ナノの女王
ユナは、セージやロボ子と別れてからというもの、アマテラスに関する新たな情報は得られずにいた。本当にこの地方に、ナノの女王は存在するのだろうかと、自分の得た情報を疑わしく思えてくる。
補給の為、セージの居るプラントに再度訪れてしまった。
ユナはため息を吐いてしまう。
無断で出て行った手前、もう一度顔を出すことは、さすがに気まずくてできない。
けれど、ユナが居なくなった後、どうしているのかは気になった。また、無茶をしていないだろうかと心配にもなる。
そして、こっそりと彼のジャンク屋を覗いてみたのだが、彼の家は荒らされた状態になっていた。窓ガラスは割られ、壁には罵詈雑言の書かれた落書きがされ、棚にあっためぼしい物は盗まれるか壊されるかをされている。
「……なんなんだ。これは」
ユナは茫然と呟く。
一時だけとはいえ、ここはユナにとって、優しい思い出の詰まった地。
大切な場所と言えた。
それが何でこうなったんだと腹立たしく、ユナはその怒りをどこに発散して良いのかわからず、ただただ歯を食いしばり、拳を力一杯握りこむことしかできなかった。
「おぅ。どうした? 姉さん。そのジャンク屋は、もうやっていないぞ」
近くを通りがかった男が、ビルの前で立ちつくすユナに教えてくれる。
ユナはその男の胸倉を思わず掴む。
「いったい、何があった? セージは? セージはどうなった?」
「ちょっ。手。手を放せ。苦しい」
「……ああ、すまない」
別段、これを目の前の男が行ったわけではないのだ。
感情的になっていたことを恥じ、ユナは謝って手を放す。
男は苦しそうに咳き込む。
「げほっ、ごほっ、はぁ。お前、セージの知り合いか。……まぁ、俺の知っている範囲でなら、教えてやるよ。何でもあいつはロボットを連れていたらしい。それで、機械反対派の過激な奴らとやらかしたらしくてな。最後にはツクヨミにも目を付けられた」
「……ツクヨミに捕まったのか?」
「いや。それならまだ良かったんだけどな。ツクヨミなら、別に殺されはしないしな」
「殺され……」
ユナの顔色が変わったことに気付いたのだろう。男はとりなすように手を振るう。
「いや、別に殺されたってわけじゃねぇよ。ただ、噂じゃプラントの外に出たって話だ。……生きている可能性も、限りなく低いのは事実だけどな」
「……プラントの外に」
ユナは顔を顰める。
もし、本当に外に出たというのなら、どれだけ危険なことか。彼に、外を生きる術を教えたとはいえ、必ずしも安全だというわけではない。
こんなことならば、一緒に連れて行くべきだったと後悔すらしてしまう。
セージは自らの事を、とても慕ってくれていた。ユナにしても、彼はまるで弟のようで、本当に可愛く思っていた。
彼の身を心配したからこそ、恨まれても仕方ないと思いながらも置いて行ったのに、完全に裏目に出てしまった。
ユナは男の話を聞いた後、すぐに旅立つ準備をし、プラントの外へと出る。
まず、セージがどこへ向かったかの痕跡を探すと、ユナの車以外の真新しいタイヤの跡を見つける。おそらくこれが、彼の車の跡なのだろうと推測できた。
ユナはすぐに、そのタイヤの跡を辿る。
強い雨でも降れば、この跡が消えてしまう可能性も十分にある。
焦りを感じながらも何日か走らせると、横転した車を発見した。
ユナはゾッとする。
地雷でも踏んでしまったのだろう。地面は抉れ、車体の前方下部が大きくひしゃげている。中にいるセージは無事だったのだろうか?
ユナは車を降りると、その横転した車に近付く。中に居ないだろうかと覗くが、セージの姿はなかった。少なくとも、生きてはいたようだ。
それでも、問題はこの後だ。
彼は賢い子だから、救出の期待できない場所で、留まるようなことはしなかったのだろう。
彼はどこへと向かったのだろうか?
タイヤの跡がない今、追いかけるのは難しい。何か情報はないかと車の中を探せば、彼の愛用していたノートパソコンが目に入る。
機械の扱いは苦手だとはいえ、放っておく手はない。それに、普通に使う分には問題ないのだ。そうでなければ、遺跡での情報収集なんて、ろくにできないのだから。
起動してから、最近使ったプログラムの履歴を見れば、地図情報が表示される。
そこには、近くに研究所があることを、新たに記されていたことがわかった。
「ここに行ったのだろうか?」
もし違えば、追い付くことは不可能だという不安もある。けれど、ここ以外にないという思いもあった。なのでユナは、そちらに向かうことにする。
セージの残していった荷物を、できるだけ自分の車に乗せ変えると、ノートパソコンに表示された場所へと向かう。途中で、セージが倒れていないだろうかと不安に思いながら。
一日かけて、遺跡に辿り着いた。
遺跡は苔や泥に覆われていて、一見、ただの小山のように見える。気にしていなければ、見逃していたかもしれない。
ユナは遺跡に入ろうとして、あることに気付く。周囲が泥や苔に覆われているのに対し、入り口だけが妙に綺麗だ。もし、セージ達が来ているのなら、一度、扉が開くことで泥や苔が取れたのかもしれない。けれどそれだけならば、もっと、泥や苔が散らばっていてもおかしくないと思うのだが、それすらない。かなり前から、良く使われているように見えるのだ。
ユナは一度、遺跡から離れて改めて周囲を見回す。
遠くに車が見えた。
「……あれは」
ユナは顔を顰める。
それがスサノオの物だとわかったからだ。
昔の仲間に会うかもしれない。ユナは覚悟を決め、カグツチを持つ手に力を篭める。
スサノオは二人か三人で、行動する。相手が弱ければと思う。
決して、スサノオと敵対したいわけではない。しかし、向こうはユナを敵視して襲ってくる。そして、戦いになれば、誤って殺してしまう可能性が付き纏う。
ユナは、スサノオを裏切るようなことをしたとはいえ、仲間として大事だったのは、確かなのだ。
殺してしまうことは、どうしても避けたい。そして、相手が弱ければ、手加減する余裕もでき、殺してしまう可能性も減ってくれる。
今はまず、見つからないのが一番だけれど。
そう思いながら遺跡に入ると、中には広いホールのような空間が広がっていた。
空気が変わったことがわかる。この遺跡はちゃんと稼働しているのだろう。ユナは防護服の顔部分を外して、周囲を見回す。セージが来たという痕跡が欲しかった。
しかし、それはすぐに見つかる。
ホールの端の方に、荷物が無造作に置かれている。そこには見覚えのある彼の自作銃も置かれていて、セージがこの研究所に来ていることを知ることができたのだ。
この場に居ないということは、奥に進んだのだろう。それが自分の意志なのか、スサノオのメンバーに捕まったからなのかはわからない。武器が置いてあるということは、限りなく後者ではあろう。けれどそれは、彼が動ける状況であるということでもある。
「……良かった。生きてはいるんだな」
ユナはその銃を手に取り、ホッとした気持ちになる。
けれど、セージが無事だとわかると、今度はロボ子が心配にもなる。
ユナは遺跡を急いで降りて行く。
スサノオは、彼女の存在を許しはしないだろう。もし、ロボ子が壊されれば、セージはスサノオを憎むのかもしれない。
スサノオはユナの事を裏切り者と憎んでいるのかもしれないが、彼女にとってはやはり、大切な人達であることには変わりはない。できれば、セージには憎んでなど欲しくはなかった。
ユナはそう思って次の大きなフロアへ出ると、声をかけられる。
「なんで、お前が居る」
声のした方を驚いて見れば、ナツキが睨んで来ていた。
少し、気が急いていたようだ。自分の不用心さが恨めしい。ナツキが居ることに気付くのが遅れ、見つかってしまった。
おそらく彼女は、遺跡の入り口が稼働したからと、確かめに来たのだろう。
ああ、よりによって、ここに居るのはナツキだったのかと、ユナは思う。
「……ナツキ。大きくなったな」
ユナは親愛を籠めて言うが、ナツキの険悪さは取れない。
「ふざけるな。裏切っておいて姉さん面するな。お父さんやお爺ちゃんの信頼を破っておいて」
「……ナツキ」
そう、彼女はユナの妹だ。彼女の大切な妹。だからこそ、ナツキに敵視されることが、何より悲しい。
「お爺ちゃんは、あなたを信頼していたから自分の剣術を教えもしたんだ。それなのに、その力をスサノオの敵として使おうとしている。私はそれが許せない」
「……私が剣を教わったのは、信頼とは違うよ」
ナツキはユナのように、剣術を習ってはいない。しかしそれは、ナツキの言うような、信頼とは関係はない。
……実の所、ユナとナツキに血の繋がりはない。ロボットの暴走によって両親を失い、身よりを失った彼女を、ユナの父が引き取ってきたのだ。
そして、ナツキは既に両親を失うという悲しい目にあっているからこそ、争い事には関わらせないようにしようと、父と祖父は考えたのだ。だから、ナツキは剣術を教わって来なかった。
しかしそれが、血の繋がりの無いナツキにとっては、家族じゃないと思われているように、感じてしまったのかもしれない。
そして結局の所そんな焦りから、お爺ちゃんや父さんの思惑とは違い、彼女はこうやって、スサノオに入ってしまった。
「父さんやお爺ちゃんにとって、ナツキは大切な娘だし孫だった。危険な目に遭わせたくなかったんだ。だから、剣術を教えなかった。それだけは、わかってくれ」
父や祖父だけではない。例え、血が繋がっていなくとも、ユナにとっても大切な妹なのだ。自分は信頼されていなかったという、悲しい誤解だけはして欲しく無かった。
「……何を今更。裏切っておいて」
ナツキに、ユナの言葉は響いてはくれないのかもしれない。
スサノオを裏切った今、彼女は姉とは思ってくれていないようでもある。
そのことを少し悲しく思うけれど、それでも後悔はしない。これは、自分の選んだ道だから。
だから、ユナは言う。
「すまないな。ナツキには申し訳ないと思うが、私はもう、決めているんだ。自分の道を」
ユナの言葉に、ナツキは忌々しそうな顔をする。
「……一つ聞きたいのだが、セージとロボ子は無事か?」
「……セージ? そうか。確か、セージは知り合いだと言っていたわね。……彼を助けに来たの?」
「ああ。心配だったからな」
「……心配。……私の事は放っているのにね」
ナツキは自嘲的な笑みを浮かべる。
「……心配はしているさ。それでも、……お前にはスサノオの仲間がいる。父さんやお爺ちゃんだって」
「……そうね。そして、今の私には、クノーさんが居る」
「……そうか。お前のパートナーは、……クノーなのか」
「そうよ」
ナツキは笑みを浮かべる。
それが、自分に対しての嫌味だということは、ユナにはわかった。
ユナとクノーは、仲の良い幼馴染だった。恋人関係にまでは至ってはいなかったけれど、そういった感情が、決してなかったというわけではない。
ナツキは、クノーに恋心にも似た憧れを持っていただけに、ユナと彼の関係に、腹立たしい部分もあったのだろう。
クノーは今、私と共に居るのだと、ナツキは当てつけて来ている。
けれどユナは、腹立ちはしない。
既に、ユナとクノーの道は、違っているのだ。スサノオを裏切った時にはもう、彼と一緒に居ることを、諦めている。
もし、ナツキとクノーが結ばれるというのなら、ユナは喜んで祝福だってしよう。彼は頼りになる男だと知っているので、大切な妹も任せられると思うから。
「よかったな、ナツキ。お前がクノーと一緒に居るのなら、私は安心できる」
「……なによそれ」
ナツキが苛立たしげに睨みつけて来る。
「私の素直な気持ちだよ。道を違えても、私にとって、二人は大事な妹と親友だ」
「……ふ、ふざけないでよ。スサノオを裏切った今、ユナを姉だなんて、私は思わない」
「……そうだな。ナツキの言う通りだ」
ナツキの後方から、男の声が聞こえた。
クノーだ。彼の懐かしい顔を見て、複雑な気持ちになる。
会えたことを嬉しいと思いながらも、会いたくはなかったとも思うのだ。敵対していなければ、ただ単純に、嬉しいばかりだっただろうに。
「……クノー。別に私は、ふざけてなんていない。私の気持ちは、昔とさして変わらない」
「いいや。ふざけているな。……もしくは甘いというべきか。……お前は未だに、アマテラスを使おうとしているのだろう?」
「……ああ」
「ならば、我らスサノオの敵だ。それでも、友や家族だというお前は、甘えているだけに過ぎない。……我らは敵と慣れ合う気はない」
クノーは苦虫を噛み潰すように言う。付き合いの長いユナには、彼が自分の気持ちを押し殺しているようにも見えた。
真面目な男だからこそ、自身の気持ちとは関係なく、裏切り者を許すようなことはできないのだろう。
「……全く、相変わらず頑固だな。……まぁ、良い。……それに今回は、別に争いに来たわけではないよ。……セージがここに来ているのはわかっているんだ。合わせてくれないか? 彼は私の知り合いなんだ」
「……そうはいかないな」
クノーは首を横に振る。
「何故?」
「あの少年の連れているロボット。あれは危険だからだ」
クノーの言葉に、ユナは眉を寄せる。
「危険? ロボ子は別に、戦闘用ではないはずだ」
「……ふん、そうか。ユナはあのロボットの事を知らないのだな」
「なんだそれ。まるで、私を馬鹿扱いしているように聞こえる」
ユナが不満げに言うと、クノーは少し笑みを浮かべる。
「事実を知れば、自分を愚かだとは思うかもな」
事実とは何だろうか?
まぁ、きっと、尋ねたところで教えてはくれないだろう。
「じゃあ、セージやロボ子に会う為には、力づくじゃなくちゃいけないってことか?」
「まぁ、そうなるな」
「……全く。……面倒な」
苦虫を噛みしめるような表情をして、剣を構える。
ユナとクノー実力は伯仲している。正直、勝てもするし負けもする。少なくとも、隙を見せれば即座に負けることだけはわかる。
ユナは緊張感を高める。
そして、踏み込もうとした瞬間、丁度、二人の間に、通気口の鉄柵が落ちる。
ユナとクノーは、戦おうとするのも忘れ、上を向く。
「たぶん。ここら辺から、出口に近い所に出られるわ」
「さっき天井から降ってきたのは、こういう所を移動したからだったんだね」
聞き覚えのある声。天井近くにある通気口から、ロボ子の姿が覗いていた。
ロボ子はユナ達の姿に気付いたようで、首を傾げる。
「出迎えられた。これはサプライズパーティー?」
「……それは、待ち伏せさせられたってことじゃないの?」
「でも、ユナが居る」
「ユナさんが?」
なんというか、あまりにも空気を読まない出来事に、呆気に取られてしまう。見れば、クノーやナツキも同じ思いのようだ。
しかし、少し考えて、逃げるチャンスではないかとユナは思いつく。
ユナは持っていたセージの自作銃をこっそりと調べる。
この銃には色々な機能があり過ぎて、使いこなすことは彼女にはできないけれど、興味本位で、いくつかの使い方を教えてもらっていた。
……確かここら辺に。
銃身の右上部辺りに、目当ての物を見つける。
「セージ。逃げるよ」
ユナはそう叫びながら、自作銃から取り出した、催涙効果のある煙幕を、クノー達に投げつける。
「え? え?」
混乱するセージ。
「セージ、行く」
ロボ子はそう言って、彼を抱えて通気口から飛び降りた。
「く、くそ。待て」
クノーとナツキは突然のことに対応できず、涙と煙幕で視界が取れないのか、必死にこちらを探ろうとしている。
「今の内に」
ユナが走りだすと、セージとロボ子もついて来る。
「このまま、外にある私の車まで行く。セージは外に出られる?」
「うん。多分。その銃があった所に、ガスマスクがあると思う。それさえあれば、外に出れるよ」
「そうか。入口の近くにあったから、そのまま向かう」
しばらく走れば、すぐに荷物の下へと辿り着く。セージは急いで探すけれど、中々見つからない。
焦っているのだろう。セージ自身、その探し方は乱暴になっている。
「セージ。見つけた」
ロボ子が荷物から少し離れたところで落ちているのを見つけて持って来る。
「……そうか。僕は倒れてたから、そこに」
倒れていたというのが気になるが、悠長に聞いている暇もない。
「見つけたんなら、すぐに行くぞ。クノーに追い付かれたら厄介だ」
「はい」
ユナ達は慌ただしく、研究所から飛び出した。
「…‥‥えっと、助けてくれて、ありがとう。ユナ」
助手席に乗ったセージが気まずげに言って来る。微妙な別れ方をしてしまった性で、どう接したものかと、迷っているようだ。
ユナはできるだけ優しい笑みを浮かべる。
「……全くだ。セージ達の居たプラントに立ち寄ったら、お前達は居なくなっていたんだ。……私がどれだけ心配したことか」
「すいません」
「……いや。セージが、プラントの外に出なければいけない状況だったのは、聞いているよ。……むしろ、こんなことならば、一緒に連れて行けば良かったと、本当に後悔している。……本当にね」
ユナは自分の選択にあまり後悔はしない人間だ。周囲に流されることなく、自分で選んで来たことだから、例えそれが間違っていても、自業自得なだけで、仕方ないことだと思うのだ。スサノオを裏切るような真似をしてしまったのも、結局の所、後悔はしていない。
けれど、セージの時はさすがに違った。
ボロボロの彼の家を見た時、もっと、良い選択があったのではないかと、どれだけ思ったことか。
だから、彼が無事だと知った時、本当に安心した。
「無事で良かった」
ユナはそう言って、セージの頭を撫でる。すると彼は、目を細めて嬉しそうに受け止めてくれた。
「ん。ユナが一緒だったら、もっと楽しかった」
後部座席に座るロボ子が身を乗り出して言う。
「もっとって、ロボ子は楽しかったんだ。僕は死にかけたりで、本当に必死だったよ」
「死にかけたのか?」
「ああ、うん。蛇に噛まれて、毒で朦朧となってね。ナツキが医療用ナノマシンを使ってくれたらしくて、なんとか生き残ったよ」
セージはそう言って、噛まれたという左腕を擦る。
「あの子は良い子ね」
ロボ子が言う。
「……そうか。……ナツキが」
ユナはナツキの顔を思い出す。ずっと、怒った顔のままだった。それでも、優しい子であることに、変わりはないのだと思うと、嬉しかった。
「ナツキは、ユナの知り合い?」
「……ん。……まぁ、……ナツキは私の妹だよ。血の繋がりはないけどな」
「へぇ、そうなんだ。だからナツキは、良い人なんだね」
「はは。そう言ってくれるのは有難いよ。……でも、あいつもロボット嫌いだからな。ロボ子に対して、迷惑を掛けたんじゃないか?」
尋ねると、ロボ子は首を横に振る。
「ううん。ナツキはクノーから、私をかばってくれようとしたわ」
「ナツキが?」
ユナは驚いた。
実の両親や友人達をロボットに殺されたナツキの憎しみの深さは、ただ、生真面目で融通の利かないだけのクノーよりも、遥かに深い。だからこそ、ロボットに対してはクノーよりも厳しいと思っていたのだ。
「ナツキはロボットを受け入れることはできなくとも、話はちゃんと聞いてくれたよ。……たぶんナツキは、……ううん。何でも無い」
「ん? そうか」
セージは何を言いかけたのだろう。気にはなったが、彼は他の事を聞いて来る。
「そういえば、ユナさんは何で、僕があそこの遺跡に居るってわかったの?」
「ああ。私は、お前の車が残した車輪の跡を追っていたんだ」
「そしたら、見事に横転していたでしょ」
「確かにな。その後の足取りは、お前の残していったノートパソコンにあった地図から推測したんだ」
「セージのノートパソコン?」
セージは目を見開き、キョロキョロと見回す。おそらく、自分のノートパソコンを探しているのだろう。その姿は年相応の子供のように見えるので、笑えてしまう。
やはり、この子は泣く泣く、ノートパソコンを手放したのだろう。
「はは。ちゃんと持って来ているよ。後ろの席に置いてある」
そう言うと、ロボ子はガサゴソと、後ろに積み重なった荷物を漁る。
「あったわ、セージ」
ロボ子が、見つけたノートパソコンを、セージに渡す。
「……ありがとう、ロボ子。ありがとう、ユナさん。僕のパソコンが返ってきた」
セージは嬉しそうに、自分のパソコンを抱きしめる。もう、放さないと言わんばかりに。
この子は本当に機械が好きなんだと思える姿だった。
しかし、セージの喜びに満ちていた顔は、すぐに曇った。
「……どうかしたか?」
「ああ、うん。……ユナさん。ナノの女王が、なんなのかがわかったんだ」
「……なっ、本当か?」
ユナは驚く。
セージの住んでいたプラントの近くに、起動キーがあるという情報を得て、探しに行ったのだ。だが、結局、探し出すこともどんなものかを知ることもできなかった。
唯一わかった事といえば、ナノの女王という名前だけ。
彼は、その情報を得たという。
「……うん」
頷くセージの顔は冴えない。
もしかしてもう、入手できないものなのだろうか?
不安な気持ちになるが、セージは答える。
「ナノの女王はロボ子だったんだ」
「ロボ子が?」
ユナがマジマジと彼女を見れば、ロボ子は、小首を傾げながら人差し指を頬に当て、ウインクのように左目の電灯を、パチパチと明暗させる。
注目を浴びると思って、ポーズでも取ったのだろう。なんだか軽く、イラッとするのはなぜだろうか?
それでもユナは気付いた。
「……ん? ロボ子の目の色が違わないか?」
「うん。ロボ子の記憶回路が、正常に作動している証拠なんだ」
「つまり、今のロボ子は、昔のことも覚えている?」
「うん。そういうことなんだよ」
そしてセージは、ロボ子について説明してくれた。
今はロボ子と呼ばれるナナノの生まれは、特殊だった。
元々、ナナノは人工知能でも、ロボットでもなかった。ナノマシンを操る為のプログラム。それがナナノだ。
ナノマシンは小さ過ぎるあまりに、それ単体に、指向性や意志を持たせることはできなかった。それ故に、ナナノという全体を統括する、中継基地のようなプログラムが必要だったのだ。
そのプログラムは、常に進化していった。
ナナノとナノマシンは、限りなく、同一存在へと近付いて行く。
ナノマシンの見たものや触れたものを、ナナノは自身の感覚として知ることができるようになったのだ。
研究者達は、その進化を喜んだ。
同一化が進むということは、ナナノが学べば、ナノマシンも学び、進化するという意味でもあるのだ。
ナノマシンへの情報伝達は高速化し、更には、今までナノマシンには伝えられなかった細かい命令まで、受け付けるようになっていく。
研究者達にとって、奇跡とも言える進化。
同じものを作り出せと言われても、新たに作り出すことはできない。それが、研究者達の見解だ。できたとしても、複製だけ。
しかし、ナナノは複製されることはなかった。
ナナノという存在は、あまりにも危険でもあったのだ。
目に見えないにもかかわらず、ナノマシンは簡単に毒にも変化する。それを簡単に操れるナナノは兵器として、いくらでも利用できてしまう。
ある日、どこかの人工知能が、ナナノをハッキングしようとする事件が起こった。その時改めて、ナナノという存在の脅威を知った研究者達は、ナナノ自体の情報が漏えいしないよう、自己進化する厳重な防御プログラムを作り上げ、それは、複製を不可能にさせたのだ。
しかしそれだけでなく、そのハッキング事件は、ナナノにある変化をも、もたらしていた。
ハッキングして来た人工知能に触れることで、ナナノ自体も、人工知能というものの学習をしていたのだ。
つまりナナノは、知能を得始めていた。
その変化はゆっくりとしたもので、研究者が気付くのに、かなりの時間がかかったという。
そして、気付いた研究者の中には、知能を得たことで、反乱を起こすのではないかという危惧をする者もいた。だが既にその頃、アマテラスの計画が進められており、その計画にはナナノの存在が必要不可欠だった。その為、ナナノを破棄するという考えは無くなったのだが、不審な気持ちは残る。
そんな中、研究者のマイカは一計を案じた。
ナナノにロボットとしての体を与え、人に愛情を持つように、教育することにしたのだ。
マイカの目標は、人を愛し、愛される存在。
ナナノの素直さと、憎み難い性格によって、その試みは、成功したと言って良い。
彼女自身、ナナノの事を、娘のように愛してもいた。
そして、だからこそ、マイカ自身が暴走した。
アマテラスの塔の完成と共に、ある欠点がわかったからだ。
この計画は、アマテラスの塔を使って、ナナノの人工知能データを、大量のナノマシンに転送することで、ナノマシンに指向性と意志を与える。そして、完全なナノマシンとなったナナノが、世界に散りながら、大気を浄化させる。
これが、アマテラス計画の概要となる。
しかし、ナナノの意思が転送されるということは、ロボットとしての意思は拡散され、ナナノとしての人格を失うということでもあった。
ナナノの体は、意志の無い空っぽの存在となる。
ナノマシンとして、ナナノは存在するのかもしれないが、人と接せられる彼女は居なくなってしまうのだ。
マイカはそれが耐えられなかった。それ故に、ナナノ自身とアマテラスに関する記憶を思い出せないようにして、更には体ごと封印し、彼女の偽物を作り上げたのだ。この計画を乗り越えさせる為に。
もちろん彼女は、できるだけアマテラスの計画が上手くいくようなプログラムを作り上げもしたが、やはりというべきか、新たにナナノと同じ能力を作り上げることはできず、ナナノを複製しようにも、防御プログラムに阻まれてしまっていた。
そして、最終的には、アマテラスの計画は失敗に終わったのだ。
「……つまり、アマテラスの塔を発動させるということは、ロボ子を失うということでもあるんだな」
ユナは、セージの話を頭の中で整理しながら、その欠点を口にする。
「……うん。……そうなんだ」
頷くセージの顔は硬い。
彼も、マイカという研究者と同じように、ロボ子を大切な存在だと思っていることは間違いない。
だからこそ、アマテラスの計画を行うべきかどうか、迷っているのだろう。
ユナだって、ロボ子は大切な友人だと思っている。
ロボ子やセージと出会ってからの一ヶ月は、スサノオを裏切り、孤独になってしまったユナにとって、どれだけ救いになったことか。
できることなら、ロボ子を失いたくないという思いは、ユナにもあるのだ。
それでもアマテラスを発動させることを、ユナは躊躇わない。
それを実行する為に、ユナは既に、家族や親友を裏切っている。今更、ロボ子一人の犠牲で、躊躇うわけにはいかなかった。
けれど、それをセージに押し付ける気はない。
少なくとも、ロボ子への思いは、この子の方が強いだろう。
だからこそ、セージがどうするかは、この子自身に決めさせたかった。
……もし、道を違った時は、敵対関係になるかもしれないけれど。
しばらく黙り込んでいたが、セージは泣きそうな顔でロボ子を見つめる。そして顔を逸らし、苦々しく言う。
「……ユナさん。……このまま、……アマテラスの塔へと、……向かってくれませんか?」
それが、セージの選択なのだろう。
「……良いのか?」
無粋な質問だと思いながらも、聞かずにはいられなかった。
「……うん。……本当はね。……ロボ子を失うのは、怖いし寂しい。……けれど、マイカという研究者と、同じような失敗はしたくないんだ。僕の夢は、あくまで、世界を治すことだから。……自分の夢を裏切りたくないよ」
辛そうな表情をしながらも、そう言い切るセージ。
「……そうか」
彼は自分に似ているのだろうと、ユナは思う。
ユナもセージも、周りのただ流されるだけの生き方を良しとできず、自分の信じる選択を最後まで貫き通そうとしている。
それは辛い道かもしれない。
やり終えても、後悔ばかりすることになるのかもしれない。
それでも、自分の意思を、捻じ曲げることをしたくはない。
セージは本当に、ユナに似ている。
「それに、ユナさん」
声を掛けられ、セージを見れば、彼は弱々しくはあっても、笑みを浮かべていた。
「僕はまだ、諦めたわけでもないんだ」
目を覚ますと、外は暗かった。
まだ、夜のようだ。
セージの寝息が聞こえる。
人によっては、他者の寝息を嫌がる者もいるけれど、ユナは一人じゃないんだと思えて、心安らぐ気がした。
ユナは寝返りを打とうとして、明るさを感じる。
少し首を起こして見れば、ロボ子の目が光っていた。
ロボットも眠るのか、彼女が眠る時、休止状態のように目の光を失うのを知っている。今、光っているということは、ロボ子は起きているのだろうか?
「……ロボ子?」
試しに声を掛けてみる。
「どうしたの、ユナ」
ロボ子は聞き返して来る。
「起きていたんだな」
ユナは上半身を起こし、改めてロボ子を見る。彼女はジッと、セージの寝顔を見ていた。それはまるで、別れを惜しんでいるようだ。
ロボ子にしても、セージとの別れは辛いのだろうか?
前にセージは、ロボットと人の感情は、全く違うのだと言っていたことがある。けれど、今のロボ子を見ると、同じにしか思えなかった。
「ロボ子。……お前はアマテラスを使うことで良いのか?」
ユナはセージばかりに、意志の確認をしていた。でも実際、アマテラスを使って、今までと変わってしまうのはロボ子なのだ。彼女の方が、抵抗があって、当たり前だと、今更ながらに思う。
しかし、ユナの問いに、ロボ子は首を横に振る。
「セージは、アマテラスの計画と私の事を知った直後に、同じことを聞いてきた。でも、私はロボット。存在意義が最初から存在するの。そして、アマテラスを起動させることが、私の存在意義。それを果たすことに、迷いはないわ」
「……そうか」
ロボットいう存在が不自由で、可哀そうに思えた。
ユナ達人間に、存在意義なんてものは存在しない。その為に、迷いもするだろう。けれど、存在しないからこそ、自由な考えができるのだとも思う。
もしも、ロボ子に存在意義なんてものがなかったのなら、アマテラスを起動させることを拒否しただろうか?
「ユナ」
今度はロボ子が声を掛けて来る。
「ん?」
「セージは実際の所、迷っている。けれど、私がそう言ったからこそ、アマテラスの計画を実行しようと決意したんだと思う」
「……そうかもしれないな」
もしも、ロボ子がアマテラスの計画を嫌がっていたら、セージは彼女の意見を受け入れて、別の方法を探していたかもしれない。彼は、諦めない子だから。
「セージは、私を失わない方法を、何か考えているようだけれど、もしも、それが上手くいかなかった場合、セージは深く悲しむ。だからその時は、セージをお願い」
「……ああ。わかった。……でも、お前もセージと居られるように、努力はしろよ」
「ん。わかっている。それが今の私の、一番の願いだから」
ロボ子の願いは、人間になることだった。それは、ロボ子が大切だと思う人間を真に理解し、一緒に居る為の方法だった。
今のロボ子にとって、人間になるよりも、セージと一緒に居ることの方が、切実な問題なのだろう。