絶対に死なないで
『やめろおおぉぉぉぉ!』
野太い怒号が響き、部屋が揺さぶられるような感覚を覚えた。
「やめるのはあなた達の方。私の心臓は諦めて。それに…………」
突き立てられた剣に付着していた濁った血が剣を伝ってリゼナが作り出した円陣に触れる。
「この人を傷つけたこと! 私、絶対許さないからっ!」
「…………君………」
本当に許せないのは呑気に寝入っていた情けない自分だ。
リムは自分を守って本来負うはずのない怪我を負ってしまった。
しかも、顔だ。
それにリムは顔だけはお気に入り小説のヒーローに似ている。
「性格はどうあれ、ビジュアルだけは一級品なのよ。それを、よくも……」
「…………」
心の内に秘めていた方がいい台詞を口に出してしまったことに気付かないリゼナをリムはなんとも言えない表情で見つめた。
図書館で密かに憧れるほど、素敵なんだから!
その容姿を傷付けたのはやっぱり許せないっ!
リゼナの声が室内に響く。
その想いに呼応するように、本がガタガタと震え出す。
『嫌だ、嫌だ、嫌だ!!』
『嫌だよ! 嫌だ!』
室内に空気の流れが起こり、本がミノンとシノンを捕えようと吸収を始める。
それに抗うように二人は逃げ惑い、叫ぶ。
しかし、それも虚しく、本は二人の小人を絡め取り、容赦なく引き摺り込み始めた。
『いやだあぁぁぁぁぁ!』
『白雪いぃぃぃぃぃぃ!』
絶叫する二人が瞬く間に本に飲み込まれていく。
二人の悲鳴が聞こえなくなると同時にリゼナは急いで本を閉じた。
『やられた、やられた』
『間抜けな二人だ』
『次は俺だ。魔女の心臓、お前の心臓。捧げろ、捧げろ。白雪に』
残った三人の小人は口々に言ってリゼナとリムを取り囲む。
リゼナは背筋に嫌な汗をかく。
一仕事終えた気になっていたが、安心していられる状況ではないのだ。
小人はまだ三人も残っている。
この真っ暗な視界の中であと三人を本に戻す策はリゼナにはない。
どうしよう…………。
リゼナは額から落ちる汗を手の甲で拭う。
すぐ側には荒い息遣いのリムがいる。
相当、辛いのだろう。
肩で息をし、身体の熱が伝わってくる。
ごめんなさい、私のせいで!
狙われているのは自分だ。
死ぬのは嫌だ。でも、この人が死ぬのはもっと嫌!
「ヴァイオレット隊長、逃げて下さい」
もう自分のために誰かが死ぬのは見たくない。
リゼナはギリっと奥歯を噛み締める。
心を決め、何も見えない暗闇の中を一歩踏み出した。
しかし、せっかく踏み出した一歩はリムに腕を掴まれて、引き戻される。
「隊長! 放して下さい」
「君の隊長になったつもりはないよ。僕を庇おうなんて生意気過ぎだし、そういうのは生まれ変わってからにしてくれる?」
「何でこんな時までそういうこと言うんです⁉」
相変わらずの口の悪さにリゼナは辟易する。
一大決心の出鼻を挫かれ、リゼナの決心が揺らぐ。
リムはリゼナを背中に庇い、前に進み出る。
「それに、言ったでしょ。君は僕が守るって」
リムは毅然とした態度で言い放つ。
「信じなよ」
その声は堂々とした自信に満ち溢れ、彼なら絶対に大丈夫だと思わせるような安心感があった。
見えない世界でリムの広く、逞しい背中が見えた気がして、リゼナは胸が熱くなる。
「さあ、おいで。焼き殺してあげる」
小人達に向かってリムは楽しそうに言う。
残忍な言葉をなんでこんなに弾む声で言うのか、リゼナには全く理解できない。
それでも、それが彼らしく、いつも通りの彼であることにリゼナは安堵した。
やっぱり、この人が傷付くのは嫌よ!
リゼナはアイマスクを外し、目を開けた。
失明して大好きな本が読めなくなるかもしれない。
命も助からないかもしれない。
だけど、もしここで彼が死ぬようなことになったら…………。
私はもう二度と大好きな本を楽しめない。
薄い暗がりの中、初めに飛び込んできたのは広い背中だ。
その向こうに三体の小人の影がある。
「あーあ、外したの? 外すなって言ったのに」
リゼナがリムの顔を覗き込むと滴る血をぐいっと乱暴に袖で拭い、リムは言う。
「あなたこそ、何が大したことないかすり傷ですかっ! 何で……なんでっ……!」
傷は想像していたよりもずっと酷かった。
右目と左目を線で繋ぐように横に切り傷があり、どくどくと血が流れ、視界を覆っていた。
腕にも脚にも傷があり、ボロボロだ。
痛いはずなのに、辛いはずなのに、この人は一切弱音を吐かず、リゼナを起こさないで自分だけで片付けるつもりだったのだ。
「もしかして泣いてるの?」
「私のせいじゃないですかっ! こんな、酷い怪我……あなたはしなくて良かったはずなのにっ……」
面倒くさそうに言うリムにリゼナはボロボロと涙ながらに言い返した。
「私が囮になります。私があなたから離れれば、あなたは助かります」
「何言ってるの?」
「私、祖母と母を亡くしたんです。十五年前です」
リゼナは淡々と言葉を紡ぐ。
十五年前、それは言わずと知れた魔女狩りの終幕だ。
「二人は私を家の地下室に隠し、招集に応じました。魔女狩りが終わったと知り、祖母と母を探し、私が見つけたのは変わり果てた姿の二人でした」
『行ってくるわね、すぐ帰ってくるわ』そう言って二人は出て行った。
幼い自分でも、外の世界で良くないことが起こっているというのは理解していた。
だけど、それが家族との今生の別れになるなんて思ってもいなかった。
ついて行かなかった自分を責めた。
何も理解できていなかった自分を責めた。
悔しくて、悲しくて、寂しくて、虚しくて、何度涙を流したか分からない。
「私のせいで人が死ぬのも、傷付くのも嫌なんです」
「だから何? というか、僕を庇おうとか生意気が過ぎる」
リゼナの想いをリムが鬱々とした声で叩き折る。
「ちょっと、本当に何でそういう言い方しかできないんですか⁉」
「君の過去になんて興味ないんだよ。大事なのは今とこれからだからね」
感傷的になっていたリゼナはリムの言葉にはっと当たり前のことを気付かされる。
その通りではある。
でも、言い方! 言い方ってものがあるでしょう!
「感傷に浸っている余裕があるなら、どうやったら二人でこの場を切り抜けられるか考えなよ」
そう言ってリムは再びリゼナを背中に庇って、小人達から遠ざける。
「あぁ、もうっ! 分かりましたよ! 絶対に死なないで下さいよ⁉ これ以上怪我を増やすのも禁止です!」
「君、誰にものを言ってるの?」
「あなたですよ!」
リゼナがやけくそになりながら叫んだ時だ。
「邪魔するぞ! リム‼」
大きく軽快な声が発せられたと同時に部屋の扉がけ破られた。




