Change4:空に散る刃
アエタイトから北上し、レイザ達は煙の上がるところまで走る。その道中はある程度歩きやすくなっていた道ではあったが鬱蒼と聳え立つ木々が光を遮っており、視界が狭まる。
暗闇に慣れるには当然時間も掛かるので、急ぐ気持ちに体が追い付いていけなかった。
「こんなとこで襲撃されたらひとたまりもないぞ!」
「照らせば余計目立つわ。本気で世界を消し去る連中よ、それに今は大分追い込まれていると思うし、危ないわ」
「ちっ、やりきれないな」
「ここまできたらあたしたちも全力でいくしかないわ……っ! 来たわね!」
シュッと風を切るように光の刃がユリウス目掛けて飛んでくる。
「見つけたわ! ホワイトアロー!」
カシャン!
風の刃と光の矢がぶつかり合って相殺される。
「早いわね……でも負けない、ホワイトアロー!」
ズサッ!
黒い影が粒子となって消えていく。
今度は外さなかったようで、ユリウスは少し緊張を解くことができた。やはり敵は暗闇に紛れているようだ。
「気を付けて……全然見えないの」
「そうだな……危うく切り殺されるかと思った」
「油断したら直ぐにやられるな……」
「ゼーウェル、物騒よ」
「──!?」
ヒュイン!
今度は紫色を描いて刃が跳ぶ。後ろを振り返れば、鉄製の投擲が木に突き刺さっていた。
「上か! 放電現象!」
「私も加勢するわ、ホワイトシャウト!」
命中した光と雷によって、黒い粒子を散らばせて消えていく者たち。風に乗って消える様は儚い。ヴァンの手で造られた幻影でしかないことを改めて痛感させられる。
キィィン!
金属の擦れる音が猛スピードでレイザに迫る。
「おっと……っ」
サッとかわし、気を溜めた拳をぶつける。
「ぐっ……」
「まだまだ……!」
ふわりと飛翔しようとする幻影に何度も拳と足蹴を連続で浴びせた。
少しでも油断すれば耳障りな音と現象に身体が動かなくなることをどこかで知っていたのだろうか。
「……ふう」
パアッと淡い光を放って崩れた幻影に安堵と憂いの混じった息を吐いた。まだ、このふんわりした感触には慣れない。生を感じ取れない虚像に顔を歪めているとゼーウェルが駆け寄る。
「レイザ……」
酷く落ち込んでいる。だけど、何も言えなかった。ただ、言葉を待つしか出来なかった。それが酷くもどかしく思いながら待っていると、彼は詰まるような息遣いとともに、やっとの思いで口を開いて言葉を落とす。
「俺は、ダメだな……」
ちゃんとしなきゃいけない。強くならなきゃいけないのに、いつも怯えて、感情を滲ませてばかりだ。
もっと冷静になれたらいいのに。彼の煌めく瞳は悲しげにゼーウェルを見つめる。だが、受け取ったゼーウェルは黙って首を振る。
「そんなことはない……私は、お前みたいに感情を表現できるのが羨ましい」
「……」
そんなことを、ゼーウェルの口から聞くのは予想外で少し戸惑ってしまった。だけど、一方で嬉しく思う。
「あんたが本音を言うなんて、滅多にないからびっくりだな」
「……言わなくていいと思っているからな……」
言わなくたって生きていける。そのことを知ったのはもう随分昔の話だ。もう微かにくすぐったいだけの消えない傷跡になってしまっただけなのだ。たまに気になるだけの。
しかし、あの頃は焼け爛れた傷が血を流し、痛みに震えていたのだ、確かに。今でも忘れない。
何もないことを恨み、呪いながらも──魔術という単語には惹かれた。自由自在に操れる力があれば、何かが変わる。
自分の何かを変えたくて目指した道は、才能がないということで呆気なく閉ざされた。だが、諦められなかった。強く抱いた憧れは捨てられなかった。
強く願う思いと、もうできないだろうという思いの板挟みになって、疲れ果てた自分はいつしか感情を隠すようになっていた。隠したり、繕ったりするのは楽だ。そこに言葉で装飾もしたら周りが信じてくれる。本音を話すより、ずっと楽だ。
だけど、違う。
レイザは柔らかく笑いながらゼーウェルに話し掛ける。
「俺さ、もっと聞きたいって思うよ。あんたの本音。俺は、知りたい」
自分は、こんなにも脆かっただろうか?
こんな一言で嬉しくて泣きそうになるなんて。
「……私もだ。私も……お前が何を思っているのか、知りたいと思う」
「えへへ、両思いだな」
「何を生意気な」
こんな風に笑えるときが来るなんて。
力がなくても変えていける。変われる。
この絆があれば、何だってできる。
できないと諦めていた昔の自分では到底想像もできないほど、真っ直ぐと新たな可能性に賭ける自分がいた。
****
はあ……っ、はあ……っ。
荒い息を吐きながらも挫けそうになる心を奮い起たせながら暗い道を走る。
彼は──濁り赤の髪が燃ゆる炎の中で仄暗く湛える青年の言葉を何度も何度も反芻しながら、脳裏に走る思い出を胸に、ただひたすらに走っていた。
『ルディアス、教えてほしいんだけど』
『なんだ、まだ分からないことがあるのか? 俺が見てやるからほら』
本の中にある単語について聞こうとした時。
まだ、あの時はアエタイトという大都市の──ブライト研究所。
古の歴史を知り、物語とともに広めていく文学の研究所。そこの一員になるのをお互いに夢見ていた頃だ。
歴史を広めていく一方で、少しずつ変化する人の流れ。だが、自分達は流されずに凛として立てると信じて疑っていなかった。
『古の王国ハイブライトに所属する青年たちが起こした動乱の名前を聞こうとしたんだ』
『ああ、緋色の道標』か。
みちしるべ、とは、読まないのか。なぜ、どうひょう、なのかとルディアスに聞いた。今思えば他愛のない雑談だった。
『動乱の(どう)と標示の(ひょう)を掛け合わせてるんじゃないか、守るために或いは得るために戦い抜いて示すことって聞いたことあるな』
『そうなんだ、やっぱりルディアスって凄い!』
『歴史、好きだからね』
優しく微笑む彼に救われたことを、忘れられなかった。他にも色んなことがある。
うまくいかないことを悩んで落ち込んでいた時、彼は何にも言わなかった。詮索しないでくれていた──あの時と同じ微笑みを湛えて。
『そんな顔するなよ、レディン』
然り気無く、たったそれだけ。
その一言だけ、彼は言ってくれた。
続くと思っていた友情は──フィリカという単語が出てきて壊された。
より豊かになるための資源がある。
より豊かに暮らせるための土地がある。
まだ、誰もいない場所。そこをアエタイトと繋げば、より多くの人が住める。豊かになれる。
歴史を知り広めていく研究が何の役に立つ。今、手に入る豊かさの方が必要だと。そんな風に流れが変われば求めるものも変わる。段々と取り残されていく自分達。
──ついに、分かれてしまった自分達。
最初はついていこうとした。何があっても。だけど……。
はあ……っ、はあ……っ。
どんなに苦しくても、やっぱり自分が存在した世界が消えることには耐えられなかった。
迷った末に繋いだ手を離すことにし、分かれ、刃を交わす。それは、避けられなかった。避けられないと思っていた。
漸く対峙する覚悟を決めたのに──彼はそれを揺さぶるような言葉を吐く。
来いと言った。
来いと言ってくれた親友。
また──笑顔を見たい。
──はあ……っ。
「ルディアス……ルキリス!」
「……レディン」
空を舞い、寄り添う二人と、地に立つ一人の青年の視線が繋がる。
****
レディンから一歩遅れ、五人は森の中をひたすら進んでいた。とは言え、決して順調ではなかった。
「エアスレイド!」
「ライトスパーク!」
バサバサッ。
ひらひらと黒衣が落ちる音がする。やがてふわりと黒い粒子が空に向かって散る。
「……ヴァン」
「どうしたの、ユリウス」
一連の流れを憂いに満ちた表情で見つめ嘆くユリウスに話しかけたのはディールだった。
「……私ね、何にも知らなかったなって」
「ヴァンのこと?」
「ええ、そうよ。私の中でヴァンは優しくて強くて、ちょっと冷たい印象があったの。だから、いっつも私はヴァンに頼ってばかりだなって」
「そんなもんだよ。俺もね、ずっとそばにいてくれる人に頼ってばかりだった」
「ディール君……」
「だから……っ、おっと!」
二人を遮るように黒衣が刃を振りかざす。ディールはさっとかわして足払いをかける。
見事に引っ掛かり、尻餅をつく幻影に打撃を与えた。
「……大丈夫なの?」
「へーき、へーき、さっきの続きなんだけどね……っ」
「ディール君! ホワイトショット!」
白い光が照らし射抜く。
「ありがとっ、助かったよ!」
「ううん、さっきの話、続けてよ」
「……俺はね、恨んだんだ……父を裏切ったやつ。ずっとそばにいてくれるやつをね……でも、父が恐ろしい研究をしていたなんて知らなかった……だから、結局」
「うんうん」
「結局──失った」
「でも、ディール君だから助けるんでしょ?」
「そうだよ。いつも守ってくれたから……最後だって悩みながら守ってくれたから、今度は俺が──俺が守るの、みんなを」
「へえ、カッコいいじゃない!」
「ユリウスだって、ヴァンを助けるんだろ?」
「うふふ、そうね……許されないことをしてきたけど、やっぱり放って置けないの。だから、行くわ」
「そうだね!」
無邪気に笑いながら駆け抜ける。
どんなときだって、進む先に待つ人がいるなら歩いていける。例え、暗闇の中でも、炎で遮られても。
会いたいから会いに行く。待っているから追いかける。肩を並べたいから──走り出す。ただ、それだけだ。
「……ディール」
いつの間にか先導していた二人に励まされていた。いいや、それだけではない。
いつの間にか、この六人が、大切だと思うようになった。この六人が、この繋がりが、輝いている。それがとてもいとおしいと思う。
こんな不思議で暖かな気持ちになれるのは、どうしてだろう。いつの間にか、そばにいてほしいと思うなんて。この感覚をうまく説明できない。
先を行くディールとユリウスを見ていたレイザが感慨深げに呟く。
「不思議だな……」
「何だ、レイザ」
いつもは強気で勝ち気な青年が神妙な呟きを発するので心配半分驚き半分でゼーウェルが問う。
「最初は強情だし、言うこと聞かないし、でも……あんなに逞しくなったなんてな」
「似た者同士じゃないか、お前たち」
「あんたとディールもね、言うこと聞かないのと強情なの、そっくりだよ?」
「ははっ、よく言う……」
「あ、笑えるんだ?」
「お前は私を何だと思ってる」
「さあね」
二人で笑い合っているとパタパタと音がしてまた振り向く。
「はあ、はあ……レイザ、ゼーウェル様……」
「ちょっと二人とも、助けてくれたっていいじゃないか」
「まったく、集団に捕まってひどい目にあったんだからね」
駆け付けたリデル、ルイズ、アイーダ。後ろを常に守る三人が漸く追い付いたところで、ディールとユリウスも駆け寄る。
「大丈夫だった?」
「何が大丈夫だった、よ。大変だったのよ、ディール」
「アイーダ、ごめんってば」
「ごめん、で済むわけないでしょ、まあ、何にもなかったからいいけど」
「ごめんね?」
「……何でそんなに素直なのよ」
頬を膨らませながら問い詰めるアイーダの追撃の手が緩まる。昔からこの瞳には弱かった。許しを請うような瞳が真っ直ぐと心を射抜いてくるので、つい何も言えなくなる。
「ふふっ」
隣にいたユリウスが笑う。
「両思いかしら?」
「ユーリーウス……」
「う、うるさいわよ!」
揃いも揃って顔を真っ赤にする。思い合っている何よりの証拠だった。
「さて、行くか!」
「そうだな。行くか」
「全くだ、早く行こう」
若干呆れながら先を促す三人。そして再び集まった六人は走り出す。
****
まだまだ続く深い森を走る中、突如として彼らに向けて閃光が発せられる。
「ヴァン様に逆らう者だ、撃て!」
「!」
真っ先に気付いたリデルがバリアを張って遮った。一閃の矢は高い音を弾けて散る。
「ファイアサークル!」
暗闇を利用して潜んでいるに違いない。リデルが円を描くように炎を放つと黒装束が光によって暴かれる。だが、この黒装束には今までと違う何かを感じた。
「洗脳されてる……」
そう、瞳は虚ろだが生気があるのだ。恐らくヴァンは街の者を何人か選んで自我を抜き取ったのだろう。だが、命を奪ってはいなかった。刃を振る手や此方が攻撃した痕跡は吸い込まれずに刻まれていた。
これは、挑戦だ。
ヴァンの恐るべき意図を受け取ったユリウスが晴れやかに笑う。答えはもちろん決まっている。
「……私がやってみるわ」
「ユリウス」
「倒すのは簡単よ。でも、違うっていうとこを見せなくちゃ」
「……すまない、援護に回ろう」
「ユリウス、頼むよ!」
「うん、任せてよ!」
答えはもちろん、イエス、だ。そして、絶対に勝てると信じて疑わなかった。だから、取るべき行動は決まっている。
ユリウスが両手を広げて詠唱を始めたと同時に一閃が放たれる。この矢は自由に操れる。ゆえに、厄介だ。いつ射抜かれるかもしれない。
「覚悟!」
矢を放つ者の中から一人、刃に持ち変えて挑む。狙うは、敵意を見せる彼らだ。彼らの瞳には何もかもが敵のように見える。混濁する意識を感じ取ったリデルが対応する。
「いけない……サンダーボルト!」
「ちっ、突撃したか……!」
「ディール、時間稼ぎするぞ」
「うん!」
刃を携える二人は向かってきた者たちに応戦する。ユリウスの願いと、自分達の成すべきことに胸が押し潰されそうになった。
──本当にできるのか、否か。
金属音をかき鳴らしながら応戦する姿勢には惑いながらも一本の筋が通されていた。だから、迷わずにいられる。
──何が何でも証明してやる……出来ないことなど無いと。
「見ていて、ヴァン! 私の声を聞け──ライトスノー!」
光輝く結晶が空から降る。掌に乗って、零れ落ちる。冷たいはずなのにキラリと輝く結晶が閉じた心に春を告げる柔らかな光だった。
暗い空に浮かぶ結晶は星のように優しかった。
カタン。
刃を落とし、降り注ぐ星を見つめる人々。その瞳には生気が宿っていた。綺麗だという心は誰にでもある。だから、結晶を見つめていた。
「行きましょうか、ね?」
「ああ……そうだな」
この星の中にまだいたかった。けれど、先に進まなければならない。名残惜しいが、歩かなければならない。六人はこうしてまた歩き出す。
****
「ユリウスのやつ、凄かったねー。綺麗だったよー」
「えへへ、ありがとう。あれはね、ただのお遊びで編み出したの。流星群が見たいなーって思って」
「お遊びであんなことができるなんて凄いよ」
「魔法、好きだからね」
まだ感動が抜けないディールがユリウスの魔法をべた褒めする。褒められるのは嬉しいと思うユリウスは素直に受け取り、笑顔で返す。そして彼女はもう一人に誉め言葉を貰おうとしていた。
「ゼーウェル、私のどうだった?」
「え、いきなり振られても困るな……」
「言ってやれよ。相変わらず頭固いんだから」
「仕方無いわ、だってゼーウェルさんだもの」
「結局どうなのよー」
ルイズとアイーダがゼーウェルに非難の目を向ける。ユリウスは置いていかれ、ゼーウェルからの誉め言葉もないまま、話題はそこで終わる。
──綺麗な魔法だった。
別に何とも思わないわけではない。ただ、感動を表す言葉はどれも陳腐で伝えられるものにはならなかっただけだ。それを知ってか知らずか、ユリウスもどこか満足そうに笑う。
話に花を咲かせながらも歩みを止めぬよう歩き始めてから数分経ってからのこと。
「……うう」
誰かの呻き声が耳に入る。
「誰だ?」
「ゼーウェルじゃない?」
「違うぞ」
「向こうの方で聞こえたわね」
「走りましょう!」
明らかに怪我人のそれだ。それにここは敵地だ。
危機を感じ取った六人は鬱蒼と茂る木々を走り抜け、移り変わる景色も視界に入らないほどの速さで駆けた。その先に見えたのは──……。
「誰か倒れてる!」
煌めく赤が目に入る。すぐそこだ。
猛スピードで走り、駆け寄る。
近くまで来ると燃えるような赤が傷だらけで倒れ、痛みに呻きをあげていた。その顔は忘れもしない。
「……レディン?」
ディールにとって、その顔は、ずっと会いたかったと思う人のものだから。
「……ディール……」
「レディン……いや、セティ……どうして……」
倒れていたのは、黒い塔で出会った代行者──レディン。
どうしてそんなに傷だらけで倒れているのか。聞きたいことはたくさんあるが、まずは彼を脅かす傷を治すのが先だった。
幾多の謎を残したまま、代行者レディンと再会した六人であった。




