Charge12:翳す手の先にある答
「レイザを、フレアを何とかするぞ!」
ルディアスの声に一同は頷く。だが、先に進むには問題が山積みだった。このままでは先に行けない。
「……ルディアス……」
ふと、ゼーウェルが弱々しい声でルディアスを引き止めた。思えば彼がルディアスに直接話し掛けたのは初めてである。一方のルディアスはそれに対して様々な感情を脳裏に過らせていた。
彼を許さないという気持ちと、彼と分かり合いたいという思い。ゼーウェルが事の発端を引き起こす一因を担っていた事実がある。それは、もう変えられない。しかし、彼にも──ゼーウェルにも絶対に苦悩や怒りがあったはずなのだ。
だからこそ、彼の中にある感情を知りたい、受け止めたいと思ったのだ。彼の感情を受け止めたら何かが変わると、ルディアスは思ったのだ。この先にある急激な変化を確信するほどに。もし、変えられるなら、彼と話し合いたいと思っていたのだ。
今、ゼーウェルは自分の考えを述べようとしている。なれば、自分は何としてでも聞かなければならない。
「……ディールを待ちたい。レイザのことも急がねばならないが、ディールを待ちたいのだ」
ゼーウェルは重たい響きを滲ませてルディアスに一言添えた。ゼーウェルに何か考えがあってのこの一言だとルディアスは瞬時に理解し、聞き返す。
「それは、ディールくんのためだけではないんだろ?」
「……そうだな」
やはりか、と、ルディアスも納得したように頷いた。他の者もゼーウェルの話を聞こうと思っている。それに安心感を抱いたのか、ゼーウェルはゆっくりと口を開く。
「……ルディアス、私では、レイザもフレアも止められない。しかし、レイザとずっと一緒にいたディールなら二人を止められるのだ……」
ディールとレイザのやり取りをゼーウェルは思い返しながら案を一つ提供する。大方同意する方向ではあったが、気になることが立ちはだかる。
「でも、どうするの? ただ待つだけじゃダメよ。一旦戻ってみたらどうかな。ほら、あの、黒水晶のあるところまで……リデルはどう思う?」
「そうだな、アイーダの意見に賛成だな。それに、レディンの動きも気になる。ディールに何もないといいのだが」
「よっし。じゃあ、決まりだな。ディールくんのいるところまで戻ろう。ゼーウェル……ありがとうな」
「……すまない」
「いいよ、ゼーウェルの案がなかったら……このまま先に進んだかも知れないしな」
ルディアスがぎこちない笑みを浮かべて、ゼーウェルを労った。
どうやら話が纏まった。決まったらあとは実行するのみ。今まで来た道を再び歩いていく。離れてしまった仲間を連れに、ひたすら歩いていく。
いつか、もっとわかり合える日を待ち望んで。
****
暗闇にポウッと明かりが灯る。白い掌から淡い光が空に向かって舞う。光と闇が交互に入れ替わり、景色も移り変わる。
幻想と現実を混ぜたこの場所は、人々の狂気を咀嚼し、嚥下され、とある人の思考としてやがては消化される。
こんな場所に、今まで自分達はいたのかと、驚愕する。しかし、名前が変わろうとも根にあるものは変わらない。変えたいのに、変わらないのだ。
己の無力さを感じながら、少女──ユリウスは唇を引き締めて行く末を見守っていた。
「……ん……こ、ここは……」
絹糸が光に反射してキラキラと輝いている。血色の感じられない肌を見て不安を煽られるが、胸が緩やかに上下するので多分生きているだろう──と、安堵と不安の入り交じった感情で見守っていたので声が聞こえたのはひとつ安堵した。
「目が覚めたのね、ジャン……よかったわ……。私が言うのも何だけど目を覚まさなかったらどうしようかと思っていたのよ?」
「……生け贄の女……か。何故、私を助けた。私を許さないのではなかったのか……?」
キラキラ光る絹糸がさっと動いた。ジャンが飛び起きてユリウスに敵意を向ける。よく考えれば当たり前の反応だった。何故なら自分がジャンを倒したのだから。
「そうね、言ったわよ。でも、そもそも考えてみてほしいな。私が、なぜ貴方を助けたのか」
彼に正攻法は通用しない。何故なら彼は敵だから。完全なる敵で、分かり合える要素がそもそも存在しないのだ。
最も、ジャンも理解していたのか険しい表情は崩さずユリウスに問う。
「……そうくると思っていた。ユリウスよ、何が聞きたい……。ヴァンのことか、それとももっと遠くのところか」
彼女の返しを予想しながら質問を投げつける。ユリウスも不敵に笑って彼の期待に応えようとした。
「やっぱり貴方は全てを知ってるのね? だって、貴方はヴァンに従っているようには見えなかったから。ふふ、私が知りたいのはね、フィリカを何故復活させたか、よ。まさかエルヴィスの名前を出すわけないわよね? そんな単純な話じゃないはずよ? だって、貴方はヴァンのことなんか知らない。そうでしょ?」
「……ふふ。私がお前に情報を与えて、利益はあるか? この私に」
「はっきり言って一つもないわ。私ではどうすることもできない。貴方の願いを叶えられないもの。だからね、こういうことができるのよね」
キッパリと答えて、ユリウスはジャンに何かを投げつける。受け取ったジャンはそれを見て、息を呑んだ。
──全てを予言し、可能性を与える黒水晶。ジャンの手にあるのは小さいながらも形作られた水晶だった。持ち主の未来を映すだけではなく逃げ場を無くしてしまう黒水晶にジャンは反抗の意思を下げた。
「ふっ、なるほど。お前が強気に出る理由が分かった……どうやら、今の私の命はお前の手の中にあるわけか。それは教えないわけにはいかないな? よかろう、それほど知りたいなら簡潔に全てを教えてやるさ」
ジャンは苦笑しながら、時間をなぞるように真実を語る。
「我々の目的は──ライハード国を復活させること。アルディと再び並ぶこと、だ。貴様、ライハードという名は知っているだろう。エルヴィスの下につく者がライハード国を語らないわけがないだろうからな」
ジャンの口から出た“ライハード”という国の名前。それは、ユリウスにとっても忘れられない単語だった。
「そうね、今でこそアルディが執っていたのは魔術中心の研究に変わったけど、元は歴史研究が始まりだったのよ。そう、それは理想郷──ライハードという名前。かの国は、発展し、栄え、人々の幸せとなった。しかし──ライハードは突如炎に焼かれて滅び去った。人々が放つ炎か、それとも天罰か。とにかくある日突然ライハードは滅び去った」
「そうだ、百点満点の回答だな、流石はアルディの中枢にいた人間だ。我々の中でその炎は──怨念と呼ばれている。つまり、ライハードは発展しすぎた。発展する中で犠牲も出る。実際出たのだ。しかし、犠牲に対する救済をライハードは忘れていた。だから滅んだのだ、と。いわば因果応報だな。しかし、考えてもみてくれ。今までライハードを守り立てていた我々がそんな抽象的な理由で納得できると思うか?」
「いいや、できないわ。とにかく、貴方や貴方の背後にいる者の意図はよくわかったわ。それでもね、私はジャンにお願いがあるの。それは、ジャンにしかできないわ。だから、強引な手段を選んででも頼んでる」
「ほう。なんだ、切迫しているのだな。今の私は貴様には逆らえない。言いたいなら言えばよかろう」
「……レディンを止めて。これは、貴方にしかできないことだと思ってる。彼はね、アルディが発展する現実の世界も、架空と夢で作られたフィリカも消し去ろうとしている。彼は全てを憎んでる。あなたは──レディンの親友なんでしょ? 昔々では」
「……レディン……」
レディンの名前が出た瞬間、ジャンは俯いた。
憎しみを募らせた青年──レディンの凶行に何らかの思いを抱いていることはこの反応で明らかになった。先ほどまでの強気な態度とは一変、何かを悔いるように唇を噛んで痛みに耐えている。
「私は──レディンを助けられなかった」
それだけを告げて、ジャンは立ち上がる。
「行くぞ、ユリウス。レディンは水晶宮の中にいる。あそこはフィリカの中枢を司っている。ヴァンも、フレアも、他の者もそこに向かっているだろう」
「援護してくれるよね、ジャン」
「私に拒否権はないだろう?」
「分かってるじゃない。さあ行くよ」
ユリウスはジャンに向かってにっこりと笑って黒水晶をポケットの中に仕舞う。ジャンは苦笑しながら彼女の背中を追いかける。
****
灯が瞬間移動しているように見えるほどの速さで、暗がりの通路を走り去る。両手に感じる体温を抱き締めながら走る、ひたすら走る。
先を見つめる瞳に蠢く闇は深い。終わりは今だ見えない。何かに反発するかのように、ある種一途なまでに祈っている。
「此処に君を捧げれば──君の命を還元すれば、フィリカも世界も滅びる。心から憎んだ世界が──いいや、概念が滅び去るんだ。理想郷というものがね、全て」
吐き出した憎悪に反応し、僅かに藻掻いたが、きつく抱き締めて動きを封じる。
「こんなことに君を使いたくなかった。犠牲にしたくはなかったけど、ごめんね。僕は、君のように強くなれないんだ」
実の弟が出来たと、出会った時には喜びを露にして、月日を重ねる度に大切にして。あんなに大切にしていたのに、愛すべき存在を自らの手で壊してしまった。美しい日々を汚してしまった。それだけが、僕の罪。
君は僕の希望。僕の絶望。僕の光。僕の闇──僕の全て。君によって生かされ、君を利用して全てを終える。こんな悲しい結末になったのも、彼が憎むべき存在の息子だからだ。非難すべきことがまた増えた。
まだ熱い体温を抱きながら通路を抜けると突き当たりを左に曲がって、再度やってきた長い通路を駆け抜ける。
不意に、微かな震えが服越しに伝わる。消えそうな命を燃やしながら何かを言おうとしている。だが、言葉にはならず吐息で終わった。まだ、傷が痛むのだろう。
彼の、傷だらけの身体を見て、心を痛めた。こんなこと、本当はしたくなかった。しかし、彼を傷つけなければ彼は抵抗するだろう。
──君は、真っ直ぐと光だけを見つめているから。
消えそうな炎を抱き締めながら一心不乱に通路を走る。すると、ある地点でがらりと風景が変わる。
もうすぐ、もうすぐで辿り着く。まだ此処には誰も来ていないだろう。誰も、名前すら聴いたことがないだろう。自分が、自分だけが知っている。
全てを知るために敵に回ったのだ。全てを知るために命を抹殺してきたのだ。対価は何としてでも貰わなければならない。
「遂に来た……遂に来たんだ。さあ見てくれ、ディール。エルヴィスの愛した国が、エルヴィスの愛した理想が崩れ去る。僕を滅茶苦茶にしたエルヴィスに復讐ができる」
ある地点に辿り着いたセティが高らかに笑う。心から声をあげて。拘束から解放された喜びを表すように。
目の前に広がる黄金の扉。これを開ければ、開ければ、もうすぐそこに。
「ディール、見ておくれ。輝くばかりの黒い水晶を」
何物も映さぬ水晶が飾られた場所は、もうすぐそこに。
扉を開けたその時だった。
「お前の思うようにはさせない!」
「……やはり、来ましたか」
刃を向ける主──それは、嘗て、彼が誠の親友だと信じた者の声だ。
「ゼーウェル、何故分かったのです。此処が」
レディンは黒水晶の前に立つゼーウェルを睨む。その瞬間、小さく震える声が耳に入る。
「……すまない、私が教えたんだ。レディン……許してくれ」
「……ジャン!」
様々な顔が並んでいる。見慣れた表情をしている。その先頭に立つのは親友だった。
何度、落胆すれば良いのだろう。甘い夢など二度と見ないと思っていたのに。
レディンは口だけで笑い、ジャンから目を逸らした。
「ジャン……あっさりと寝返ったのか。まあ、いいよ。君は元々毒されていたもんね……理想郷に。だって、君は、染まりやすいからね。君は、色んな人から利用されてきたもんね。今だってそうでしょ?」
「……レディン……」
「ユリウス、ジャンに何をしたの? 僕には分かるんだ、ジャンが僕を裏切った理由なんて脅された以外で思い付かないんだ。エルヴィスの近くにいた君が、ジャンに何かをしたんだね。やっぱりエルヴィスも、エルヴィスに染まった奴も、消し去らなければいけない。自分の理想のためなら何してもいいと言うのかい?」
レディンは憎しみを込めてゼーウェルの後ろに控えている少女を睨む。
こうなることは分かっていた。だから、ユリウスは何を言われても平気だった。
「……私がジャンを脅したのは本当よ。でも、私は貴方にこんなことを止めさせたいの。だからジャンに協力を依頼したのよ」
凛と響く可憐な声に輝く瞳。そう、疑うことを知らない瞳。レディンはその無垢な瞳を憎み、憎悪を積もらせてきた。
耐えきれなくなった彼は溜めてきた憎悪を思う存分吐き出した。
「ふざけるな! 君に……君に僕の何が分かる! 君はいいよね。誰からも愛され、守られて。だから、君は知らないんだ。ヴァンがどんな思いでエルヴィスを抹殺したか。君は何も持っていない、君は何も知らない、君はただ守られて、それで許されてきた。つくづく羨ましいよ。憎らしいくらいにね」
憎悪の限りを吐き出して、レディンは黒い光を浴びる。進んで堕ちる道を選ぼうとする彼にか弱い問いかけが響く。
「……ディールを……殺すの?」
今も必死にもがく少年を抱き締める両腕にはまだ迷いがある。これは、犠牲だ。これは、やむを得ないことなのだ。
「何かを成すには、何かを喪う。僕の崇高な目標のために、ディールは犠牲になるんだよ。それ以外方法はない」
「……許せない……!」
「許せないなら、僕と戦え。僕からディールを奪ってみせてよ、アイーダ。守られてばかりのお嬢様?」
「……レディン……」
「ジャン、見ていてくれよ。この戦いを。滅びに希望を託す僕と、再生を目指す彼ら。どちらが勝つか……ねぇ、見てほしいな」
「……分かった……レディン」
「ジャン……!」
レディンの打ち出した条件を反論することなく呑んだジャンにユリウスは抗議の声を上げるが、ゼーウェルに遮られた。
「ユリウス、私はレディンと戦う。ディールも取り戻す。レディンの目を覚ます。私は……もう何も犠牲にしたくないのだ」
「ユリウス、あんた疲れてるでしょ。あたいと一緒に見守ろうよ。大丈夫、あんたには手出しさせないよ」
「……ゼーウェル、頼んだわ……」
彼はユリウスに向かって頷き、レディンを見つめる。ずっと、親友だったのだ。例え、その時から憎しみを溜め込んでいたとしても。
「レディン……私はお前を……」
レディンは剣を抜いて構える。その間、ゼーウェルの問には答えなかった。
「ゼーウェル様……」
この戦いは二人で行い、決めること。皆が見守る中、ゼーウェルはレディンの立つ場所まで歩いていった。
****
「……ゼーウェル、久しぶりだね。こうして二人になるのは」
「ああ、久しぶりだな。まさか、戦うとは思わなかったが……」
「僕は嬉しいよ。君と戦えるなんて……」
嬉しそうに彼は笑いながら、残酷な歌を紡ぐ。チリチリと焼けつくような痛みだ。じわり、じわりと身体を蝕む。
「聞かせてあげよう──魔宴封殺!」
炎が揺らめき躍る。逃げ場を失った身体を炎は捉え、痛め付ける。彼の姿が四方八方に散り、どれが真の姿か判断できなかった。これこそが真の力。そう、この炎は捉えたものを焼き尽くすまでは沈まない。
「炎をかき消せ、アクアフォール!」
「そうはさせない! マジカルバリアー!」
荒れ狂う水流を光の壁がレディンを守る。それでも勢い付いた水を食い止められず、レディンは冷水を全身に浴びた。
彼を守る炎が消える。魔の炎がゆらゆら揺れながら小さくなっていく。
「レディン……何故、ディールを裏切った!」
炎に対抗できるのは水だけ。ゼーウェルは水を生み出しながら声の限り彼を糾弾する。
レディンにとってディールは最初から犠牲者でしかなかったのか。彼がディールに見せた嬉しそうな表情の数々は全て偽りだったのか。
「それしか、方法がなかったんだよ! ゼーウェルには分からない……何もかも恵まれていたお前には……」
叫びとともにレディンが剣を振り下ろす。
がむしゃらに奮うそれは空を切るばかりで手応えは感じなかった。微かに震える手をゼーウェルは見た。
確かに、彼の手は震えていた。
「……セティ」
「!?」
水晶に守られていたディールの声がする。
「今だ、ダークレイン!」
黒い雨がレディンを遮るように降り注ぐ。
その雨は力を小さくするもの。その証拠に炎の欠片がチリチリに散っていく。
彼の力の源は炎。その炎が消えるということは力を失うということだ。
「……僕は、僕は、まだ!」
「……セティ、もうやめるんだ!」
確かに、聞こえた声。見てみると、ディールが水晶の気を振り払ってセティの元へ駆け寄る。
「……ディール」
「セティ、もう、やめてよ……お願いだよ」
倒れそうになる足を奮い起たせてセティの元に来るディールに、セティは目を見開いていた。
「俺、セティが傷付くの、見るのは、もう耐えられないんだ。だから、もう、やめて」
「……ディール、どうして……」
どうして、彼はこうも必死になれるのだろう。どうしてこんなにも眩しいのだろう。
「ディール、僕は君を裏切ろうとしたんだ。それなのに、まだ信じるの? 僕にとどめを刺さないの?」
「……できないよ」
まだ癒えない傷を庇いながらディールは微笑んだ。
「俺の大切な人だから、できないよ」
その微笑みは記憶の中で見たものよりもずっと綺麗だった。
やがて、レディンの目の前にやって来たディールが両手を伸ばす。
「……ディール、ごめんね」
この腕では君を抱き締められない。ディールに応えることは出来ない。
こんなにも暖かいのに、心地よいのに、離したくないのに、出来ない。
何と呪わしいのだろう。憎しみに身を沈めた己が一番醜い。
「こんなことなら、出会わなければよかった……君に会いたくなかったよ……」
失うしかない関係に一体何の意味があるのだろう。レディンは泣いた。ディールの腕に抱かれながら泣いた。
「傷つけることしか、できないのに」
憎しみに身を沈めた人間の末路は、黒き水晶に溺れた人間の末路は──ただ、ひとつ。
「……セティ、それでも俺はセティに出会えてよかったよ」
黒い砂となり消えていく身体を抱き締めながらディールは目を閉じた。
ポタリ。
一粒の滴が床に落ちた。




