Charge8:破滅を望む刃に、赤
その物体はもう、生きているのか、死んでいるのかもわからない。或いは、その物体は、何物でもないのかもしれない。ならば、それは、なんとつけたらいいのだろう。
理由も名前も与えられなかった物体は、ガラスに包まれて水に浸されている。その瞳には何が見えている?
ふふ、と笑って彼はガラス越しに物体に触れる。手が近付いても物体はぴくりとも動かない。瞬きすらしない。
それが面白くなかったのか、伸びていた手を下げて背を向ける。
物体を剥製のように仕立てあげた──主の表情には苦しみが広がっていた。
「本当はね、こんなこと、したくなかったんだよ。お前が──お前が裏切らなければ」
物体は人だった。全身が白で彩られた人だった。だが、今では何も返さない。ただ、溢れる水に浸されて揺れるだけ。語る言葉すら持たない。
「俺を引き込んだのは、お前だろう? ねえ」
静かな同意を求めるも、当然のことながら返答はしない。そして彼はとことん面白くなさそうにして、踵を返す。
向かう先は玄関口、だ。
「客人は玄関口で丁寧に迎えなければな。我らの目指す理想郷の完成記念だ。丁重に出迎えるがいい。我々のおもてなし、味わって頂かねば……いいな?」
実体なき影が蠢いているのがうっすら見えた。ヴァンの問いかけに影は息吹を返す。声すら与えられない実体が唯一発することが出来る僅かな息吹。
ヴァンはその息吹をしっかりと受け止めて口元に勝利の笑みを浮かべた。
勝てる、我々は勝てる。勝って、必ず手に入れるのだ。全てを壊し新しい世界を。
加速する理想にブレーキを掛ける術も持たない彼は坂を滑るようにして転がり落ちていく。ここにいる影たちに対する態度にも随所に現れているではないか。ヴァンは声すら与えていないのだから。
ひたすらに従うだけの人形を欲しているだけなのだ、彼は。
声も動作も要らない。従ってくれるなら、それでいい。
無機質で冷酷な感情を持ち合わせていながらも、再び振り向いて物体を見返す瞳には憎悪が滲み出ている。
安定感のない彼に、手を差し伸べる存在も──今は、誰もいない。ただ、影が蠢く息吹を感じ取ればいい。要は一時の安心感があればいい。
口元から笑みが溢れた。もう少しで理想が叶う。目の前に迫る歓喜たる現実に高揚感を隠しきれなかった。
****
「レイザ、とうとう来たな……白亜の城に」
「ああ、よし、正面突破するか」
目の前に迫る巨城、厳かな城。入り口は正面にしかない。門は開き、客人を歓迎している。
「私たちはサポートに回りましょう。目指すは最上階です。ヴァンはそこにいる」
「間違いないが……いや、大丈夫だ、な」
ゼーウェルがリデルの言葉に気難しい顔をする。これは、杞憂だろうと彼は結論付けた。でないと、言い知れぬ不安に呑まれそうになったからだ。体が震えるのもきっとそのせいだ。
「よし、行くぞ」
レイザは恐れることなく、周りを先導しながら一歩を刻んだ。ゼーウェルも後に続く。
何て綺麗な背中だろうと、焦がれた。彼はこんな時でも凛としている。理由なき不安に戦く自分とはあまりにも違いすぎて。ねじくれた想いが込み上げた。
「敵は……まだいないな……ルディアス、何か聞かなかったか?」
「……いや、聞いていない。力になれなくてごめん。俺が逃げた直後に城が出てきたから」
「そっか……ま、まあ教えるわけないか。ヴァンのことだし。静かなんだよな、この城があまりにも」
「……そういうものなのかもしれない」
「えっ?」
「この城は元々、静かなのかもしれない」
ゼーウェルの予測にレイザがすっとんきょうな叫びをあげる。だが、拭えない懐かしさはどこかにあった。苦しくて悲しくて、嬉しくて。これを懐古と言うなら、きっと正しいのだろう。
懐かしい、泣きたくなるくらいに。悲しくなる、笑いたいくらいに。
一致しない感情に震えながらも一歩、また一歩と歩き出す。その時だった。
「この先へは行かせぬ!」
甲冑を身に纏う騎士が──否、これも亡霊だ。虚像が立ちはだかる。
「俺たちは進むんだ! 垂直降下!」
「負けない、火焔回転!」
前方と背後の気配にレイザとディールが気づき、直ぐに応戦した。そして甲冑はからからと寂しげに崩れ落ちる。ほっと一息つく。
「始まったな、いよいよ」
「そうだね! でもレイザがいれば大丈夫でしょ」
「人任せはやめろよ」
「嬉しいくせに」
へらりとディールが笑ったので、レイザも笑う。いつ振りだろう、こんな風に笑えたのは。
「急ごう!」
再び戻ってきた絆があれば負けはしない。そう、信じている。
門を潜り抜け、荒れ果てた緑の庭園と淀んだまま止まった水。まるで、写真の中を歩いているような感覚に不気味さを覚えた。だが、仕方無いとも思った。
何故ならば彼が望む世界は徹底的に削ぎ落とし、美しいと賛美できるだけのものだから。
「こんなの、つまらないって思わないのかなあ?」
「どうなんだろうな。ヴァンの気持ちが分からないから俺には何にも返せないよ」
ディールが退屈そうに問うのでレイザが答えた。自分なら御免だと思うが、この世界の創造者はヴァンだ。ゆえに、彼にあげられる答えは見つからなかった。
「……最初は、楽しいのかもしれないな」
二人の話に一種の答えを与えたのがゼーウェルだった。だが、彼はヴァンの考えを詳しく説くことはしなかった。彼を見なければ、答えなど見つからないと思ったからだ。
「そんなものかなあ」
レイザは納得しなかったが、追及もしなかった。いずれ、全て分かることだ。いずれ、全て見えることだ。無理に当てはまる答えを見つけたところでヴァンに対する思いが変わるのか。ヴァンの望む世界を受け入れるのか。
受け入れられないものを説くのは危険だ。思い付いた答えは間違っているかもしれない。
それからは不穏な空気を感じることもなく、淡々と歩く。緊張感から交わす言葉は少なくなっていた。何を話せばいいのかも、多分分からないのだ。
「あのさ……」
ぎこちなく切り出したのは、ディールだった。彼の瞳は濁り赤に向けられている。
「どうしたんだ、ディールくん」
「ルディアス、聞きたいことがあるんだけどいい?」
「ああ、いいよ」
「……ルキリスは許してくれたの?」
案外、痛いところを突いてくるなと、ルディアスは思う。もちろん、顔には出さなかったが。
きっと彼は何か少しだけ誤解しているのだろう。ならば、早く解いてあげなければと思った。
「ルキリスが望まないことを押し通したりしないよ。彼女が許してくれたから此処にいる。変わろうと思う。そして、彼女と一緒にいたいから、今此処にいるんだと思う。だから、そんな顔をしないでくれないか」
「……そうだったの。無理に話させてごめん。ルキリスはきっと俺を憎んでいるから聞きたかったんだ」
「……君のせいじゃないってことは、ルキリスも分かっているよ。ルキリスは、君のことを心配していた」
心が悲鳴をあげていて、耐えられなかった。けれど、理性がないわけではなかった。ルキリスが心の奥底で彼が助かるのを祈っていたのは知っていた。彼女の全てを理解しろとは言えない、でも、彼女はディールの身を案じていた。それだけは、ディールに信じてほしいと思った。
「待て、侵入者どもよ!」
「またか!」
厳かな声が制止する。そして、阻む者が真っ赤な剣を抜く。反応したルディアスが槍を回して応戦する。
「ミドルランサー! いい加減にしろ!」
「援護します! シャインカッター!」
アイーダがミドルランサーに光の力を送る。光を受けた槍はキラキラと輝き、阻む者を退けた。
「オールコットの妹か。助かった」
「アイーダですわ、ルディアス殿。ね、ディール」
「う、うん……」
(めちゃくちゃ繕ってる声だな、おい……)
「レイザさん、何か?」
「いえ、何でもありません」
紫色を揺らしながらクスクスと微笑むアイーダの背後には黒いオーラが流れている……ような気がした。本能的な危機を感じた二人は逆らわないよう必死に頷いたのだった。
「ルディアス殿が大丈夫なら何よりよ」
「助かった! ありがとな」
二人が余計なことを言わないよう釘を指しながらルディアスに微笑む。ゾッとするほどにこやかな表情だ。
だが、彼女の裏の顔を知らないルディアスは快活に笑って軽快に返してくれた。
それから暫くは何も起こらなかった。トントン拍子で足が進むことに不安があったが、おどろおどろしい雰囲気にも慣れてきたので集中力が増したような気もする。あくまでも、気がするだけなのだが。
様々な絵画が飾られた壁、何かが零れたような液体の染みがついた床、ぼんやりと辺りを照らす蝋燭、規則性を持った距離感と位置に置かれた壺。
元は有名な洋館であったことが……或いは歴史を持った壮大な城であることが示されていた。そこで、ふと、レイザは何か引っ掛かりを覚えたのである。
「どうしたの、レイザ。なんかまずいものでも食べたような顔してさ。そんな顔したら気になるよ」
「微妙に腹立つな……まったく」
「レイザが微妙な顔してる時ってさ、まずいものでも食べたか、ゼーウェルさんの御守りでもしてるか、考え込んだりしてる時くらいなんだよね……っていったーい!」
ディールの悲鳴が聞こえた。彼の前を歩くゼーウェルはサッと壁際から離れて歩いたが、話に集中していたディールは置物をかわしきれなかったのだ。
痛がるディールにゼーウェルは釘を指す。
「……ディール、口は慎まないと痛い目に遭うぞ」
どことなく、彼の口許には笑みが見え隠れてしていたがレイザは敢えて見ないようにしながら歩いていた。損害を受けたディールは流石に黙っていなかったのだが。
「今の絶対計算してたよねゼーウェルさん!」
「……いいや?」
「絶対計算してたよ!」
「おいおいやめろよ……二人とも」
「まったくもう、ディールもゼーウェルも相変わらずねぇ。少しは何とかならないのかい?」
呆れるルイズにため息をつくレイザ。それを見た二人が口を揃えて言う。
「レイザにだけは言われたくない」
音までもが重なったことを笑わずにはいられなかった。いつかはこの笑顔がなくなってしまうことも、気付いていたのに。それでも大切にしたかった。
****
「侵入者が来たのか」
低い声が響く。様々なガラスで彩られた空間の中心に男は立ち、一連の流れを見ていた。
「何と愚かな侵入者だ、創造者も侵入者も愚かな。偉大なるフィリカに楯突くとは」
現在を掌握したかのような尊大な言葉を、ガラスは光を受けながら輝きを放っている。自然現象に過ぎない反射を経て、光は男を讃えていた。
ただ、讃え、ただ、美化し、ただ、煌めくだけ。まるで生を持つような現象に守られながら男は現在を見守る。
「──ヴァン、どうして狂ってしまった。どうしてこんな風になってしまった。私は望んでなどいなかったのだ。このような形で生かされることなど望んでなどいなかったのだ。ああ、哀れな魂だ。哀れな奴だ。私にとってお前など」
そこで男は一息いれた。次の言葉を告げるための準備を整えなければならない。だから、その準備をするために。
きっと、重大な意味を持つ言葉なのだ。彼が言葉にしようとするものは。
「だが、私は理想を果たさなければならない。今ここにいる全ての生命を使って、今ここにある全てのエネルギーを使って、戦火の海蘊と化した誇り高い王国を復活させなければならない」
「──主よ」
男の元に跪いたのは銀の乙女。陶器のように白い肌に艶やかな紅い紅を引いた唇で男を呼ぶ。
「ああ、見たまえ。君の仮の姿が君を倒さんと歩んでいる。この世界に誘われた者は皆、仮の姿と真の姿を併せ持ち、どちらが残るか戦わねばならない。お前も嬉しいだろう、仮の姿がここまで奮闘する姿を見ることが出来るのは」
「ええ、嬉しいですわ……そして勝利を収めたものだけが生きてゆける。だけど、ダークが……」
「……それは、残念だ」
「やはり、兄弟というものは強い絆で結ばれている」
「絶たねばならない、そんなもの。ヴァンにはそのためにがんばって貰わねばならないのだ」
「──畏まりました、主よ」
思惑に頷き、闇に溶ける。求める理想がある限り、戦いは避けられない。理想が違えば尚のこと。違う理想同士を重ねることは出来ないのだ。重ねるには、限界の枠が大きすぎる。だから、減らすしかないのだ。
違う理想を、理想を抱く者も排除しなければならないのだ。もう猶予はない。一刻も早く動かさなければならなかった。
──己の理想を叶えるための力が、今すぐ必要だった。
「我々の栄光は、永久まで語り継がねばなるまい。我々の世界が全てだ、と。美しき世界、清らかな魂、麗しの主君の慈悲の下で囀りながら生きる世界。嘲り、痛み、苦しみなど不要なのだ。侵入者は愛と言う名の絆で繋がっているが、愛など幻想。間違いなのだ……」
細められた視線の先に広がるは各々の歩む姿。薄く形の整った唇が奏でる過去への栄光。この瞳には何もかもが写し出されている。不明なものなど、何もない。
──そう、何も、ない。
──うわああああ!
どこからか、断末魔の雄叫びが響く。映し出されたその先にあるのは、深淵に呑まれた青年が壁を切り裂く場面だった。
****
「ルディアス、聞きたいことがあるんだけど」
「お、ディール君。何だよ、そんな神妙な顔をしてさ」
暗闇を探りながら歩く六人。ディールはルディアスの元に来て、尋ねる。
「ルディアスは優しいよね。俺のこと、受け入れてくれて」
「なんだっていきなり……ディール君、騙されやすいんじゃないか?」
「え、どうして?」
ディールの無垢な瞳にルディアスはたじろく。疑うことの知らない瞳は彼にとって凶器にもなり得た。それくらい、強さと目映さで煌めいている。この煌めきは自分にはもうないものだ。だから、良からぬ不安を寄せてしまう。
「俺は今でもエルヴィスのことを恨んでいる。彼がどんな風に考えていたとはいえ、俺の全てを奪ったエルヴィスを許せるはずがない。ディール君、それだけはよく覚えておくんだ」
「ルディアス?」
ルディアスは、まっすぐとディールを見つめる。彼には教えておかなくてはならない。無垢な瞳を持っているからこそ、教えておかなくてはならないのだ。
「世の中には、割り切れないこともある。俺の感情を偽って、違う行動だって取れる」
感情だけで、生きて行けたらいいのに。思いだけで終われたらいいのに。だけど、全てが思い通りになるなら、きっと誰も悲しまずに済んだ。
ヴァンだって、エルヴィスだって……もっと違う形で出会えたのかもしれない。或いは、彼のような無垢な瞳を持っていれば……だが、もう迷わないと決めたのだ。
「俺は狡いんだ。心のどこかでルキリスが身代わりになってくれて良かった……なんて思っていたりもする。だけど、やっぱり好きだからさ、助けに行くんだよ」
「……難しいね」
「ディール君は、正直なままでいてくれよ。俺みたいに狡い人間になってはいけない」
「うん、分かったよ」
ディールが頷いたところで、影が此方に向かって歩み寄るのが見えた。
「ディール君、伏せろ!」
ルディアスは彼を庇いながら槍で凪ぎ払う。
風を切る音が涼やかに、そしてその一振りは彼を救う。
「ディール君、大丈夫か」
「うん、ごめん」
「なあに、無事なら良かった」
彼は豪快に笑ってディールの頭をぐしゃりと撫でる。かっちりした手がとても暖かいから、やっぱり彼は優しいのだ。狡いだなんて言わないで欲しい。
万感の思いを込めて見上げるとルディアスは照れ臭そうに笑った。どうして彼はこんなに無垢なのか。触れたくなるけど、触れると壊れそうなほど……。
「レイザが殴りたくなるの、なんか分かる」
「えっ、それってどーゆー意味なのさー」
「あまり言いたくないなあ」
ルディアスは意地悪く笑って前を向いた。どうやらディールに答える気はないらしい。
その背を眩しく見つめる影があった。そう──彼とずっと時を過ごしていた彼だった。
(君は、知らないんだろうね)
寂しそうに笑いながら、泣きそうな顔でその背中を見つめている。
置いていかれそうな気がした。もう、既に置いていかれているかもしれない。
(──この城のようだよ。一向に前に進まない、取り残されて滅ぶだけの城、大陸──歴史)
時が止まったまま、留まったままの城を眺めながら己と重ね合わせて自嘲する。
「侵入者……如何なる用件か? この城の破壊か? この大陸の封印か?」
問いかける一つの影を見ながら、代行者と呼ばれた存在は薄暗く嗤う。
「──こんな大陸、無くなってしまった方がよかった。夢だけを見て、理想に溺れて喪ったり堕ちたりするくらいなら、存在する意味がないじゃないか」
レディンは笑ったまま、線を弾いた。
「──セティ!」
仮初めの名前を叫び、悲痛な声で止める存在にも気に止めず。
「全て消えてしまえ……煉獄戦壊断!」
バラバラになっていく影と、噴き上がる赤が城の一室を飾った。




