彼と彼女の意志疎通の話。
いつもより少し長めです。
頭の中を整理し、電話を切った。
矢島さんにはうまく言ったつもりだが、誤魔化せてはいないだろう。
正直、意味がわからなかった。このカラスは俺が動物病院に連れて行き、矢島さんに預けたカラスのはずだ。それはおそらく間違いない。
矢島さんは「手術は無事終わった」「安静にしていれば問題ない」そう言っていたはず。そしてカラスが病院から消えたとも。――病院から消えたカラスがなぜうちのベランダに?
窓を開けたままにすると虫も入るし、何より怪我をしたカラスをこのままベランダに出しておくことはしたくない。
俺は、動揺しながらも、カラスを家の中に招き入れた。
意外とあっさり家の中に入ってくれたカラスに驚きながらも、とりあえず余っている毛布などで寝床を作り、そこにカラスを乗せた。
しかし、怪我をした動物の世話なんてやることはないと思っていたので、この後何をすればいいのかわからない。
矢島さんのところに遊びに行っても、矢島さんの仕事姿は余り見ていなかった。飯田愛実のように獣医になりたいわけじゃなかったし、動物を飼う予定もなかったからだ。
こんなことになるなら獣医の仕事をよく見ておくべきだった。
後悔しながらも、矢島さんが安静にしていれば問題ないと言っていたのを思い出し、とりあえずそっとしておくことにした。
いつもならこの時間は、くつろぎながら本を読んでいる頃だ。
しかし今はどうも落ち着かない。
気になるのだ、カラスのことが。
自然と俺は、「腹は減ってないか?」とか「傷は痛むか?」とか「水はいるか?」とか、色々とカラスに話しかけていた。
「…………何やってんだ俺、ばっかみたいだ」
ふと、自分のしている無意味な行為に恥ずかしくなり、その場でうずくまってしまった。
――ああ、顔が熱い。動物に話しかけるなんて俺らしくもない。
「何をやっている? 大丈夫?」
「……ああ、大丈夫だ。気にしないでくれ」
「なら良いけど」
――ほんとに恥ずかしい。心配までされてしまった。
「……って、え?」
「? どうかした?」
生まれて始めて二度見というものをした。
先ほどまでカラスが乗っていた場所に、綺麗な長い黒髪、そしてまるで雲一つ無い澄んだ夜空の様な漆黒の瞳を持った少女が座っていた。
頭の中がおかしくなりそうだ。
普通なら驚いて大声を上げたりしそうだが、そんなことよりもこの子の格好は……。
「……え、……な、ん……え?」
「? ああ、この姿か。この姿は好きじゃないが、話をするのにちょうどいいから」
「……い、や、そ、……えーっ、と、とりあえず、な、何か着てくれ。服持ってくるから」
この女の子は、ほぼ何も着ていない状況で体育座りをしていた。幸い長い髪や巻いてあった包帯がうまいこと隠してはいるが、動くといろいろ見えそうだ。まずい、すごく目のやり場に困る。
俺は服を取りにその場から離れた。
「……どうなってるんだよ、めんどくせー」
とにかくいろいろ話を聞かなければいけない。――その前に服を着させなければ。
女の子に俺のジャージを渡し、着替えが終わるまで隣の部屋で待っていた。混乱していたので、とっさに目に入ったジャージを持って行ったが、どうせなら母さんの服を持っててやればよかったかもしれない。
「服着たか?」
「着た」
「……なんで上しか着てないんだ?」
部屋に入ると、ジャージの上だけを着て立っていた。
「下、大きい」
確かに、かなり小柄な子で、歳は俺よりも少し若いぐらいか。俺のジャージでは大きかったかもしれない。
だが、裸にジャージの上だけというのもきわどい。
「……君が穿けそうな服持ってくるからもう少し待ってて」
「いい。ただ少し話するだけだから」
「……じゃあ、せめてその毛布に包まっててくれ」
「? わかった」
女の子は、カラスがいたところに行き、毛布に包まり座った。
「……それで、君はいったい誰なんだ?」
先ほどまでの会話で少し落ち着きを取り戻し、頭の中を整理して聞いた。正直、このとき俺は一つの仮説を立てていたが、普通に考えたらありえないことだ。それでも今の状況から見ると、それ以外考えられなかった。
「誰とはどういう意味だ?」
「どういうって……あー……質問を変える。君はどうしてここにいるんだ?」
「どうしてってお前が入れてくれたんじゃないのか」
「……じゃあ、きみは、もしかしてその……カラス、なのか?」
「カラス……確かにワタシ達はニンゲンにそう呼ばれている」
「! ……やっぱりそうか。……でも、本当に?」
思わず口から出た言葉を聞いた瞬間、一瞬にして女の子が、カラスの姿になり、また人の姿になった。
「これで信じてもらえるだろうか?」
仮説が、確かな現実になった。
「……どうして人間の姿になれるんだ?」
「知らない。気づいたらできた。でもワタシはこの姿はあまり好きじゃない」
「なぜ?」
「ニンゲンの姿だから。ニンゲンは……嫌い」
「……それならばなぜ、きみは俺のところに?」
「わからない。自然とお前を探してた。でも、多分ワタシはお前と話したかった」
「話? そういえばさっきも話があるみたいな事言ってたような……」
「そう。聞きたかった事がある。お前はなぜあの時「あ、ちょっといいか?」……なに?」
女の子は、話を遮られて不服そうだったが、このままじゃ話しづらい。
「名前、聞いても良いかな? 君って呼ぶのに慣れてなくてさ。あ、俺は神尾、神尾瞬だ。きみの名前は?」
「名前……ない。今まで必要じゃなかった」
「じゃあ今までなんて呼ばれてきたんだ?」
「誰も、呼んだりしない」
「そ、そっか……だったら、俺が名をつけても?」
「……かまわない」
「わかった……じゃあ……っと……夜羽……とか?」
「ヨハネ?」
「うん。夜に羽で夜羽。……いや、夜空みたいなきれいな黒が印象的だったから、後はなんとなく鳥で羽かなって……」
と、説明している間に俺は徐々に恥ずかしくなっていった。
「(――っ! 何を言ってるんだ!? 俺は!)」
しかし、女の子はそんな俺の様子を気にすることなく、与えられた名を何度も呟いていた。
「ヨハネ、夜羽……うん、覚えた。ワタシはなんて呼べばいい?」
「ああ、好きに呼んでもらってかまわないよ」
「カミオシュンで一括りなのか?」
「いや、神尾が苗字で、瞬が名前」
「ミョウジ?」
苗字の意味がわからないのかきょとんとした顔で尋ねてくる。
「あー……じゃあ、瞬って呼んでくれ」
「シュン……わかった。シュンだな!」
そう言って女の子――夜羽は笑った。人の姿になってから、ずっと無表情だった彼女が初めて魅せた笑顔。それを見た瞬間、顔が熱くなるのを感じた。
風邪にでもかかったか? いや、違うよな。よく分からないが、照れているのだ。実の正体はカラスの女の子に。
俺らしくもない。笑顔を見ることなど少なくないはずだ。飯田などはいつも笑顔を絶やさないし。
なら、なぜこの子の笑顔に俺は。
「それで、話の続きはもういいか? シュン」
割と長い事一人で照れていたらしい。すでに夜羽から笑顔は消え、真剣なまなざしで俺を見つめていた。
「あ、ああ」
「……シュンは、どうしてワタシをその……た、助けてくれたのだ?」
「どうしてって……わからん。理由なんか無い。ただ助けたいと思った」
「でも、ニンゲンはワタシ達のことを嫌っている。今までワタシ達を助けようとするやつには見たことが無い。それに、あの白い服を着た髪の薄いやつは、お前が……シュンが必死だったと呟いていた。シュンが必死になった理由が……知りたい」
「……さっきも言ったように理由なんて無いさ。でも、たしかに実際、俺は柄にも無く慌てたと思うよ。そのときのことをあんまり覚えてないくらいね。ただ、絶対に助けなきゃいけないって気がしたんだ。……なんかあいまいな理由で申し訳ないけど、こうとしか言いようがないから」
「……でも「それとさ」……?」
「さっき君たちを助けてくれる人間は見たことがないって言ってたけど、夜羽が会ったことがないだけで、世の中には共存をしようとしている人間はたくさんいると思うよ。だからさ、すべての人間を嫌わないでほしい」
柄にもないことを言ってしまっている。俺はこんな性格じゃないはずだけど。
「……わかった。…………あ、そういえばまだ言ってなかった事がある」
「え、なに? ……まだなにかあるのか?」
「……その………………」
「ん?」
少々躊躇いつつも、ぼそっと一言呟いた。夜羽の顔を見るとわずかに赤くなっている。
よほど言いづらかったのだろうか。小さな声だったので、少し聞き取りづらかったけれど、俺にはしっかりと聞こえていた。
――「助けてくれてありがと」と。
「どういたしまして」
そう返すと、わずかに赤かった夜羽の顔が一気に真っ赤になった。
その姿に、かわいいと思っている自分がいて、こっちも顔が赤くなってしまう。
少しの沈黙の後、なぜか可笑しくなり、二人で(正確には一人と一羽だが)笑いあっていた。
「あ、そういえば」
「え?」
笑いも収まったころ、夜羽が唐突に言ってきた。
「お腹は少しすいたかも。傷は体を動かさなければ痛みはない。水は出来ればほしい」
「ん? え?」
「最初にシュンが聞いてきた質問の答えだ」
「あ……ああ! ……あ、あれ、か……」
――ああ聞いたな俺。しゃべれないと思ってた相手に。
絶対今、顔赤い。
「わかった。今もってくる。少し待っててくれ」
とは言ったものの、ろくな食べ物が残っていない。それはそうだろう。一人暮らしで基本的には一人分食う量しか買ってきていない。数日分を一気に買ってくる、なんて面倒くさいことは絶対にしないのだ。重いから。
「んー……」
「どうした?」
「いや、食べ物がろくなもん残ってなくて」
「でも、なんかの匂いする」
確かにある。今日の俺の晩飯の残り物だ。――しかしこれは……。
「あー……無くはないが」
とりあえず持っていってから様子を見てみることにした。
「これは何だ?」
「……鶏の唐揚げ……」
「食べていいの?」
「……え? 食うの? いや、食うか……つーか見たことある気がする」
「? 何?」
「いやなんでもない。どうぞ」
唐揚げと水を渡してからフォークを忘れたことに気づき、急いで持って戻ると、皿から半分ほど唐揚げがなくなっていた。少しと言ってはいたが、意外と空腹だったのかもしれない。
「で、何してる……?」
ただ、今、夜羽が何をしようとしているのかは、よくわからなかった。
彼女は半分ほどの皿を持ってクローゼットの中を覗き込んでいる。
「残った。どこかに隠しておいておくの」
よく知らなかったが、どうやらカラスは食量を一定の場所に保管するようだ。
「待ってくれ。食べ物の保管は俺がやっておくよ。人間はそういう道具も持ってるしね」
「……とられないの?」
「大丈夫だよ。ここは俺の部屋だから」
「シュンのテリトリーってこと? じゃあ大丈夫だ」
「うん……まあ、間違ってない、か」
とりあえず、人間の姿のとき。――いや、この部屋に住んでいるときは、最低限は人間の生活に合わせてもらうことにする。手でものを食べないとか、食べ物を部屋の中に保管しないとか。
気がつくと静かになっていたので、ふと横目で、夜羽の方を見ると。
「……眠ってる。疲れてたのかな? ……仕方ないか……」
今日一日で、大怪我をし、手術を行い、術後の傷ついた体でここまで飛んできたのだ。疲労が溜まっていて当然だ。
「まだいろいろ聞きたいことがたくさんあったんだけど……まあ、いいか。明日起きてからでも聞く事はできる」
今日は俺も疲れた。さっさと寝たい。――あ、そういえば明日矢島さんと会う約束してたような気がする。困ったな、何をどうやって話そうか。
「……ああ……面倒くさいな……」
余談だが、未だ裸にジャージの上と言うきわどい格好の夜羽を前に、瞬が持てる理性を総動員して、彼女を空いているベッドに運んでいた。
長めでしたが、ほとんどセリフになってしまいました。
勢いで書いていますが、自らの文才の無さに愕然としています……。
感想をいただけるとありがたいです。
ちょくちょく修正も入ります。