星に願いを
セージがアマテラスの屋上に出た時には、既に空気は、ロボ子のナノマシンによって浄化され、防護服も必要なくなっていた。
空はどこまでも蒼く広がっている。
初めて見る空は、こんなにも綺麗で広いものなのかと思う。
そう、空は美しく、それでいてどこか悲しい。
セージは、ロボ子の体を空が見えやすいようにと寝かせてやると、自分も空を眺める。何もする気が起きない。ただただ茫然と見つめていた。
「空はこんなにも青かったんだね」
ロボ子に話しかけるけれど、彼女のライトのような大きな瞳は、何の反応も見せてはくれない。
それは、どんなに待ってもだ。
次第に日は傾き、沈んで行ったが、やはり、ロボ子は反応することはない。
最初の星が瞬くのに気が付く。
「ロボ子。星だよ。君が追い求めた星だ。願いを伝えるんだろ? 人にして貰うんだろ? なら、いつまでも寝ているなよ。……ねぇ、ロボ子」
……やはり、返事は無かった。
段々と星が増えて行く。
夜空に輝く星達はまるで、宝石を空に散りばめたようで、吸い込まれそうな奥深さを感じる。
空はどこまでも広大だ。
それに比べ、なんて自分は、ちっぽけなんだろう。
セージは、自らが涙を流していることに気付く。
果たしてロボ子は、ナノマシンに意思を分けた状態でも、夜空を眺めることはできているのだろうか?
どちらにしてもセージには何の慰めにもならなかった。
空は綺麗になり、世界は再生へと向かっている。
けれど、セージは思う。
綺麗な夜空なんていらない。
世界の再生だって必要ない。
……ロボ子が居てくれさえすれば。
失ってから、その大きさがどれほどだったかがわかる。
セージは声を上げて泣き出した。
戻ってきて欲しかった、ロボ子に。
また、話したかった、ロボ子と。
そして、いつまでも一緒に居て欲しかった。
もしロボ子の言うように、星が願いを叶えてくれるというのなら、ロボ子を元に戻して欲しい。
セージは願わずにはいられなかった。
どれだけ泣いただろう。
思いっきり泣いたことで、悲しさは依然として心の中にあったが、落ち着きを取り戻してきていた。
それがなんだか、薄情な気がして、腹立たしくもある。
それでも、落ち着いた心で、考える。
泣いていても仕方ない。泣いた所でロボ子は帰ってこないのだと。
ならば、ロボ子が蘇る方法を探すだけ。
ロボ子の意思はナノマシンにある。消えたわけではない。元に戻す方法だってあるはずだ。
諦めて堪るかと、セージは心に決める。
ロボ子を取り戻すんだ、絶対に。
決意するように空を見上げると、セージはおかしな青緑色の光の粒が生まれるのを見て取る。
最初は星かと思った。
けれど、その光はどんどんと数を増し、星に負けない程の光の粒となっていた。
「……何だ? あれ」
セージは怪訝そうに見る。
光の粒達は、何かを探すように上空をグルグルと回り始める。
そして、どれだけ回っただろうか。
目標を見つけたように動きを止め、セージの方へと、降り注いで来る。
「うわっ」
あまりの眩しさに、セージは思わず目を瞑る。しかし、体には、何の衝撃も襲いかかりはしなかった。
恐る恐る目を開けると、光はどこかに消失していた。
「な、何だったんだ? いったい」
状況が飲み込めず、セージは呟く。
「あれが、星なのね」
いきなり背後から、セージのものでは無い声がして、驚いて振り返る。
そして、セージは目を丸くする。
人型のロボットが立っていた。
涙形的な頭に、ライトのような青緑色の目。全体を覆う装甲は白銀に輝き、関節部分は黒いコードに包まれている。華奢そうな体に、全体のフォルムが丸みを帯びているので、なんとなく、少女のように見える。
今ではすっかり、見慣れた姿。
ロボ子が空を見上げていたのだ。
「……ロ、ロボ子?」
セージは中々信じられず、茫然と呟く。
ロボ子は鷹揚に頷く。
「ふむ。いかにもロボ子よ。……どうしたのセージ? 逆立ちして歩く猫でも見た顔をして」
「……いや、どういう表情だよ、それ」
セージは、涙を流しながらも突っ込みを入れる。
「それは、信じられないものを見た表情ね」
「……そうか。そうかもしれないな」
セージは頷かざるをえなかった。信じられない。今動いているロボ子は、自らの見ている幻覚じゃないかとすら、まだ思える。
「どうして? ナノマシンに意思を分けたんじゃ?」
尋ねると、ロボ子は思考するように顎に手を当てる。
「ふむ、そうね。私はナノマシンによって、意思が広がったわ。けれど、あることに気付いた」
「あることに?」
「そう。ナノマシンはつまらないわ」
「……つまらないって」
ロボ子の物言いに、セージは苦笑してしまう。
「そして、浄化するのに飽きたわ」
「えぇ~。世界を救うって大切な役割なんだけどな」
セージは嘆くように言いながらも、笑みが浮かぶのを抑えることはできない。ロボ子が帰って来た。それが嬉しくて仕方ない。
「……でも、どうやって戻って来たの? ナノマシンになると、意思が細分化されるんじゃ」
「そうよ。人で言うところの、本能で行動する状態ね。私の本能は、大気の毒を浄化させること。……そして、セージと一緒に、星を探すこと」
「……本能なんだ」
「そうよ。そして、セージと一緒に居るには、元の体に戻らなくちゃいけない。だから、私は元の体に戻ったのよ。私の意志である、ナノマシンを集めてね」
セージは理解する。
先程降って来た光。あれは、ナノマシンの光だったのだと。
空気を浄化する。
それはロボ子のプログラムの根幹にある物だ。
ロボ子の言った通り、彼女にとっての本能だろう。
しかしロボ子は、その根幹のプログラムと同じように。細分化されても、セージと一緒に痛いと思ってくれたのだ。
ロボ子が動けるようになったのは、彼女の思いが生んだ奇跡なんだろう。
セージは嬉しくて、涙が流れる。
ロボ子に見られるのが恥ずかしくて、セージは慌てて顔を拭う。誤魔化す為に、ついつい仏頂面になってしまう。
「大丈夫。大気の毒素は、どこまでも揺るぎなく、白い鳩の純白の翼のように、綺麗になった。つまり、これから汚さない限りは、大気は大丈夫」
どうも、仏頂面をしたことにより、浄化作業を疎かにしたのではないかと、懸念しているとでも思われたようだ。
「白い鳩の翼のようにって、見た目だけ綺麗で雑菌だらけっぽいな。……まぁ、そっちの心配はしてないさ。……また、ロボ子と話せて嬉しいよ」
「私が居なくなって泣いたのね」
「泣いてないよ。……いや、泣いてないよ。……というか、泣いてないよ」
わざとらしい位に否定するセージ。泣いていたことをロボ子に知られるのは、なんとも気恥ずかしい。
「それは残念。人の流す、涙と言う名の水。あれは星のように輝いて、綺麗だと思うのよ」
さっきまで、人の泣き顔を散々見ていたのに、そんなことを言ってくる。
「……本物の星なら、上にあるだろ」
「そうだったわ」
ロボ子は思い出したように空を見上げると、両腕を天に向かって差し上げる。
「……何してんの?」
「願いを叶えて貰うのよ。私が星を探すのは、それが理由よ」
「人になる事だっけ?」
星に祈っただけで、願いが叶うわけがない。そう思うが、あることに思い至り、首を横に振る。
「僕は願いが叶ったよ」
「そうなの?」
「ああ」
そう、願いは叶った。
ロボ子に戻ってきて欲しい。心の底から願った思いは今、叶えられている。
「ふ~む。なら、私の願いが叶わないのは、セージの性なのね」
「え? 何で僕の性?」
「星は夜空さえ見えれば常に見えているものだもの。常に願えば、願いが叶うなんて、正に、願いのバーゲンセールよ」
「……まぁ、そうだね」
願って叶うなんて事が常にあれば、人は努力の必要もないし、何よりも、こんな荒廃した世の中になんてならなかっただろう。
「だから、毎日早いもの勝ちね」
「早いもの勝ちなんだ」
「そうよ。バーゲンセールですら数量限定」
「確かに」
セージは頷きながらも苦笑する。
けれど、星に願えば、願いは叶う。それはとても素敵なことだとも思う。少なくとも、今までは願うことすらできなかったが、これからは毎日、願い放題だ。
例えそれが叶わなくとも、空気は澄み渡り、星空が無くなることはない。
これからの世には、夢や希望はあり続ける。
「なぁ、ロボ子」
「何?」
「星は見られるようになったけれど、これからはどうする?」
「そうね。星は見えるけれど、私の願いは叶っていないわ。私は、私の願いを叶えてくれる星を探す。……出来ればセージにも、一緒に来て欲しいわ」
セージは笑みを浮かべて頷く。
「良いよ。僕も今まで通り、一緒に行くよ。大気は綺麗になった。けれど、この星を完全に治すには、まだまだだ。セージは他の方法も探すつもりだからね。こちらこそ、よろしく」
「良し来た」
ロボ子は嬉しそうに頷く。表情は鉄面皮なので変わらないが、嬉しそうだと今のセージは、苦もなくわかる。
セージは大地を見る。
例え、大気が綺麗になったところで、それはプラントの外に出易くなっただけの話。世界はまだまだ、戦前の、人の住んでいた世界には程遠い。
毒の沼。汚染された土壌。生き物を育めない海。治したいものは、山のようにある。
けれど、セージは楽しみだと思う。昔の一人で模索していた頃とは違う。今は、ロボ子が居てくれるから。
おそらく、ロボ子は自分にとっての星なのだろう。
セージはそう思って、ロボ子を眩しそうに見つめ続けた。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。