第2話
狭くて仕方がない横庭を三人揃ってカニ歩きをしながら玄関の方へ向かった。
そして、正面にある玄関に着くと葦くんは「じゃあ」と軽く右手を挙げて帰っていった。
この仕事、手ぶらでオッケーなんだな……
僕は右手に持ったアルミ製のハードアタッシュがなんだか恥ずかしくなった。
「さて、入るか」ハカセさんが言った。
僕は頷きながら後について行った。
古めかしいドアを開けると、そこには何故か暖簾がかかっていた。
ハカセさんはそれをおもいっきり押して中に入った。
??
僕が戸惑っていると
「さあ、キミも“暖簾に腕押し”しながら、中に入りたまへ!」と鼻を膨らませながらハカセさんが言った。
僕は言われるまま、左腕をいったん折り曲げた後、ぴーんと一気に張って暖簾を腕で押した。
暖簾はまるで、手練れの格闘家のように僕の腕押しを受け流した。
って、フツーじゃん!
そしてハカセさんは「ふむ」と納得したような声を出し、中に入って行った。
僕は首を少しだけひねりながら、着いて行った。
中に入るとなんか変な臭いが立ち込めている。靴置き場のすぐ隣に臭いの元はあった。
甕に入った、糠床だ。
蓋はしまっているが、重石は置いていない。
「おおー。キミはこれが気になったのか? 素質は十分あるな」
ハカセさんはそう言いながら、甕の蓋を開けた。
そこには銀色に輝く何かがあった。
皆さんも想像できてるでしょ?
はい!せーの!
……
期待通り、釘が刺さっていた。
刺さっていたというより、横たわっていた?
何て言ったらいいんだろう。
とにかく“糠に釘”の検証をしてるという訳だ。
ハカセさんは僕の様子をじーっと見ていた。そして一言、
「キミはなかなか筋がいい。これが“糠に釘”の実験だということがわかっているようだ」
さらに奥に進むと3畳くらいの部屋に着いた。
なんか正露丸みたいなものが床に落ちてるぞ。
と次の瞬間、白いものが僕の足元を横切った。僕は反射的に変な飛び上がり方をした。
「何だ。キミは兎が苦手か?」
う……兎?
っていうか、得意も何も、幼稚園の頃にみんなで愛でていた記憶がうっすらあるだけで、苦手や得意を決めるほど、兎と関わったことがない。
「ええ、まあ。」僕は適当な返事をした。
するとハカセさんは眉間にシワを寄せて言った。
「それは困ったなあ」
僕はミニチュアシュナウザーの為に慌てて言った。
「いや、得意とか苦手とか……あ! 好きでした! 兎!
バッ○スバニーとかピ○タ○ラビットとか! あ、あれも好きだ! ふるさと!
う~さ~ぎお~いしって!
アレって子供の頃、兎が美味しいのかと思いませんでしたか?」
支離滅裂とはこういうことを言うのだろう……
ハカセさんは鼻をふっとならしたかと思うと、
「じゃあ、良かった。その“兎追いし”をキミにやってもらいたい」と言った。
よーく見ると、兎は二匹いた。
あ、兎って二羽って数えるんだっけ?
「どっちかの兎を捕まえてくれたまへ!」
「はい! 喜んで!」
僕はフンだらけの三畳間にずかずかと入り、兎を捕まえる作業にとりかかった。
僕はもう、わかっていた。
これは“二兎を追う者は一兎をも得ず”の検証だ。
だから、捕まえちゃいけないんだ。
僕は空気を読んだ。
今からティーショットを打つゴルファー並みに、風向きを読んだ。
多分本気を出せば簡単に捕まえられる。
しかし、それでは台無しだ。
などと考えながら惜しくも捕まえられないような演技をしていると、
「ピーーーーーー!」
ハカセさんがいきなりホイッスルを吹いた。中にコルクが入ってて、ピリリリリとなるタイプのホイッスルだ。
「キミ!! 何をチンタラやってるんだ! アシくんは5秒で捕まえだぞ!」
「あ、はい」
僕はホイッスルとハカセさんの怒鳴り声のダブルパンチを喰らって、某然としてしまった。
「キミはなにか勘違いをしているようだな」
そう言うと、ハカセさんはタバコに火をつけた。
ガラムの嫌な臭いがそこいら中に漂った。
嫌な空気が、僕とハカセさんの間に流れた。
ガラムを一本吸い終え、最後の煙を吐くと同時にハカセさんは大きく溜息をついた。
なんて言われるんだろう。
ドキドキしながら待つと、ハカセさんはまた、ガラムに火をつけた。
「で……」
「はい?」
僕は少し声が裏返った。
「なんの話だっけ?」
ズコー! 僕は心の中でコケた。
「僕が、何か勘違いをしていると……」
「おおー! そうだった、そうだった。
キミは言業屋のなんたるかを全く理解できていない。もう、何年になるんだっけ?」
「はい? 言業屋の事ですか?」
「それは今日からだろ! 私はそこまでボケてないぞ! まあ、いい。」
いいんだ……
「はい」
「さっきも言ったが、言業屋は諺を正しく表現する場ではなく、検証をするいわば研究所だ!
なぜつくば市にないのか不思議なぐらい研究所だ!
だから“二兎を追う者は一兎をも得ず”を検証するのであって、実演するのではない! 実演はカリスマ実演販売師に任せておけばいい。
キミは検証をするのだ! わかったかね?」
「ラジャー!」
思わずラジャーと言ってしまったが、ハカセさんは満足そうな笑みを浮かべていた。
そしてハカセさんはホイッスルをくわえ、両手をぐるぐる回しながらピーーー!っとまた笛を吹いた。そして大きな声で「ノーサイド!」
教育的指導のような気もしたけど、泣く子とハカセさんには敵わない、という心境で僕は黙って頷いた。
「ここでキミが泣いたら、泣きっ面に蜂の検証をしようと思ったのだが、泣かなかったので次に行こう」
泣くもんか……
その後も“犬も歩けば棒に当たる”や“猫に小判”“豚に真珠”さらに“馬の耳に念仏”などの諺の検証をした。
そして夜になり“月とスッポン”の検証をした所で、ハカセさんが眠くなったので、今日の検証を終了した。
「お疲れ様でした!」
僕が最後の力を振り絞って言うと、ハカセさんは眠たそうにしながら、白衣のポケットをまさぐった。
「じゃあこれ、今日の給料ね。」
そう言うと、ポケットからクシャクシャになった100ドル紙幣を3枚、僕の顔の前に出した。
僕は頭の中で今のレートをさっと計算して、
「あの……」というと、ハカセさんは
「なんだ、足りないのか? キミはまるでパチンコ&DVのダメ亭主並みにせびるな。
最後には財布を取り上げて、あるじゃねーかよ! って、いうんだろ。
そして私は“そのお金は娘の…”とか言って……」
眠たいのに饒舌だ。
「違うんです。少し多いんじゃないかなというのと、できたら、円で欲しいんですけど……」
「キミはドルがお金じゃないとでも言うのか?」
やっぱり、大人しくもらっておけばよかった……
「わかりました。では遠慮なく、300ドルいただきます。
で、次はいつ来ればいいですか?」
本当は今日限りにしたい所だったけど、こんなに給料がいいのなら、今後も働きたい。
そしてミニチュアシュナウザーをなんとしても!
「もちろん、明日だ! ではおやすみ。」
そう言うと、ハカセさんは僕を言業屋から追い出し、ポチッと玄関の鍵を閉めた。
僕は「なんだい!」とカツ○のような独り言を、ハカセさんに聞こえないように言い、家路についた。