退屈、令嬢は求婚者をもて遊ぶ
「今日の求婚者は?」
「三人です、レイラ様。第一王子殿下、ハインツ侯爵のご子息、そして──」
「もう結構よ。聞かなくても分かるわ」
「……え?」
「“貴女はこの世で最も美しい”って言われて、宝石でも渡されたんでしょう? で、永遠の愛と忠誠を誓うって、口先だけの手紙も添えて」
「……仰るとおりでございます」
「燃やしておいて」
「すべて、ですか?」
「ええ。“退屈”って一筆添えて、ね」
毎日がこれだった。
求婚状は毎朝山のように届き、レイラはそれを片っ端から暖炉にくべる。
燃える手紙の束を眺めながら、彼女は紅茶を啜る。
「……ほんと、つまらないわね」
そう呟いた瞬間、執事が控えめに声をかけた。
「……実は、もう一人、求婚者が来ております」
「また? 今度はどこの坊ちゃん?」
「……名は名乗らず、“ただの一市民”とだけ」
レイラはカップを置いた。
「面白いじゃない。通して」
現れたのは、奇妙なほど地味な青年だった。
洗練された仕立てのスーツではなく、質素なシャツに黒のベスト。
髪は無造作、姿勢も崩れている。
だが、目だけは澄んでいた。
「貴方が……“ただの市民”?」
「ええ。お会いできて光栄です、レイラ様」
「求婚に来たんでしょう? 何も持っていないようだけど?」
「持っていません。“贈り物”では貴女を退屈させるだけだと分かっているので」
「口は達者ね。じゃあ、何を持ってきたの?」
「一週間。僕に、貴女を退屈させない時間をください」
レイラは笑った。
「ふうん。大胆ね。名前も名乗らずにそんな申し出をするなんて」
「名前は……この一週間が終わったら、名乗らせてください」
「面白いじゃない」
【一日目】
朝食の席。彼はただ「おはようございます」とだけ言った。
「……今日は何をしてくれるの?」
「何もしません」
「……は?」
「退屈しても、隣に誰かがいていいと思える時間を作ります」
「随分と傲慢なこと言うのね」
「そのつもりはありません。
でも、刺激のない時間を一緒に過ごせる相手って、特別だと思うんです」
「……まあいいわ。今日は許してあげる」
【二日目】
庭を散歩するレイラの横を、彼は黙って歩いていた。
「ねえ、花の名前くらい知らないの?」
「残念ながら。植物の知識はからっきしです」
「退屈ね。……でも悪くない」
彼が小さな白い花を摘み、彼女に差し出した。
「これは……?」
「何の花かは分かりません。でも、レイラ様に似ていると思ったので」
「……ずいぶん安い口説き文句ね」
「本心です」
レイラは、受け取らなかった。けれど笑っていた。
【三日目】
「これは私の好物よ」
「厨房の方が、そう教えてくれました」
彼は紅茶とともに、ベリーのタルトを出した。
「贈り物じゃないの?」
「ただの朝のお茶です。気が向いたので、少し手間をかけました」
「……フン。なんだか貴方、段々わたしを甘やかすのが上手くなってきたわね」
「甘やかしているつもりはありません。喜んでくれたら、それだけで十分です」
【四日目】
「ねえ、なぜ私に近づいたの?」
「それを聞かれるのは、五日目だと思ってました」
「気が変わったの。教えて?」
彼は少しだけ目を伏せた。
「レイラ様の“退屈”には、他人を突き放す響きがあります。
……でも、それはどこか、自分を守るための言葉にも聞こえたんです」
「……随分と勝手な解釈ね」
「そうですね。でも、間違っていたなら、退屈と言って切り捨ててくれればいい」
レイラは答えなかった。
その代わりに、紅茶をもう一杯注いだ。
【六日目】
「明日で終わりね」
「ええ。明日、名前を名乗って、去ります」
「……どうして去る必要があるの?」
「レイラ様は退屈を嫌う。僕がいることでそれを感じたら、台無しですから」
「ふうん……ずいぶん優等生な言い方」
「貴女を“所有”しようとする気はないんです。
ただ、そばにいた日々を、大切にしたいだけで」
レイラは少しだけ、黙った。
「明日、ちゃんと来なさいよ」
【七日目】
彼は現れなかった。
待っても、探しても、彼の姿はどこにもなかった。
レイラのもとには一通の手紙だけが届いていた。
──“あなたが誰かと心から退屈を共有できる日が来ますように”
「……逃げたわね」
手紙を暖炉にくべながら、レイラは笑った。
「せっかく、“名前を名乗る権利”をあげるつもりだったのに」
カップを取り、静かに紅茶を飲む。
その目の奥に浮かんだのは、
少しだけ残った未練と、ほんの少しの期待だった。