Charge16:夢の合間
「ああ、みんな揃ったかい」
アイーダとディールの部屋に来たルイズが周りを見回して全員が揃ったことを確認する。
「ルイズ、そう言えば、気になったんだけど、空に浮いてるのは、塔なの?」
窓から見えた異様な……孤島にも見える謎の物体。空に突き刺すように浮いている建物が気になった。
「ディールも見ていたんだね、そうだ。そして、あそこにヴァンがいると思う」
「あそこに……」
「行き方は……見て、このクリスタルを触れば行けるんじゃないかと思う」
白い鳥が道標として置いてくれた緋色のクリスタル。これに触れたらあの孤島の入口まで飛べるだろうと予想できる。
「だけど、聞いておくれ。もう、後戻りはできないよ?」
ルイズの問に誰もが沈黙する。そう、後戻りはできない。
ヴァンのことだ、何かを仕掛けているに違いないと予想できるが、何が待ち受けているかは誰にも分からない。
「……とりあえずさ、時間をくれ」
猶予をくれと提案したのはレイザだった。
「みんな、ヴァンとの戦いで消耗している。万全の体制で行かないとヴァンには勝てない。そのためにも、待ってくれないか」
よく見ると皆が傷だらけだった。それもそのはず。ヴァンの攻撃に皆が真剣に立ち向かったからだ。このまま行ってもヴァン達の元へたどり着くかは分からない。レイザはそれを危惧して提案したのだ。
「そうだね。あんたの言う通りだ……皆、覚悟を決めたら集まっておくれ。これが、最後の戦いさ……最後まで頑張ろう」
「うん!」
ルイズの問いに全員が頷いた。それで今回は解散することにした。それぞれが思い思いの場所に行く。
「よく見たら雪、止んでるのね……寒くないわ……」
「あ、そういえば」
アイーダとディールがロックレンブレムの変化に気付く。最初、ここは険しい寒さと雪に覆われた山だった。凍りつくような空気に震えながら進んだのも、もう随分前の話だ。
「それっ!」
「うわっ、何するんだよ!」
気づけばアイーダに雪玉を投げつけられ、ディールは驚いた。一方のアイーダは悪びれる様子もなくいたずらっぽく笑っているのだ。
「アイーダ、覚悟しろよ」
ディールは闘志を剥き出しにして、にやりと笑ってみせた。
****
無邪気な笑い声が聞こえる。
そう思いながら、レイザは窓の向こうを眺めていた。
雪山から見える世界は本当に綺麗だ。雪に閉ざされた時でさえ綺麗だと思ったのに、太陽の光が照らされた銀世界はきらきら煌めいていて。肌寒さはあったが、突き刺さるような冷たさはない。涼しいくらいだ。
「レイザ、ここにいたのか」
ぶっきらぼうな声で話しかけてくる人間などたったひとりしかいないと、レイザは視線を扉の方へ向ける。
「ゼーウェル……なんだ、起きていたの」
「本当は眠っていたかったがな」
そう言いながらゼーウェルはベッドの上に腰を下ろす。レイザも窓辺から離れて彼の隣に座ることにした。
「ねえ」
「なんだ」
お互い、質問したい事は山のようにある。だが、相手の顔を見たらうまく言葉にできない。どうしたら、言えるのだろう。やがて言葉を切り出したのはレイザの方だった。
「ゼーウェル……俺がフレアのとこへ行った時さ、どう思った?」
もし、彼に疑われていたらどうすれば良いのだろう。答えを聞くのが怖いのに聞いてしまうなんて、とは思ったが気になっているのは事実で。
答えを、少し待つ。すると、彼はあっさり答え返した。
「フレアのところへ行くのは仕方ないと思っていた。お前はフレアを見捨てられない。わかっていたよ……。それに」
お前は止まらないだろう?
ゼーウェルは目で続きの言葉を訴えた。レイザは何とも言えず微妙な笑いを上げるしかなかった。
「あなたには敵わないな。でも」
あなたが制止するなら迷ったかもしれない。それは言わないでおくことにした。
最後まで言ってくれなかったお返しだ。レイザは穏やかに笑ってベッドに寝転んだ。
「続きが気になるぞ」
ゼーウェルが拗ねたように言うので、おかしくてたまらなかった。
「お互い様じゃないか」
少しからかってやるとゼーウェルは困ったように微笑んだ。いざ、二人きりになったら何を話せばいいのかわからない。何を切り出せばいいのか。こうやって顔色ばかりを窺うようになったのは傷の絶えない中にいるからだと結論づけた。本当のところは全く違うものだと知りながら。
「ゼーウェル……」
縋るような声がしてゼーウェルはレイザの方を向いた。
「俺は正しかった? あれで良かった? 俺の言葉は、フレアを……」
救えたのか。
フレアは自分たちと暮らすことを望んでいた。だが、自分は闘いの中で生きることを選択した。最後の戦いが終わるまで戦い抜くと決めた。それは、果たして正しいことなのか。
「フレアはお前のことをよくわかっている。だから、お前の言った言葉で頷いた。それ以上何を望む」
レイザは止まらない。それに、一度決めた事はなかなか変えられないのだ。変えられるならもっと器用に生きられたかもしれないが、彼は変わらない。いつまでも眩しい存在だ。
「あなたがそう言うなら良かった。俺の独りよがりじゃいやじゃない?」
「そうやって引きずり込むの、お前の悪い癖だ」
ゼーウェルは一言だけレイザに小言を発して、目を閉じた。
確か、以前にもこのようなことがあったと、ふと思った。その時の感情も思い出せる。ああ、あの時はかなしかったのだな、と。今もちくりと胸のどこかが痛む。何もないはずなのにどうしてこんなにもかなしいのかな、と。
「今、俺、泣きたい気分だ」
レイザの言葉がすとんと落ちた。ああ、そうだ。自分も同じだ。自分も泣きたいのだろう。ただ、理由もなく、泣きたいのだろう。
「なあ、俺、あなたと戦うの、いやだった。あなたが傷つくの、見ていられなかった」
彼女に聞いてもらうには、ああするしかなかったことを知り、剣を向けたが。
「あなたは躊躇いなく戦えるんだろうな」
逆の立場だったら、きっと彼は立ち向かう。その強さが羨ましい。少しだけ、妬ましい。すると、彼は一瞬だけ息を吸って、吐くように答えた。
「……迷ったら、負ける。迷ったら、勝てない。迷ったら何も成せない。だから迷わない振りをするだけだ。お前と戦うのを迷ったら、お前は止められない。お前を取り戻すには、勝つしかないと思った。それだけだ」
そう言ったゼーウェルの顔は何となく安心感に満ちていた。言いたいことを漸く言い切ったという顔をしていたに違いない。レイザはまたしても笑うしかなかった。
「あなたには、敵わない」
きっと、一生勝てないのだろう。少しだけ悔しいが、それでいいような気がした。だから、ずっとそばにいるのだろう。いつか、肩を並べる日を夢見て、レイザは目を閉じた。
「なあ、おやすみ、ゼーウェル」
「ああ、おやすみ、レイザ」
いつか、ふたりで空に一番近い場所に行きたいと思った。ふたりで、世界を変えようと思った。それが、今。
今、自分たちは空に近い場所にいる。ふたり、肩を並べて。
そんな子どものような夢を見ながらふたりは寝落ちた。異変が起きるまで、幸せな夢を見たかった。
****
部屋の中のベッドに寝転んで天井を見上げる。
いったん解散したのを思い出し、山を歩くか雪で遊ぶかを考えた結果、部屋でぼんやりすることを選んだ。それがベストアンサーなのかは分からないが、性には合っている。ルイズはそう結論づけた。
「色んなことがあったねえ……」
雪山だってそうだ。自分たちは敵に捕らえられ、助けを待つ羽目になった。空を飛んだ、戦った、あと一歩のところで追いつかなかった。色んなことがありすぎた。ルイズは思い返していた。
そんなことも終わる。終わったら、この世界は、自分たちは、考え出したらきりがない。終わりを目指して戦っていたのに、目前に来たら終わるのが惜しくなる。
それだけ、この旅に思いを込めていたのだろう。
「……ルイズ」
物思いに耽っていたところへ、声を掛けたのは。
「リデルかい、あんた、ルディアスと話していたんじゃなかったのかい?」
「あなたとも話がしたくて。いけなかったですか?」
リデルが拗ねたように言うのでルイズは首を振る。
「いいや、来てくれて嬉しいよ。あたしもさ、何か知らないけどリデルと話がしたいんだよ」
これが、精一杯だった。どうやらこれ以上の言葉は言えなさそうだった。
「もうすぐ、終わりですね」
「ああ、そうだよ」
淋しそうにリデルが呟き、ルイズも重苦しく答える。
「なあ、あんた、終わりが来たらどうなるんだい?」
そう、ずっと目の前から逸らしていた現実。これがあるから、終わりが怖かった。だが、聞かなければならなかった。いつか、終わりは来る。来たる終わりは美しく迎えたい。だから、聞いておきたかった。
だが、リデルは敢えて明確には答えなかった。
「……フィリカは架空の世界に戻る。それだけですよ」
「あんた、意地悪だね」
今にも泣きそうな顔でルイズはリデルを見つめている。こんな顔をさせたくはなかった。しかし、同時に自分のために泣いてくれようとしているルイズに惹かれる思いもあった。
「今更、気付きました?」
「絶対泣いてやらないから」
彼女は直ぐ強がる。だから、尚更こんな歪んだ思いを抱くのだろう。
「あなたはどんな顔をしていても、可愛いですよ」
「……あんた、本当に」
そう言ってルイズはリデルの元へ駆けていく。気付けば、彼が受け止めていた。腕の中にいる彼女は相変わらずムッとしたままだ。だが、どうなるか言うつもりはなかった。言わない方がいいとも思った。別れを言う必要はないとも思った。
「ずっといますよ、あなたのそばに。ひとりにしたら身体を壊すから」
気の利いた言葉は吐けないが、せめてこれだけは。リデルは笑ったままルイズを抱きしめた。
「本当に意地悪だね」
上擦った声で睨む彼女を見て、リデルはますます笑みを深めた。今、最高に幸せだ。そう感じた。ずっとこのまま続けば良いと思った。いや、ずっと続くだろうとさえ信じた。
やがて、ルイズを解放しリデルはいつもの調子で言った。
「では、また明日」
「あんたも休みなよ」
いつもの調子で返してくれる彼女に感謝の念を抱き、リデルは部屋から立ち去った。
「……あんた、本当に……」
ひとりになったルイズは顔を覆って静かに涙を流すのだった。
****
「……リデル」
ルイズの部屋から出たリデルを呼んだのはユリウスだった。正確にはもうひとり。
「ジャン……」
レディンの一件から姿を消していたジャンだ。彼はレディンを止められなかった。だから、何も言わずに姿を消した、筈だった。
「リデル、話しておきたいことがあって、再び来た。もう、我々には時間が無い。お前も、誰がこんなことをしているか分かっているだろうから」
よく見るとジャンの姿は消え掛かっている。
ふわり。
淡い光がリデルを包む。いや、逆だ。自分自身が光になっている。ジャンの言うとおり、最早時間は残されていない。
「……ティアナが、起こしたのか」
「ああ、彼女自身が起こした。彼女が、長い年月、大地に縛られて、怨念となり、ヴァンを操った」
炎に焼かれて滅びた国、ライハード。
「エルヴィスが、ライハードに遠征していたのは本当だったのか」
生前、彼は長い間姿を消していたことがあった。何度も、何度も。あの時に侵略を行っていたのだろう。
「彼女は死んだ。だが、彼女の思いは生き続けた。だから、彼女は力を得、エルヴィスを殺害させた」
全て、彼女のシナリオ通り。彼女の無念をフィリカが司る神が拾ったのだろう。偶然得た力を存分に使ってエルヴィスを滅ぼした。だが、それだけでは彼女は満足しなかった。
彼女の憎しみは、アルディに住まう人々全てに向けられた。そして、アルディを仕切る人々に目を付け、彼らをフィリカへと誘った。
ジャンはそこまで話すと、項垂れ、やがて力ない声で話した。
「私は、ティアナ……いえ、ティアナ様の理想を叶えようと思っていた。それがすべて。それが自分に出来る全てと思っていた。多くの人々が犠牲になってもわたしは素知らぬ振りをして、ティアナ様の理想を……だから、レディンを助けられなかった。彼女の怨念を受け入れ、苦しむレディンを目の前にしながら、何も出来なかった。それでもわたしは」
“ティアナ様を愛しているのです”
罪悪の呟きはリデルとユリウスの心を射抜いた。残虐性を増した彼女をそれでも思うジャン。彼の思いはティアナには届いていないこと。だが、ティアナのやって来た事は許されない。許されないのだ。ジャンが許しを乞うてもティアナの成した事は許されるものではない。許されてしまってはそれまで活路を開いてきた人々の無念を無にすることになるから。
「ジャン、あなたの気持ちは分かったわ。でも、ティアナはあなたのように聡明ではないの。憎しみに燃えているの。容易い言葉では、もう止まらない。あなたも分かるでしょ? 自分の大事な人を手に掛けてもまだ気付いていないのよ。もう、ティアナを倒すしか、彼女を救う手立てはないの」
ハイブライトで見せた、聞こえた彼女の笑い声は壊れた人形のようにけたたましく、甲高い。声を発した時の抑揚のない声。ディールを痛めつける姿勢。全てに容赦がない。彼女はディールが絶望するのを見て笑っていたのだ。
「……だから、私達は行く」
ユリウスはまるで自分に言い聞かせるようにジャンに言葉を放った。
それが彼を傷付ける刃だとしても、退くわけにはいかないのだ。
「……私も行きます」
やがて、ジャンは決意したように顔を上げ、リデルたちに向き直った。
****
「みんな、集まったかい」
陽が沈む銀世界の中心で、皆はルイズを見つめる。
「このクリスタルに触れたら、飛べる、はず。だけど、もう二度と戻れない。これが、最後だよ」
皆は揃って頷いた。そして、まずはルイズがクリスタルに近付く。
「……頼む、私たちを守っておくれ」
誰も何も話さなかった。だが、それで良い。言葉は少しも必要ない気がしたのだ。
やがて眩い光が空に向かって舞い上がる。光は一閃を描いて空へ飛び上がったのだった。




