Change2:月夜の帝王
黄昏時。
一説では、魔の時間ともいわれる夕暮れは炎に似ていると思ったのは、もう遥か昔のこと。この夕暮れが、人を変えていくことになろうとは、その時の自分は考えていただろうか。
でも──今は、それでよかった。
この手に──強さを握れるのだから。
無念に崩れ啜り泣くだけの己は、もう、いない。
「滅ぶがいい」
刻一刻と狙っていた機会は容易く訪れ、冷淡な言葉とともに人を殺めていく。
「お許しを……っ!」
穢らわしい存在が怯えている。その姿を見た時は正直わくわくしたものだ。自分を虐げている者が、まさかこのようなことになるとは思わなかっただろう。
予想外な展開に顔を歪める姿に悦楽を覚え、歪に微笑む。
自分でも唸るくらい、最高の笑みを浮かべているに違いない。
「許す? 足りないだけだよ……血が、ね」
バシュッ!
風を凪ぐようにすっぱりと切り落とした人は、ただの肉塊へと変わる。
求め得るものは全てこの先にある。
流血。それこそが、力。
命。それこそが、源。
理想。それこそが、動機。
優しく微笑む女神に喜び、躊躇いなく手を伸ばす。
「──ああ、君は此処に……此処にいるんだね」
愛しい人は、此処にいる。
だから、強くなれる。
「……ヴァン」
「? おや、そこにいらっしゃったのですか」
呼び掛ける低い声に応じ、振り返ってにこやかに笑って見せれば相手も口元に笑みを浮かべる。
お互い求めるものは違えど、対象に抱く感情は見事なまでに同じで、だからこそ共にある。
寸分でも違えば、もう共には出来ない。それは、互いに承知していた。
けれど、それ以外の感情を、お互い知らずにいる。ただ──見せないようにしているだけで。
「そんなに大切なのか」
だから、こんなことが言えるのだ。
「ええ。貴方にも、あるでしょう。大切なものが?」
自信満々に答えた後の質疑は刃のように鋭く、恐ろしい威力となって答える立場にある者に突き刺さった。
だが、笑って答えてみせる。
「そんなもの、ないさ」
「いいえ? 貴方にもある。そして、思いすぎている」
「……ないさ」
押されていることには気付いていたが、弱さを見せてはならないことを知っている。思い知らされた。
目の前に立つ──ヴァンという男は、弱さをうまく利用できることを、承知していた。
だから、だからこそ──恐れている。
弱さが諸刃となり、破滅へ導く事態になりかねないことを。
そんな僅かな憂いが、別の感情になっていくことに、果たして気づいていただろうか。
「もうすぐ会えますよ……ゼーウェルに」
「……」
──もう、その名前は聴きたくない。
遠くにいってしまったその名前は、求めたところで届かないのだから。
しかし、彼は、どこかで望んでいたのかもしれない。
──闇を抱きながら光に身を焦がす哀れな姿を。光を求む哀れな男に会えることを。
(ゼーウェル……待っていたよ)
待望の先にあるものは如何なる感情か。その高揚感に名前をつける言葉も術も、誰一人としてまだ持っていなかった。
****
ゼーウェル達は武装した黒衣達に連行され、街を歩いていた。
彼らが歩く度に周囲の人は皆、道を明け渡す。黒衣の者に逆らう術は誰も持たないのか、怯えるばかりである。
(何がどうなっているのかさっぱりわかんねえよ)
(俺だってわかんないよー。何がどうなってるの)
聞こえないよう、ひっそりと話すレイザとディール。二人には不明瞭な展開にただ、不安を抱いていた。
二人だけではない。ゼーウェルも、リデルも、ルイズも、アイーダも、である。
だが、一つだけ分かるのは、自分達はずっと狙われていたということだ。
「入れ」
淡々と促された先には如何にも牢獄という感じの、石造りの頑丈で無機質な建物だ。
ガシャン!
入った途端に鍵は閉ざされた。
網目状の鉄格子の向こう側で笑う黒衣に歯噛みをするばかりである。それでも、黙って耐えた。
「お前達は、領主様の命で死罪になっている──我が領土、フィリカの侵略者として」
「!」
「我が領土、聖なる地フィリカを脅かし、消し去ろうとした罪、断じて許されぬ。死を以て償うがいい」
これは、いったいどういうことなのだろうか。
だが、答えをくれる相手ではない。ゼーウェル達は黙ったまま、何も言わなかった。
──これからに備え、無駄な体力を消費してはならないのだから。
カツカツと軽快な音を立てて去っていく。
完全に姿が見えなくなったのを確認し、漸く口を開いたのは、リデルである。
「どうやら、フィリカは現実世界と繋がってしまったようですね……今までも繋がりかけたのでしょうが、現実世界を繋ぐための鍵がなかったのでしょう」
「鍵がなかった……?」
「フィリカは明るい未来を夢見る理想郷と、言っていた……。この領主アーサー──または、ヴァンが」
「ヴァン!?」
ヴァンの名前を聞いて、誰もが驚愕の声をあげる。ヴァンならば、自分達を始末しようと動いても何ら可笑しくはない。
「ヴァンも目指してるでしょう……『ディスペアー』に」
「ディスペアー?」
初めて聞く単語に、レイザが疑問の声をあげる。それを見たゼーウェルが重たい口を開いて答える。
「彼は、消滅を願っているのかもしれない……ディスペアーは消滅という意味があるからな……フィリカに最初に足を踏み入れた者が、願いを叶えるシステムになっているなら……」
理想郷は、人が望む姿になる。だから、求めて止まないわけだが。
ヴァンの思考にぞっとしながら話すとリデルが口を開いた。
「ゼーウェル様の予測通りです。ヴァンは消滅を願っている。全てを消すことが、彼の願いです。元々フィリカの内部はアビスと呼ばれ、人の心の闇を映す」
アビス──即ち、深淵。
深い闇の奥、底無し沼。
求めるあまり、方向を見失っていた親友に悲しみを向けているのは他でもない、ルイズだった。
「……そんなところにまでいっていたのね……」
「元はと言えば、エルヴィス様の命で探していたとは思うのですけどね」
父の名前が挙がった瞬間、ディールは顔を強張らせた。それを見たレイザがリデルに向かって睨みつける。
「ディールとエルヴィスって奴は関係ないだろ。親子なだけだ、そうだろ」
「……いいよ、レイザ」
「……いえ、レイザの言う通りだ。すみません、ディール」
レイザに咎められ、リデルはディールに謝罪する。
無意識とはいえ、エルヴィスへの憎しみが無いわけではない。だから、選ぶべき道を迷っていた。
迷いや憎しみをディールにぶつけてしまったのが、リデルには分かっていた。それは、行き過ぎている。
「……リデル」
項垂れるリデルに話し掛けたのはディールだった。
「リデル……俺は何にも知らなかった。だから、父さんは死んだんだと思う。いや、俺が見殺しにしたんだ。俺が向き合っていれば、こんなことにはならなかった」
「ディール……」
「俺は父さんが好きだった。今でも父として思ってる。だから、今度は逃げないよ」
言われるがまま、守られるがまま。
甘えていた日々はもう何処にもない。
自分が進まなければ、誰も救われない。自分が向き合わなければ、道を開くことはできない。
例えリデルから憎しみを向けられても、怯え、避けてはいけないと思う。
「ゼーウェルさんが言おうとしていたのはそのことだった。だから、強くなりたい」
「……ディール……」
胸を打たれた──打ち抜かれた。
言わせたくなかった言葉を言わせて、こんなにも真っ直ぐに立っていられる少年が眩しかった。
憎しみをぶつける自分は何て醜い生き物だろうと思う。
「君のように強ければ、呑まれることはなかった」
自分も、嘗ては底無し沼に落ちた者なのだ。心の弱さに屈し、落ちてしまった。
話せば、誰もが涙を流し、同情してくれた。同情を得るために、エルヴィスの名前を、もう何回出したか分からない。そうして引き摺り落としていった。
──仲間が、欲しくて。
ヴァンのように奪われたものが明確なわけではなかったのかもしれない。だけど──今でも望んでいた。
輝かしい幸せの詰まった過去が戻るなら、何も惜しくない、と。
だが、傷つく度に、傷つける度に。
迷い悩む曖昧さが、ついには心を許した存在にまで悲しませた。リデルは、漸く重大な事実に気付いたのだ。もう、全ては後の祭りではあったが。
だからこそ、戻りたいと願うからこそ、敢えて大切な存在と相反することを、最終的に彼は選んだ。
「どのような理由があれ、人を殺めたり犠牲にしたりすることはあってはならない……フィリカだって、空想物のままであれば、素晴らしい場所だ……だけど、現実になった今、あれは有害になり得る……何故ならヴァンは全てを消そうとしているのだ。二人に、早く気づかせなければならない……ヴァンに付くことは自分達の願いに反することだ、と」
「ルディアスとルキリス、か」
「そうだ……彼らを消されるのは耐えられない……甘いだろうが、親友なんだ」
自嘲しながらリデルは目を閉じた。
思い出す、楽しかった日々を。
戻りたくなる、幸せな過去を。
笑いあっていた、日常を。
そして、目を開く。
あの、素晴らしく愚かしい日常に別れを告げて。
「もう迷わない」
そこで迷ったら、また呑み込まれる。深淵は、いつでも此方を見つめていることに、気づけたのだから。
そうして、強い決意を表したその時だった。
「……リデル」
「誰だ」
可憐な声だ。心地のいい声だ。
「リデル……」
視線の先にあるのは──対面する鉄格子。
その中に、羽根のついた少女──レイザにとってはよく見知った姿だった。
「フィーネ?」
「ふふ……そう、名乗っていたわね。忘れてた」
「──!」
淡い光とともに、彼女の姿が──人へと変わっていく。
桃色。鉄格子の無機質な空間には似つかわしくない程、フィーネと呼ばれた少女は凛としていた。
これは、どういうことだろう。
今、ここにあるのは現実だろうか。
未だ疑いながらも、名前を呼んだのはリデルだった。
「──ユリウス……」
今まで、何度も出てきた名前だ。
その名前を持つ少女が、自分達の目の前にいる。
「ユリウス?」
「……ええ、そうよ。私の本当の名前は、ユリウス……ユリウス・ナナキっていうの」
ユリウス・ナナキ。
レイザにとって、ナナキの名前を持つ存在は忘れられなかった。
ハーディストタワーで戦い、散っていった女剣士。
迷う自分との戦いへ向かうのを、見送った女性。
ルイズの話と合わせて、彼女は女剣士──メーデル・ナナキの妹ではないか。
驚くばかりの一同に彼女は小さな声で謝罪する。
「今まで隠していてごめんなさい……それから、レイザにどうしても会いたくて……ううん、ゼーウェルも、リデルも……」
「……何故?」
まだ、疑問が残る。
彼女は異形の者を呼び寄せる力を持つ唯一無二の存在だ。
そうなるように、弄られた存在だ。
そうして唯一無二の力を酷使し、犠牲になった存在だ。
もういないと思っていた存在が生きている。
疑問の声をあげるのは、当然だった。
だが、話すには今の場所はとてもまずい。
「あとで詳しく話すわ。先ずは此処から出ないと」
「……此処は敵地だからな」
「大丈夫」
フィーネ改めユリウスは自信満々に微笑んだ。
「私がいる限り、手は出せないから、任せてよ」
****
「……ヴァン」
「何ですか?」
逃げ延びた勇者を待つかの如く、悠々と過ごす彼に、震える声で話し掛ける。
「お前は……まだやるのか」
「ええ、そのつもりです。見てください、ダーク。フィリカは現実になりました……素晴らしい未来が待っているのですよ」
口元から零れる紅い滴から目を逸らし、問を投げ掛ける。ヴァンにとっては愚問であったが、彼はヴァンの答えを聞いてみたかったのである。
案の定愚問だと、ヴァンは笑い、躊躇いもなく答えを響かせた。
「何でも叶う理想の地。その力があれば、我々は幸せになれる。我々は、やり直せる。今度は我らが全てを手に入れる」
「……そうか」
どこか納得したように頷くとヴァンは突然牙を剥いた。
「……貴様は……」
ガシャーン!
激昂とともに、透明な硝子が割れる。
「貴様は分からないのか! 我々の屈辱を! 我々は、ただ、幸せになりたかった、それだけなのに!」
悲痛な叫びに痛む胸が、動けなくさせる。
だが、彼は荒々しい息を何度も吐いた。
幸せを望む両目は虚ろに輝いている。
もう、誰の叫びも届かないほど変わり果てた姿に彼は憐れんだ。憐れみ、憂いの表情を向けたまま。
「何故、何故、分からない? 何故伝わらない! 貴様には無いのかっ!」
がくがくと揺らされる。両肩を掴んだ手は力を込めながらも、震えたまま。
求めれば求めるほど、落ちて朽ち果てる。
彼がこうなることは分かっていた。分かっていて、力を貸した。それが、フィリカの決まりだから、と。
それ以上に彼のことなどどうでもいいと思っていたのだ。
そもそも関係ないとさえ思っていた相手、だ。
だが──今は、違う。
「ヴァン、聞いてくれないか」
自分の思いを届けたいと思っている。
今、知っている総てを、思っている全てを彼に聞かせたいと思っていた。心から、思っていた。
だが、もう遅い。彼は、全てを拒絶した。
「聞けない、僕を陥れる言葉など聞けない!」
そこで、ヴァンは突然両手を放し、声をあげて笑う。
初めて見る、呑まれた姿に恐れ戦く。
これが──深淵なのか。これが、闇なのか。
「あはははは! 憐れなのは貴様だ! だから、そこで見ているがいい! 出でよ!」
「やめろ!」
咄嗟に制止の声を上げるが、彼は狂ったままもう聞き入れない。
神々しい光を放ちながら現れる、凛々しくも奇怪な異形の羽根を持つ怪物。
塔の階段を焼き尽くした鳥。憎しみの炎を宿す朱。
「いいか! レイザ達を始末するのだ……奴等は罪人だ、生かしてはならない! 焼き尽くせ、喰らい尽くすのだ!」
「……っ!」
炎が、上がる。
ハッとして振り向いた。
「……ゼーウェル!」
彼は、炎を追い掛ける。
──出来ることなら、追い抜きたかった。
****
「何なんだ……?」
焦げ付くような臭いが、鼻を掠める。首を傾げていると、中に入ってきた者によって臭いの正体はすぐに判明した。
「焼かれてる、だと?」
這いずるようにして、直ぐに息絶えた──人にユリウスは直ぐに異変の大元に気付いた。
「ヴァンが狂い始めてる」
「ヴァンが?」
「そうよ。早く出ないと私達も焼かれてしまう。待っててね……シャインブレード!」
詠唱とともに光る刃が鉄格子の扉を粉々に破壊する。
「直ぐに開けるわ……キーレリーサ!」
彼等を閉じ込める鍵が砕ける。
「こっちよ、早く来て!」
ユリウスに先導され、レイザ達は階段をかけ上がる。
さして長い階段ではなかったが、不安からくるものなのか、とても長いように感じられる。
それでも駆け上がり、バタンと扉を開け放つと──やたら明るい風景が広がっていた。
「火が上がっている!」
「前に階段を焼いたやつだよー!」
「逃げ道を塞いだのね……でもまだあるわ!」
「本当か?」
「あるわ、とにかく来て!」
炎の手があがる。止めることもしたかったが、今は此処から逃げることが先決だった。
バタバタと駆け抜け、城内をも駆け抜ける。勢いを増す炎には見ない振りをして。
豪奢な装飾も焼け爛れた臭いが染み付いている。あちこちで巻き込まれた人達がいる何よりの証拠だ。
こうして歯噛みすることしか出来ないのが、とても悔しい。それでも彼らは走る。
通路を曲がって──裏口を求めて。
人を多く入れている建物なのだ、裏口くらいあるはずだと。
「あったわ!」
扉らしき物体を見つけ、笑顔が咲いた──その時。
「……行くのか?」
「!」
「こんなときに!」
レイザが憤るのも無理はない。
目の前にいたのは──ダーク……闇を司る者。彼が、立ち塞がっているからだ。
「邪魔をするなっ!」
「あはは、笑わせる……邪魔をするのが役割なんだよ、俺は」
敵意を向けている彼には何も通じないのか、絶望だけが広がっていく。
「……ダーク」
ゼーウェルが前に出た。
「ゼーウェル……」
「大丈夫だ、多分」
不安から叫ぶレイザを制止し、ゼーウェルはダークと対面する。
「……逃がしてくれないか」
「そんなこと、誰が聞くと?」
「私が、お前のそばにいるから」
ゼーウェルの口から出たのは衝撃の言葉だった。レイザが反論しようと身を乗り出したが、ゼーウェルは制止したまま。
「私は、止めたいだけなんだ。ヴァンも、お前も、サッグと呼ばれた人々も。私は、元に戻りたいだけなんだ……ダーク、できればお前とも」
慈しむような優しさに溢れた言葉を、今まで聴いたことがあっただろうか。
泣きたくなった。声をあげて、しゃくりあげて、泣きたくなった。
甘えたくなった。力の限り、すがり付いて。
──認めてくれる、優しさがほしかった。できれば、君から。
望む人から、望む言葉を、こんな場所でもらえるとは思っていなかった。
「……ヴァンは止まらないよ」
「そうかもしれない」
堕ちていく姿を目の当たりにしただろうその人が言うのだから、諦めの言葉を吐かれても不思議ではない。
「でも、止められるかもしれない……止めたいと思っているなら」
「……君には、敵わないよ」
とっても強い。
この先にも、勝てる相手はいないだろう。
──だから、焦がれたのだ。
光を求め、足掻く懸命な姿に。
「行けばいい」
闇しか知らぬ人をも、動かした。
先を歩くよう促した姿を怪しむ人が多い中、ゼーウェルだけは違った。
「すまない」
悲しみを一筋向けて、歩き出した。
──炎の向こう側へ歩き、戦う術を求めて。
どうして、あんなに強くいられるのだろう。
どうして、あんなに優しくいられるのだろう。
どうして、あんなに他人を思えるのだろう。
何れ程求めても、手に入らない強さが、どうして君にはあるのだろうか。
自分も──光を求め、焦がれたのに。
「……ゼーウェル……」
憎らしく、然し密かに慕う名前を静かに呼んで、彼も歩き出した。
その時にはもう、レイザ達の姿はどこにも無かった。




