閉幕
太陽光採光用高層建築 サンシャイン88
前世紀の爪痕、超長期汚染の一つ、汚染雲。
汚染雲が地表近くに発生するとその一帯は闇に包まれ外出は不可能となる。
それを防ぐために汚染雲を吸引し浄化、そして物理的に東京の天窓としての機能を担うのがサンシャイン88である。
周辺の商業施設も含めた不夜城であるが今夜は立ち入り禁止のテープが張り巡らされ封鎖されていた。
エージー隊は封鎖地域に堂々と足を踏み入れる。
目的は堕悪獣の足取りを掴むためである。
しかし意気込みとは裏腹に肩透かしを食らうこととなる。
そこで待ち受けていたのは泉課長率いる暁美隊とアネットであった。
「待ってたよ」
「泉課長ッ、イージー隊任務失敗しましたッ!」
「ああ。姫様を通して確認した」
「それで堕悪獣はどこです?」
「あいつはここにはいない。姫の情報をもとにした作戦の一環だ。先にお前さんたちと合流できたことは僥倖だ」
集合した8課を対自想式強化服歩兵が取り囲む。
「イー14を探してあいつらが見つかるとは。偶然といえば偶然。必然といえば必然。ただ不自然だな」
「十中八九、罠だろう。勝算があるとも思えんがな」
ビルの屋上でアルマと見鶴来が8課を見下ろしていた。
「泉課長。『目標、サンシャイン88の屋上です』」
「よし。イージー、暁美、晄はサンシャイン88の屋上へ迎い人質を救出しろ!最後のチャンスだ。失敗は許さん」
数刻前。
イージー隊がの救出に向かった直後、白鶴が異変に気付いた。
「『堕悪獣とアルマの因果の結びつきが初めて弱まりました。恐らく別行動をしています』」
「別行動?アルマは堕悪獣を監視していると言っていたが。さては見失ったか」
「『堕悪獣の因果も、奇妙な』姫様?」
「姫様?大丈夫ですか!?」
「アブツと皆葉が介抱しています。命に別状はないようです」
「さもありなん。因果の見過ぎか。姫様には苦労ばかりかける」
「唯一無二のお体を労れないのは不憫です」
「姫様だけが特別じゃない。懸命に行動している8課全員がわたしには特別だ。そして全員が無事に帰還する最後のチャンスが巡ってきた」
泉は無線のスイッチを入れる。
「8課の泉だ。警視庁の各支所交番職員に通達。サンシャイン88周辺で無差別殺人事件が発生。一帯を封鎖しろ。待機命令が出ているもの、手の空いてるものは率先して動いてくれ。繰り返す」
「【装展!】」
『七・五調? そんなこたァ 関係ねェ
迷わず進むぜ 俺の花道』
『強きもの 弱きものとの おことわり
人のちせいに よるべきのなし』
『風は去り みなもに揺れる 善と悪
わがことのはを たよりと思え』
バーク、凪、息吹の3着がサンシャイン88の壁を垂直に駆け上がる。
吸いこまれる汚染雲の層を突破し屋上にいる4人を明確に視界にとらえた。
人質は猿轡をかまされているが意識はあるようである。
ヴズルィーフと見鶴来は屋上で待ちうける算段だ。
地上ではディーディーと冑が開戦の火ぶたを切っていた。
対自想式強化服歩兵は泉とアネットにも容赦なく襲いかかる。
泉はその殴打を捌きアネットが警棒で打ち落とす。
泉とアネットは互いの背中を預け死角をカバーした。
サンシャイン88の屋上。
自想式強化服4着と生身1名がまんじりともせずにらみ合っていた。
ヴズルィーフが半歩後ずさる。
「アンタがいるとはいえ状況は万全ではないな。一旦引くか」
「どうやら一足遅かったみたいだ。退路はもうないぜ」
後ろを振り返ったヴズルィーフが見たのは月光に照らしだされる道化師の姿。
道化師はサーカスのショーの前座のようにおどけて一礼して見せた。
その肩に漆黒のカラスが止まる。
さらにその背後からは様々な猛獣が漆黒の姿で現れた。
血のカーニバルの幕開けである。
「監視部隊を全滅させたのはこれか」
(やはりイー14は次々と新しい能力を獲得している。なにが原因だ)
迫りくる猛獣の群れを破裂させながらヴズルィーフはひとりごちた。
虚を突かれたのは息吹たちも同じである。
怒涛のように押し寄せる黒い波を乗り越えていく。
溢れた猛獣は地上めがけて駆け下りていった。
「うざってえな」
見鶴来が道化師に肉薄し縦一文字に斬り裂く。
道化師は胸を切り開かれながら後ろに倒れこむ。
そしてブリッジの体勢でヴズルィーフに突進した。
切り裂かれた胸の奥にある、一つの目玉が黒白を凝視している。
道化師はそのままヴズルィーフを轢き飛ばす。
突然の衝撃にヴズルィーフは空中で黒白を落としてしまった。
危険な屋上に黒白は投げ出される。
そして黒白の眼前に迫るのは道化師の割れた仮面。
ブリッジから逆立ちを経て黒白にのしかかった。
息吹が四つん這いで間に入り黒白をかばう。
息吹の右腕に獅子が齧りついた。
黒白は目玉と間近で目があう。
しかし目玉はすぐに踏みつぶされた。
バークが道化師の背中を踏み抜いたのだ。
凪が構える。
「氷結水砲!」
「爆筒!」
熱気と冷気が渦を巻き屋上に吹きすさぶ強風を巻き込んでいく。
中心には道化師の氷像ができあがっていた。
ヴズルィーフの射線上に黒白がいたのが分かれ目だった。
なおも続く竜巻に巻き込まれ黒白は屋上から吹きとばされる。
黒白を追って息吹は汚染雲の中へと消えていった。
「一体上で何が起きてるんでしょうか」
ディーディーが黒ゴリラを投げ飛ばしながら言う。
突如頭上から降り注いだ獣たちによって地上もまた混戦になった。
しかし対自想式強化服歩兵に対抗手段はなく、獣たちに蹂躙され肉片へと変わってしまっていた。
「『犠牲者はまだいません。どうか耐え凌いでください』」
「姫様もそう言っとる。いよいよここが正念場じゃ」
周りを取り囲む無数の動物たち。
その包囲網は徐々に狭められていった。
狩りのセオリー通りまず狙われたのは力の弱い者。
アネットめがけて黒ウマが駆けていく。
「アネット!」
コンクリートをも砕く蹄がアネットの頭に振り下ろされる。
(アブツ、あなたに見せてあげられる最後の光景がこんなひどいものでごめんね)
死を覚悟したアネットに、しかし蹄が振り下ろされることはなかった。
黒い影たちはぐずぐずに溶けだし最後には消えていった。
「決着、がついたのでしょうか?」
「いやまだ分からん。警戒を怠るな」
円陣を組む四人の真ん中に息吹が降り立った。
その腕には黒白が抱えられている。
「息吹、屋上の戦況はどうなっている?」
「道化師が現れ一時混乱に陥りましたが凪が止めをさしました。黒白は救出に成功。残るは父さんだけです」
すぐに屋上へと向かおうとした息吹は泉の鋭い視線に気が付いた。
「勝算はあるのか?」
息吹は答えに窮する。
すでに右腕の感覚はなかった。
「勝算がなくとも」
【勝算は五分五分です】
泉は手を広げて見せる。
「五分五分か。随分と大きく出たな」
「それでは」
「ああ。行って来い」
【ディーディー。冑。あなた方の力を8代目に貸してください】
冑が息吹の右腕に触れる。
すると光とともに手甲が取り付けられた。
ずしりと重い。
「冑には自想式強化服の追加装甲が備えられています。どうかご無事で。隊長をよろしくお願いします」
「ご武運を。噴岩!」
ディーディーが息吹を地盤ごと汚染雲の上へ打ち上げた。
サンシャイン88屋上。
「イー14は活動停止。要観察者は遥か下。見鶴来さん。要観察者の確保だけでも手伝ってくれませんかね」
「言っただろ。そいつの確保までが俺の手伝いだ。あとは自分で何とかしな」
ですよねー、とヴズルィーフがつぶやいてビルの下を覗き込む。
紫色の汚染雲の中から一筋の光が昇ってきていた。
【バーク、凪、こちらへ!】
息吹の呼びかけに2着は応じる。
【最後の一撃です。よろしく頼みます】
バークと凪は息吹の右手の手甲を見て状況を把握する。
「そんな晄にはまだ無理よ」
「いいじャねェか。俺が支えてやる。骨全部へし折れる覚悟でやッてきやがれ!」
【炎陣!】
バークが地盤の下に回り込み火球を形成する。
「あんた死ぬ気?」
凪の問いかけに息吹は頷く。
「父さんを守るためだ。本気だ」
「人の話を聞きなさいよ」
【氷陣!】
凪はため息交じりに氷山を形成する。
「勇大隊長を守ってね?」
「任せてくれ」
熱気は上へ冷気は下へ空気はぶつかり追い風となる。
「【閃光!】」
8課の力を結集した最大最速の疾風である。
剣で受けた見鶴来の足元が崩れた。
衝撃波が屋上の全てを破壊。
サンシャイン88周囲の汚染雲が散り散りになる。
バーク、凪、ヴズルィーフも吹き飛ばされた。
見鶴来が炎を使いその場に踏みとどまる。
息吹がさらに手甲に力を込める。
徐々に息吹が押し勝っていく。
小さな舌打ちともに見鶴来が剣を両手で掴んだ。
二人を中心として発生する衝撃波がピークを迎える。
息吹と見鶴来は衝撃波の直撃を受けて弾けとぶ。
勇大が見鶴来の手を離れ落下した。
息吹と見鶴来はその後を追い、両方が同時に手を伸ばす。
先に届いたのは息吹である。
勇大の手を握りしめようとする。
しかし息吹の腕にはもう何かを掴む力は残されていなかった。
見鶴来は勇大を抱えると汚染雲とともに消えていく。
息吹は手を伸ばした姿勢のまま地面へと落下していった。
「みなさん、気がつきましたよ」
晄が意識を取り戻して最初に見たものは黒白の嬉しそうな顔であった。
「おゥ。お前ェはよくやッた。それ以上でもそれ以下でもねェよ」
「8課全隊員に告ぐ。遠田勇大及び黒白花救出作戦は以上をもって終了とする。別命あるまで待機」
黒白が晄の包帯をとりかえる。
「こうして手当てするのも二度目だね。晄くんには三度も守ってもらった」
しばらくの間、沈黙がその場を支配した。
沈黙を破ったのは車のエンジン音である。
封鎖地域であるはずのサンシャイン88に黒塗りのベンツとバンが乗り付ける。
バンからは黒服の屈強な男たちが続々と降りてきた。
8課の面々に緊張が走る。
「大丈夫よ。彼らはわたしの護衛。護衛の何人かは堕悪獣に殺されたけれど。晄くん、ほんとうにありがとう。お礼に情報を1つ無償で提供させてもらうわ」
黒白が立ちあがる。
「堕悪獣がわたしを狙った理由はわたしを憎んでいたからよ。さっき確信したわ。あの目はあのときの目。わたしが手引きする人身売買のうちの一つ、サーカス一座の引き渡しの場で檻の中からわたしをにらんでいた座長の目と同じ目だったわ。書類上はトラックの落下事故ということになってるけど」
晄は黙って聞いていた。
「まさかあんな化け物にされているなんて。予想よりは幾分ひどい末路。あの取引相手、後処理費用とかやけに金払いがよくて不思議だったのよね。今の時代、曲馬団なんてお金にならないでしょ。その割に維持費は嵩むし。不良債権の整理の一環だったのだけれど」
黒白は淡々としゃべる。
「でも恨みを晴らすチャンスがあっただけまだましなのかしらね。夢も希望もなく生かされるよりも」
「てめェッ」
凄むエージーを泉が制する。
「今、関連書類を確認した。確かにその通りのようだな」
「事故に見せかけて殺す?それとも堕悪獣の仕業にする?いいわよ。他の役員連中と話がつけば簡単な話」
黒白はベンツの扉に手をかける。
「さようなら。晄。もう会うこともないでしょう」
「誰かを守るんじゃない。誰かを守るんだ。後悔はしない」
「そう」
無表情の黒白を乗せたベンツはその場を後にする。
それにバンも追従した。
エンジン音が遠ざかり再び静寂に包まれる。
「晄。我々は本部へと戻り休息をとる。お前さんはどうするね?」
「……もう少しここにいます」
「それもよかろう。それではまたな」
泉を先頭に8課のメンバーもまた遠ざかっていく。
晄は1人で大地に横たわったままだ。
東京の空をいつも覆っている汚染雲はない。
澄んだ空に太陽が昇る。
朝日が大地を照らし晄の顔は白く塗りつぶされた。
閑静住宅街 田園超布
晄は勇大から受け取った地図をたよりに一戸建て住宅の前に立つ。
勇大と新しく住む予定だった家だ。
二人で住むにはいささか大きい。
庭付きのようだ。
門にカードキーを通す。
【骨格照合。ロック解除】
門をくぐった晄は異変に気付いた。
最近人が歩いた形跡がある。
(空き巣か?)
晄は注意深く玄関前まで移動する。
中から話し声が聞こえてきた。
(まだ中にいる。逃がしてなるものか)
「突入!」
晄は勢いよくドアを開け床を転がる。
姿勢を低くした晄が見たものはピンク色の下着だった。
黒のレースにメッシュが入り艶やかな光沢がある。
「きゃーーーっ」
目の前の光景に呆気にとられる晄の頭にお盆が勢いよく振り下ろされる。
兎田の悲鳴を聞きつけて続々と8課のメンバーが出てくる。
「なんだァ。晄にそんな困ッた趣味があッたのか」
「鼻血まで出して。変態ねっ!女の敵よっ!」
「いやこれは殴られたせいで」
「アブツが笑ってる。わたしもおかしい」
「晄。後で話を聞かせてほしい」
「みんな。そんなにいじめるもんじゃない。驚かせて済まなかったね」
泉が前に出る。
「課長、これは?」
「警視庁ビルは全焼してしまってね。ここが新しい本部さ。もともと非常時の避難場所として勇大と決めていた場所でもある」
「それでは」
「これからしばらくはここに8課が住むことになる。さらに暁美には新人のお前をサポートするために一緒の高校に通ってもらう」
「み、みなさん。ご飯の用意ができましたよ~」
「さあ一緒に食事をしよう」
「……はい」
晄は温まった空気で満たされたダイニングへと足を踏み入れた。
臨海重工業要塞群 川崎地区
各種企業の工場や倉庫が集中するここ川崎地区では企業の潤沢な投資によって東京に劣らぬ強固な警備が敷かれていた。
出入りする車両の検査はもちろんのこと。
私有地内は絶対不可侵領域であり、道路沿いからの視線をもかたくなに拒んでいる。
アルマと見鶴来はその監視網をパスし道沿いを走っていた。
「上層部に報告するのが億劫ですね。ただでさえ貴重なイのナンバーを失い、調査も不十分。部隊は死傷者多数。一体どれだけ始末書を書かされることやら」
「俺には関係ない」
「いやいや少しは関係ありますよ。正式に認可された申請のもと派遣された援軍なんですから。やっぱり手土産の1つでもないと」
「アルマ、気が短いやつは早死にするぞ」
アルマの喉元に剣の切っ先がつきつけられる。
「言ってみただけですよ。ただ査問ぐらいは覚悟しておいてくださいね」
「査問か。こっちがお前らを査問したいぐらいだよ。あいつの手がかりが東京にあることを知りながら俺を東京から遠ざけていたんだからな」
「それは私の権限を超えていますね」
そこで2人の会話は終わり別の道を行くこととなった。
アルマはとある建物の門をくぐる。
防衛部隊が機関銃を向けるのも意に介さず建物内部へと入っていった。
中央情報処理室へ入室し本部との通信チャンネルを開く。
しかしチャンネルはアルマが意図していない場所へと繋げられた。
「イー14の件は聞いた。中々興味深いデータが得られたようだな」
「はっ。不行き届きの数々、全て私の責任です」
「それは不問だ。とある筋から情報を買うことができた。たかくついたがな。新たな供給元が決まれば研究の幅はこれまで以上に大きく広がるだろう。任務の数も比例して激増が予想される。失態の分、働きで返せ」
「了解いたしました。長官殿」
通信が一方的に切られる。
アルマは熱いサウナに入りたくなった。
見鶴来は隠れ家の一つに到着した。
建物の内部は簡素な木造建築の様相を呈している。
家の主の帰宅を察知して小型の番犬が足元にすり寄ってきた。
「留守番ごくろう。次に留守にするときはお前がこいつを見張るんだ」
見鶴来は番犬の頭をなでる。
主とのスキンシップに嬉しそうに尻尾を振る。
見鶴来は勇大を椅子に座らせ正面に向き合う。
「さあ。あんたとは長い付き合いになるんだ。まずは自己紹介から始めようか」
往来警戒網総司令部 東京駅
兎田に見送られて本部を出た晄と暁美の二人は和田倉門高校への通路を歩いていた。
暁美はブツブツと何かつぶやいている。
「わ、私の得意科目は……」
「暁美さん、もっと肩の力を抜いて」
「仕方ないでしょ自己紹介なんて初めてなんだから。それに名前で呼ばないで。私の名前は景山。景山暁美」
「ごめん。分かったよ。景山さん」
「す、す、好き、なものは……」
「暁美さん。晄くん。おはようございます」
不意に名前を呼ばれ2人は振り返る。
そこにいたのは和田倉門高校の制服を着た黒白花であった。
「しばらく仕事を減らして晄くんと同じ高校に通うことにしたの。もちろん同じクラスの後ろの席よ」
「あんた、どういうつもりよ」
晄は一歩前に出て手を差し出す。
「よろしく。花さん」
「ありがとう。よろしくね。命の恩人さん」
黒白は晄の腕に抱きつく。
「離れなさい。晄。あんたも振りほどきなさいよ」
「その必要はないよ。景山さん」
「そうそう。名前で呼び合う2人の間に入り込まないで下さる?」
「じゃあわたしのことも名前で呼びなさいよ。いいわね、晄!」
「り、了解です。暁美さん」
3人が進む先には出口から光が差し込んでいた。
一章完。
続きはぼちぼち書いていきます。
→「和田倉門高校の8不思議」