Charge7:寄り添う明暗
彼女は彼を守るために、彼を思うがゆえに、敢えて別れを選んだ。その選択肢に間違いはないと信じている。
彼は、自分がどこへ行けばいいのか迷っていた。レディンの言葉に、レイザの眼差し。それらを思い浮かべて悩んだに違いない。ならば、自分のやるべきことはひとつしかないと思った。
──レイザ達と共にいれば、彼はきっと自分の生きる道を取り戻せるだろう……。
正しい選択に違いないと、確信に近い強固な感情のままにルキリスは頷き、一人で深奥へと歩き出した。
思っていたよりも遠いと歩きながら実感するが、相談する相手はもうここにはいなかった。
自ら手放した筈なのに未だ焦がれるのは、彼をまだ思っているからだ。大切で、大好き。けれどもう会えない。会うことは許されないのだろう。
──自分が、ヴァンの罪を背負おう。
迷いに迷った末に、ルキリスはそう決めた。それは、この手を血で汚す決意でもある。
ヴァンと共にすることが良いとは思っていなかった。無論、ヴァンが自分をどう思っているかもルキリスには分かっていた。
──彼の心を掴むのは、唯一人。唯一人だけなのだから。
「それでも構わないわ」
自分には、彼が思うように唯一人がずっといる。ずっとずっと──心の中にいる。
ゴォォォォッ!
突如として唸り声をあげるように異変は起こる。この先で、いったい何が起きているだろう。だが、彼女はきわめて冷静に対処し、進んでいく。
「……とうとう復活したぞ!」
近づくにつれ、響く不協和音。高らかに笑う雄叫び。それらを聞いても彼女は恐れることなく進んで前に行く。
「ああ、ああ、この城……この城で雌雄を決することができるなんて……最高だ」
悦に浸るヴァン。そんな彼を他所にルキリスは淡々と同意する。
「──ヴァン、とうとう甦ったのね」
「ああ、ルキリス。見てくれ……素晴らしい城だ。素晴らしく美しく、憎らしい城だ」
「そうね……綺麗ね」
またしてもルキリスは淡々と頷いた。だが一方ではある種の感動も心の中にあると自覚する。確かに、こんなにもキラキラと輝く白は何処にもないだろう。
白を囲うように彩る真紅、目の前にさらさらと流れる水。ヴァンにしか分からないものもあるだろうが、何となくこの城は美しいと思う。もっとも中身はよく分からない。
全てを終らせたいと高揚するままにヴァンは弾んだ声でルキリスに告げる。
「ルキリス、早速君に最後の仕事をしてもらう」
「ええ、何かしら」
「──彼らを案内してくれないか」
「貴方のいるところまでかしら?」
「そうだ、できるかな?」
「もちろんよ、任せて」
「それともうひとつ……君にやって欲しいことがあるんだ」
「……何かしら」
くつくつと笑いながらヴァンはルキリスの方へ手を伸ばした。その瞬間だった、ふわりと冷たさが漂い、凍てつく冷気は彼女は身を強張らせていた。しかし、どうにかして踏ん張り、目の前にヴァンを見つめる。
ヴァンは信じがたいことをルキリスに命ずる。
「闇の神に、君の命を捧げてくれないか」
「──……」
やはりか。
何故かは分からない。だが、ルキリスは不思議と客観的にヴァンを見ていた。
恐ろしいことを言われているのに、どうして驚いたりしないのだろうか。その理由はもう知っている。
──前々から、彼が唯一人──彼女、そう、名前をユリウスという。ユリウスを求めていたことは知っていた。ただ、核となるものがなければ、彼女を作り出せないのだろう。
──何故なら、彼は、できるだけ忠実に、彼女と呼べる全てを再現したいだろうから……。
残酷な命令を平気で下せるヴァンに若干の諦めと覚悟を決め、頷こうとした時だった。
「返事はしなくていい、ルキリス」
「……あなたは!」
返事をしようとしたルキリスを庇うように現れた──漆黒の男。黒に被われているはずの彼の今の姿は何より神々しく輝いている。思わぬ展開に今度は驚くことができた。
面白くないのはヴァンの方だ。
「──ダーク、貴方でしたか。邪魔をしないでくれ。ルキリスと大切な話をしているのだから」
「……ユリウスのため、か?」
「そう、ユリウスのためだ! ユリウスと二人でこの世界を、この世界を滅ぼす。そして、二人だけの楽園にするのだ! それを阻むと言うなら、貴方でも容赦はしない!」
今にも襲いかかろうという勢いで叫ぶヴァンに対しダークは冷淡に返す。
「──やれるものなら、やってみるがいい」
「何?」
「人の命は一つ、だ。それ以上にも以下にもならない。さあ、ルキリス、早く行くぞ!」
「……貴方は何を企んでいる!」
それを答える必要は、もうない。
ルキリスを軽々と抱き上げ、ヴァンに向かって悠然と微笑むダーク。ヴァンが叫んでも、彼はその笑みを決して崩すことはない。そんな彼が応えたのは、非常に淡白で、とても素っ気ない一言であった。
「──何も?」
たった一言。それが余計に気に入らない。その一言の裏には何か大きな秘密を隠している気がするからだ。
「言え、言うんだ!」
迫るヴァンに向き合い、ダークは険しい表情で彼を見る。その瞳には言い知れぬ深い悲しみが溢れていた。
「──もう遅い、ヴァン。もう二度と言わないさ……はね除けたのは、お前だろう」
突き放さないようにしていた。最後だと何度も言い聞かせていたのに、結局ここまで来てしまった。いつかは止まるとほんの僅かな期待を抱いたこともある。だけど、繰り返すばかりで結局彼は堕ちるだけ堕ちた。
「俺は、俺の務めを果たす。お前はお前のやりたいようにやるんだ……ヴァン」
それだけを告げて、彼はルキリスを連れて去っていった。
「……どいつもこいつも邪魔ばかりする……!」
ギリギリと歯軋りを立て、ヴァンは忌々しく呟いた。だが、彼には次の一手がある。早く次の一手を繰り出さなければ彼は次々に行動を起こす。
「そんなに欲しいのか……光が!」
追い求めるものを違えた結果。決して分かり合えることのない、二人。
ヴァンは彼が歩いた軌跡をなぞるように歩きながらくつくつと笑う。朦朧とする意識の中、求め得る幻影に手を伸ばす。
「大丈夫だ、大丈夫……彼は逃れられない……誰も彼も、そう誰も、ここから逃れることは出来ない……苦しみながら堕ちるだけだ……フフフフ……クックックック……」
ここは深淵、全てを知る場所。誰も──作り出した彼でさえも抜け出すことは叶わない空間だ。
****
深奥から駆け上がるダークに抱き上げられ、未だ状況を飲み込めないルキリスが声をあげる。
「……ダーク、どうして……」
ルキリスは疑問を投げ掛ける。どうして彼は助けてくれたのだろう。それに対してダークは直接答えたりはしなかった。それどころか逆に彼女に質問を投げ掛ける。
「ルディアスに会いたいんだろ?」
「えっ……」
「知ってる、お前がルディアスを逃がしてヴァンと運命をともにしようという考えに至ったのは。ヴァンはお前を喰い殺す。それでもともにする、と?」
ダークには分からないのだ。彼女の行動が。自分を投げ打ってでもヴァンと寄り添う理由が。
問われた彼女は気まずそうに俯きながらポツリと答える。
「……ルディアスを解放したいのよ」
ああ、タメだ。守ると言いながらまだ背中を探している。会いたい、会いたいと泣いている。忘れられたら、割り切れたら楽なのに、どうしようもなく大切で──。
「よっぽど好きなんだな」
ダークは静かに彼女の答えを肯定した。すると、ルキリスはおそるおそる彼に質問を投げ掛けた。
「……貴方も、好きなんでしょ……」
彼が、ゼーウェルに対して強く出られない姿勢を顧みて納得する。レイザに敵意を見せるのも、ゼーウェルに固執するのも、彼が強く思っているからだろう。
「……」
「好きなんでしょ……ゼーウェルのこと」
黙ったままのダークに確信じみた質問を投げ掛けてルキリスは前を見た。
してやられたと、受け取ったダークは口をつぐむ。
彼女を説くはずがルキリスに再び問われ、ダークは困惑した。息が詰まりそうになったのだ。
大切だった……かもしれない。どう思っているのか、どんなことを好きと指すのか。ダークにはまだ名前をつけるほどの確信は持てなかった。
──だけど──失いたくない、とは思う……。
そんな彼の様子に苦笑し、自分のことを話した。
「私は、エルヴィスの傍にいた人はすべからく憎いの……ゼーウェルも、よ……そんな私を助けるの?」
憎しみのままにかの人──ルイズ、アイーダ。遺された二人の姉妹の顔を忘れたことはないのに、手にかけた……。
──自分は凍えた雪の中で、二人の愛する家族──ミディアの命を奪った。
それは、エルヴィスへの憎しみ。理想を追いかけた者の部下でさえ彼女にとっては憎しみの対象だった。大切なものを奪ったこの手を、何故彼は救うのか。
すると彼は柔らかく説く。
「憎むのを止めたいと、思わないか」
憎しみが何も生み出さないことはずっと前から気づいていた。それなのに止められないのは、そこにいる方が楽だからだ。だから、止められない。
変わるのは大変だ。強い意思が必要になる。だから、動けなくなる。気づかぬうちに呑まれてしまう。
変わりたいと思う、終らせたいと思う。だから、前を向いているのだ。
「……変われるかしら?」
「ルディアスがいれば、いけるだろう」
彼らしからぬ優しさだ。だが、それが心地よい。
闇に落ちかけた己と闇に潜んでいた彼を運ぶ道。見失わずに道を歩いていけばいつか出られる。
閉ざされたはずの未来がすぐ目の前にある。諦めかけていた心が動く。
この手に、希望を得るのだ。
──この手に、光を掴むのだ。
****
深緑の森、終わらぬ暗闇を切り裂くように飛来した青年ルディアスと出会った彼等は助けを求める彼の話を聞くべく、安全な場所へと身を潜めた。
ルディアスは、見覚えのある顔を見て、いくらか安堵した様子で息を吐く。
「……すまないな、気を使わせてしまって」
「いや、構わないさ……ルディアス。それよりもお前が無事でよかった……」
「リデル……」
今までこれと言って口を開かなかったリデルがここに来て始めて口を開いた。
「……リデル、また会えて、会えて、嬉しい。やっぱり、リデルと一緒がいいな。リデルと戦うのはいやだったんだ……」
兄貴的存在であるリデル。彼と会うのは久々だった。何時かは刃を交わすだろう彼と、まさか再び並んで歩く日が訪れようとは思わなかった。だから、こんなにも嬉しいのだ。
そして、彼はまたひとつ驚きの声をあげることになる。
「──ユリウス! ヴァンの……何故お前が……!」
無理もない。彼が嘆き求める彼女はもういないと思っていた。まさか生きているとは夢にも思わないだろう。
「……ダークに匿われていたのよ」
全てを話すと長くなる。だから、さらりと新事実を話したユリウス。その言葉を受けて全員が息を呑む。
何故、彼が?
その場にいた誰もが疑問に思うだろう。
ユリウス自身も首を傾げながらありのままを説明することにした。
「……ダークは、ある日突然現れたの。そして、連れて行かれそうになる私を連れ出してくれたわ。てっきりエルヴィスが作り出した幻影かと思ったら違うのね。最初はエルヴィスのことも彼は知らなかったのよ」
「そうなのか! あいつは……じゃあ、あいつは、何者なんだ? ユリウスを助けてくれて、俺たちを助けたり敵対したり、あいつは何がしたいんだ?」
「分からないわ……とにかくそれで私は助かったの。でも、メーデル姉さんは連れていかれてしまったのだけど……」
謎は謎を呼ぶ。レイザにはもう分からなくなっていた。誰が正しいのか、何が間違っているのかさえ。誰の考えも分からない。
敵だと認識したダークが、自分たちを助けるような真似をするのか。敵だと思っていたのに。
だけど、今分かるのはヴァンをどうにかすることと、ルディアスの片割れを助けることだ。それ以外は何れ分かるだろう。
今知りたいのは、ルキリスがどうなっているか、だ。
「ルキリスは、俺の身代わりになったんだ。俺は、ルキリスを止められなかった。ルキリスの優しさに俺は甘えてしまったんだ。だけど、ヴァンの身代わりにもしたくないし戦いたくもない。だけど、一人で挑むにはヴァンは強すぎる。それだけは、分かるんだ。ヴァンは強い」
「ルキリスはさ、あの城にいるの?」
ディールが指差した先にある白亜の城。聞かれたルディアスは頷く。
「ああ、あの城の中にいる。レディン……いや、セティか。お前の魔力も、あの城の中に封印されている」
「……本当に?」
レディンが希望を得たような顔でルディアスに問う。
「ごめんね、ディール。今の僕には力がないんだ。ヴァンに取られてしまっているから」
「でも、取り戻せるんだよね」
「うん、あの城に行けば、何もかも分かる。そう信じているよ」
レディンが強く言う。鵜呑みにするわけではないが間違いではないと信じている。彼も信じているだろう。
「じゃあ行こうよ!」
「ディール……相変わらず」
「だって、レイザ。ルキリスがいつヴァンの犠牲になるかも分からないんだよ。これ以上ヴァンの好きにさせたら、ルキアも全部なくなる。帰る場所がなくなるのはいやだ!」
「……ディール」
──いつから。
いつから──弱くなったのか……。
直ぐに行動に出れば、いいのにと羨む。
「そうだよな」
こんなときばかりは、彼の無邪気さに救われる。
「ね、みんな、だから行こうよ!」
やってみなければ、分からないから。だから、行くのだ。
「ハイブライト城に!」
時は決まった。あとは、進むのみ。
空に太陽が出る頃、彼等は決意を固めたのだった。
****
「……ふう」
漸く落ち着いたのかと、一息を吐いた。
空が明けるまで、動くのは危険だ。相手はどこにいるのか分からないのだから。
守るという大事な役目を任されたゼーウェルは緊張感から顔を強張らせて辺りに神経を尖らせながら見張りを行う。
どこかへ思考を向けることも許されない状況下で彼は既視感を持つ顔を思い描いていた。
──ダーク。
敵である筈の、彼の面影を何度も浮かべている。自分の日常を引き裂いた彼に──。
──今すぐ会いたいな……。
ふとした優しさを見せてくるから、いけないのだ。彼と戦わなければならない時も来るというのに。
──どうしているかな。
彼は、今何を思っているだろうか。あの──あの城に、いるのだろうか。
物思いに耽っていると誰かの気配がしたので彼は振り向いた。
「……起きていたのか」
見慣れた艶やかな黒髪と凛とした瞳。それらを見て彼は安心する。
「……レイザ、か……」
「そうだよ、他に何だって言うんだよ」
普段は生真面目な人の間抜けな顔を見て、レイザはクスリと笑う。
「見張り、変わるよ」
「……いや、いい」
「じゃあ二人でやるか。俺とあんたなら火消しもできるし」
「ほう、頼もしいな」
「あんた一人じゃ危なっかしくて見てられない」
「悪かったな」
ムッとしながらもゼーウェルは笑っていた。
彼とこんな風に話したのは何時振りだろうか。いつからこんな風に話さなくなったのだろうか。
「あのさあ、疑問なんだけどさ。ゼーウェル、いつから?」
「いつから、とは?」
「いつ、思い出したのかなって」
彼はダークによって記憶を失ったはずだ。だが、崩れゆく巨塔の中で彼は『レイザ』と呼んだ。
親しみを持つような声色で、よそよそしい言葉ではなくて。
「……忘れていた振りをしていただけかもしれない」
「忘れた振り?」
「そうだ、忘れた振り、だ。忘れた振りをして、見なかったことにしていたのかもしれない」
忘れたら、楽になれる。逃げたら、楽になれる。だから逃避して失ったのだ。だけど──だけども。
「そう簡単に、忘れられないさ。お前のことも、全て。お前との出会いも、会話も大切だった。だから、戻って来れた。お前に……」
「……え、なんて」
「……言わせる気か」
「ははっ、だって聞きたいじゃん?」
レイザがいたずらっ子のように微笑んでじっと目を見る。凛とした輝きに思わずたじろいたが、彼は恐らく言うまで側にいるのだろう。
「俺ばっか言わせて、ずるいだろ。たまにはゼーウェルから言って欲しいとか思うわけだよね、俺は」
「そうだったか?」
「もう忘れたの?」
おかしそうに笑っていた。こんなに笑える彼が、何度羨ましいと思ったのだろう。真っ直ぐと目を見つめられる強さを、何度欲しただろう。
彼は、自分が欲しいものを何でも持っている。だから、羨む気持ちばかりが加速する。同時に、負けたくない気持ちも、だ。
「レイザは私のことどう思っているんだ?」
「そっちこそ、言わせる気? そうやって俺ばっか言わせて逃げるの、悪い癖だぞ」
「私はお前みたいに馬鹿正直ではない」
「俺だって色々あるんだよ」
「そうだったか、知らなかったよ」
「まったく、意外とデリカシーないんだな」
ひとしきり言い合ったあと、二人は笑い合う。
ああそうだ、確かにお互い素直ではないと、思っているだろう。
心の中にある気持ちを、伝えられない。確かに正直ではない。言えたら、苦しくならないのに、どうして口に出来ないのか。
それは──。
「さあ、夜が明けるぞ。そろそろ行かなくてはな」
「ああ、ゼーウェル」
──まだ、一緒にいたいから、なのだろう。また、一緒にいたいから、言えないのだろう。このままで、共にありたいから。
だから、踏み出せない。踏み出したいのに、伝えたいのに。
「なあ、レイザ」
「なに?」
ゼーウェルはふわりと笑って──彼を抱きしめる。
ふとした既視感に襲われ驚いたレイザだが、直ぐに彼も目の前の人の背に両手を回す。
男二人、何をしているのだろう。だけど、うまく伝える方法が見つからない自分たちはこうして確かめるしかないのだと分かっていた。
「……もう、見失わないよ」
例え、何があったとしても。
「俺は、あんたに出会って強くなった。だから、離さない」
何があったとしても、傍らにいよう。
「……私は、お前に会って……弱くなったな。離れられないかもしれない……」
次、離れたら、生きていけないのかもしれない。彼は、生きていけるだろうが。
明るくひた向きな思いを向けているのに、暗く澱んだ声でしか返せないのは、臆病だからだ。
まだ、うまく伝える術を、知らないからだ。
──いつか、必ず伝えよう。
君への思いを、この口で。
相反する思いを照すように、朝焼けに光が射し込んでいた。




