ベアトリーチェの痕跡
院長先生の許可をもらい、リゼナとリムは孤児院の敷地を散策することにした。
子供達に見つかるとリゼナは確実に身動きが取れなくなるので、院長先生が子供達を講堂に集めてしばらく本の読み聞かせをしてくれることになった。
リゼナは孤児院の講堂を避けるように中を見て回った。
食堂や調理場、子供達の部屋、事務室、お風呂場、リネン室、一部屋ずつ確認して歩いた。
歩いている間のリムは特に昔を懐かしんでいる様子はなく、淡々としていた。
地下室で生活していた時期はあっても孤児院では生活していないのかもしれない。
「ヴァイオレット隊長もここにいたんですか?」
リゼナは訊ねた。
「いや。僕は元々、町外れの小さな家で暮らしていたからね。魔女狩りから一時的に身を隠すためにここへ来たから、孤児院では暮らしてない」
「そうなんですね」
それなら懐かしむこともないわよね。
リゼナはリムと並んで廊下を歩きながら心の中で呟く。
静かな廊下を歩いていると窓の外に広がる庭にリムが視線を向けた。
「外に出てみようか」
「外に?」
外に向かうリムの背中をリゼナは追い掛けた。
通路を進んで左の角を曲がると庭に出る扉があり、そこから庭へ出た。
青い芝生が広がる庭に柔らかな春の風が吹き抜け、ほのかに爽やかな草露の香りを運んでくる。
小さな花壇には子供達が植えた赤や黄色、白いチューリップが咲いている。
綺麗に一列になっていないところや、等間隔に並んでいないところを見ると、子供達が拙いながらも懸命に作業した様子が目に浮かび、リゼナは微笑ましく思えた。
庭と突っ切り、建物の影になる場所まで来るとリムは足を止めた。
「これは……井戸?」
リムの視線の下にある地面から生えた石の筒を見てリゼナは呟く。
こんなものがあるなんて知らなかったわ。
地面から石を積んで筒状にしたようなものが生えている。
上には布と縄で覆い、更にその上から板と大きな石が被せてある。
井戸は大人でも落ちそうな大きさなので子供は特に危険だ。
万が一、子供が覗き込んで落ちることがないように厳重に封をしてある。
そして、井戸の穴を覆う布や縄、木の板が真新しいことに気付いた。
井戸自体は石に苔が付着し、石と石の間から草が芽吹いているので、かなり古い物と推測できる。井戸の古さに対して穴を塞ぐ道具が真新しいことが気になった。
「この真下が君が監禁されていた地下室だよ」
そう言ってリムが靴で地面を踏む。
リゼナはリムの言葉でピンときた。
「やっぱり、ヴァイオレット隊長は秘密の出入り口を知っていたんですね」
「秘密なのかは知らないけどね。連れ去られた君はきっと入口から一番遠いこの真下にある部屋に監禁されてると踏んでた」
「そうだったんですね」
地下室で過ごしていたリムであれば、存在を知っていてもおかしくない。
リゼナを救出する際、この井戸を塞いでいた物を全て焼失させたらしく、新しいものに取り換えてより厳重に封をしたらしい。
「元々、ここの地下室は折檻部屋だったんだって」
「えぇっ⁉」
リゼナはリムの発言に驚き、声を上げた。
「ベアトリーチェが実母から折檻されていた部屋。それがここの地下室。彼女は地下室で生活していた時、この真下にある部屋だけは絶対に入らなかった。僕が入ろうとすると酷く叱責した。今思えば、何かに怯えるみたいだったね」
リムは空を見上げて、過去を振り返る。
過去に見てきたことを淡々とリゼナに伝えた。
リゼナは背中が寒くなる。
地下室の部屋は幾つかあった。
その中でもリゼナが最初にいた部屋は入り口から最も遠い部屋だ。
ベアトリーチェがその部屋で実母に折檻されていたのであれば、人の目に触れにくい場所で行っていたことになる。
とても陰湿で残虐だ。
彼女の父親はその事実に気付いたのだろう。
だけど、それはいつだったのだろうか?
すぐに気付いたのか、それとも時間が経ってからなのか、そこまでは分からない。
だけど、子供であるベアトリーチェが苦痛を受けた時間が少しでも短ければいいとリゼナは思った。
「あの部屋……不気味でした。寒いくて、冷たくて……何か暗い雰囲気があって怖かったです」
連れて来られて目を開けた時、何だか嫌な感じがした。
ただ寒いだけじゃなく、負のエネルギーのようなものが染みついているような気がしていた。
リゼナはあの見えない何かが、ベアトリーチェの負の感情なのではないかと思う。
彼女の恐怖と苦痛があの空間に染みついていたのではないか。
「そしてこの庭は継母とよく本を読みながらお茶を飲んだ場所らしいよ。あの花壇の季節ごとに変わる花を眺めながら」
その言葉にリゼナは目頭が熱くなる。
「ここは実母との過去だけじゃなく、優しい継母との思い出の場所でもあるんですね」
実母の暴力に怯えながら過ごした場所であると同時に、自分に惜しみない愛情を注いでくれた優しい継母との美しい思い出を育んだ場所でもあるのだ。
実母の激しい嫉妬と暴力を受け、傷付いたベアトリーチェは継母との出会いで母の愛情を知ったのだ。
幸せだったと思う。救われた気持ちだったと思う。
この人を母と慕い、父が事故で亡くなっても母娘二人で支え合い、生きていきたかったはずだ。
リゼナは何もない庭を見渡し、子供のベアトリーチェと継母が楽しくおしゃべりをしながらお茶をしている姿を思い浮かべた。
リゼナの中の母娘は楽しそうに寄り添い、カップを片手に一冊の本を二人で覗き込んでいた。
継母に笑顔で話しかける娘はとても楽しそうで、その様子を継母は慈愛に満ちた眼差しで見つめ、微笑んでいる。
この幸せが壊された。それも実母の手によって。
彼女の悲しみは計り知れない。
継母と亡くし、その後結ばれた男性との間にできた娘もその夫も亡くした。
どうして幸せが長く続かないのだろうか。
きっと、彼女もそう思ったに違いない。
彼女の物語はあまりにも辛く、悲しい。
そこでリゼナは本と万年筆を呼び寄せた。
移動魔法で呼び寄せた万年筆を片手に本を開く。
開いたのは最後の白紙のページだ。
「君、そんなものを出してどうするつもり?」
リゼナが急に本を呼び寄せたのでリムは不思議そうに訊ねた。




