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知らない男の影

「すみません、せっかくのドレスを汚してしまいました」

「仕方がないじゃない。君がワインを自ら被りに行ったんだから」


 空いている休憩室に入り、リムは馬車の手配をケイトに指示して扉を閉めた。


 謝罪するリゼナにリムは揶揄い口調で言うとリゼナはあからさまに嫌そうな顔をする。


「まぁ、気にしなくていいよ。所詮はドレスだから」


 ドレス姿をもう少し見ていたい気もしたが、視線が集まり過ぎていたことにうんざりしていたので調度いいと思った。


「このまま帰ろう」


 ドレスが汚れたことを口実にリムは早々に帰宅することにした。

 昨日の疲れも抜けないので早く帰って休みたい。


 リゼナには悪いが好都合である。


「あとね、君。他人の喧嘩には割って入らない方が良い。いつか怪我をするよ」


 今回は服を汚されただけで済んだが、相手によっては大怪我をすることも死ぬことも考えられる。

 

 リムはリゼナに親切心で忠告した。


「仕方ないじゃないですか。身体が勝手に動いたんです」


 酒に酔った赤い顔でツンっとするリゼナはいつもとは雰囲気が違って面白い。


「ふーん。何だか可愛いことを言うね」

 

 リムは長椅子に座ったリゼナの隣に腰を降ろし、距離を詰める。

 リゼナを逃がさないように背もたれに肘を着き、囲い込んだ。

 酒のせいでぼんやりとしているリゼナは簡単に追い込まれた。

 

「僕を庇いたいって思ったの? 今朝みたいに、怪我をして欲しくないって?」


 リムはリゼナが酔ってるのをいいことに、本心を探ろうとする。

 リゼナの言葉の中に自分の存在を探した。

 

 赤くなった頬に指を滑らせると、くすぐったそうに目を細め、その仕草に身体の芯が熱くなるような甘い疼きを覚える。


 また、この感覚……一体何なんだろうか。


 視界に入るのは潤んだ瞳でこちらを見つめるリゼナの姿だ。

 やけに艶っぽい唇や火照った肌に目が奪われるのは本能的な欲求からくるものだと理解している。


 だけど、他の女とは何かが違う気がして、それを無性に確かめたい気持ちになる。

 

 試してみれば分かる。

 いつものように一時の暴力的な衝動に任せてしまえばいい。


 リムはドレスを脱がせようと襟に手を伸ばす。

 しかし、その手はリゼナの髪や頬を優しく撫でていた。


 柔らかい髪、滑らかで柔らかな頬、ぷっくりとした唇、白い首筋、どれもこれもぐちゃぐちゃにしてやりたい暴力的な衝動と優しく丁寧にグズグズに溶かしてやりたい気持ちとが入り混じる。


「リゼナ」


 自然と口から名前が零れた。


 髪や顔に触れても、顔を近づけても嫌がる素振りはない。

 そのまま唇を奪ってしまおう、そう思った時だ。


「調子に乗らないで」


 鋭い声としなやかな指がリムの唇を押し退ける。


「あなたなんて、黒騎士様にそっくりなだけ。全く違うんですから」


 油断していた。

 男の影なんて感じなかったのに。


 リゼナの口から男の名称が飛び出し、リムが愕然とした。

 そして胸が切りつけられるような痛みと違和感、そして今まで感じたことのない焦燥感を覚える。


 自分の唇を押し返すリゼナの手を取り、握り締めた。

 絶対に逃げられないように。


「誰なの、そいつ」

「私の憧れの人です」


 そう言ってリゼナは恍惚とした表情を浮かべ、少しだけ恥ずかしそうに笑みを零す。

 

 その瞬間、胸の奥を掻きむしりたくなるような強い衝動に襲われ、リムは息苦しくなる。


 黒騎士? 誰、そいつ。聞いたことないんだけど。


「王宮の騎士? 所属と名前は? そいつは君のこと知ってるの?」


 リムは矢継ぎ早に訊ねる。


「…………どうしてそんなこと聞くんですか?」

「そんなの、知りたいからに決まってるでしょ」


 どんな男か、その顔を一度拝んでおかないと。 

 全てはそれからだ。

 その男を追い落とす方法はいくらでもある。


「…………誰にも言わないでくれますか……?」


 もじもじと恥ずかしそうな表情で、リゼナはリムを上目遣いで見つめる。

 

「もちろん。約束するよ」


 リムは頷く。

 

 誰かに話してリゼナの好意がその男に伝わったらと想像するだけで気分が悪くなる。

 他言はしない。

 その男を調べ上げた後はどうするかは分からないが。


「その黒騎士様はですね…………」


 話を聞いてもらえるのが嬉しいのか、リゼナは少女のように愛らしい笑みを浮かべて口を開く。


「私のお気に入りの恋愛小説、『黒騎士様の溺愛』のヒーローなんです!」


 キャー、言っちゃった! とリゼナは赤くなった頬を押さえて空いている手でバシバシと膝を叩いた。

 

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