Charge13:光散る道の畔で
「レイザ、どうして来てくれたの?」
巨大な黒き水晶を見つめながら女──フレアは彼に問う。彼女はまだレイザを疑っていた。問われたレイザは思考を巡らせ、やがて答える。
「……俺の罪だから。フレアを守れなかったのが、俺の罪だからだよ」
「そう、私のことを思ってくれて嬉しいわ。でも、そうなるとゼーウェルと戦うことになるのよ? それでもいいのかしら? ねえ、レイザ」
「……そう、か……」
彼女に会わなければ、きっと迷わず自分は彼の傍にいるだろう。彼の傍にいることが幸せだから。自ら幸せを手離すことはしない。何があっても守るつもりだった。
「フレア、そこまで考えていなかった。つくづく自分が嫌になるよ」
「……そう。でも、私はレイザが来てくれて嬉しいわ」
彼が来てくれた事実を喜び、さっと背を向けて歩いていく。だが、何かが違う。
先程自分に見せた彼女の笑みを思い返すと胸が締め付けられそうになるのだ。何故かは知らない。しかし、胸が痛い。それを何とかして堪えるようにレイザはグッと手を握りしめて、フレアについていく。
道中は無言だった。だが不意に聞きたいことが出来た。迷わず行動を起こすのはレイザの長所であり、欠点なのかもしれないと自身も考え始めた。
「なあ、フレア」
「どうしたの、レイザ?」
彼女は直ぐに返答してくれた。
嗚呼、フレアの望みは何だろうか。謎多きこの黒水晶に身を委ねる本当の理由は。それが知りたい。もっと知りたい。すると、彼女は至極あっさりと答えてくれた。
「ごめんね。まだ全てを話してなかったかしら。あれが私の本音だったのだけど。貴方の行動を強制するなんて、それじゃあゼーウェルと一緒よね」
言葉の端々からゼーウェルに対する憎しみを感じ取る。記憶の端切れからゼーウェルがフレアに何らかの凶行を仕掛けたのは思い出した。しかし、肝心なところは曇りガラスのようにぼやけて回想できない。
「……ゼーウェルは、フレアを……?」
しかし、レイザの問に対してフレアはあっさりと答えてくれた。
「いいえ、違うわ。ゼーウェルは……貴方の大切な人を殺したの。正確には、私と貴方にとって大切な人。それが」
「……」
薄らいでいた表情が徐々に現れてきた。可愛らしく笑う無垢な女の子。姉であり、傍らにいてくれた女の子。
「イリアよ。貴方の実の姉。ゼーウェルは、血の繋がりのあった妹──即ち貴方の姉を殺したの。そして、私はゼーウェルを殺そうとした」
「……ゼーウェル、を?」
「私の大切なものを奪ったもの。だけど……貴方がゼーウェルを庇ったの。私は、レイザなら分かってくれると信じていたのよ。イリアを奪われた悲しみを、レイザなら理解してくれると。でも──違ったのね。貴方はゼーウェルを選んだの」
嗚呼、彼女と女の子を思いながら自分はゼーウェルを選んだのだ。何故か。その理由はとうの昔に気付いている。
「ごめん……」
自分は彼女たちを選ばなかった。ゼーウェルを選んだのだ。真実から目を背けて、彼を。
尤も、フレアは彼のとった行動を完全に咎めていなかった。
「ううん、大丈夫よ。だって、兄だもんね。ずっと傍にいた兄だもんね。仕方ないわ。だけど……今度こそ」
ただ、見返りを望んでいた。
レイザをまっすぐ見つめるフレアの目が驚くほど澄んでいた。透明でキラキラしている。まるで、刃のように光る瞳に逆らえない。この瞳は恐ろしい。この瞳は。
「今度こそ、応えてくれるよね? レイザ……」
とても苦手だ。悲しみをしたためてこちらを見つめる瞳が。彼女にこんな顔をさせたくなかった。しかし、今の自分では彼女に出来ることは何もないのだろう。言わなければ。見返りを望む声に返さなければ。
「その為に此処に来たんだ、フレア。フレアのためなら」
息が苦しい。喉がつまる。それでも、言わなければフレアは信じてくれないだろう。
「何でもする。例え、ゼーウェルと戦うことになろうとも」
苦しい選択だった。彼と一度は剣を交えなければならないことになるとは。これが運命なら、どうして避けられないのか。
レイザの答えに彼女は何も答えず笑っていただけだった。
その笑みは嬉しさなのか、それともまた別の感情からくるものなのか。自分ではうまく読み取れなかった。
「頼りになるわ。ありがとう、レイザ……」
どこか悲しそうに笑って、フレアは黒水晶の前に立つ。彼らは此処に来る。必ず、来る。レイザもフレアに倣って、彼女の直ぐ横についた。
彼らはフレアを止めようとする。フレアの傍にいることを選んだ以上、これは、仕方のないことなのだ。
「やっぱり、貴方のようにはなれないな……」
ゼーウェルの持つ頑固さを、この時ばかりは羨ましく思った。
****
もう、彼はいない。もう、彼はどこにもいない。彼は消えた。消えてなくなった。これは事実なのだ。
胸が苦しい。泣きたいのに、叫びたいのに、うまく水が出ない。溺れそうになる感覚を何とかして抑え込む。
「……ゼーウェルさん」
しゃがんで、床を見つめたまま、ディールはゼーウェルに問う。
「次は、レイザのところに行くんでしょ……?」
「……そうだ」
今の彼に余計な言葉はいらない。だから、ゼーウェルは敢えて淡々と答えた。どうしようもなかった。彼が憎しみに溺れたのは事実なのだ。例え、生かすことは出来ても、彼は憎しみを断てない。だから、これは仕方無いのだ。
ディールも彼なりの配慮に気付いたのか、頷いて返す。
「黒水晶に取り込まれたら、消えてしまうから……俺、俺はね」
ディールはゆっくりと立ち上がる。目を擦りながら。前を向いたまま。
「フレアは間に合う。俺の予想だけど。そして、フレアはヴァンの居場所を知ってる。だから、止めなきゃいけない」
何故かすんなりと名前が出てきた。レイザを迷わせた存在の名前が。
その間、ずっと無言のままディールを見守っていたルディアスが先を促す。
「行くぞ、ディール君……」
「……ありがとね、ルディアス……ゼーウェルさんも」
まだ涙に濡れている声で、前を見ようとしている。そんな彼に何も言ってはいけないと思う。必要なのは前に進むことだけだろう。
「……ルディアス」
姿の見えない存在を未だに思い続ける自分は何と浅ましいのだろう。だけど、信じたかった。もっと分かり合いたかった。それが出来た筈なのに、どうして。
「セティ……俺はどうしたらよかったんだろ……どうしたら、セティを……」
「ディールくん、もう考えちゃいけない。考えちゃダメだ。君は精一杯やったよ。君は頑張った。それでいいじゃないか」
自身を責め続けるディールをルディアスが制止する。
セティ──レディンを罵りたい気持ちはまだあった。あの手は最愛の人を殺めたのだ。剣を向ける衝動もあった。だが、それではレディンと同じだ。ヴァンを知る彼こそが決断できること。そう、ヴァンの思うシナリオ通りに動きたくないのだ。
「さあ、行くぞ。急がないとフレアもレイザも同じような展開になる。ねえ、そうでしょう、ゼーウェル様」
「……ああ」
「行きましょう」
リデルだけがここでは冷静だった。彼に促され、歩き出す。
「ねえ、ゼーウェル」
「……ユリウス」
ユリウスが神妙な顔つきで彼を呼び止める。言わんとすることを察して、ゼーウェルは頷いた。
彼女はレイザと対峙することを心配しているのだろう。だが、迷いはなかった。
長い間、認めなかったこの感情。自分が望むことはたったひとつだけなのだから。
ユリウスもそれを察したのだろう。何も言わずに微笑む。
「ううん、何でもないわ。ごめんね、引き止めて」
想いを伝えるのは彼に、レイザに会った時で良い。今ここで言う必要はなかった。
こうして彼らは歩き出す。危険な可能性を止めるために。
****
通路を歩きながら、周囲を見回す。暗闇の中にありながら、道中見かける蝶のように舞う灯を頼りにひたすら歩く。
「ここは落ち着くな……同じ空間にいるとは思えない」
「私、思うんだけど、ここは外の空間を模倣してるんじゃないかしら。ほら、噴水擬もあるわけだし」
ユリウスが指さした先には、サラサラと水が流れる音と水が舞い上がる映像が一緒に映される。
「ハイブライトの……庭園、か」
ゼーウェルの呟きにリデルが振り返る。
「……ゼーウェル様……」
「リデル?」
彼の声に僅かな怯えを受け取ったゼーウェルだが、何故か理由を聞くのは躊躇われた。
「何でもありませんよ、ゼーウェル様。お気を遣わせて申し訳ない」
リデルも直ぐに元の調子に戻ったので結局何も聞かずに終わってしまった。どうして触れたくなかったのか。
その疑問は、ひらひらと舞う蝶の灯りにかき消される。気のせいかも知れないが、この蝶は常に行き先を示しているような気がする。
「ゼーウェル、この蝶は不思議ね。ずっと赤いのよ」
「赤……」
赤は、彼だ。彼が自分たちを正しい道に案内してくれている。
「ゼーウェル、聞きたいことがあるの」
「何だ、ユリウス」
ユリウスはハキハキとゼーウェルに物を言う。奇妙なまでに無邪気に。彼女の声を聞いてレディンが彼女に対して抱いた感情を理解してしまった。彼女の無邪気さ故に傲慢に振る舞う態度。
レディンはユリウスから何らかの追求を受けたのだろう。常に探求心の旺盛な彼女のことだ。レディンの心を抉るような言葉を発したのかもしれないし、彼女の言葉が彼の琴線に触れるような結果を出したのかもしれない。
「レイザと戦うの?」
やはり、彼女は罪深い。
「さあな、それはレイザ次第だ。レイザに任せたいと思う」
たまには答えを与えないことも大切だ。レイザのことは、レイザと自分のことは、自ら明かしたりはしない。
彼女に容易く明かしてたまるものか。明かしたら、言葉が軽く感じてしまう。レイザに──彼に、一番最初に、聞かせたいのだ。
「ゼーウェルは強敵ね、私もまだまだだわ」
ユリウスが肩を落としながら一歩先を行く。これ以上の追求は無駄だと判断したのだろう。
賢明な判断だとゼーウェルは頷いた。その後は何も語らず先を歩く。少し後ろでは、ルイズとリデルが並びながら歩いていた。
二人は付かず離れずの微妙な距離を保っている。肩が触れそうな距離なのに、会話はない。正確にはお互い機会を伺っているような空気感がある。
そんな微妙な距離感を最初に破ったのは、ルイズの方だった。
「……ねえ、リデル」
「……何ですか」
「……いや、何でもない」
「そう、ですか……」
もっと近づきたいのに、近づいてはいけない。離れたくないのに離れたい。それは、相反する感情だ。もしかしたら、二人は。
渦巻く空気に疲労を滲ませ始めた周囲を気遣い、最初に声を上げたのはルディアスだった。
「なあ、この先長いんだろ? とりあえず、一旦ここで休まないか?」
「ルディアス、流石だね! 賛成。アイーダもなんか顔色が悪いしさ」
陽気な声で喜ぶディールを見たアイーダの眉間に皺が寄る。
「……全く、誰のせいだと思っているのかしらね」
「え、んー、俺のせいかな!」
「……バカじゃないの」
ニッコリと笑って胸を張るディールに強く言い返せない。アイーダは頭を悩ませながら腰を下ろす。
少し先ではゼーウェルとユリウスがせっせと結界を張っている。リデルとルイズは光を作り出して道標を示す作業をしている。言葉を発したのはいいが行動を起こすのは一歩遅かったようだ。
「やれやれ、前途多難だな……」
二人のやり取りの全てを耳に入れてしまっていたルディアスが、重たいため息をつきながら腰を下ろした。
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この群青は薄暗い空を、無数の光の束は満天の星を模しているのだろう。創造主は案外、空を愛しているのだろうか。パッと見れば本物と寸分も変わらない。
こんなにも綺麗な筈なのに、心が動かないのはこの風景が造りものだと本能で分かるからだろうか。もし、そうなら、今この空を生み出した者は何故造りものを何個も放っているのだろうか。
この回想自体が無意味であることが分かっているのに、どうして繰り返すのだろうか。
「……リデル」
力ない声が耳を揺さぶる。
「ああ、ルイズ殿……」
音がした方向を振り向けば太陽のように明るく大らかな彼女が、珍しくオロオロした様子でリデルを呼んだらしい。
彼女を見ると、何故だろう。胸が騒ぐ。何故か、悲しくなる。彼女を、自分は、どうしたいのか。
それに、ルイズは、どうなのだろうか。見た限りはいつも通りの気怠げな様子が伺える。だから、おかしいのは自分だけなのだろう。
「あんたも星が好きなのかい」
だから、不意に飛んできた質問には驚いた。即答することができず、リデルはやや考えながら、息を吐いて答えた。
「……ええ、何ででしょうね。きっと」
「きっと?」
明確な理由が見つからない。昔見た懐かしさから衝動を起こすのかもしれない。他愛ない記憶がそうさせるのかもしれない。
「……本能がそうさせているのかもしれない」
今のリデルに答えられることはそれだけだ。彼女は納得いかないような顔をしながらも追求せず、隣に座る。
「あたしはね、夜が嫌いなんだ。夜が来ると怖くなるんだ。今まで隠していたけど、夜になると泣きたくなるんだよ」
「……珍しいですね……是非、見てみたいものです」
「あんた、意外と意地悪だね」
本音を吐露したルイズを見ると、負の衝動に駆り立てられる。いつもはふにゃりと笑って周りを翻弄する彼女の泣き顔をどうしても見たい。きっと、泣いてる彼女は今以上に美しいだろう。
「でもさ、あんたの隣にいると安心する。泣いてもいいかなって思うんだ」
そう言ってルイズはリデルの肩にもたれる。首筋にサラサラと髪の毛がたれ落ちた。
ああ、今なら、今なら許される。
「泣いてください……ティア」
ティア──リデルが嘗て愛した人。笑顔が可愛らしい人。子供みたいに泣く人。遠い日にリデルを庇っていなくなった人。振る舞いこそ違えど、彼女は何故かティアに似ている。
「リデル……あんたが好き。好きなんだよ……」
有りっ丈の想いを込めて言葉にする。それまでクールに接していた彼女とあまりにも違い過ぎて。それでも何故か今。今、とても。
「……よく分からないけど、私、今最高の気分です」
身体が熱い。それが心地よい。冷静な彼女だから体温も程よいかと思えば意外と高かった。
「あんた、冷たいね」
「貴方が暖かいんですよ」
ああ、この笑顔が見たかった。ずっと傍らで笑って欲しかった。昔、同じ目的を抱いて共に行動していた時から、ずっと。
「リデル、ありがとうね」
ふわりと微笑んだルイズにリデルは幾つか振りの笑みを返して、造りものの星空を見上げた。
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「……リデル、ティア」
二人のやり取りを静かに聞いていた彼──ゼーウェルはどこか懐かしい思いで二人を見ていた。
あの二人は、昔、遥か昔。栄光の時を迎えたハイブライトで共にあった。
互いの顔色を伺いながら、確かに二人寄り添っていた。運命が二人を引き裂いても、二人は一緒だった。
アルディと呼ばれる場所では同じ目的を抱いた同志に過ぎなかった二人。だが、どういう巡り合わせで二人はまた一緒になった。
「……待っててくれ、レイザ」
二人を隔てているのは僅かな思い。彼と自分は、また繋がれる。いや、今も繋がっている。なら、成すべきことは一つだけ。
「今すぐ、今すぐにでも」
彼が自分を連れ出してくれたように、彼が自分を追いかけてくれたように。
今度こそ、今度こそ、自分がレイザを。
「ゼーウェルさん」
振り返れば、皆が真剣な表情で待っている。
「まっすぐ行けば、レイザのところに行ける」
光灯す案内人がひたすら一直線を飛んでいる。
彼は、待っているだろう。
待っていて、必ず迎えに行くから。
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カツ、カツ、カツ。
石造りの床のせいでやたら音が高く響く。
迫り来る戦いに備え、彼は前を向く。
「フレア、下がってて」
「……いいえ」
フレアが突如前に出た。
彼女なら、こうするとレイザは予測していた。制止の言葉を発したところで止められないのは分かっている。
「私も闘うわ。もう、私は非力な頃の私ではないのよ」
その声にはゼーウェルに対する憎しみが込められていた。彼女はどうしてもゼーウェルを許せないのだろう。
「レイザ……私は、ゼーウェルを許せないの。どうしても許せないの」
「……フレア」
いくら何を言っても、彼女は止まらない。止まらないなら、もう他に方法はない。
そうこうするうちに、彼らの姿が見える。
先陣を切るのは、彼だ。
「……ゼーウェル」
「待っていたわ、ゼーウェル」
レイザが呼ぶより先にフレアがゼーウェルの前に立ちはだかる。
「ここまで来たわね、ヴァンならこの先にいるわ」
「……フレア」
ゼーウェルが何かを言いかけたところでフレアが彼を睨みつけ、叫ぶ。
「だけど、貴方達をこの先には行かせない。貴方達には此処で倒れてもらう!」
短剣を取り出し、フレアは切っ先をゼーウェルに向けて叫んだ。




