彼と彼女の待ち時間と空気の話。
夜羽に矢島さんの協力を仰ぐことを許してもらった次の日、瞬と夜羽は二人、でヤジマ動物病院に来ていた。
「ふー……」
「…………」
これから話す内容を頭に浮かべるだけで緊張する。
矢島さんを信用してはいるが、この緊張はどうしようもない。
隣にいる夜羽も同様だった。
「やあやあ、神尾君。今日は一人じゃないんだね? そのかわいい女の子は誰かな? もしかして?」
何の前触れもなく後ろから声をかけてきたのは臼井だった。
夜羽も気づいていなかったのか、明らかに驚愕している。
「……何が、もしかして? だ。妙な勘繰りはしないでいただきたい。臼井」
「妙な勘繰りって……てか、もうさん付けですらないよ……」
うっとうしい臼井は無視しようかと思ったが、ふと気になることがあったので、まずそちらを尋ねることにした。
「どうしたんすか? その絆創膏」
そう、彼の顔にはいくつか絆創膏が張り付いていた。
「…………聞かないでくれるかな……?」
聞いた途端、見て取れるほど気分が沈んだ臼井。
「はあ、まあ良いですけど。あ、そういえば春川さんは休みですか?」
それを聞いた瞬間、更に沈んでいく臼井。
何なんだいったい。
「春川さんなら……午後から来るよ? 今日は午前中に用があるらしい……」
「はあ、そうですか」
とりあえず、これ以上は聞かないほうがいいと判断した瞬は即座に話を変えた。
「ところで臼井さん」
「ああ、さん付けが戻ってきた……。じゃなくて! そろそろほんとにやめたほうがいい。その臼井って言うの」
「? 何故ですか? そんなに嫌がっているようには見えなかったんですけど」
「やっぱり気づいていなかったか。いいかい?」
と、臼井は声を小さくし、
「君が僕のことを臼井、と呼ぶたびに、矢島先生の肩がビクッと震えてることがある。正直、見ていて不憫でならないんだよ……」
「…………それは……気づきませんでした……」
「うん。だから矢島先生もはっきりと態度には出さないけどさ」
「…………わかりました」
「そうか、わかってくれたか」
「はい。別のやつを考えておきます」
「……んんー? 何か望んだ結果とは少し違うけど、まあいいか。それで、どうしたの?」
「ああ、紹介をしてなかったんで」
「あ、その子ね? じゃあ、僕から自己紹介しよう。僕の名前は「あ、そうだ、空気って名前にしよう。夜羽、この人の名前は空気さんだ」……うぉーい、自己紹介するってったじゃん! 自己って意味わかってる!? ってか空気って!! よりひどくなった!!!」
「ワタシは夜羽。よろしくクウキ」
「うわーお! その名前受け入れちゃった!? いやいや、夜羽ちゃん? 違うよ? 僕の名前は「空気」……僕の「空気」…………も、いいです。よろしく。夜羽ちゃん……って苗字は?」
「ミョージ……」
しまった。
まだ何も考えてなかった。
「……ワタシも、カミオ?」
「!!」
「ん? どういう?」
「空気さん。夜羽は俺の遠い親戚に値するんです。なんで、神尾で」
「ああ、そうなんだ」
無難なところに落ち着いた。
よく考えれば、夜羽に苗字の説明などしていない。
なので、最初に聞いた苗字で覚えていたのだろう、神尾を口にしたんだと思う。
「じゃあ、紹介も終わったんで、そろそろ戻ってください空気さん」
「クウキ。また」
「……うん。ちょっと隅っこで泣いてくるよ」
そう言って走り去った空気を二人で見送った。
「おや? 神尾君、来てたのかい?」
と矢島が奥から現れた。
今回の目的の登場だ。
気づけば、先ほどまでの緊張も解けていた。
「(意外と、空気も役に立つ)」
ここにはいない男に少し感謝して、矢島に話しかける。
「うん。ちょっと話があって」
「うん? 良いけど、その子は?」
「それについても話すよ」
「…………わかった。もうすぐ休憩だし、こっちへ」
促されるまま、瞬と夜羽は矢島について行く。
臼井君もとい空気君をいじるのは楽しいです。