ワイン
嘲笑うかのようなリムの声にエカテリーナは目を点にする。
「えっと…………それはどういう……」
「自覚がないのかな?」
エカテリーナは引き攣った顔で硬直する。
「自分のノルマも終わらせられないくせに、休憩時間は無駄に長いし、終わらない分は全部他人任せ。君の仕事量、リゼナの三分の一以下で流石に驚いたよ」
これは本当に驚いた。
仕事をしないといっても度が過ぎる。
リゼナの三分の一以下の仕事量しかないくせに、一日中職場にいられるなんてびっくりだ。
普通は暇を持て余してしょうがないだろうに。
淡々と述べるリムにエカテリーナは動揺を露わにする。
「おまけに君、今年昇給したね。他は給料据え置きなのに。君が丸め込んだ事務課長も社会的に抹殺されたいか、辞職するか選択してもらわなきゃならない」
昇給するには課長の承認が必要で、勤務態度や実績が必要だが、事務課の課長がありもしない実績を捏造して書類を製作し、結果的に昇給した。
給料泥棒以外に何と呼べばいいのか分からない。
「今君がするべきは男漁りじゃなくて、職場の荷物整理なんじゃない? 休み明けには解雇通知が届くよ」
「待って下さい! 何か誤解されてます!」
エカテリーナはリムの服にしがみつき、涙ながらに訴える。
涙で情けを誘うが、特に思うことはない。
「確かに、私は仕事の要領は悪いかもしれません。ですが、他人任せにしたことなどありません。皆さんが善意で手伝ってくれただけです」
しおらしく、瞳を潤ませてじっとリムを見つめるが、嫌悪感ばかりが立ち上ってくる。
香水も臭いし、近寄らないで欲しいんだけど。
「要領が悪いだけで充分な解雇理由になるんだけどね。百歩譲ってそれはいいとしても、君の勤務態度、常務実績の悪さ、贔屓での昇給に関しては君の上司が既に認めている」
その言葉にエカテリーナ愕然をする。
既に事務課長には自白させた後だ。
解雇も既に決定事項である。
「そ……そんなっ……!」
「同じ給料で人並に働ける人材を雇った方が職場にも国の財政的にも優しいからね」
リゼナと同じだけ働けとは言わないが、人並に働く人間を雇うべきだ。
その方が効率も上がるし、質も上がる。
リムはそう言ってエカテリーナに背を向ける。
背後で液体が飛び散るような音がした。
一瞬、自分が酒でもかけられたかと思ったが、服が濡れている気配はない。
リムが後ろを振り返ると視界が夜空を模したようなドレスを纏った黒髪の女性がエカテリーナとリムを隔てていた。
その女性がリゼナであることはすぐに分かった。
リゼナがエカテリーナに何をされたのかも。
エカテリーナが本当はリゼナではなく、自分にワインをかけたかったことも。
エカテリーナの目的は恥をかかせた僕への衝動的な仕返しだろう。
わざわざ僕を庇う必要はなかったのに。
「君ねぇ……何してるの?」
彼女は何故、僕を庇ったのだろうか。
リムは疑問に思って訊ねた。
顔を覗き込むと頬を赤く染め、酒気を帯びて、とろんっと今にも瞼を閉じてしまいそうなリゼナがいた。
「本当に。何してるんですかね、私」
自分で自分の行動の意味が分かっていないらしい。
「でも、あなたがワインを被るよりはこの場は穏便に収まるかと」
「君は僕を何だと思ってるんだい? ワインがかかったぐらいで暴れたりしないよ」
流石にこんなに人目がある中で報復しようとは思わない。
彼女はすぐに寝入ってしまいそうな状態かと思いきや、話し方は案外しっかりしていて生意気な態度も健在だ。
「そうですか。私の思い過ごしでしたね」
汚れ損です、と不満気にリゼナは言う。
唇を尖らせるリゼナが子供っぽくてリムはクスリと笑い声を漏らす。
「おいで、リゼナ」
その言葉に過剰に反応したのはエカテリーナとリゼナを見知る者達だ。
ワインで汚れたとはいえ、眼鏡を外したリゼナの変貌ぶりに驚かずにはいられないだろう。
女であれば羨望、男であれば女性として魅力的に映るだろう。
特にリゼナを容姿の面で見下していたエカテリーナは衝撃だったようだ。
大人しく、言うことをなんでも聞いてくれそうな地味な女だと思っていたんだろう。
リゼナに見向きもせず、エカテリーナに乗せられて非のないリゼナを批難した男達も眼鏡を外して美しく着飾った彼女の姿に恍惚とした表情をしている。
彼らの間抜け面を見ていると胸がすいた。
とても愉快だ。
リムはハンカチを取り出し、リゼナの頬から顎にかけて落ちる赤い雫を拾い上げる。
顔から下へワインを拭きとって行くと鎖骨まできて手が止まる。
鎖骨の下からなだらかに膨らんでいく部分までも赤く濡れているが、流石に手を引っ込めた。
ワインで濡れたリゼナを凝視する男達を一瞥してリムはリゼナの肩を抱く。
「行くよ」
これ以上、鼻の下を伸ばした男達にリゼナを晒しておく必要はない。
リムはリゼナを連れて会場を後にした。




