Charge11:レイザの苦悩
暗闇の中をひたすら手探りで歩き続ける。時折、襲撃に遭ったりもしたが、比較的緩やかな流れで長い道のりを進んでいる。
ジャンを止めるために離脱したユリウスが追い付く気配は未だ見せない。いつも元気はつらつと喋るユリウスがいない。
何だかポッカリと穴が開いたような空間。それでも一行は先に進む。
「なあ、俺たち、本当にこれでいいんだろうか」
先頭を歩くレイザがポツリと溢した疑問符。それにゼーウェルは重たい空気を呑み込めず、息を詰まらせてしまった。
ゼーウェルは悩んでいた。
このまま、ヴァンの元に行って良いのか、と。ヴァンもまた、弄ばれているに過ぎないのではないか、と。
そんな疑問符が浮かんでは熔け、また形を露にする。融解と形成を繰り返す疑問符が脳内を敷き詰めてきて耐えきれなくなってきたのだ。
自分たちの予想とは裏腹に事がどんどん大きくなっていく。最初はヴァンを止めるだけだったのに、目的が刷り変わっていっている。流れが速すぎて、上手く呼吸が追いつかない。
「ごめんな、こんなこと言って」
彼の苦虫を噛むような表情を見たレイザが慌てて訂正する。
ああ、彼にこんな表情をさせたいわけではないのに。
吐いた言葉が元に戻るわけではないことは知っていた。しかし、どうにもならない状況に陥らせてしまった不甲斐なさから唇を咬んだ。どうすれば空気を変えられるだろう。
すると、こほん、と、軽い咳払いが近くでしたので、視線を動かすとルイズが疲れきった表情でレイザに同意する。
「あんまり悩むんじゃないよ、レイザ。あたしも気になっていたんだ。もっと大きなものが動いてるんじゃないかって。ヴァンはその大きなものにただ動かされているだけなんじゃないかって」
どうやらルイズも今までヴァンが事の全てを引き起こしていたのではないかと考えていたようだ。そして、そう信じて疑わなかった。ヴァンを倒せば、止めれば全てが終わるのだ、と。
だが、今はどうだ。自分たちが今まで獲得してきたパーツが微妙なところで噛み合っていない。ほんの数ミリ単位ではあるが、ズレている。
そのズレを生み出したのはジャンだ。
『お前たちがいなければ、ライハードは消滅しなかった』
ジャンが言い放った言葉のせいで、パーツが噛み合わなくなった。
ライハードと言う名前は彼の言葉から国を想像させる。もしかしたら、違うのかもしれないが。
だから、気になった。
「……ヴァンを、説得してみないか?」
ルイズの疑問符を形にしてリデルが案を投げ掛けた。今までヴァンを止めること、倒すことばかりを考えていた。しかし、道中を経て彼の言葉を聞いてみたいとも思い始めていた。
「それはいい案だろうけどさぁ……」
「リデル……リデルじゃ、無理だよ……ユリウスの言葉じゃないと響かない」
ルイズとルディアスはリデルが先陣を切るのではないかと不安になった。リデルとヴァンの関係性を知っているから、余計に。
「分かってるさ。私が……」
無論、リデルもそのことは分かっていた。自分ではヴァンに響く言葉を作り出せない。だが、それを言うのは何となくできなくて固く唇を閉ざした。
「……悪かった」
リデルの心情を察したルディアスが一言謝罪を入れて口を開くのをやめた。そこからは誰も口を開いて語ろうとしない。そのせいか、沈黙が痛くなってくる。どんよりとした重たい空気に耐えかねたアイーダが青白い顔色のまま、やっとの思いで言葉を紡ぐ。
「取り敢えず休みましょうよ……私、疲れたわ」
どうやら一人で歩くことも儘ならないようだ。よく見るとルイズがアイーダを支えている。彼女の手を借りて、漸く立てるといった様子だった。
「……俺とリデルで見張るか。取り敢えず、休もうぜ」
ルキリスの一件から少しだけ立ち直ったように見えたルディアスの一言によって決まった。もちろん、この提案に反対する者は誰もいなかった。
****
──ポタリ──ポタリ……。
水滴が無機質な床に垂れ落ちる音がした。どこから漏れ出しているのだろう。ちらりと見回しても隙間は見当たらない。
「なあ、リデル」
水滴に耳を傾けながら傍らにいたリデルに早速会話のボールを投げる。それをリデルは分かっていたようでクスリと笑いながら受け止めた。
「……どうした、わざわざ私と一緒に見張りをするなんて、何か話したいことでもあったか」
柔らかな笑みに助けられたのか、ルディアスは再び言葉を投げる。彼なら受け止めてくれるという安心感からポツリと吐き出すように。
「……俺、やっぱり、ルキリスの傍にいた方がよかったかなって。リデルならどうした? 同じ場面で、あんな状況になったら」
直ぐ傍にある剣を見つめながらルディアスは震える声で問い掛ける。よく見ると瞳には悲しみの面影が鮮明に残っていた。彼はまだ悪夢を見ているのかもしれない。
「傍にいた方がよかったと思い返すだけ、いいと思う。それに、ルキリスはお前を見送るまで言い続けるさ」
「そう、かも。ルキリスは……一度言い出したら、聞かないから……」
青に飾られた凛とした表情を思い起こし、ルディアスは懐かしくなった。無意識に胸を押さえ、息苦しさから小さく呻いた。
彼女と交わした言葉は未だ脳裏に残るのに、源までの距離は遠い。朧気でもう見えない。どこへ行ったのか。
脳裏に過る血溜りを映像化して、眉間に皺を寄せた。
「水、だった」
無意識に溢れた言葉は彼女が纏う空気に対する感想。
決して燃え上がるような激しい言葉を吐くわけではないが、凛としながらも波を立てない静かさがある。だから、彼女は水によく似ている。
それを聞いたリデルが思わず声をあげて笑った。
「いつも感情のままに動くお前の火消し役か」
「うるさいぞ、リデル」
「そうやってムキになるとこがな」
「……ちぇっ、リデルはいっつも手厳しいよな」
「はは、そうか。でも安心しろ、私もルディアスと同じようなことを言われた」
「ルイズから?」
「いいや、ユリウスからだ」
未だ姿を見せないユリウスの名前が出てきて、ルディアスは気まずそうな顔をする。彼とユリウスのやり取りを知っているような態度だった。
「ユリウスは昔からリデルについてきてたよな。何で冷たくあしらったのさ」
ルディアスの的確な指摘にリデルは苦笑するしかない。
彼の問には答えられないと思ったから、せめて……という意味で笑みを返したに過ぎない。これは、単なる誤魔化しだ。その間にも、己の瞼の裏側では消えない証をぐるぐると回し続けている。
──昔のやり取りの中で、未だ手放せないもの。
『リデルー、一緒に探してほしいものがあるの』
『……ユリウス、私はお前のお守りか?』
『そ、そうじゃなくて。リデルの方が詳しいでしょ?』
『……ユリウス、あのなあ……ああ、もう分かった』
『やったね。流石はリデル様!』
『調子良いことを言うな……これっきりだからな』
──何度言い聞かせても彼女は此方に踏み込むのを止めなかった。だから、結局リデルが折れるしかなかった。
今日こそは、今日こそはと意気込むものの、目の当たりにした光には逆らえない。いつも、いつも、折れるばかり。
交わす言葉の回数が重なるごとに、いつしか自分の方が彼女を見つめていたとも知らずに。可愛らしくねだる言葉に、徐々に依存していった。やがて、彼女の言葉なしでは歩くこともままならなくなる。
『リデル、頼りにしてるわ』
首を傾げながら甘えてくる彼女の言葉をもう突き返すことはできない。
そこで知る、他者の感情の動き。
それを生々しく受け取り、忌々しく吐き出しながらリデルは己の感情を浄化しようとした。
「……ヴァンが嫌いだった。優等生で何でも出来て恵まれたヴァンが……。だから、ヴァンがユリウスに惚れていることを知った時、ユリウスが此方に来たのを嬉しく思ったものさ……」
「おおっと。リデルも怖いよなあ、意外と」
「最も、ヴァンも同じように思っていたからお互い様だな。でも……」
「でも?」
「ユリウスに対する思いだけは一緒だった」
互いに互いを憎み合っていた。同じ空間で息を吸うのも抵抗していた刺々しい関係だったのに、唯一、互いの想いが嵌まった瞬間。これこそが、背を合わせて共にあれる理由だ。
「彼女がいたから、ヴァンの提案とゼーウェル様の間で悩んだのかもしれない」
もし、彼女がいなければ、自分は迷ったりしなかった。だからなのか。尚更彼女の存在の大きさを知り、リデルは愕然とする。
「……彼女と出会わなければよかったのかもしれない。彼女と出会わなければ、こんなことにはならなかったのかもしれない。かもしれないを、ずっと考え続けてるんだ。もう、遅いのにな」
もう戻れない道を未だ求め続けている自分は、どうしてこんなにも。形にならない叫びを空気に混ぜる行為に虚しさを覚えているのに、長年ついた癖はやめられない。
「……俺がさ、言えることじゃないかもしれないけどさ」
傍にある体温を受け取りながら、顔を伏せながら、ルディアスはリデルに思いを伝えようとする。
「かもしれないを、考えても悲しくなるだけだよって。俺はルキリスを喪ったし、忘れた訳じゃないけど、でも、変えたいと思うんだ」
「……ルディアス」
「ルキリスが本当に望んだことを叶えてみたいんだ。彼女が望みを口にしたわけじゃないからあれだけど、災いを鎮めることが彼女の望みだと、俺は信じてる」
だから、彼女は一人ヴァンに立ち向かったと。彼女は結末を予想できていた。それでも、一縷の望みをかけて立ち向かった彼女の思いに応えたい。
「なあ、ルディアス」
澱んだ声が呼び掛ける。助けを求めるような響きが気になった。
「どうしたんだよ、リデル。らしくないなあ……」
「……私とヴァンは同じなのかもしれない」
生み出した繋がりが不穏な空気を作った。ルディアスには何を言えば良いのか分からずに否定も肯定も曖昧なままで。
「……ち、違うと、思うよ」
殆ど無意識に出てきたものが奥底に何の意図があったか分からない。
「慰めでも嬉しいよ」
それ以上多くは答えずにリデルは一言だけ残した。
****
「さて、いつになったらヴァンに拝めるんだろうなあ。そろそろ疲れてきたよな」
「……まあ、そういうものだから」
レイザのぼやきにゼーウェルが曖昧に答えたので彼はムッとしてしまった。
先程から落ち着かない。この空間にいると感情を上手く抑制できない。
「なんか、イライラするんだ。この空間に。この空気に。この、存在に。何で、どうして」
見たくないものを見せられているような気がする。どんな些細なことでもいいから、安心できる繋がりが欲しい。
「レイザ、顔色悪いぞ? 大丈夫か。さっきから覇気がないけどさあ」
「ああ……ルディアス、心配かけてごめんな。もしかしたら──俺、可笑しくなったのかもしれないな……」
「レイザ……」
「いいえ、何にもおかしくなんかないわ」
「!!」
突如現れた女性──その姿にレイザは息を詰まらせる。この声は忘れたくとも、忘れられない。
「ふふ、ここまで来たのね、お疲れ様。さあ、皆、聞いて。この先に、ヴァンがいるわ。この、長く伸びる階段を昇れば、ヴァンに会える」
「……お前は誰だ。まさかヴァンの配下か……」
威嚇するように言い放つレイザに女性は悲しげに笑いながら。
「……つれないわ、カイン」
と、一言だけ呟いた。
「……! あ、あんたは……」
名前を呼ばれたレイザの顔が苦痛に歪む。彼女の声は、忘れられない声だったからだ。今、目の前にいる人は自分を我が子のように思い、愛してくれた人だからだろうか。
会うのは、初めての筈なのに。
「……フレア……。まさか、あんたも……ヴァンの……」
今、自分は自然な感じで彼女の名前を呟いた。確信を持って言い切った。
動揺するレイザを余所にフレアは笑いながら否定する。
「そんなまさか。ヴァンの配下になんか死んでもならないわ。でもね、この世界には願いを叶える力があると聞いたのよ? だから、今度こそ叶えるの……。ねえ──今度こそ、私と一緒に暮らそう? もう辛い思いはさせないわ」
「……」
「何を迷っているの? ねえ、レイザ、思い出して……私を忘れないで……」
「……俺、は」
レイザはフレアをぼんやりと見つめながら、やがて俯いた。
脳裏に浮かぶのは、処理しきれない程の映像が消え隠れしたからだ。
****
『レイザ、よく来てくれたわ。ずっと待っていたのよ』
慌ただしさから遠く離れたのどかな村の中で一番目立つ教会で、彼女──フレア・ハーバードは迎え入れてくれた。
『フレア姉……き、聞いてくれ……俺は……俺は……!』
震えながら話す青年──かつてのレイザが握っているもの。それは、真っ赤に染まったナイフだった。
『……そう、なのね』
助けを求める彼を見て、彼女は全てを察してくれた。
てっきり、軽蔑されるかと思ったのだ。
このナイフは、汚れたもの。血で真っ赤に染まったもの。このナイフは──大切な人を刺したもの。
代償の重さに耐えきれず震える彼を見て、憐れみを抱いたのだろうか。それとも、何かを感じてくれたのか。とにかく彼女は泣きそうな顔で必死に笑ってレイザを抱き締める。
『レイザ、もうこんな思いはさせない。辛い思いはさせない。一人にしてごめんね。でも、もう大丈夫。何も背負わなくていいのよ』
彼女はそう言って、彷徨っていた自分を受け入れてくれた。二度と償えないほどの罪を犯し、背負いきれない重圧に耐えかねた自分を、彼女は悩みながらも受け入れてくれたのだ。
『──フレア』
彼女の名前を呟きながら、泣いた。流石に声を上げて泣くことはなかったが、それでも彼女が受け入れてくれたことが嬉しくて泣いていた。
──幸せだった。
彼女は母親代わりにレイザを厳しく、優しく見守ってくれていた。
粗相をすれば直ぐに凛とした声で「違うのよ」と注意してくれる。彼女や周りを気遣えば褒めてくれる。
彼女は自分を愛してくれた。そのことが、嬉しかった。
『貴方が──ゼーウェルが! ゼーウェルが殺したのね!』
教会の祭壇の方から、フレアが──フレアが怒りの声をあげるのを聞くまでは。
『私の大切な妹を、貴方が殺したのね!』
連なる単語を聞いて、心臓が跳ね上がる。
どういうことだ、どうしてフレアと──彼がいるのか。彼が、何故フレアのそばにいるのか。
『ゼーウェル……が……を殺したのよ! 私は誤魔化されないわ!』
──そんなの、嘘だ。そんなはずはない。
否定したかったのに、彼女の言葉は否定する隙も与えてくれなかった。
『貴方なんかに──貴方なんかにレイザは渡さないわ!』
対峙するゼーウェルに彼女は殺意を剥き出しにしている。今にも飛び上がらん勢いでゼーウェルを罵倒する。
ああ、どうすればよいのだ。
どうすれば──。
だが、彼が、レイザがとった行動は。
****
「……フレア」
レイザは思い出した感情を圧し殺すように、フレアに向き合う。
「やっと、おもいだしてくれたのね。今度こそ──」
目の前にいる彼女の言葉は悲しみと非難の混じったものだった。
彼女が必死に立ち向かってくれたのに、自分は彼女と──傍らにいたゼーウェルから逃げたのだ。逃げて──目を反らして生きてきた。
しかし、彼女は複雑な感情を持ちながらもレイザを迎え入れる。
「今度こそ、一緒になろう? だから、行きましょう、レイザ」
「……」
レイザは無言のまま、フレアの後についていく。
「待ってくれよ、レイザ!」
「レイザ、行くな! これはヴァンの罠かもしれないんだ!」
「そうだよ。ちょっと、あんたがいなくなったらどうするのさ」
ルディアス、リデル、ルイズがレイザを引き止める。
もしかしたら、これは罠かもしれないのだ。ヴァンの仕掛けた罠に、レイザは掛かろうとしているかもしれないのだ。フレアはヴァンの配下であることをきっぱり否定していたが、もしもこれが嘘だったらどうするのだろう。
「レイザ……待って……待ってくれ、頼む……」
何らかの事情を知っているかのように、ゼーウェルは弱々しい声で彼を引き止める。しかし、彼に呼ばれてもなおレイザはフレアの後についていき、立ち止まる気配を見せない。
「まずいですよ、ゼーウェル様、このままじゃ……。ちっ……!」
リデルがレイザの後を追いかけようとしたが、突如現れた兵士に遮られる。
「フレア様の邪魔はさせません!」
「ヴァン様の邪魔をする者は排除しなければならない」
剣を抜く二人の兵士。
「仕方ないな。お前ら、無理矢理にでもそこを通してもらうからな!」
「あら、上等じゃない。早く何とかしてレイザを追うよ!」
「……レイザ……」
「ゼーウェルさん、しっかりしてください!」
兵士たちに向けて、ルディアスが槍を構え、ルイズが短剣を取り出す。
ゼーウェルとアイーダが詠唱を始める。
「いくぞ! 散月雨!」
「亜空絶断!」
ルディアスが槍を振りかざし、ルイズが素早く切りつける。
「負けないわ、サンダーブレード!」
雷が兵士たち目掛けて落ちる。
「エアスラッシュ!」
風の刃が兵士たちを直撃し、彼らの姿が消え去った。
「まったく、どいつもこいつも……とにかく急ぐよ!」
ルイズの声を合図にレイザの後を追い掛ける一行。空気を取り巻く闇は深まるばかりだった。




