Change1:夕焼けの海原にて
──朝焼けが、とても綺麗だった。
崩れゆく巨塔から空へと羽ばたく白い鳥に導かれ、偽りの存在から逃れていく時に見た空だった。
未だ、不穏な空気を纏いながら蠢き、闇を這う存在に警戒しながらも、視線を近くへと持っていく。
ぽつんと浮かんでいた点が繋がっている。
自分の周りに人がいるのはとても新鮮なものだった。けれど、疼く傷跡が心を啄む。
偽りの存在を倒すには、全てを失うしかないと思っていた。そうで、なければ。
(あの瞳から逃れられない)
異なる色を染み込ませた双眼は、いつでも射るようにこちらを見る。
屈服せざるを得ない言葉を振りかざして。
それでも従ったのは──。
(いや、考えるのをやめよう)
空から見下ろした風景に思考を切り替える。もう朧気な過去に振り回される自分は何と愚かだろうと嘆く男──ゼーウェルは、項垂れる。
ふと、自分に寄り添う黒髪を視界に入れ、ぼんやりと、部下という立場を与えた青年を見る。
端正な顔に、勝ち気な表情。いつだって、此方を真っ直ぐと見つめる瞳。
同じ黒でも、青年の──レイザという青年のそれは太陽のように眩しかった。
同じ黒の筈なのに、こんなにも違うのかと感心し、時折苦しみを心にもたらす。
(レイザは、いつだって、真っ直ぐだ)
彼は、ある意味では異端な存在だった──と、遡る過去は鮮明に映し出され、また痛みを生み出していく。
焦がれた感情の膿の種を見つけてしまい、それを慌てて振り払う。
過去をなぞるのは、自分だけだった。他の者は、久しく見ていない彩色と光に達成感と喜びを滲ませていたのに。
この風景と、元の世界に戻れるという事実を大いに喜んでいた。
──今は、肩の荷を下ろそう。
この朝焼けを、忘れないよう、刻み付けるのだ。
****
「はあ、ようやく戻ってきたわねー! ここまで長かったなあ」
「後から追いかけた甲斐があったもんだ。それにしても、空を見たのは久し振りな気がするねえ」
潮の匂いを鼻に入れながら、久々の陸地に降り立ったアイーダとルイズが背伸びをしながら張り切った声を上げる。
思えば、ずっと薄暗い中で手探りをしながら戦ってきたのだ。ゆえに陽射しを見るのは久し振りだった。
暗闇にあまりにも慣れきってしまった目に陽射しはとても眩しくて、暫く直視出来ないでいた面々。
虚ろな空間、崩れ落ちる塔、その中で希望の光を灯し、命を繋いだ自分達。こうして始まりに回帰して、今、目の前に広がる──海。
辿り着いた時間は違えど、最初に抱いた目標は違えど、始まりは全員揃って此処からだった。
そう──古代遺跡ジュピター……一見、最初に訪れた時と何も変移の見られない場所……だが。
「何なんだろ?」
「どうしたんだ?」
無邪気な疑問符をつけた声を発して、ディールは首を傾げる。レイザもその様子が気になったのか、ディールに声をかける。
どうやら、彼は目に見えない違和に戸惑っているようだ。
陽射しを反射してキラキラ光る大自然が無限に広がる島。
変わったことは、不似合いな暗黒の塔が崩れ落ちたくらいではないのか。
「?」
拭えない違和感を抱いたまま、ふと、空を仰ぐ。
「……あれは」
陽射しを発する晴れ渡る空に咲く太陽──それは、とても黒かった。
「おい、あれ、見ろよ」
「何……え」
天に向かって指を差し、上を見るよう指示を出すレイザに対し気だるさを剥き出しにした声で紫髪を無造作に束ねた女性──ルイズが面倒臭そうに従うと。
「ありゃ、黒いわね」
「何なんだ、あれ」
「ごめん、あたしにはわかんないよ」
「まったく……宛にならねえな」
「しょうがないだろ、早くから脱け出したんだから。本当悪いと思ってるんだけどねえ」
彼女が悪しき組織にいたことは、もう誰もが知っている。彼女は、勇気を出して話してくれていた。
だが、核心を知る前に離れた彼女は、今映る現象に対してこれ以上語る言葉を持っていなかったのだ。
サッグからの離脱が早かったルイズが答えを伝えられる筈もなく、手掛かりを見付けられないレイザは怨めしそうにルイズを見る。
どうすることもできないとは言え、そんな不安定な表情をさせてしまうなんて申し訳ないと思う。
バツが悪そうに目をそらしたルイズ。多分、彼女と親しい存在は見ていられなかったのかもしれない。
「──もしかしたら……」
口を開いたのは、今まで沈黙を守っていた男──リデル。
そして、リデルは他のメンバーに対し、ある提案を示す。
「色々と気になりますし、ルキアに、一旦戻りませんか?」
「それがいいわ。ここからルキアなら私達の運転で戻れるし」
「えっ……」
アイーダの提案にレイザとディールはたじろく。
初めてここに来る時、二人の運転する船に乗せられた。あの時の記憶が甦る。
「いやいや、もっと安全な方法があるだろ!」
「海で敵に襲われたらどうするんだよ!」
レイザとディールは顔を真っ青にして二人に反論する。
「……何だか必死だな……」
「何か嫌な記憶でもあるんじゃないんですか? あのアイーダがいるわけですし」
「リデルさん、何か言いました?」
ニッコリと笑って問いかけるアイーダにリデルは苦笑いを浮かべながら再び口を閉ざした。余計なことは言わない方がよいと分かっていた。
ルイズが二人を笑いながら制する。
「大丈夫だよ、この鳥がいればルキアまでなら運んでくれる。ルキアからフィリカに行きたい時も運んでくれるよ」
隣に寄り添う白き翼。穏やかな顔立ちは全てを受け入れてくれそうな、そんな雰囲気を醸し出していた。
そう言えば、塔で窮地に陥った時も助けてくれたような気がする。
「なあ、正体は何なんだ?」
何故力を貸してくれるのだろう。理由がわからずレイザは問いかけるが、ルイズも首を傾げていた。
「あんたたちを追いかけようとしたら傍にいたんだよ。だから乗ってきたんだけど、理由は私にも分からないんだ。リデルなら詳しいと思うんだけど」
「いえ、私も分かりませんね……」
リデルも首を傾げていた。
だが、力を貸してくれるのは本能が成せる気まぐれ、というわけではなさそうだ。何らかの意図を滲ませる。
「……」
ゼーウェルは変わらず傍らにいる巨鳥を見て、不意に既視感を覚えた。
「さあ行こうよー」
「はいはい、わかったよ。全く、短気なんだから……」
先を急かすディールに呆れながらも一行は目的地に向かって歩き出した。
寂しそうに見つめる巨鳥の瞳には気付かずに。
****
リデルの提案によって歩いていると、その先に広がっていたのは、誰もがよく見知った場所である。
「いやな思い出が……」
げっそりとした表情で、レイザは呟いた。
ここは他でもない、ディールとかいう生意気なやつが──次から次へといやな思い出が引き出しから引き摺られ、あっという間に疲労感でぐったりとした。
無論、そんなことに誰も気付きはしないのだが。
そう、ここは彼にとって最悪な場所──町の人々が華やかに騒ぐ大都市アエタイト。
すっかり陽も落ちた大都市。群衆をかぎ分けながら、ルキアへとむかう。
──傍らにある、僅かな異変にも気付かずに、通り過ぎてゆく。
「……?」
不意に風が舞い、自然な動作で、しなければならないような……突き動かされるように振り向いた。
「レイザ?」
急ブレーキを掛けたように立ち止まったレイザを心配するように、ゼーウェルは戻ってきて、彼に声をかける。
「ああ、いや……」
「……らしくないな」
「うーん……何なんだろうな……いやな予感がするんだ」
いやな予感。
ゼーウェルは、あの日見た朝焼けを思い起こす。そして──謎のメッセージを残して消えた存在へと繋げていった。
「……考えてはいけない」
ゼーウェルは、それだけを言うとレイザに進むよう促した。無論、レイザも従うつもりだ。
「そうだな、考えてはいけないな」
考えすぎるのはよくないことだと、レイザもゼーウェルもあの忌まわしい塔の中で何度も思い知らされてきた。
心の中にあるものは、次に訪れた時に見ればいい。だから、今は見なくてもいい。
だから、今は前を見ていようと。
二人はそうして並んで歩いていく。
──未だ収まらぬ警鐘を鳴らしたまま。
****
地元を彩るための文字を書く者、或いは華やかな街を造り出すための人材……ここには様々な人々がいる。様々な人々が、この街を支えている。
船を通じて帰路に立つ者、出稼ぎのために旅立つ群衆。彼らの騒ぎ声が四方八方から飛び交い、やがてそれは花火のように強い煌めきを放つ。
いつ見ても、花開く鮮やかな場所に、ただひとつ。
群衆に紛れる、周りとは対照的なまでに違いを出す──ただひとつの存在。
本来なら誰もが物珍しさに振り向くほど、ここには似合わない白黒の人。
だが、人の多すぎるこの場所には、あまりにも薄い存在と化してしまっていた。
このことを、かの人は分かっていたのだろうか。
「いつ見ても憎らしい大都市だ……しかし、もうすぐだ」
眼帯で片目を多い、憎しみを吐き出した男は静かに歩きながらも、口だけで笑ってみせる。
まるで、願い事が叶って喜ぶ子供のような、高揚感を露にした言葉を旗にして掲げる。
「だが……もうすぐだ。この世界は塗り替えられる」
そして、男は、彼らと同じように空を仰いだ。
見上げる度に陽は水平線へと潜り込んでいっている。徐々に見えてきた月は、満ち欠けの多い不安定な月。
「空が明るい時、人は意外と警戒するものだ……だが、暗い時。守るものがいなくなった暗い時。そう、夜が一番相応しい……」
夜。
今は昼。何の変化もない、幸せに満ちありふれた鮮やかな日常が広がっていく。
変わらぬ日常に変化が起きるのは、いつだって夜だった。
生活のために走り回る人々は微かな違和にも気付かない。自分が生きていくのに必死で、大きな世界に目を向ける瞬間などそうそう訪れないわけで。
生きる術を覚えてしまった大人が蔓延る世界だからこそ、自分が大人になったからこそ、彼等のことは手に取るようにわかる。
細かな部分に差異があるだけで本質は変わらない。
だからこそ、自分の掲げた理想を具現化する最大のチャンスでもあるのだ。
切実なる願いと歪な祈りと。
「もう、誰にも邪魔はさせない」
自分が夢見た世界を創るのだ。
焦がれた世界、焦がれた想いが実を結ぶ素晴らしい世界を。
大いなる想いの実りを邪魔するやつは、実りを歪めようとするやつは、許さない。
微かに残る陽射しを一身に受けながら、未だ忘れ得ぬ面影に手を伸ばすように、男は口だけで笑った。
****
街からは遠く離れた海岸。遮るもののないこの場所は青いグラデーションを目に焼き付けることのできる美しい場所だった。
そして、ここは、懐かしい場所だった。
白い砂を踏み締めながら、複雑な感情を滲ませて歩く。
惑い惑いの足跡を、砂辺に刻みながら、一歩、また一歩。
輪郭のない問に対する明確な答えを、未だ探している己は、またこうして歩くだけなのか。
「あの時、助けなければよかったのか」
赤い髪が白と青の狭間で鮮やかに世界を彩る。
似合わない色が一つ置かれているだけで、回りとのアンバランスさを強調し、より不安定な風景に変えていく。
だが、そのようなアンバランスさを気にする余裕も彼にはなかった。
ただ、ただ、終わりのない海岸線をひたすらに歩くだけ。
しかし、惑う歩は突然、あるところでぴたりと止まった。
慈しむように、されども悲しみを一筋添えながら、手を差しのべた過去と悲しみをなぞる。
「ここに──レイザは倒れていた」
傷つき倒れた彼ではあったが、僅かな呼吸音が生命を繋いでいた。
酷い傷は、然し、彼が無謀な真似をしてまで守りきった証でもある。そのことは、直ぐに見知ることになった。
憎しみに呻く彼の人の面影は今でも焼き付いて離れない。
できれば、断ち切りたいとは思ってみても、中途半端に紡いだ絆という糸は頑丈になりすぎた。
だが、安堵も確かにあったのだ。
彼の無謀な行動はダークに大きな痛手を与えたようで、ハーディストタワーは崩れかけようとしたが……そこで、できれば見たくなかった間違いが起こる。
彼が付き従う主、ゼーウェルがレイザを生かす代わりにダークに協力したことだ。
だが──そうなることは分かっていた。レイザが行き着く先はゼーウェルだけなのだ。反対にしても変わらない。
ゼーウェルはレイザを大切に思っている──昔と変わり無く。
歪な祈りに絡んでしまった想いの狭間で揺れる自分はこれからどうすべきか、悩む。
延々と続く思考を止めることなく、海岸の砂を眺める──濁りながらも強い意思を垣間見せる赤が揺れ動く。
静かな風に揺さぶられながら緩かに。僅かな迷いを傍らに置いて、奮い立たせるように。
もう、惑うばかりではこの戦いに呑まれてしまう。
呑まれるだけは、決してあってはならない。
「俺の運命も、決めなければならない」
「ほう、どのように?」
「!?」
別のものが嘲るように笑いながら、またひとつ問い掛ける。
振り向くとそこには──いつの間にか若者の背後にいた──白衣を身に纏う青年。
見間違う筈もない。その姿は自分が選んだ仮の姿だ。
その先は、もう考えないでいた。
「僕の半身、今。君は今どうなっているか、知っている上で話しているのか?」
「……っ」
「今の君はただの人形さ。僕によって動かされているだけの。いや、正しくは──」
「言うな!」
柔らかな部分に突き刺さる棘を払うかの如く、いきり立って刃を奮おうとも、目の前にいる者にとっては赤子の手を捻るようなもので。
ヒュッと言う音だけが空しく響く。
当然ではあるが無力を感じ、項垂れる。
うちひしがれた中、ゆらりと白い手が伸びて、若者の肩に軽く触れる。
「悲しそうな顔をしないでくれないか。僕は君の敵じゃない。だけど、今は無駄なことをしてもらいたくないんだ」
「……分かっている」
「ならよかった。僕だって戻りたいけど、その為にはまだ力が足りない。奪われたままの今のままじゃ、前と同じだ。ミディアみたいになるのが落ちだ」
あやすような声で言われ、若者も漸く落ち着きを取り戻す。
乱れていた息を整え、濁り赤を湛えながら目の前の者をじっと見つめる。
「いつでも覚悟は出来ている」
「……すまないね、僕の、僕の──」
『代行者』
口がその言葉を描く頃には、陽はもう地平線の向こうに隠れてしまっていた。
若者は悔しげに顔を歪め、静かに立ち尽くしていた。
「俺は……また繰り返すのか……」
****
今、ここに立っているのは奇跡なのか。
青年は──レイザは目の前に映る風景を、まだ受け止めきれないでいた。
美しい、風景だった。
灯りのない、小さな光を辿りながら歩くだけの空間ではない。
そう──始まりへと走り出したのも、此所からだった。
(すっかり忘れていた)
今まで、言葉を投げ掛け続ける隙もない。息をするのが精一杯の戦いはとても苦しかった。
「レイザ」
不意に呼び掛ける軽やかな声に──思わず素早い動きで、少年──ディールを見つめる。
「怒ってるの?」
「あ、いいや……なんでもない」
「変なの」
そこで、会話は途切れた。
どうやって話していたのかもわからない。確実に見失う方向にふらつく足元は不安定なままだ。
対するディールも、視線を泳がせていた。
ぎこちないやり取りのまま歩いていると、視界が段々と開いていく。
──フィリカへと向かう鍵。
ルキアという隠れた地名はいつしか孤島扱いされ、随分と苦労したものだ。
そんなルキアまで戻ってくる頃には星が煌めく藍色の空に移り変わっていた。
「ああー戻ってきたんだねー!」
「何だか懐かしいわ」
「家も変わってないんだなあ」
「何か色々転がってて足の踏み場もないとこもな」
「それどういう意味かしら?」
広がる光景に対して抱く印象も三者三様であったが、レイザが本音をもらした瞬間、アイーダが鋭い視線でレイザを見る。
彼女の恐ろしさを知るレイザは慌てて「なんでもない!」と、訂正を入れた。
「なら、よかったですわ」
「は、はは……」
満面の笑顔を見たレイザは引き笑いを上げ、アイーダから然り気無く離れた。
「何か……いや、分かっていたことですけど、ここはあまり変わらないんですねえ……」
「……ああ……」
四人のやり取りを見ながら無意識に空を見るゼーウェルとリデルは安堵と不安を入り交ぜた会話を広げていく。
未だ口を重くしたままのゼーウェルに、リデルはあることを思い出す。
「……忘れられなかったのですか?」
彼は、全てを手放そうとした。
手放さなければ、縛られてしまうから、忘れようとした。
「忘れようとした」
あの、楽しかった日々を。
「忘れたかった」
焦がれて手を伸ばしたい程の光を。
真っ直ぐで優しい、けれども無垢な瞳を。
──全てを投じて守ろうとした、存在を。
「けれども、忘れられなかった!」
ゼーウェルが声を張り上げることはあまりない。彼を知らぬ者でさえ、声を出すのが得意ではないことを知っているかのように。
だから、誰もが振り返る。
そのくらい、今の声は驚きを与えるには充分すぎる。
「何度も何度も思い出した。何度もあの声を聞きたいと思った。何度もあの瞳が憎いと思った。何度も、何度も。私は──忘れられなかった」
羨望と、一握りの敗北感。
いつも、邪魔をしていた。
「……大丈夫ですよ」
嘆く彼にリデルはそっと助け船を出す。
「あなたは……」
何かを言おうとした、その時。
「待て!」
何者かの声が、此方に向かって叫ぶ。
「……何するんだ!」
「レイザ……!?」
自分達より数歩先を行くレイザが、ルイズが、アイーダが、ディールが……そして自分達も。
「お前たち、領主様がお待ちだ」
「領主様……?」
会ったこともない役職を出され、呆然とする。
だが、ここは街中。
抵抗は出来そうにない。
「この者達を領主様──アーサー・トールス様の元へ連行するのだ!」
領主の名前を聞いた瞬間、レイザ達は唖然とし、名前を知るルイズとゼーウェルとリデルは血の気が引いていく思いをした。
まだ、第一手を放ってきたに過ぎない……。




