縫い止められた
「この子、飼い猫が死んでから気がくるってしまってね、病院に閉じ込められたりもしてたのよ」
母は、さもおかしそうに笑いながら、客人にそう私を紹介した。
客人は、どう答えていいのかわからない、そう言いたげな表情で、曖昧に頷いただけだった。
ーーー
私の実家は、土地の時間に縫い留められていた。
舗装の割れ目から草が生え、郵便受けには何日分とも知れぬ広告が差し込まれたまま、誰に急かされるでもなく、ただ「在り続けている」建物であった。
そういう家の中に母はいた。
この家の歴史、土地の縁、血縁の序列、それらが絡まり合った結節点として。
娘である私は、その周縁を回る付属物にすぎない。
過疎という言葉は、外から貼られた説明にすぎない。
内部にいる者にとっては、減っていくのは人ではなく、選択肢である。道、仕事、逃げ場、そして沈黙を破る理由。そのすべてが、少しずつ、しかし確実に失われていく。
ある日、親類とも近所とも判別のつかぬ人物が訪れた。
茶を出し、天気と作物と誰それの病の話を一巡させた後、母は不意に、私の方を見ずに言った。
「この子、私の末娘なんですけれどもね。精神が細すぎるのよ。
飼い猫が死んでから気がくるってしまってね、病院に閉じ込められたりもしてたのよ」
母は、さもおかしそうに笑いながら、隣の客人にそう私を紹介した。
紹介というより、余談のような調子だった。
それは軽く、冗談めいていて、場の潤滑油としては過不足のない音であった。
しかし、その言葉は刃となり、私の内側にまで届く。
それは鋭利な痛みというよりは、冷たい氷水を背筋に流し込まれたような、決定的な「拒絶」の感触だった。
私は、その場で否定もしなかったし、訂正もしなかった。
事実かどうかを考える前に、その言葉が、私の外側を一枚剥がしたような感覚があった。皮膚ではなく、もっと薄い何か。それが音もなく、剥がれる。
猫が死んだのは、もう十数年も前のことだ。その日のことは、よく覚えている。
体温が抜けていく感触と、自分の呼吸の音だけがやけに鮮明だった。
そして、確かに私は泣き続け、一時期、外界との交信を断った。
けれど「くるった」や「閉じ込められた」という事実などどこにもない。
それは母の頭の中で、私を自分の支配下に繋ぎ止めるために捏造された、便利な物語の一つに過ぎなかった。
母はそういった説明は一切しなかった。ただ笑い話として消費できる形に整えられていた。
声の調子、語尾の伸ばし方、「閉じ込められたりもしてた」という、責任の所在を曖昧にする助詞の選び方。そのすべてが、私という人間 を一つの逸話に変換するための、周到な手つきであった。
私は私自身の言葉で語る権利を失った。母の口を通じて、笑い話として配布された。
相手の人は、困ったように視線を外し、相槌も短く、早々に話題を変えた。
母は満足そうだった。場が和んだ、とでも言いたげに。
けれども、私の内側にあった何かが、音もなく、しかし決定的に剥落した。
母の背後に広がる、何十年と変わらぬ旧家の重苦しい鴨居や、煤けた仏壇の匂いが、急激に私を絞め殺そうと迫ってくるのを感じた。
私は理解した。
この家では、私は生きている者ではない。家を正当化するための材料なのだと。
この家は、私がいる場所ではない。
母もまた、私の内側を見ようとはしない。
その理解は、怒りでも悲しみでもなく、降り積もる雪のごとき静けさと、水に浸された布が沈むような重さを伴っていた。
そうして、ひとつの判断が静かに降りてきた。
ここを離れよう。
母から、そしてこの家から。
それは、荷物をまとめ、反論の言葉をあげるような大げさな決別ではなく、ただ重力の向きが変わったという感覚に近かった。
私は、独りになる。
しかしそれは、誰かに定義され、笑いに変換される独りではない。
私自身の重さを伴い、選び取ったものである。
ーーー
母は今も、この家にいる。
家も、変わらずそこに在るだろう。
まるで世の中の時間から置いていかれているかのごとく。
この家が時間を支配しているかのごとくに。
この家では、人は住むのではなく、属する。
生まれた者は名簿に書き込まれ、家の履歴の一部として保存される。進学も就職も結婚も、個人の移動ではなく、家の延長線上の出来事として処理される。
母はよく言った。
「ここはね、逃げ場がないからいいのよ」
その言葉の主語が誰であるのか、私は長く考えなかった。
だが今ならわかる。それは土地の話ではない。人間の話だった。
私が家を離れようとすると、母は理由を尋ねなかった。
代わりに、過去を持ち出した。祖父の名、曽祖父の話、戦後に家を守った女たちの逸話。
どれも、ここに留まった者の記録ばかりで、去った者については、まるで最初から存在しなかったかのように語られない。
家は記憶を選別する。
残る者を正しく、去る者を無効にする。その選別作業を、母は誠実に遂行していた。
今も、母は私を呼び戻そうとする。
季節の便り、誰それが亡くなった話、家の修繕の相談。
どれも直接的な命令ではない。だが、それらはすべて、「あなたはまだここに属している」という確認作業である。
私は応じない。
拒絶もしない。ただ、家の論理に自分を接続しない。
それだけだ。
土地は動かない。家も動かない。
だが私は、そこに縫い止められる必要はない。
孤独は、相変わらず私のそばにある。
けれどそれは、奪われたものではない。家と母と土地のすべてから距離を取った結果として、静かに残った空白である。
私はその空白を、自分の居場所として選び取っている。
了




