教えてくれるなら君がいい
目の前が怒りで真っ赤に燃えた。
腹の底から怒りが込み上げてくる感覚ととてつもない焦燥感、心に穴が開いたような喪失感、様々な感情が胸の中で渦巻き、気が狂いそうだった。
『リム―――!!!』
自分の名を声を張り上げて叫ぶリゼナの声に、涙ぐみながら『遅いんですよ!!』と怒鳴る彼女の顔に、華奢で冷え切った身体に、どれほど安堵したことだろうか。
それは自分自身でも戸惑うほどに。
リゼナの血と犯人の顔が視界に入った瞬間、とてつもない怒りに再び目の前が真っ赤になった。
踏みとどまれたのはリゼナがいたからで、彼女にこれ以上は怖い思いをさせたくないと働いた無意識の理性だ。
彼女がいなければ自分はあの場を一瞬で血の海にしていた自信がある。
慈悲で生かしたわけではない。
元々、王宮の結界を破り、国王の居住地を脅かした者は即刻打ち首なのだから、自分が斬っても同じこと。
彼らが生き延びることができたのは、リゼナがあの場にいたからだ。
彼らはリゼナに感謝するべきである。
リムはベッドで寝息を立てるリゼナに視線を向ける。
寝顔には疲労の二文字が浮かび、当分は目を覚まさないと思われた。
自分も休めばいいのだが、どうにも彼女の側を離れる気になれずにベッドサイドに椅子を持って来てそこに腰を降ろした。
手持ち無沙汰に彼女が嬉々として語ってくれたお気に入り小説を開いてみたが、話しに聞いていた通り、ご都合主義と砂糖をこれでもかと詰め込んだ胸やけがしそうな作品だった。
ヒーローは不遇なヒロインに一目惚れし、彼女を手に入れるために好意を示しながら用意周到に外堀を固めている。
そもそも一目惚れなんてするのだろうか。
相手が得体のしれない人間だというのに。
ヒロインが頻繁に行く場所に足を運び、偶然を装って会ったり、部下にヒロインの動向を探らせたりすることもやっていることは立派なストーカー行為だ。
ヒロインもヒーローに対して好意があるから成立しているが、これがもし好意のない相手であれば気味が悪いだけだ。
しかもこのヒーロー、好意はしっかり見せるくせに、ヒロインがいざその気になって気持ちをぶつけてきたら急に躊躇う。
『自分には敵が多い。大切な人は作れない』とか言い出す。
これのどこが強くて格好良い素敵なヒーローなわけ?
こんな台詞を吐く奴は大して強くない。
強者だからこその弱さ? 強者であれば譲れないものは守ればいい。
自分であれば躊躇わずそうする。
本当にこんな本の何が面白いのかさっぱり理解できない。
そもそも自分は恋というものがよく分からない。
女が欲しいと思うのは性的欲求だと理解している。
そういう時はあと腐れない相手を抱けばいいだけ。
だが、特定の異性に固執したこともないし、特別な感情を抱いた経験がない。
だから、自分にはこの本の登場人物達の気持ちが理解できないのかもしれないとリムは思った。
唯一、共感できるのは夜会で着飾ったヒロインに男の視線が集まって不愉快な気分になり、独占欲を顕わにする場面だ。
リムも美しく着飾ったリゼナを見せびらかしたい気持ちと、男の視線が鬱陶しいと思う気持ちを体感した。
リムはもう一度、視線をリゼナに向ける。
あどけない表情で眠るリゼナを見ていると、この顔が苦痛で歪むことが許せないと思ってしまう。
もしこのあどけない寝顔が苦痛で歪むことがあれば自分はどんな手段を使ってもその元凶を排除しよう。
何故、こんな風に思うのかは自分でもよく分からない。
だけど彼女の側にいれば、いずれ分かる気がする。
そして、自身の指先に視線を落とした。
『心からの感謝』だと言ってリゼナの唇が触れたそこがどうにもむず痒い。
決して不快な感じではなく、もっと別の形容し難い何かが指先に絡まっている気がする。
リゼナの寝顔をまじまじと見つめる。
「君といれば分かるのかな?」
自分らしくない自分の理由も、面白くない恋愛小説のヒーローの気持ちも、指先に絡まる何かも。
「教えてくれるなら、君がいいな」
リムは寝ているリゼナの額に唇を落とし、手元の本を閉じた。




