?」
「……君は! だって、君は」
「リデルは、あなたのそばにいたから相談に乗って貰ったの。何度歩み寄ってもあなたは拒絶するから。リデルを介せば受け入れてくれると思った。それなのにあなたはいつだって勝手に決めつけて」
リデルの制止を振り切り、彼女がヴァンに向かって手を伸ばした瞬間、彼を包むように光が映える。
「今更伝えたところで遅いよ……この世界は消える! 俺はティアナと決めた。全てを無に返す、と! もう遅い。どれだけ嘆いても暖かい言葉をかけても、もう覆らない!」
ヴァンの悲鳴を象徴するかのようにユリウスとリデルの身体も光に包まれていた。
「遅すぎた……全て、遅すぎたんだ」
彼の呟きが呪いのように響き、三人は光に包まれる。視界が眩く、真っ白でもう何も見えなかった。
****
空間が揺れ動く。光が眩しくて、レイザは目を細めた。
誰もいない。ただ一人、自分と創造主だけを除いては。
「ふふふ、これで……これでいいのよ」
ディールを痛めつけた可憐な声が歓喜に震えていた。もうすぐこの世界も何もかも跡形もなく消え去るのだろう。
「お前は、満足なのか」
歓喜に震えるティアナにレイザは呼び掛ける。その場にいた誰もが圧倒していた力はもう感じられない。
「力も命も使い果たして、満足なのか」
破滅のために命を懸け、破滅とともに自身も滅ぶ。レイザには理解できない心情を彼女は抱いている。
「そうよ、レイザ。私は満足よ。私の憎いものが全て消え去るのよ。喜ばないはずがないわ」
「……たった、一度の、人生を切り捨ててまで願うものなのか?」
レイザの問いかけに彼女は鋭利な視線を浴びせる。
「あなたに何がわかるの!? あなたは、助けてくれたの? 私を。私はひとりだったのよ! あなたが、あなたが私と向き合ってくれたら、私はひとりじゃなかった! あなたは『生まれ変わる前に私を捨てた』じゃない! 違うというの?」
過去と、今が繋がる。彼女の面影と、昔寄り添った『あの人』の面影が重なる。
あの人は、自分を愛してくれていたのに。
「レイザ、悔やむといいわ。何も、何一つ救えないことを! あなたの欲しいものは何一つ得られないことを!」
彼女の叫びとともに空間が崩れ落ちる。
──いつだって、守られてばかりだった。
揺れ動く過去から逃れ、絡みつく因縁から避け、自分の願望ばかりを口にする。その応報が、今やってきたのだ。
ティアナ──あの人の──イリアの娘。
何もかも受け入れ、強く前を向いていた彼女。
「ティアナ……!」
レイザは駆け出した。粒子となるティアナの元へ。
「……俺は、俺は──」
彼が手を伸ばした瞬間、何もかもが粒子となって崩れ落ちた。




