第1話
僕は普段、ごくごく普通の一般企業で、シュレッダー係という部署の係長をやっていて、それなりの収入がある。
余裕はないながらも、家族は普通に養っていける程度だ。
しかし、妻がとんでもない事を言い始めた。
「ミニチュアシュナウザーを飼いたい」と。
なんでもマルモのなんとかっていうドラマに出てて可愛いとか、子供の情操教育にいいとかなんとか……
すぐさまネットで相場を調べたら、今すぐ買ってやろうという金額ではない。
「僕は、ゴン太みたい感じの雑種の方が人懐こそうで可愛いと思うけどな~。あ、ホネ○コのCM出てた犬ね、ゴン太って」
と、ゴン太がラブラドールレトリバーなのは気づかないふりをしながら、さりげなく安い方向に持っていこうとしたが、
「だって雑種だと、喋る可能性低いでしょ?」
と言われてしまった。
妻にここまで言われてしまうとお手上げだ。
という事で、ミニチュアシュナウザーを買うために、僕は休みの日にアルバイトをする事にした。
とりあえず日曜日の新聞に入っている求人広告で職を探した。
しかし、僕の希望する条件にあうアルバイトはなかなかない。
週に二日勤務で、時給1500円以上。
そんなに敷居は高くないはずなんだけど……
そんなある日、シュレッダー係に嫌気がさして辞めて行った後輩から電話がきた。
「新しく勤め始めた会社が人手不足で、とにかく“猫の手も借りたい”状態です。誰かいい人いませんか? 週に二日だけでもいいし、時給は1500円ぐらい出します」
後輩は用件だけ僕に伝えると、忙しそうに電話を切った。
職種を聞いていないが、僕の希望する条件にピッタリとマッチしている。
余りにもピッタリとしすぎていて、びっしょりと汗をかいたTシャツのような心地悪さはあるけれど、善は急げと僕はすぐさま後輩に電話をした。
すると、今度の土曜日から来てくださいとの事だった。
職種を聞こうとしたが、後輩はよっぽど慌ててたらしく、まともな返事を聞けなかった。
明日なのに今度の土曜日と表現するあたり、本当に余裕がないのであろう。
次の日、僕は職場へ向かった。
ドキドキしながら言われた住所を目指すと、そこには築40年は超えているであろう木造一軒家がビルに囲まれて建っていた。
カ○ルじいさん……
と、独り言を言いかけると、表札が目に飛び込んできた。
まるで、空手道場のような、大きな木を切ってそのままですみたいな形の表札には、行書体とはちがう方向のかなり乱暴な文字でこう書かれていた。
ことわざや
その表札にかなりの不安を感じながら僕は呼び鈴を鳴らした。
ビーっ!
いまどきビーっ!が不安を倍増させたが、ミニチュアシュナウザーのために僕は意を決した。
……。
返事がない……
なんか大声でやりとりをしてる声が、家の奥の方から聞こえる。僕は、もう2、3回ビーっ!を鳴らしてみた。
人がいるのはわかっている。
とりあえず入ってしまおうと思いドアに手をかけると鍵がかけられていた。
裏に回ってみるか……
家と隣りのビルとの隙間を僕は体を横にして通った。体を横にしないと通れないぐらい裏への道は狭い。
アタッシュケース、こすっちゃうな……
声がどんどん近くなってくるにつれ僕の足は重くなった。
「ここいら辺ですかー?」なんか聞き覚えのある声だ。
「いや。もうちょっと右……あ、左かな」こちらは聞き覚えがない声。
こんなやり取りが、周りのビル群に跳ね返ってこだましていいる。
肉体労働だろうか……
苦手なんだよなぁ。体を動かすの……
重い足を無理にひきずりながらカニのように歩くと、裏庭らしきところに出た。
そこには初老の男が立っていた。
白髪頭のアフロヘアにちょっと薄汚れた白衣。
マッドサイエンティスト!
そんな言葉が僕の脳裏をよぎった。
彼は上にいる人に大きな声で指示を出している。
彼が見上げている方に目をやると2階のベランダに後輩がいた。
手に持っているのは……目薬?
二人は僕に気づくこともなく必死にやりとりをしている。
「よし! 今だ! 落としてくれ!」初老の男性がそう言うと、後輩が2階から目薬を2~3滴たらした。
初老の男性は目薬を目でキャッチしようと必死だ。
どうでもいい事だけど、目薬をさそうとする時口を開けてしまうアクションに、年齢は関係ないのだなと僕は思った。
「あぁ~あ」二人同時に、ため息のような声をあげた。
僕はただ、その光景をぼーっと眺めていた。
すると、後輩が僕に気づいた。
「あれ、先輩? もうそんな時間ですか!」
よっぽど二階から目薬をさす作業に集中していたと見える。後輩は続けた。
「ハカセさん! その人がアルバイトの人です。昨日電話で話したでしょ?」
「アシくん! 昨日話してた人ですね!」ハカセさんは答えた。
そうだった。
後輩の名前は葦だった。アシスタントにはピッタリの名前だと、僕は少しニンマリした。
苗字が伊佐見だったのは覚えてたんだけど……
僕がニンマリしていると、ハカセさんが怪訝そうな面持ちで、僕に近寄ってきた。
「どうも、初めまして。わたくし、こういうものです」
ハカセさんは名刺を僕に差し出した。
博士というのはとっつきづらい人が多いと思い込んでたから、こんなに丁寧に挨拶されて僕は一瞬、戸惑った。
しかし、名刺を見て納得した。
そこにはこう書いてあった。
独立行政法人 諺研究室:通称 言業屋
代表 葉加瀬次郎
「ハカセさん初めまして!」
僕は改めて、最高の笑顔を作って葉加瀬さんに挨拶をした。
葉加瀬さんは軽く頷いて、話し始めた。
「では、キミにはどういう作業をしてもらうか説明しよう」
「ちょっと待ってください! 僕はまだ自己紹介もしていないのですが……」
「名前なんてものはただの記号だ。アシくんだって、名前は知らない。それよりももっと大事なものが私にはある!」
やっばり偏屈だった。
そして、葦くんの事はアシスタントの意味でそう呼んでたのか、と思った。
すると、葦くんが下に降りてきた。
「ハカセさん! 先輩の事はあだ名で呼ぶんですね! なにかピンときたんでしょうね!」
何言ってんだこいつ、と思ったけどそれは当たっていた。
僕の名前は伊達公夫、アダ名は「キミ」だ。
ハカセさんはあからさまに機嫌の悪そうな顔をした。
マズい! ミニチュアシュナウザーの為に僕はここで働かせてもらうんだ!
「名前なんて、どうでもいいです! キミでいいです! もし、なんだったら『なにがし』でもいいですよ!」
僕はかなり楽しそうな顔をしつつ、浮かれた声を出した。
ハカセさんはコホンと軽く咳払いをした後、まんざらでもなさそうな顔を一瞬して、アフロを小刻みに揺らしながら話し出した。
「この言業屋は、日本に古来から伝わる諺が本当かどうかを確かめることを目的とした団体である。
今、見ていたとおもうが、今日研究した諺は『二階から目薬』だ。
諺は本当なのか? そして、その諺の中に隠れている本質を見出す。それが出来る日本で唯一の機関が、この言業屋だ。
諺を研究するのは言業屋だけ!
ビーボより美味いのはビーボだけ!
と、いうことだ。
で、キミには私の助手をして欲しい。
ジョシュ・ブローリンのようにな! あはははは!」
最後の方はハカセさんが力みすぎてよく意味が分からなかったが、言業屋の存在意義は良くわかった。 それと同時に、よくもまあ、蓮舫に仕分けられなかったな、この機関。とも思った。
まあいい。
僕はここで諺を検証すればいいんだ。
そうすれば、時給1500円がもらえて、ミニチュアシュナウザーも買える。
「立ち話もなんだから、続きは中に入ってからにしよう。な、アシくん。」ハカセさんが言った。
「あ、すみません。今日は先輩……キミさんが来たんで、僕は上がってもいいですか?」
おい! アシくん! いきなりハカセさんとツーショットにする気か!
と目配せをしようとしたが、アシくんはそっぽを向いて両手を頭の後ろに回し口笛を吹いている。
漫画で描いたら、四分音符が口からぴょろーっと出ている感じだ。
「今日はキミがいるから、アシくんは帰っていいよ。ね、キミ?」ハカセさんが僕に同意を求めてきた。
アシくんだけ君付けで僕のことは呼び捨てなのは気になるが、ここは同意しておいたほうがいいだろう……
僕は大きく縦に首を降り
「はい!」と大きな声でハツラツと返事をした。