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問題ない

作者: ぐぷと
掲載日:2026/04/01

朝、目が覚める。

スマホを見ると6時32分で、いつもと同じ時間だった。問題ない。体を起こし、顔を洗い、歯を磨く。全部いつも通りだ。


洗面所の鏡の前に立つ。見慣れた自分の顔がそこにある。私は軽く笑ってみる。口角が上がり、歯が見える。――そのあとで、ほんの一瞬だけ遅れて目が動いた気がした。


思わず止まる。


……気のせいだ。


そう思い直して、私は洗面所を出る。問題ない。


学校に行くと、教室はいつも通り騒がしい。友達が話しかけてくる。


「昨日さ、あの動画見た?」


私は笑いながら「見た見た」と答える。


そのあとで、わずかな違和感が残る。笑うタイミングが、ほんの少しだけ遅れた気がした。友達は一瞬こちらを見るが、すぐに話を続ける。


問題ない。


昼休み、弁当を食べる。一口、また一口。味はちゃんと分かる。けれど、どこか遠い。自分が食べているというより、食べている自分を外から見ているような感覚がある。


私は手を止める。


――これ、なんだ?


胸の奥に、小さな引っかかりが残る。


けれど、それ以上は分からない。


気にしすぎだ。私はまた箸を動かす。問題ない。


帰り道、駅のホームに立つ。白線の内側に足を置き、ぼんやりと線路を見下ろす。暗い。ただ暗い。


「最近さ、大丈夫?」


横から声をかけられる。クラスのやつだ。


「何が?」


「なんか、ぼーっとしてること多くね?」


私は少し考える。ぼーっとしている、とは何か。うまく説明できない。


「問題ないよ」


そう答えると、そいつは少しだけ不安そうな顔をした。


やがて電車が来る。音が近づき、風が強くなる。前を見ると、人がすぐ前に立っている。背中が近い。


近すぎる。


なぜこんなに近いのか、分からない。


私は一歩前に出る。白線に触れる。さらに少しだけ前へ。気づくと手が伸びていた。


触れる。


軽い。


体が前に傾く。


落ちた。


大きな音がして、誰かの叫び声が響く。風とブレーキ音が混ざる。


――次の瞬間。


私は白線の内側に立っていた。


「危ないって!」


横で声がする。さっきのクラスのやつだ。


私は線路を見る。


誰もいない。


「……今、前出てなかった?」


そいつが言う。


私は少し考える。


前に出た、とはどの程度の動きか。


定義できない。


「出てないよ」


そう答える。


そいつは何も言わなかった。


私は何もしていない。


問題ない。


その後も、すべてはいつも通りに進む。授業、ノート、黒板。けれど、どこか少しだけ違う。みんなの声が遠い。自分の手も、わずかに遅れて動く気がする。


ノートに書いた文字が、ほんの少しだけズレる。


私はペンを止める。


――本当に、問題ないのか?


その考えが、一瞬だけ浮かぶ。


けれど、すぐに消える。


理由は分からない。


帰宅して、また鏡の前に立つ。顔がある。


私は笑う。


口が上がり、歯が見える。


今度は、はっきり分かった。


目が遅れて動いている。


確実に。


私はじっと鏡の中の自分を見る。向こうの自分もこちらを見る。同じ顔、同じ動き。


……本当に同じなのか。


翌朝、また目が覚める。スマホを見ると6時32分。いつも通り。問題ない。


洗面所へ行き、鏡の前に立つ。顔がある。


私は笑う。


今度は完全に同じタイミングだった。


問題ない。


そう思った瞬間、ふと昨日のことが頭に浮かぶ。


あれは、本当に何もなかったのか。


少しだけ考える。


そして、やめる。


まあいい。


問題ない。


私は今日も学校へ向かう。


すれ違う人たちは誰もこちらを見ない。


駅のホームが見える。


白線の内側。


人の背中。


私は、ちゃんとここにいる。


そう思って、前を見る。


白線の向こう側だった。

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