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戦闘舞踏 第二部 ー悪の咆哮ー  作者: 真北理奈
第一:有るべき姿
3/32

Escape2:氷雪の救世主

 青空が広がり、もくもくと重なる白い雲が美しい昼下がりの話である。

 ぼんやりと春色の色彩が地面に広がる道のベンチで、まだ幼さの残る荒々しい赤髪の癖毛の青年はうろうろと落ち着かない様子でそわそわと身体を揺らしていた。

 何かを待ち焦がれているような、余裕のない表情を見せながら。

 すると、カツカツカツと小走りする音が聞こえ、青年は振り返る。

「おう、来てくれたんだ」

 どこか安堵したように呼び掛ける――目の前の女性へ。

「だって、あんたが呼んだんでしょ?」

 どこか照れくさそうに笑う青年に女性は呆れた様に笑いつつ、直に聞く。

「ねえ、話したいことって何なの?」

 いつもと様子が違うことに彼女もどこか真剣な表情を浮かべている。

 しばらく青年は沈黙したまま微動だにせず、キョロキョロと周りに視線を泳がせていた。

 春先の風景ばかり目に焼きつくが、それでも最後に帰るのは目の前にいる女性のようで、やがて彼は意を決したように口を開いた。

「話したいことがあるんだ。放課後、空いてる?」

 祈るように、青年は女性を見つめていたが、女性は意外にも二つ返事で承諾してくれた。

「いいよ。じゃあ、放課後ね」

 こんな、日常のやり取りが、いつまでも続くと思っていた。

「……いやああ!」

 昼下がりに見た風景は一面の赤に変わり、女性は悲鳴を上げる。

「……逃げろ、逃げるんだ、で、ない、と……あいつ、が……」

「だめ、だめよ! ねえ……ねえってば!」

「……ご、めん……ル、キリ……ス」

 あの会話が生涯の終幕になるとは思いもしなかっただろう。

 そして――今。

 灰色広がる空から降り注ぐ白い雪を見つめながら彼女は呟いた。

「……今でも信じられない」

 下へ視線を向けると雪が積もる銀世界の中で泳ぐ黒い鳥を見つめながら呟いた。

「あの人さえいなければよかったのよ、あの人さえいなければ……こんな世界、知ることもなかったのに」

 様子を窺うようにその場を動かない青の女性。

 彼女の目の前に広がる大地を見つめながら、時折として鋭い――殺気に近いものを放つ。

 だが、その殺気は不意に消えた。

「おーい」

 振り返ると雪と同じように白い巨鳥に乗って羽ばたく赤の青年の声が聞こえ、彼女はホッとしたように振り向いた。

「ルディアス、どうだった?」

「……あの三人か?」

「そうよ、あの方――ヴァンに引き渡したんでしょう?」

「ああ、でもさ」

 ルディアスはふと思ったように、まるで息を吐くように疑問を零した。

「ヴァンを信じて良かったのか?」

「どういうこと?」

 ルキリスは疑問を呈するルディアスに不信感さえ抱くように、先ほどとおなじ類の鋭い視線を向ける。

 もっとも、このぐらいで怯むルディアスではなかったので疑問の声は絶たれることなく続けられた。

「塔に来たディールたちを見て、思っただけだよ……もちろん、あいつのことは今でも許されない。あいつに関わった奴も、すべて」

「そんなの当たり前でしょ。分かっていると思うけどディールは……エルヴィスの息子なのよ。ディールだって罰を受けるべきなのよ、勿論彼の下についていたゼーウェルは当然」

「ああ、分かってるよ。……分かっている、分かっているさ……けど、何かスッキリしない、それだけなんだよ」

「そんな気の迷い、気にするだけ無駄よ。私たちにはやるべきことがあるの、分かるでしょう?」

「ああ……ごめん、ルキリス」

 何度も言い聞かせるように繰り返す彼の言葉をルキリスは納得しない様子で見ていたが、ルディアスが話すことをやめて下を見やる。

 光とは、遥か上空からでも輝くものなのだろうか。

 もし、そうなのだとしたら。

「あいつらは、救世主なのかもしれないな」

 理由もきっと分からないであろう二人が、何ものかの手によって操られるかのように引き寄せられて。

 二人にとっては恐るべき存在であり、間違いなくぶつかる壁。

 ――だがしかし。

「なあ、ルキリス。俺たちもあんな風に」

「……」

 ルディアスの呈した可能性にルキリスは一瞬だけ目を輝かせたが、彼女はすぐに目を背けた。

 そこから先は何も話さなかった。


****


 見渡す限りの白銀と、降り注ぐ小さな結晶。

 目に映る限りの全てが真っ白で、一点の穢れも見つけられない山は美しい。

 しかし、美しさには毒があると言う。きっと、降り注ぐ小さな結晶は鋭利で冷たい刃だろう。

 それが無数に、止めどなく降り注ぐのだから堪ったものではない。

「……寒い……」

 ぽつりと弱音を吐きつつも、レイザは険しい寒さの中でゼーウェルとともに一心不乱に歩いていた。

 ここにディールがいたら間違いなく殴っていただろうが、相手が相手だけに騒ぐことはできなかった。

 いなくなってから気づくなんて、自分はなんて。

(俺が……俺が救われていたんだ……)

 不意にディールの笑顔が浮かぶ――彼にとって休憩地点での一戦は汚点でしかなかった。

 できたことと言えば、今や右も左も分からないゼーウェルを連れ出して歩くことぐらいだった。それ以外成す術もなく、だから。

 取り戻すように力強く、一点のみを心に刻んで歩く。

 ――全てを排除してでも、取り戻す。

「レイザさん……」

 ゼーウェルも凍えながら歩いているが隣にいるレイザのがむしゃらさが気になり恐る恐る声をかける。

 彼の思いつめた表情が気になったのかも知れない。

「……何?」

「い、いえ……もし、私が」

「そんなことはない!」

「……」

 ゼーウェルが悔いているような一言を発する前にレイザが叫んで断ち切った。

 あまりにも大きな声に、怒りも含まれているような気がして怯んでしまう。

「……ご、ごめん……ちょっと、今は、話したくない」

「……レイザさん」

「……本当にごめんな」

 こんな時、どうやって声をかけたらいいのだろう?

(私は……何もできない……ディールさん達が捕まった時も、レイザさんが連れ出してくれた時も……今も)

 どうして彼はそこまで自分を連れ出すことに拘るのだろう。

 ディール達はどうなっているだろう。

 無事なのだろうか。

 ――今、彼らは無事でいる私に対してどんな風に思っているのだろう。

 堂々巡りの思考が繰り返される中、思いつめたように黙っていたレイザが漸く口を開いた。

「あ、あのさ……聞いてくれるか」

「?」

「……俺、昔はね、一人だったんだ。一人で何でもできると思っていたんだ。実際ね、何でも出来たんだよ。だから、自分と同じような奴を見下してきたのかもしれない……」

「……」

「今、とっても寂しいんだよ、それに怖いんだ。この先、どうなるか分からないと思うと……耐え切れない」

「……レイザさん」

「これってさ、驕っていた罰なのかもしれないな。だから、だから……」

 彼の顔は粉雪で霞んでいてよく見えない。

 見えないけれど、どうしてか悲しくなった。

「……あんたまでいなくなったら俺は……」

 助けて、と、言われたような気がした。

「私で、力になれるでしょうか?」

「ああ……傍にいてくれたらそれだけでいいんだ。それでさ」

「はい」

「絶対、ディールたちを助けようぜ」

「レイザさん……勿論です」

 例え、全部を忘れたとしても根本的なものはそのまま隣にある。

 彼が、ここにいてくれる。

 だから、心の中にある漠然とした感情を言わずにはいられなかった。

 この歪で不可解な世界があまりにも恐ろしく思えてならなかった。

 どこまで歩いても人はおろか、生き物にさえ触れるがない。

 見たことのない生き物はいるけれど、生気を感じさせなかったものばかり蔓延る世界。

 これが彼らの望む世界なのか、彼らが欲しかったものなのか。

 どうして、そんな世界に自分たちは引き寄せられてしまったのだろうか。

 ――最初から、行くことが決まっていたのだろうか――もし、最初からフィリカに行くことになっていたのだとしたら……。


 目の前に起こる現象に驚いてきた。けれども、どこかで納得もしてきた。何度も何度も繰り返してきた思考だ。

「……レイザさん、私、ずっと考えていたことがあるんです」

 風の音だけが響く広大な大地の中では人の声も異音として受け取ってしまう。

 静かに同意するだけだったから、いきなり凛と張った声を出されると警戒してしまう。

「な、いきなり肝を冷やすようなこと言うなよ……」

「す、すみません。えっと」

 ゼーウェルに罪はないし感謝もしているがこんな状況では恨み言も弱みも言いたくなる。その位、緊張していたのだ。

 最も、ゼーウェルにはそ分かっているのか謝罪を洩らし、暫く肩を落としていた。

(そうだ、こいつは何でも真面目に捉える悪い癖があったんだった)

 そうなると、緊張感を全面的に出してばかりで相手のことを思いやれない自分はまだまだだろうと気が付く。

 緊張感から発された体温に頭がうまくついていかず、冷えた空気を吸うと多少は落ち着き穏やかになれた。

「そんなに落ち込まなくてもいいだろ。何だよ」

「ええ……実は、私、絶対にやらないといけないことがあって、そのために此処にいるような気がするんです。でも、それはできなかった」

「……えっ」

 できなかった、とは、どういうことだろう。

 レイザが首をかしげているとゼーウェルが先を話す。

「先にいって、やらないといけなかったのにできなかったんです。だから、こうなっているんじゃないかと思って。その、うまく言えませんが」

「ゼーウェル……」

 困惑しながらも心に引っかかるものをぽつぽつと話すゼーウェルをレイザは複雑な思いで見ていた。

「それって、俺が」

「!! いいえ、いいえ、違います! ……レイザさんが来てくれて良かったです。いや、何でか分かりませんがとても安心するんです。どうしてでしょうね?」 

「え……!? えっと、あ、あのなあ……」

「どうかしましたか?」

 そんな風に言われると、とっても困る。

 彼は自分の感情を露にしたことは殆どないから、真っ直ぐと視線を向けられて言われると戸惑ってしまう。

 いきなり顔を真っ赤にしたレイザにゼーウェルは首をかしげ、何事もなかったかのように再び雪山を歩き始めた。

「あ、おいおい待ってくれよ!」

 直ぐに切り替えて行動するゼーウェルにレイザは恥ずかしさを覚えながら慌てて先頭に行く。

 普段の彼なら絶対言わないことを言われ、レイザが戸惑ってしまったのだ。

 こうして、ディール達が囚われてしまったことから暗い出だしになってしまった二人だが、徐々にペースは戻ってきていた。

 彼らなら無事だと、今は信じるしかない。

(大丈夫だよ、大丈夫……あいつらならきっと。それに――俺たちが助けて見せるのだから)

 お互いの気持ちを確認したところで決意も新たに再び歩き始めた。

 そんな彼らを嘲うかのように雪の降る量が多くなり、落下する速度は増すばかりだ。それによって、彼等は更に身を小さくして震えながら歩く。

「……あれは」

「どうした?」

 不意に見上げると、空を翔ぶ黒い何かが見えた。

「……敵だと思います。先程、上空を舞っていた……」

 竜の背に乗って羽ばたく旧友のことだろうか?

「……ルディアス」

 きっと、このあと――すぐに彼と戦うだろう。

 レイザは険しい顔で、重々しく呟いた。


****


 遥か上空。

 レイザ達は絶対にハーディストタワーに来ると踏んでいた。

 勿論、促したのは自分だ。

 それなのに、どうして迷うのだろう。

「ルディアス、大丈夫なの?」

 彼の心情を察してルキリスは彼を気遣ったが、ルディアスは首を横に振った。

「大丈夫……それより、ルキリス」

「……なあに?」

 彼は真っ直ぐとルキリスを見て、彼なりの思いを述べた。

「俺はね、レイザとは戦いたくない。でもさ、またルキリスと一緒にいたいんだよ、だから」

 そこで彼は迷いを消して山を見つめる。

「ルキリス、塔に戻るんだ。ここは危険だ。せめて、此処は俺が……俺一人の手で」

「ルディアス!!」

 彼女に自分の思いを話して彼はそのまま降下していった――ルキリスの悲鳴には聞かない振りをして。

「……覚悟しろ!」

 それは、迷うルディアス自身を叱咤する言葉でもあった。

 彼らを見て、そちら側になりたいと思ったことへの叱咤、これから掴む理想への第一歩。

 騒々しく逞しい羽音を隠すこともなく真っ直ぐと降下し、二人に襲い掛かった。

 風を切る音、そして勢い良く槍を振り上げた。

「ルディアス!」

 直ぐにレイザは気付き、ゼーウェルを庇うようにして後退する。

 今も必死にゼーウェルを守るレイザに、ルディアスは上空に滞在したまま嘲るような笑みを向けた。

「よう、レイザ。相変わらずゼーウェルのことが好きなんだな」

 雪山に響くは、明らかな敵意と憎悪に滲む声。

 鋭く刺さる彼の視線にレイザは思わず顔を背けた。

「何だ、図星か。否定して欲しかったけど、ダメか。そうだよな、レイザにとってゼーウェルは恩人だもな――俺にとっては違うけど」

 ゼーウェルを睨んだまま、ルディアスは尚もレイザに話しかける。

「洗脳でもされたか? それともさ、こいつが何なのか知らないのか? なあ、レイザ、どっちなんだ」

 どうしてそこまで敵意を露にするのだろう。

 レイザには理由が見当たらなかった。

「ルディアス、俺はすぐアルディから抜けたんだ。だから、サッグが何なのか、ダークが何故俺を狙うのか、ゼーウェルをそこまでして憎む理由が、まだよく分からない」

「そんなこと、分かってるよ。でもさ、知ることぐらいできるだろ? ああ、そうか。お前はさ、ゼーウェルのお陰で助かったもんな。でもさ、アルディの動乱に俺たちが前線に駆り出されたことくらいは忘れてないだろ。それを指揮したのがゼーウェルだってことも……」

「……! ち、違う……」

「いや、そうだよ。最も、本当の指揮者はエルヴィス……だっけ。ゼーウェルはその参謀。忘れたとは言わせない。俺たちは魔術師に利用されただけなんだよ。だからお前は魔法を嫌ってる。違う?」

「やめろ、ルディアス!」

「いいや、やめない――何でゼーウェルを庇うんだ。そいつはお前を殺そうとしていたのに、ね?」

「違う!」

「違わないさ」

 先ほどから頭が割れるように痛い。

 レイザは抑え込むようにして屈んだがルディアスは一歩も引かなかった。

 何も知らないで呑気に過ごしていたレイザへの腹いせも、あったのかもしれない。

 ――思い知らせてやりたいんだ。

「じゃあさ、詳しく話してやるよ。そうすれば思い出すかも知れない」

 ルディアスは後ろにいるゼーウェルを射抜くように見つめたまま、悠然と話し始めた。

「アルディには下級、中級、上級という位があってな。当時、俺たちは中級だった。上級は事実上の権力者だったが、とある事故で権限を奪われた。分かるか? 召喚なんてものを発掘し、魔術を無理矢理埋め込まれようとしたその場所で起きた」

「や、やめろ!」

 レイザは夢中で遮ろうとしたが、ルディアスは微笑み、答えを告げた。

「そう、「ウェルダー塔爆破事故」だよ」

「……!」


 ――ウェルダー塔爆破事故。


 レイザにとって、それは忘れたい事故でもあった。

「アルディの象徴である塔がある日突然爆破して多くの人が亡くなった」

 ウェルダー塔とは、それまでアルディの名物でもあり、絵画やそれまで見つけられた文献を自由に見ることが出来たのだが、ある時から立ち入り禁止になったことを思い出す。

 動乱が起こる切欠は、魔術師を生み出そうとした実験により、中級に属していた者達が不適合者であり死亡したこと。

 レイザはルディアスの話を皮切りに思い出していく。

 自分たちを道具のように看做すあの国がどうしても許せなかった。

 人ならざる力に縋る人も、レイザにとっては我慢ならなかった。

 だから――だから……。

「ルディアス……本当は分かってる」

 レイザは屈むのをやめて立ち上がり、ゆっくりとではあるが彼を真っ向から見据える。

 否定したところで何が変わるというのだ。

 ――そんなことよりも、大切なものがあると、我に返った。

「俺が利用されたことも、ゼーウェルがエルヴィスの部下だったことも最初から、知っていたよ……認めたくなかっただけかもしれない」

 先ほどまでの事実を受け入れない醜悪さを恥じ、彼は己の心情を語る。

「でもな、ルディアス。お前にも大切なものがあるように、俺にも譲れないものがあるんだよ」

 ゼーウェルを庇うようにしてルディアスを見つめたまま。

 突然奪われた日常、それを作り出した彼らのしたことは許されるべきではないという前提で、それでも覆すことはできなかった。

 どれほどルディアスがゼーウェルを憎もうとも、自分のこの想いは変えられそうにない。

「もう決めたんだ、ゼーウェルを守るって。俺は、それを覆すことはできないんだよ。決めたことだから」

「……レイザさん」

 それまで、黙って話を聞いていたゼーウェルが、目を見開き、レイザの名前を思わず呼んだ。

「私は……」

 どうしてそれほど思ってくれるのだろう。記憶を失う前のことは知らないが、記憶を持っていたその時でさえ全く知らなかったに違いない。

 申し訳なく思う、と、ゼーウェルがレイザの腕を掴もうとしたら彼は首を振る。

「いいんだよ」

「俺はよくないけどな! ターンウィンドウ!」

「!?」

 二人の会話を切り裂くようにルディアスはレイザに向かって風を起こし、ぶつけた。

「なあ、ゼーウェル。あんたにはどうしても死んでほしいんだ。もう、もうエルヴィスはいない……お前たちが俺たちを巻き込み、皆死んでいったんだよ。まだ夢も希望もあった、そのうちから!」

 荒れ狂う旋風を起こしながらルディアスはどうにもならない怒りをぶつける。

 瞳に微かな涙を流しながら、炎を、嵐を巻き起こす。

 レイザは攻撃することも、彼に話しかけることもできなかった。

 沸き上がる憤怒はゼーウェルに向けられる。

「なあ、ゼーウェル、自分の命を守るためにエルヴィスの元に下ったお前なんか生きていいはずないんだよ。だから償いのためだと思って死んでくれないか」

「……ルディアス、やめろ、やめるんだ! そのままじゃ……」

「はは、生半可な覚悟でこんなことはしないよ。俺はゼーウェルに死んでくれたら外には何も望まない」

 旋風は強まり、強い殺意と勢いを前にして近付くことすら儘ならない。

 もうルディアスは本来の我を忘れ、ずっと風を巻き起こしたままだ。

 ――それは遥か上空まで届いていた。

「だめだ、それではあいつの思うがままだ……どうすれば、どうすればいい」

 上空を舞う得体の知れない物体が起こる旋風を目の当たりにして慌てふためいた。

 だが、一つしか答えはない。

「……止めなければ!」

 哀れな姿を見て、その嘆きを聞いて、姿見えぬ何かが反応した。

 しかし強い意志を秘めた何者かが空を舞っていることにまだ気づかない。

 同時に戦いに駆られる今の彼らを、憂いていることに。


****


 蝋燭の火だけが道標を表す闇の巨塔ハーディストタワーの内部。

 白銀の世界には異質そのものである建物の内部には三人の姿があった。

 暫く沈黙が包み込む空間で突如低い声が憎悪に堕ちた誇り高い男の名前を愉しげに呼ぶ。

「ヴァン、これで、全て決まる。フィリカは現実世界となり、お前たちも現実となる」

 その隣には、ゼーウェルと瓜二つの容姿を持つダークと、物言わぬままその場に立っているのは白衣を常に身に付ける男、セティだ。

「……ヴァン、この者に思うことはあるのか?」

 ヴァンがずっとセティを見つめていることが不思議に映ったのだろう。

 すると、彼はダークの方を見てまくしたてるように語る。

「ダーク、貴方は知っているでしょう。彼が私の協力者であることは。だけど、結果はどうだろう。彼もまたゼーウェルを塔に行かせ、レイザとディールの為に自らを犠牲にして戦った。勝てることなんて最初からなかったのに」

「それだけ、ディールのことを想っていたのかも知れないな」

「そうだ! これは罰だ! 俺のことはそんな風に思ってくれたことさえ無いくせに。俺に付いて来たのも所詮は自分のため。こうなるのは当然だ。裏切り者には罰を。ダーク、そう思わないか」

 カッとしてダークに詰め寄るが彼は何も言わず、微動だにせず立っているセティをぼんやりを視野に移すだけだった。


 ――まるで、人形のようだ。


 率直な感想だった。

 勇敢に立ち向かった戦士はただの人形のようになってしまった。

 憐れみを交えつつも、フィリカに根付く力の魅力には敵わない。

 今、願いが叶えばこの世界は素晴らしい財産になるに違いない。

「ヴァン、彼を罵るな。彼を感謝するのだ」

「……どうしてですか?」

 ヴァンが訝しげにダークに問うと彼は笑って語り返した。

「お前の願いも私の願いも、それから協力してくれた多くの者の願いを叶えてくれる理想郷がもう直ぐ生まれる。フィリカがお伽話だけの存在であるのは今だけ。もう直ぐこの世界は現実となる」

「……ああ、何ということでしょう。私は忘れてしまっていた……もう直ぐ理想が手に入る……そうしたら私の理想もすぐ目の前に」

「そうだ、しかし。我々の理想の妨げとなる存在がまだいる」

「ゼーウェルとレイザ!」

 恍惚と未来を浮かべる表情から一転、獲物を狙う獰猛な獣のように目を見開いて足掻く存在の名前を高らかに放った。

 それに覆い被さるようにダークは餓えた獣のように流暢に、急かすように喋り出す。

「そう、嘗て彼は俺の片割れの存在。あくまでも現在の世界を守り、理を守らんと戦うあの忌々しい存在だよ。彼らはまぎれもなく等身大の救世主だ。だが、それを排除すれば」

「それで、貴方はこの世界の支配者となり、死者は蘇る。そして、フィリカは現実となる」

「そうだ。救世主は倒さなければならない。その救世主をこの塔へ導いたのはこの青年だ」

「ああ……そうですね」

 ヴァンはダークの言葉の先を恍惚とした表情で唱え、石造と化したセティの前まで歩く。

「可愛い後輩だったよ、セティ。ゼーウェルを、フィリカに導くまでは、な」

 それでも、自分を欺いたことは許されない。

 血色のない顔に触れ、首まで下ろすと緩やかに締め上げる。

「ディールの姿を見て、裏切るなんて」

 ヴァンの侮蔑は、届かない。

 同じように、セティが声を出すことももう出来ない。

 ダークはその様子を見つめてヴァンに命令する。

「……ヴァン、暫くは頼んだ。勿論俺も戦うが、ヴァンも戦いたいだろう? ゼーウェルとレイザもこの素晴らしい理想郷の礎になってもらおう。ふふ、心配はいらない――殺しても価値はあるのだから」

「ああ、安心しました……殺すなと言われたらどうしようかと思いました……お任せを、ダーク……」

 ダークの命令がヴァンの耳に響き、彼は澄んだ目をダークに向けた。

 喜びに満ちた瞳が蝋燭の火によって更に強く輝く。

「これで、全て蘇り、願いも叶う。なあ……いいだろ? また一緒にいられる……ユリウス」

 今は亡き、だが、今も変わらず愛した人の名前を呟いた。

「さあ、者共、戦いだ! 殺しても価値はあるらしい。どんな手でも構わない、我らのために戦おう!」

 ヴァンは突然振り返り、力の限り叫んだ。

 直後、蝋燭の火は勢いよく燃え上がり、広間を照らし出していくのだった……。


****


「許さない、許さない!」

 その頃、レイザ達はルディアスが巻き起こした風に怯み、何もできないままでいた。

 それよりも心配なのはルディアスが傷を負っていることだ。

 この烈風は自分も他人も関係なく傷つける。

「ルディアス、もうやめるんだ! そのままじゃお前も……」

 レイザは顔を真っ青にしてルディアスに向かって叫ぶ。

 本人でさえ制御出来ない無数で風の刃は確実に彼の身体に飛び、切り刻んでいく。

 吹き出した炎と止まらぬ嵐。

 ルディアスがこんな風になるのはレイザも望んでいない。

 変わらない状況に嘆いていた、その時だった。

「慈悲深き天馬よ、嵐を静めよ……!」

 突如聞こえた叫びとともに荒れ狂う風は止み、ルディアスが糸の切れた人形のように落下するのが見えた。

 しかし、空を舞う白く輝く天馬がそれを救い、レイザの元へ駆け付ける。

「レイザ殿、ゼーウェル様もご無事で!」

 天馬から降りたのは爽やかな笑顔を浮かべる青年だった。

「だ、ダイア……?」

 その羽は、白馬は、どこかで見たことがある。

「……ハーディストタワーで、ルイズ達が乗っていた……」

 あの時は気力も尽きかけ、空を飛んでいることくらいしか分からなかったのだ。

「これはダイアウィング。光の羽です。降り注ぐ雪も、荒れ狂う風も止める力を持つ。ああ、そうだ。申し遅れました、私はリデル・オージリアス・マクレーン。ルイズさん達の依頼で此方に来ました」

「……ああ、そうだったか」

 レイザはルイズの名前を呼んだリデルを見て苦笑する。

 元はサッグと繋がっていた身である。手ぶらで敵に捕まるわけではなかったようだ。

「何だか彼女らしいな」

「ルイズさんは何も言いませんからね」

 気だるそうに話す彼女は案外慎重に事を運ぶ性格のようである。

 その隣で、ゼーウェルはまるで長年会わなかった友人に再会するような、驚きと喜びと悲しみに満ちた表情と声で呼んでいた。

「……リデル、さん」

「……とにかく、歩きながら話しましょうか。ダイア」

 彼はゼーウェルから目を伏せ、ダイアにルディアスを運んで欲しいと言っているのだろう。

 言葉にしなくてもダイアは理解し、再び遥か彼方へ飛び去っていく。

「天馬は、物語の中の存在だと思っていた。さあ、二人とも、行きましょうか」

「はあ……」

 まだ、敵か味方かも分からない者に、行動を促されている。

 レイザは呆れた声を上げ、それでもリデルについていく。

 そこでチラリとゼーウェルを見ると、彼もリデルには少し呆れていたようだ。

 こうして、まだ何者かも分からないリデルを仲間に加え、三人はロックレンブレムをひたすら登ることになったのである。


****


「さて、先ずは何から話しましょう」

 リデルは困ったように考え込み、白い息とともに一人独白を洩らす。

 すると、レイザはいよいよ苛立ちを露にしてリデルに噛み付いた。

「フィリカって何なんだ、ところで。ルキアから行けた。此処は実在するんだろ?」

 レイザの話からすれば村外れでひっそりと暮らし、ゼーウェルが危機に陥ったからディールとともに助けに向かった。

 すると、リデルは一息置いてから話し出した。

 とても、信じられない事実だが、どこかで納得していたことを。

「此処は――本来、実在し得なかった場所です。選ばれた者しか此処では生きられない、フィリカが楽園と呼ばれた理由です」

「……えっ」

 その話を聞いた途端、何故だか分からないがストンと胸に納まったと同時に心臓を巡る血流が速くなる。

 抉られたくないところを執拗に抉られるような感覚がレイザを動けなくする。

 知りたくない、知られたくない。

 認めたくない、認められない、認めるわけにはいかない。

 だが、リデルはその先を、ゆっくりとした口調で告げた。

「……ゼーウェル、貴方は嘗て、憎悪に囚われ、実の妹を撃った」

「やめろ、リデル」

 レイザは反射的に耳を塞ぎ、リデルを睨む。

 聞きたくない、それは、絶対に。

 逃避を選びたくなるが、許されない。

 だが、リデルは目を伏せながらも、彼に、全てを告げた。

 役目を果たさなければならないのだ。

「レイザ、貴方は、指導者となり、ゼーウェルを処罰した」

「……やめろ! 言うな!」

 ずっと前から何処かで気付いていた。

 ゼーウェルと出会うのは必然だったということに。

 それが使命だと、何処かで気付いていたのに。

 形になっていくのは自分が描いていたものとは違うもので。

「やめろ! やめてくれ、やめろ……っ!」

 耐えきれずレイザの叫びは雪山に響く。

 ハーディストタワーでの一幕が鮮やかに蘇る。

 斬られた傷と落ちる鮮血と……。

『レイザ、私は、お前が好きだ。だから、全て忘れる』

 彼が、倒れる間際に言ったあの言葉の意味を、どうしても気付くわけにはいかなかった。


 ――また、俺は、ゼーウェルを、守れなかった。


「……レイザさん」

 ゼーウェルはこの話を聞いても崩れ落ちることはしなかった。

 その代わり、一つの決意を固める。

「同じことは繰り返しませんよ、リデル」

 どこか切な気にレイザを見つめるリデルに向かってゼーウェルは強い光を瞳に宿し、固く誓う。

 そして、彼は座り込んだままのレイザの元に駆け寄り、彼の背中を支え微笑んだ。

「私は、貴方のそばにいます、レイザ」

「……ゼーウェル」

 レイザはゼーウェルの手を借り、重い腰を上げるようにして立ち上がる。

 此処に彼はいるから、今はそれでいい。

 確かな温かさに安心し、背中を向けて歩き出したリデルの後をついていく。

「ゼーウェル様、あなたがたに立ちふさがるのは、紛れもなく、あなたがたを愛した人達です」

 レイザの傍にいる誓ったゼーウェルに警告したかった言葉は聞かれることなく、穏やかだった粉雪が再び勢いを増した現象によって呑まれ、届かなかった。

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