Charge10:贖罪を望む赤
これは、昔の話だった。それはもう、ずっと昔の話。
この話に出てくる彼はまだ幼い少年だった。
母と父をよく慕う、賢い少年だった。
そんな彼にとって両親は自慢すべき存在だった。愛すべき存在で心の在り処。
「父さん、今日はねー、いい点が取れたよ」
「すごいな、レディンは。自慢の息子だ」
何かひとつ、例え小さくとも功績を立てるたびに与えられる褒め言葉の数々。彼はひとつひとつを受け取って無邪気に喜んだ。
今となっては殆ど覚えていない、忘却の彼方へ散っていった会話の数々。当たり前すぎて盲目となっていた。だから、かけがえのないものだと気付かなかった。
忘却の彼方へ散らした日々の中で、ただ、ひとつ。生涯忘れられない日がこの世にあるとしたならば。
「レディン、いい子だね」
そう言って褒めてくれて、頭を撫でてくれたあの手の温もりだろうか。
「レディン、たまには外で遊びなさいよ。勉強ばかりしてもね、外のこと知らなかったらだめよ」
開放的で大らかな母だろうか。
彼ら二人の微笑みを受けながらレディンと呼ばれた少年は育っていった。
何が幸せか、と、問われたら、家族だと答える自信があった。即答できると思った。
間違いなく、幸せと呼べるものだった。それなのに、願っていた幸せの崩壊は突然訪れた。
「父さん、母さん……どうして? ねえ、どうして? どうして、どうして、どうして!!」
母と父に会いたくて、いつものように帰ってきたら、帰ってきたら……。
彼らは──赤が流れる中で両親は──沈んでいた……。
──何故……?
「エルヴィス様。あれがレディンですか?」
「ああ、間違いない。レディシア・キースの入れ子だ。連れていこう」
後ろで人がいるのに気づいた。だが、何を言っているのか分からなかった。奪われた幸せが大きすぎて受け止められなかったのだ。しかし、両親は彼らの手に掛かって喪った。その事実だけが、彼の心を掴んで離さない。
ゆっくりと、人は近寄ってくる。優しげな微笑みを浮かべながら、さも善人だと振る舞いながら。
「来てくれるよね、レディン──いや、君の名前はセティだ」
その先で笑っていた青年、その手にあるのは──深い赤色の厚い本。青年は虚ろな瞳で此方を──いや、本当は此方など見ていなかったかもしれない。
「フィリカの理想のために、来てくれるよね、セティ?」
「……」
機械のようにぎこちなく差し出された手。それを取ることを気づけば選んでいた。しかし、一方で彼の命を虎視眈々と狙っていた──全てを忘れた振りをして。
淡々と力をつけて。
理由を見つけて。
彼を狙い澄まし、心に秘めた闇を飼いながら撃つのを待っていた。
『俺は、許さないから』
──そして、彼は撃つべくして撃った。
「ねえ、最初からね、このつもりだったんだよ」
傍らにある本に目をやりながらふわりと微笑んだ。その笑みは赤と光のコントラストで歪に映る。
「さあ、行こうか」
遠くから前進を促す声がして、彼は笑ったまま従った。
****
「レディン、どういうことだ!」
ルキリスを助けに来たのに、その彼女がいないというのは如何なる理由か。リデルが声を荒げるのも無理はない。彼は崩れ落ちたルディアスを庇うようにしてセティの前に立つ。
「そうだね……最上階まで来たら分かるよ? 知りたいなら、楽勝だろ?」
不敵に笑うが、リデルの質問には答えない。まやかしの彼はくつくつと笑い、やがて静かに姿を消した。後に残るのは砂ばかり。
ルディアスが見たものは何だったのか。まずはそれを聞かなければ先には進まない。
「ルディアスも答えてくれ。ルキリスが死んだなんて、どこで分かったんだ」
そう、誰もが現場から遠く離れた場所にいた。故に、何が起きたかまだよく把握できていない。
「……リデル……俺は、俺は……」
血色を失った表情のまま、ルディアスはリデルにすがるように手を伸ばした。しかし、それは叶わず膝をつき、がくがくと身を震わせながらある方向を指差した。
そこにあるのは、固く閉ざされた白い扉。他とは明らかに一線を画していた白い扉が目の前にあった。
「あの先に何かあったのか?」
全てを知ろうとしたリデルが、ルディアスが指を指した先にある扉に向かって歩きはじめた、その瞬間だった。
「よくぞここまで! だが、この先は行かせない。何人足りとも!」
「敵か!」
「我々にとってはお前たちこそが敵だ」
白い扉の前に現れたのは、絹が目映く輝く、すらりとした背丈に端正な顔立ちの青年。彼の手には煌めく銀剣が握られていた。
行く手を遮る彼は射抜くような視線を対峙する全員に投げつける。
「レイザ・ハーヴィスト、アベル・ハーヴィストの父、セイシェル・ハイブライト、人々を掌握した愚かなハイブライトの申し子! ライハードが栄えるためにも、貴様らは死なねばなるまい。アルディ等という大陸は不要!」
「──ジャン・ブルネーゼ?」
ゼーウェルの口から、何故か名前が降りてきた。この青年とは初めて対峙する筈なのに、どうして名前を知っているのだろう。
すると彼は感心したように、にぃっと笑う。端正な顔立ちを際立たせる薄暗い笑みだった。彼は笑いながらゼーウェルの方を見据える。
「名前を知っているのか、セイシェル・ハイブライト。それは前の記憶の成すべき技か。忘れていればよかったのに、ダークとの邂逅で思い出すとは不幸な」
彼はゼーウェルだけでなく、ダークのことも知っているようだった。彼は何処にいるのか、ゼーウェルは一刻も早く彼の居場所を知りたかった。だが、彼は決して答えてはくれないだろう。
それでも、言わずにはいられなかった。
「ジャン、彼は──ダークは何処にいる!」
「知らないな、知っていても教えるわけがないだろう。お前のために裏切ったダーク……奴は、消えなければならない。我々を裏切ったやつは、すべからく消えなければならない! お前とレイザがいなければ、我々の国は復活していたのだ!」
案の定、ジャンはただ嘲笑するだけで答えなかった。
──彼は間違いなく知っている。ゼーウェルはそう確信した。
漸く、ゼーウェルから視線を外したジャンは、愕然とするルディアスを見てまた薄暗く笑う。
「もう一度会いたいか、恋人に……?」
「……!」
ジャンはチラリとルディアスを見据え、ゆっくりと扉を開ける。
「!」
ジャンに遮られながらも、追い求めていた彼女の姿はしっかりと見えた。傍らにあるのは彼女には到底似合わぬ赤。
海を映した青はドロリと染み出した赤によって侵食され、白い肌にも鮮やかな赤がべっとりと塗られていた。
彼女は横たわり、何も言わない。
「……何てことを」
よく知る彼女の変わり果てた姿にユリウスが悲痛な叫びを上げる。対する彼はただただ笑うだけ。笑みを溢す口から真実を空気に溶かしていく。
「ルキリスと言ったかな。彼女がね、ヴァンに剣を向けたんだ。ルディアスには手を出すなと。ヴァンにはまだ役割を果たしてもらわなければならない。災いは芽のうちに摘む。ただ、それだけのことをしたまでだよ」
「何ですって!」
ジャンの口から降り注ぐ冷たい言葉の刃にユリウスが激昂する。それを戯れ言だと言わんばかりにジャンは笑った。ただただ、彼は笑うばかりだ。
「ユリウスと言ったか。お前も強大な力を持っている。ただ、それだけのこと。だから、始末された。力を持つ奴は皆、始末される。災いになるからだ」
そう言ってジャンはユリウスに剣を向ける。最初から彼女を狙っていたようにも見える動作にユリウスが一歩前に出る。
「……ないから」
身構えるジャンの言葉を切るように、彼女を取り巻く空気が揺れ動く。
そして、今度はユリウスがジャンを見据える番だった。
「あなた、絶対に許さないから」
静かな怒りの矢を放つ。この矢がユリウスを戦いにせき立てていた。
****
「ゼーウェル、皆も、早く行くのよ」
無邪気に笑っていた彼女には到底似合わないほど静かで穏やかな声がゼーウェルを差す。ユリウスが詠唱の構えをとるとルディアスが異議の声をあげる。
「一人は危険だ! それに仇は俺が打つ! ルキリスの、ルキリスの仇は!」
ユリウスに加勢しようと歩みを進める彼にユリウスがぴしゃりと言い放った。
「ルディアス、こいつは光を持ってるし、水を持ってるのよ。ルキリスの思い、無駄にしちゃダメ」
ユリウスはバリアを張りながらルディアスを嗜める。尚も刃を構えたルディアスにリデルが黙って彼を促す。
「ユリウスの言う通りだ……お前の持つ力は火だ。ジャンとは相性が悪い。ルキリスの思い、無駄にしてはいけない」
ルディアスの攻撃の特性をよく知るリデルが、彼の隣に寄り添う。衝突すればどうなるか、リデルもユリウスも気付いていた。
「そうよ。それに、この人は今やただの化物なのよ。ルディアスの刃を汚す価値もない」
ジャンには目もくれず冷淡な声で言い放つ。
「何だと!」
「あら、あたし本当のことを言っただけよ。セイバーフォース!」
ジャンが迫ってくるところでユリウスが巨大な光を放つ。
「言ったでしょ、許さないって。ホーリーソウル!」
「光など潰えてしまえ! ネガティブホール!」
「ローズパープル!」
空間を裂く闇を包むようにに柔らかな花が咲いて塗り潰す。ジャンは彼女が密かに造り上げていた刃の護りに阻まれ近づけないでいた。それに──彼女は必要な存在。
手にかけることができない。
「羅絶弾!」
いつまでもこれでは堂々巡りだ。彼は念じて刃を四方に飛ばす。ありとあらゆる方向から刃を飛ばせば彼女の護りにヒビが入るだろう。僅かな隙を狙っていた。
「貴方なんかに私は倒せない……セイントレイン!」
ユリウスの怒りは消えない。
愛する存在を奪われた。そもそもどうしてこんなことにまでなったのか自分は知っている。
思うように届けられない声と、やりようのない怒り。両方に襲われ、堪えようのない悲しみに打ち拉がれ。
立ち込める負の感情をせめて、この光と雨によって浄化したかった。叶うなら元の世界で笑いたかった。
彼女はもうジャンを見ていなかった。ジャンよりも先、頂点で待つ彼よりももっと高い──その場所を見ていた。だが、雨は落ちるばかりで空に向かって飛ぶことはない。永遠にないのだ。
空気が静まるとユリウスはもう誰もいない空間を見つめる。ジャン、彼もまた偶像として君臨していただけなのだ。敵を退けた。役目を果たしたのに。
──何故、こんなに悲しいのだろう。
「どうして、こんな力があるのかしら……。私、こんな力、いらなかった。いらなかったのよ──姉さん」
ぽつりと呟いて、ユリウスは背を向ける。姉は、全てを圧倒する力を持った妹を見てどう思ったのだろう。彼女が近くにいるなら、肩を掴んででも問いたかった。
****
「侵入者だ!」
「撃て、凪ぎ払え!」
風を切るように弾が飛んでくる。
「レディンがいなくなった途端これだ。こいつらを何とかしてレディンを追わないとな」
「レイザ……」
ディールの怯えた声を受け取った。彼からしてみれば鋭い敵意を目の当たりにして戸惑っているのだろう。それに──。
「ディール、お前がしっかりしないとレディンを止められないぞ。あいつは全てを根絶やしにする。ヴァンよりも手がつけられないかもな」
ヴァンは理性的に淡々と理想を追うが、レディンは衝動的に行動を起こしている。彼には明確な理想などない。あるのは──ありとあらゆる事象に対する憎しみだけ。
不安定な足場に立っていた彼。しかし、一方で彼は迷っていたに違いない。ぎりぎりまで行動を起こす踏ん切りがつかないような表情を浮かべていたのをレイザは瞬間的に見た。
「ディールを見た時のレディン、お前以上に怯えてた。だから、信じろ。お前のことは間違いなく大切だった。ただ、許せなかっただけだ」
「──うん、分かってる。だから!」
ディールが距離を詰めて兵士たちを凪ぎ払う。風は壁にも守りにも変わる。変えられる。
例え、偽りの笑顔だったとしても。
「垂直閃呀!」
風をくれたのは、彼だから。
「こっちも終わったぞ」
「リデル。そういや何処に行っていたんだよ」
記憶を辿るとリデルとゼーウェルは途中で離れていたことを思い出す。無論、何か考えがあったのだろう。
「レイザ、壁にある肖像画に触れろ」
「ああ、こうか?」
天使が描かれた肖像画に指先を当てる。
「ほら、見てみろよ」
ギィィ……と、音を立てて肖像画で装飾された扉が開く。レイザは迷うことなくその先に足を踏み入れた。
「……やあ」
空間の向こう側に、彼は──レディンは静かに佇んでいる。いつか見た黒濁の水晶に囲まれ、ただぼんやりとどこかを見つめていた。
「……ジャンを倒したのかな?」
「ユリウスが残っているから分からんな」
「そう。ジャン……昔、僕の親友だった。エルヴィスに利用されて、死んでしまったんだ。あんな暗い空間で生かされているとは、ね」
「……レディン」
「ディール、ルキリスのことは申し訳ないと思ってる。彼女が、ヴァンに刃を向けるとは思わなかった。彼女は、実に優しい人だったよ……ルディアス──これを見るといい」
レディンはルディアスに向かって黒濁の水晶を投げつける。それをルディアスは何とかして受け止め、輝きの中にあるものを覗いてみる。
「……!?」
「分かるかい、ルディアス。その水晶に映されたもの……君が、ヴァンによって生け贄にされて……」
ヴァンが巨大な水晶を開き、祈っている。その水晶の中にあるのは──ルディアスの肉体。
「もうひとつの可能性だ。ヴァンの望むものを造る、その核は誰でもいい。偶々、それがルキリスだっただけ。ルキリスはもうひとつの可能性を見た。その中にあるのがルディアスだっただけ」
そうしてレディンはすぐ近くにある水晶に触れた。途端に水晶は赤色に変わる。濁った赤に。
「ヴァンの望みが叶えば、世界は壊れる。だから、ジャンが核となる存在を潰した。こうするしか方法が無かった。僕は、何にも出来なかったんだ」
レディンはそう言うと水晶から離れ、真っ直ぐと向き直った。
「僕はね、こんな世界早く滅びればいいと思ってる。滅ぼそうとして動いていた。だから、ディール……」
思いを吐露して、彼は暫し言葉を切った。その間、誰も、彼に向かって話し掛けることはなかった。
少しの沈黙が続いて、それからレディンは言葉を紡いだ。
「ディール、僕と戦ってくれないか?」
突如として向けられた質問に、ディールは直ぐには答えられなかった。何故、戦わなければならないのだろうとさえ思った。
「……レディン」
だが、それが彼の望みなら、ディールは叶えてやろうとも思った。
「いいよ、レディンが望むなら、俺が叶えてやる」
迷ってなどいられない、先へ進まなければならないのだ。ならば、彼と戦うしか道はない。別の選択肢は、彼が決めてくれるとディールは信じたかった。
「みんな、先に行って。俺は、レディンを止めるから。いいよね? 彼らは必ず止めてくれる。だから、レディン。彼らだけは先に進めてあげて欲しいんだ」
「……いいだろう」
レディンが頷くと、水晶が煌めいて道が開いた。
「ディール……」
「レイザ、心配しないでよ。必ず、追い付くから」
不安げにディールを見るレイザに、ディールは心配させまいと頷いた。
「ねえ、ディール……」
「なあに、アイーダ」
今度は、彼女がディールに話し掛ける。レイザとは対照的に彼女の表情は不自然なくらいに落ち着いていた。
レディンと向き合う彼から、何かを感じたのだろう。アイーダは静かな声で彼に話し掛ける。
「私ね、ディールと一緒に最後まで駆け抜けたいと思ってる」
「うん、俺もだよ」
「だから、絶対負けちゃだめだよ」
「あはは、負けるわけないだろ? レディンを説得して、直ぐ行くよ」
ディールはアイーダに向かって笑顔で答えた。その笑顔は普段の無邪気な、彼らしいものに見える。アイーダは少しして頷き、開かれた扉の向こうへと歩き出した。
「──いくよ、レディン」
一人になったディールが、レディンに向き合う。もう既に、彼の言う可能性が決まっていたとしても。
****
「……私は間違っていたの?」
少し先に進んだところで、アイーダが崩れ落ちた。あの場所で、口を開けなかったゼーウェルが初めて口を開いた。
「見えたのか、あの水晶から」
「……見えたわ。ディールが、レディンと……」
「……あれは、一つの可能性に過ぎない」
「でも、ディールは優しいから……選んでしまうかもしれないの。私、どうしたらよかったの?」
彼がレディンを思っていることを、アイーダは知っていた。
黒水晶の中に映る可能性の一つを垣間見て、彼女は大切なものを喪うことを知り泣き崩れていた。
「……そんなことは、ないさ」
「……ダーク」
泣き崩れる彼女を見て、声をかけた主は闇と同化していた者。気配を感じなかったので、気付かなかった。
「ヴァンが襲撃したらどうする気だ、ゼーウェル」
彼は無防備だったゼーウェルを軽く咎め、アイーダを見る。
「ヴァンは次々と黒水晶を生み出している。知ってるか、黒水晶は滅びの象徴だと。彼が黒水晶に映す可能性を決めたら変えられない──泣いている暇は無いんじゃないか?」
「……貴方には、分からないわ」
「ああ、見守ることしかしなかった貴様のことなど俺は分からん。アイーダ……アベル・ハーヴィスト」
「!?」
その場にいた誰もがアイーダの別の名前を聞いて耳を疑った。アベル・ハーヴィストは──アベル・ハーヴィストはアルディの象徴ではなかったか。アイーダとは繋がりを見出だせないでいる。
国の仕組みなど、それほど関心を向けなかった。それがいけなかったのか、何度振り落とされた言葉を聞いても呑み込むことが出来ずにいた。
そんな彼らの意図など知らないダークは淡々と曖昧な真実を話し始める。
「その、紫の髪。紫は気高さを意味する。ならディールはティアナ・ライハードだな。かつて、双子の姉弟がいて、弟は姉であることも知らずに少女に惚れた。それが、ティアナ。レディンがディールを大切に思うのも、ティアナだからだな」
まるで昔を知っているかのように語るダークの言葉に、まだ彼らは疑問を抱くことしかできない。
どうして、彼は全てを知っているのだろう。どうして、対成す物は全てを把握しているのだろう。
「まるで俺達が大昔の人間の生まれ変わりみたいなことを言うな」
ルディアスが恨みを込めてダークを睨む。もしも、生まれ変わりなら、この国も昔本当に存在していたことになる。
こんな国の為に、ルキリスは犠牲になったのか。隠しきれない怒りに震える彼をダークは見ていない。
「ここは、ハイブライト大陸と呼ばれていた。だが、滅んだ。それだけだ」
架空世界、未開の地フィリカ、きっと現実に帰って元に戻る、と。そのための戦いではないか、と。
目的そのものをすり替えられているような気がして、背筋が凍る。ここに来ること自体が必然ではないかと考えてしまうほど。
「……分かっていたよ、そんなこと」
複雑な思いを返事に詰め込んでレイザはポツリと言葉を吐いた。ダークにはねじくれた感情は理解のできない領域なのだ。レイザの声をただの弱さだと切り捨てる。
「なら、やるべきことは一つだろう。ヴァンのところへ行け。泣くな、目障りだから」
ダークの冷たい言葉が突き刺さった。彼の言う通りだと、反論する術も見出だせない。
早く、ヴァンを止めなければならない。それしか方法はない。
「行こうよ、アイーダ。ディールならレディンを連れて帰ってくる。ヴァンの好きにはさせないさ」
「……そうね。姉さん。私、悪い方向に考えていたわ」
「なっ、だから、ヴァンを殴りにいこう。ディールはあんたを置いて行ったりしないよ」
ルイズは嘆く妹の肩を支えて、再び前を向く。後に続くように立ち上がったアイーダも、もう泣いていなかった。
今、歩いている道の先に新たな入り口が開いている。いつになれば辿り着くのか。
いつになれば、彼は姿を現すのか。
──いつになれば、彼の元へ行けるのか。
果てのない迷宮の中で、可能性を塗り替えることだけが唯一の目的になりつつあった。
****
「……ジャン、ルキリス……」
目標を分かち合った仲間と別れたユリウスは倒れた二人を横たわらせた。
二人はまだ生きている。ユリウスはそう確信していた。
ジャンが何の目的で彼らを襲い、ルキリスを手に掛けたのか。それはまだ分からない。
だが、今のユリウスにはジャンに頼らなければならない理由があった。
「私はまだまだ甘いわね。でも、それでいいじゃない……レディンを止められるなら、なんだってする」
ジャンに止めを刺さなければ、彼はまた襲撃する。そのことは容易に予測できるのに、どうしても引き金を引けない。それどころか、真逆に向かっている。
「……ユリウス・ナナキ」
「……私は甘いのかなあ」
背後にいる存在に一つ、質問を投げる。名前を呼んだ声の主は答えなかった。
「ねえ、貴方なら分かるでしょ。ここは架空の世界じゃなくて実際にあった世界で、復興を願っている、と」
思うのだ。
此処にいる誰もが、何か目的を抱き、行動を起こした。だが、世迷い事、綺麗事、戯れ言として否定され、舞台から引き摺り下ろされ、幕を閉じたのだとしたら。
「歴史は勝った奴が作る。お前がやりたいと思うならやればいい。ヴァンに勝たせて、ヴァンの望む世界に住みたいか?」
「……いいや、住みたくない」
「即答だな。じゃあ、やるべきことは一つしかないんじゃないか?」
「そうね。ヴァンを否定するなら、ヴァンの望まないことをしないとね。私には分かるの。ヴァンがどんな筋書きを作っているのか」
「分かりやすいから選ばれたわけだがな」
「……そうね、でも、私はヴァンを止めるわ。ヴァンにこれ以上罪を重ねてほしくないの」
「……複数の人間を虜にした奴がよく使う戯れ言だな。お前自身に罪はないと言わんばかりの」
「そんなこと、思っていないわ」
ユリウスは声の主の問にキッパリと否定を示した。
「知らなかったの。彼が気を使ってくれたり、優しくしてくれたりするのは私と同僚だったからだと思っていたのよ。でも、違ったのね……気付かなかった」
無理矢理隣に置かれたと思っていたのだ。エルヴィスに気に入られたばかりに彼は。
振り回してばかりな自分に彼は心底うんざりしていたに違いない。だが、彼は何一つ反論することなく従った。
「──天よ、光よ、神よ、我にもう一度力を──我にもう一度──」
「……フィリカだから許された力なのだな……」
眠る二人に光が降り注ぐ。ユリウスの詠んだ願いによってこの光は生まれた。
「……ダーク、後はお願い。私、ゼーウェル達の元に行きたいの」
「ああ、承知した」
頷く声色から暖かなものを感じた。彼は決して闇ではない。ただ、少しだけひねているだけで。
彼は素直ではないとユリウスは苦笑する。それでも、彼は求めることを諦められない。
ユリウスは二人から離れていく。その代わりに彼が二人を見下ろしていた。彼は二人が何か発するのを待っているようである。
ダークは単にユリウスの言いなりになっているわけではない。彼もまた二人に用事があるのだろう。
自分に従いながら本心を露にしない彼を怪しんでいたがそういうわけにもいかない。ヴァンを早く止めなければならない。
全てをダークに任せ、ユリウスは先を行く者たちの元へ急いだ。
****
「レディン……どうして戦うの? 漸くあんたのこと、知れたのに」
悲し気に吐いた言葉は嘘だったのか。嘘を吐きながら自身の願いを叶えようとしていたのか。ただ、自分が見えていなかっただけなのか。
「君にその気はなくてもいくよ……チャージフレイム!」
「弾け、ファイアウォール……っ!」
迫る赤にディールはバリアを作り出した。
「消えるがいい……っ!」
「どうして……!」
彼は苦しそうだった。息を吐くのもやっとらしい。苦しまないで、どうか苦しまないでと、何度も言葉を生み出した。だが、彼は傷を膿むばかりだった。
「僕はね、君と戦いたかったんだ。だから今、とても幸せだよ……フォールレイ!」
「……何でだよ、この分からず屋!」
ただ、叫んだ。こんな戦い、望んでいないのに彼は止めない。
「君と戦えるなら他には何もいらない」
レディンは嬉しそうだった。どうして、そんな顔ができるのかディールには分からない。
「俺は嬉しくないよ!」
「そう、それは残念だね」
相変わらず彼は笑みを浮かべたまま、目を輝かせたまま。
「いくよ、フレイムバウンド」
燃える炎が弾け飛ぶ。
シュッと、風を切るように銀糸を振り上げた。
「ディール、いいこと教えてあげる」
「レディン……?」
攻撃の手を止めたレディンが、ディールに向かって笑っている。酷く寒気がする。
緊張から震えるディールの傍まで歩いてきて、彼は少年を抱き締めた。
ポタ、ポタ。
「……っ」
不思議と痛みはなかった。ただ、悲しい。
「ごめんね、ディール。僕は此処でしか生きていけない。一人では生きていけないんだ」
レディンが倒れたのを見て、ディールは何かを言おうとした。しかし、何も言えなかった。
ああ、目を開けているのも億劫だ。
「レディン……」
こんなに単純な罠に掛かるなんて。でも、受け入れてしまったのは自分だ。
──元に戻りたかった。
呟こうとした言葉は音にならずに霞として消えた。




