Charge9:この弱さを、醜悪と名づける
「やめて、セティ!」
「全て消えてしまえ……っ、煉獄戦壊断!」
赤に煌めく一閃が仮初めの存在を引き裂いたのと同時に、少年の声がした。
だが、もう止まらない。
「フレイムクロス!」
十字を斬り、炎が対象となる影を引き裂き、焼き尽くす。狂気とも言える炎の暴走は止まらなかった。
影が全て消えたところで、彼は漸く唇を閉ざした。未だ、鋭利な笑みを浮かべたまま。
「セティ……っ、ねぇ……ってば」
ディールが泣きそうな顔でセティと何度も呼んだ。
──その声が、嫌いだった。
エルヴィスと寄り添って歩いていた頃を思い出す。まだ、あの頃はエルヴィスもアルディをよくしたいという純真な思いで動いていた頃だ。政策や対談の話ばかりを聞いていたような気がする。議論も何度交わしたか分からない。
儘ならない現実も、周囲の反対への対応の苦労話も、他の人を交えての和やかな談笑も、そこにはちゃんとあった。
そんな優しかった主が変わったのは、押入れにあった本を駆け出すようにして持って来て、セティに嬉々として話してからだった。
「セティ、聞いてくれ。ここは昔、ハイブライトと呼ばれ、気品溢れる国として語り継がれていたようだ。白亜の城に、黄金の装飾を施した城が世界を見渡し、村や町、人や──果てには海や山にも恵みをもたらしたのだとか。でもね……今やそこはフィリカというおとぎ話になってしまったとある。
どうだろう、セティ。ハイブライトの歴史研究は。歴史研究をしながら、素敵な城を作ろう。人々に開放しよう。見てもらおう、我々の歴史を」
“我々が正しかったことを、証明しよう”
あの時から、彼は己を見失った。
止まらぬ狂気の攻撃が建物に傷をつける。奮う度に身体に傷を刻む。流れ落ちる血が惨劇を物語る。
止めなければ、止めなければならない。これ以上……これ以上は、何があっても……。
強い決意からなのか、声は直ぐに動いた。
「セティ……やめろと……言ってるだろう!」
「……っ!」
ディールから異様な力を感じる……その瞬間セティの魔力は吹き飛ばされ、衝撃に耐えきれず彼は地に伏した。
──無意識だった。殆ど無意識に、彼はとある名前を呟いた。
「……ティ……アナ……」
ずっと忘れられない名前を呟いて、脱力した。
****
身に覚えのない風景が映し出された。
色褪せた写真に、それはよく似ている。それなのに、色彩を欠いた写真でも見せる笑顔は愛らしかった。
──ディール。
何故、ディールを見る度に胸が痛むのか。意識が暗闇に転じて尚、彼の屈託ない笑顔は自分を縛り付ける。
悪意があるのかと、罵りたくなるくらいだ。
彼が父親であるエルヴィスを大切に思っていることも、何も知らない自分に多大な信頼を寄せていることも。
『ねえ、セティ』
『なあに、ディール。またエルヴィス様に何か言われたのかい?』
『うん。セティに魔法を教えてもらえって言われたからさ。魔法は苦手なんだけど』
『君は武術を極めたかったんじゃないの?』
エルヴィスが何故ディールに魔法を教えようとしているのか、セティは理由を察してゾッとする。
彼は、思い通りになる片腕が欲しいのだ。
彼の思い描く理想郷がどういうものか、セティには想像もできない。だが、自分を理解してくれる存在を彼は誰よりも欲しがっていた。
『また、今度ね』
『えー、魔法を教えてもらうならセティがいいよ』
理由も知らないで、彼は信頼を寄せる。
自分が、エルヴィスをどういう風に見ているかも、複雑な心境でディールと対峙していることも、きっと彼は知らないのだろう。
『ディール、君に話してやりたいよ』
屈託ない笑顔が崩れ、縋る彼を見てみたい。
だが一方で、いつまでも屈託ない笑顔で傍にいてほしい。
相反する想いの狭間でどちらが本当の想いなのか、もう彼には判断のしようがなかった。
──こんな場所、最初からなければよかったのに。
いつしか、全てなくなればよいと願っていた。そのためならば、命を捧げてもよい、と。
だから、自分の行いは決して間違いではない。
暗闇の中でも、彼の思いが変わることはなかった。
****
暗闇の中を蠢きながら一つの灯りを探しだし、そこに彼を休ませた。
「俺とディールで見張りをしてくる」
「セティのこと、頼んだよー」
レイザは呆れたように、ディールは無邪気な笑顔でゼーウェルに頼んだ。アイーダとルイズとユリウスも今回は見張りについているらしい。彼女たちの談話の声が聞こえたからだ。
どうやら、セティ一人だけが……と思ったところで、セティが蠢き、声を上げる。
「……目が覚めたか?」
「……え……う……ああ……ここは……?」
「──私の部屋、というべきか。何時間か眠っていたから運んだ。今はレイザが見張りをしている……レディン」
「そうだったのか……、俺はまた助けられたのか……」
「そう自分を責めるな。この場所がお前を駆り立てただけだからな……それより」
「……」
「もう、知っているんだろう。ここが、元はハイブライト城と呼ばれた場所で、私たちはそこに住んでいた者であることも。私たちは、試されている、と」
ゼーウェルはセティの方は振り向かず、ただ真っ直ぐと彼方を見つめながら彼に話し掛けた。確信へと至る真実。揺るがない答え。彼は、もう気付いていた。
セティは暫し物思いに耽り、やがてゼーウェルと同じように真っ直ぐと見つめ、口を開いた。核心へと至る答え。揺るがない真実。彼は、覚悟を決めていた。
「……アルディは、ハイブライト王政が変革した後にできた領域だ。それを創り出したのが、今は亡きアベル・ハーヴィストだ。だが、変革を快く思わないもうひとつの大陸があった。それが──ライハードだ。ライハードはハイブライトを元に戻そうとした。その第一手に、ハイブライトの復活を謳った。俺は、エルヴィスとともに選ばれ、葬られた。エルヴィスがハイブライトに魅入られたことも、葬られたことも全て予定調和だった……そして、俺は分けられた」
「私も、分けられたのだな」
全て、予定調和。此処に至るまでの全てが予定調和なのだ。あれだけ必死に戦い抜き、終わりを求めて駆け出していたのに、それが決められていたことだと言われ──でも、驚きはしなかった。
恐らく、彼は気付いていただろうから。セティはフッと笑って語り続けた。
「ああ、アルディに根づいた生命は、ハイブライトの封印を解いた後で始末しなければならなかった。ただ──レイザだけは、その中に入っていなかった」
唯一の誤算。そこで決定された相違。彼は正しくヒーローとなるべき存在だったのだ。予定調和を崩すヒーロー……だから、焦がれた。
「レイザは私やセティ、オールコット姉妹やディール、ユリウス達と違ってアルディから遠く離れた場所で生きていたから……か。私がレイザを庇って全てを忘れることも、きっと」
「──レイザとゼーウェルが出会ってから」
「……? 出会ってから?」
斬り込むようにレディンは告げる。前にも似たようなことを言われたが、そこに含めた意味は異なっているのではないかと、ゼーウェルは思考する。
対するセティは、無表情のまま同音異義語を並べた。
「前も言っただろ。君たちは僕にとって脅威だったと。君たちが出会ってから、予定が狂ったんだ。だから、ライハードも意図しないような事態になってる」
出会うはずのない二人。相容れない二人。だからこそ、二人が出会い、心を交わしたら、強い刃となる。それは諸刃。己も他者も……世界も切り刻む刃となった。
セティは恨めしく、然し尊敬の眼差しでゼーウェルを見つめる。
「君たちが出会ったら、強い絆で結ばれる。絆はね、国を崩壊に追い込む。ハイブライトはそうして滅んだ」
「……お前は、」
ゼーウェルはただ黙って話を聞きながら、セティに答えを問う。
「お前は、ハイブライトが滅びるのを望んでいるのだろう?」
それは確信。そして核心に触れた答え。セティは息を吐くように笑って──肯定した。
「俺はね、父と母をハイブライトに奪われた。尊敬している師も奪われた。二度に渡って奪った国を許すものか。誰が、こんな国に。ヴァンに加担したのもね、この国を貶めす為さ。この国の歴史に……傷をつけるためさ! ただ、それだけ」
「セティ……レディン」
「やるかい? ゼーウェル……いや、セイシェル・ハイブライト。お前はアルディを守りたいのだろう?」
「……私はそのようなこと、望んでいない」
「本当かな?」
セティは凍りついた笑みを浮かべ、ゼーウェルを睨み付けたまま。
親友として過ごしてきた時間は偽りなのか。それとも、アルディの中で過ごしてきた時間が夢なのか。自分は今まで夢を見て、此処にきて夢から覚めただけなのか。
唖然とするゼーウェルに、セティは笑みを張り付けたまま、外に向かって歩き出す。
「今は戦わないよ、ゼーウェル。ハイブライトの中枢に行くまでは、ね」
これが宿命というなら、今までの関係はいったい何だったと言うのだろうか。
その答えは誰も示してはくれなかった。
****
「目が覚めたの?」
部屋から出るとディールが駆け寄ってきた。セティの様子が気になって仕方なかったらしい。
「うん、心配かけてごめんね。ディール、もう大丈夫だよ」
先程までの殺気立ったオーラは見事に鳴りを潜めている。ディールには見せたくないのだろうが、果たしてそれは彼が弟的存在なだけなのだろうかとゼーウェルはいよいよ分からなくなった。
セティ──レディンのハイブライトに対する憎しみは根深い。混濁を極めている。
(いや……レディンは……)
無意識的に遡る記憶。そこには憎しみの炎を携えたレディンが……。
(レディンは、世界を憎んでいる)
世界を焼くレディンの姿が容易に想像できる。彼なら、やりかねない。
「セティ……」
思考が途切れたと同時にルディアスがやって来た。覚束ない足取りで、漸くセティの名前が呼べたらしい。
「いったい、何があったの?」
「……セティ、来てくれ……」
セティの問いかけにルディアスは答えない。ただ、彼はセティに来るよう促しただけ。
彼の瞳に涙が見えたのは──きっと気のせいではない。
「どうしたの、ルディア──」
言いかけたところで、ルディアスは──セティに槍を突き付けた。
「なっ! ルディアス!」
「来るな!」
驚愕の声を上げるディールにルディアスは声を上げる。その声はレディンに向かっていた。
「……」
激情を露にするルディアスに対し、セティは何故か笑みを浮かべたまま。
「セティ……いや、レディン、お前だろう……ルキリスを殺したのは!」
ルディアスの声が貫く──だけど。
「それが、どうかしたの」
レディンは、嘲笑うかのようにルディアスを見つめるだけだった。
****
「……これも、決まりだ」
狭い一室で、若い男の声が冷たく響く。
彼の足元には、なだらかな肢体を晒して呻く女性がいた。彼女は辛うじて言葉を繋ぐことができるようだ。
「……卑怯ね……、不意、討ちだ、なんて」
「ヴァンを不意討ちで刺そうとした。それを止めることの何が悪い。ヴァンはこちら側の人間だ」
若い男は銀髪を持っていた。暗闇の中でそれはまるで流星のように煌めき、彩りを与える。
一方で、起き上がることのできない女性が歪んだ赤の中でもがきながら抗議する。
「……嘘、つき。本当……は、あいつの、ためなんで……」
「その名前を言わないでほしい。彼と俺は元々同じ目的を抱いた仲間だった。今度こそ、今度こそ彼のために成すべきことを成す。そう決めたんだ」
まるで非難するかのように言葉を突き刺して、彼は彼女から離れていく。
「邪魔をされたくないんだ。俺は彼の望みを叶えるために復活した。君に願いがあるように、俺にも願いがある。それが、彼のこと。君は彼の邪魔をした、だからこんな目に遭った──もう行くよ。その傷なら、召喚師が治せるだろうからね」
あくまでも、牽制。それ以上の行動は今は取るべきではない。
彼はそう判断したようで、素早く彼女の元から立ち去った。
「……ルディアス……早く、早くヴァンの元へ……」
流れる赤に浸された彼女──ルキリスは訪れる人の名を呟いた。
──鮮やかな赤が、無機質の床を色濃く染めていた。




