『時間銀行』
近未来。寿命は「時間銀行」で売買できる通貨となっていた。
銀行のロビーには巨大なスクリーンが設置され、株価のように「平均寿命の残高」が数字で流れている。
ニュースキャスターは明るい声でこう報じた。
> 「本日の寿命レートは上昇。若者の寿命が1年あたり約15万円で取引されています!」
街には「寿命換金即日!」「スポンサー契約で未来に保証を!」といった広告が並び、寿命を切り売りすることは、誰にとっても日常だった。
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28歳の 中村直樹。
失業中の彼は、生活費に追われていた。
家賃、奨学金、母の入院費……どれも現金が必要だった。
初めて窓口に立ったとき。
職員の声は機械のように冷たい。
「寿命三年。これで家賃半年分は払えます」
端末に数字が表示される。
残り寿命:47年 → 44年。
その瞬間、心臓が跳ねた。
「……本当に、減った」
体は何も変わらないのに、確かに未来は切り取られた。
周囲を見ると、学生やサラリーマンが笑いながら同じ手続きをしている。
「大丈夫ですよ。皆さんやってますから」
窓口の職員の笑顔が、逆に直樹を追い詰めた。
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二度目の来店は、母の入院費を払うためだった。
「寿命五年、ですね」
44年 → 39年。
数字が減った瞬間、背中に冷たい汗が流れた。
39年。たった二度の手続きで、自分の人生から8年が消えた。
それでも――母の命には代えられない。
「大丈夫、大丈夫……まだ三十代、まだ時間はある……」
そう自分に言い聞かせながら、直樹は銀行を出た。
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だが、次第に削る理由は日常になっていった。
新しいスーツを買うために「寿命二年」。
転職活動の交通費に「寿命一年」。
引っ越し資金に「寿命三年」。
39年 → 36年 → 35年 → 32年。
数字が減るたびに、心の奥で小さな悲鳴が響いた。
「俺は……俺の未来を、ただ切り売りしてるだけじゃないか……」
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街頭ビジョンには、寿命を20年売って豪邸を建てた成功者が笑顔で映っている。
「寿命を有効に使えば、夢はかないます!」
けれど、裏通りでは「寿命を売りすぎて30代で死んだ奴がいる」という噂も流れていた。
夜、直樹は布団の中でスマホの画面を見つめた。
SNSでは同世代が「起業した!」「結婚した!」と未来を語っている。
一方、自分は未来を削って現金に変えるしかない。
「なんで俺だけ……」
涙が枕を濡らした。
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気づけば―― 残り寿命:9年。
面接会場で、面接官は直樹の履歴書を見て一瞬眉をひそめた。
「なるほど、中村さん……残り寿命、9年ですか」
それだけで未来を閉ざされた気がした。
合コンで出会った女性は、直樹の腕のデバイスを見て苦笑した。
「……あと9年しかないんだ。ごめんね、ちょっと……」
数字が、人間関係すら壊していく。
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そして、最後の切り札を切った。
「寿命六年。これで、残りは三年です」
9年 → 3年。
銀行を出た瞬間、足が震えた。
「三年……あと三年しかない……」
呼吸が浅くなり、胸が締めつけられる。
死の足音が、自分のすぐ背後まで迫っているようだった。
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その夜。
通知音が鳴った。
『おめでとうございます。あなたにスポンサーがつきました。寿命を無償で追加提供いたします』
目の前で数字が一気に跳ね上がる。
残り寿命:3年 → 99年。
「……助かった……助かったんだ!」
直樹は泣き崩れた。
未来が戻ってきた。
生きられる。やり直せる。
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だが――その朝。
体は鉛のように重く、鏡に映ったのはしわだらけの顔だった。
震える手、息が切れる肺。
そこに立っていたのは、80を越えた老人の自分。
「どうだい、若さって素晴らしいな」
背後から声がした。
振り向くと、自分の若い体が立っていた。
その声は、知らない老人のもの。
「ありがとう直樹君。君のおかげで、また青春を楽しめるよ」
直樹のデバイスが光る。
残り寿命:99年。
確かに寿命は延びた。
だがそれは――腐りかけた肉体で過ごす“99年”だった。
「いやだ……いやだ、こんなの地獄だ!」
若い自分――富裕層が乗り移った体は笑いながら街へ出ていく。
直樹が夢見た未来を奪い去って。
残された直樹は、老人の体で泣き崩れるしかなかった。
長すぎる未来が、冷酷にその背にのしかかる。
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街のスクリーンには、今日も笑顔のキャスターが映る。
> 「寿命取引、過去最高益を更新!」
時計の針は、確かに進み続けていた。