危険な家主
リゼナは昨夜から続く緊張感と疲労を少しでも癒そうとベッドに飛び込んだ。
ふかふかのベッドにしわのないシーツ、温かい毛布は新品の匂いがしてどこか落ち着かない。
「疲れた……」
広々とした豪奢な部屋はもちろんリゼナの自宅などではない。
ここはヴァイオレット邸で王都の一等地にあるリムの自宅だ。
「あの人……男爵位じゃなかったけ……?」
功績により爵位を授かった成り上がりの人が何故にこんな大金持ち貴族しか住めないような場所に邸を構えていられるのか。
『この邸? あぁ、知り合いから奪っ……譲り受けたんだ。ぜひ使って欲しいって』
邸を見て『凄い……』と呟いたリゼナにリムはそう言ったのだ。
奪ったでしょ。絶対に奪ったって言おうとしたしょう!
一体、誰からどうやって、奪ったのか聞きたいけど聞くのは怖すぎる。
使用人たちはリムに対して従順で年嵩の者から若者まで様々で、共通することはリムに対して恩義があるのだそう。
リムの客人であるリゼナにも皆、親切にしてくれる。
普段は決して食べれない豪華な食事や脚を伸ばせる広い浴槽、ふかふかのベッド、どれも最高なのだが疲れた時は自分の部屋が恋しいものだ。
それに人様の邸宅では食事をしながら本を読むのは行儀が悪いし、入浴しながらお気に入りの小説の二次創作を考えることはできないし、ベッドでおかしを摘まみながらゴロゴロと本を読むことはできない。
何かをしながら本が読めないことがこんなに苦痛だとは……!
あぁ、早く帰りたい。早く全てを終わらせて帰りたい。
リゼナは大きな溜息をついてうつ伏せから仰向けに転がる。
「早く事件を解決しないと……いや、それもそうなんだけど……」
思いがけず事件に巻き込まれてしまったことが主な疲労の原因なのだが、明日のパーティーも大きな疲労の原因になっている。
今日は仕事終わりに病院からドレスショップ、宝石店、靴屋を回り、明日必要なものを見繕う作業に追われた。
リムがパーティーを欠席してくれればこんな無駄な買い物をしなくて済むのにと何度思ったか分からない。
明日一日の為に目玉が飛び出るような金額のドレスや装飾品を買い揃えなければならないなんて馬鹿馬鹿しい。
この小物やドレスで何冊本が買えるかを無意識で考えながらひたすら時間が過ぎるのを待った。
意外にもリムがあれこれ注文をつけるのでスムーズにいかず、気付けば外は薄暗くなっていた。
この邸に帰ってきて、食事と入浴を済ませ、ようやく解放されたところである。
「この疲労感を引き摺ったまま明日のパーティーに出席しなきゃいけないなんて……」
翌日の疲労を想像するだけで疲れる。
本当に早く帰りたい。
リゼナは夜着が捲り上がるのも構わず、ベッドの上でのたうち回り、サイドテーブルに置いた本を手元に引き寄せた。
問題の本である『白雪の赤い心臓』だ。
「彼女はどうしてこんなに危険な本を作り出したのかしら」
子供でも楽しめるような心温まる物語を多く残した彼女が人間の醜い欲望や残虐性を秘めたこの作品を出した時は衝撃を受けた。
そして、これを封印を壊してまで世に放ったのは一体だれなんだろう?
どうしてそんなことをしようと思ったのかしら。
「それにこの本……裏の数ページ分が白紙なのよね……何故かしら?」
落ち着いて本と向き合えば次々と疑問が浮かんでくる。
「私が狙われた理由は……何?」
命を狙われるような理由に心当たりはない。
いつ、また襲われるか分からないと思うと不安が押し寄せて来る。
リゼナは仰向けからうつ伏せに転がり、ベッドに顔を伏せた。
あの凶器を持った小人達の不気味な声を思い出し、背筋が震える。
怖い……怖いけど、だけど……。
自分を助けてくれたリムの姿を思い出す。
揺らめく赤い炎に照らされたリムはとても格好良かった。
小人達を一歩も寄せ付けない炎と巧みな剣技でリゼナを守ってくれた。
この国最強の魔法使い、リム・ヴァイオレットが側にいる。
「あの人がいるなら……大丈夫」
リムがいてくれるなら、この不安な状況からも逃げ出さずにいられる気がする。
そんなことを考えていると突然、ベッドが深く沈み込み、リゼナの顔の前に白くて大きな手が現れる。
「それって僕のこと?」
「きゃあっ! 何でここにいるんですか⁉」
耳元にリムの声が触れ、リゼナは声を上げた。
身体を起こしたいが何だか物凄く近くにリムの気配を感じ、起き上がることが出来ないし、振り向くことさえできない。
「ここ、僕の邸だからね」
「だからって女性がいる部屋に勝手に入っていいはずないでしょう! っていうか、私、鍵掛けましたよ⁉」
「ノックはしたよ。返事がないから勝手に開けたけど」
そう言ってリムは鍵束をリゼナの顔の前に落とした。
重たい鍵束がぼすっとベッドに沈み込む。
「勝手に入ったことにはかわりないじゃないですか! 早くどいて下さい!」
すぐ耳元で声が聞こえて、リゼナが身体を動かせばすぐに触れる距離にリムがいることに尋常じゃないくらい心臓が強く脈打っている。
顔に熱が集中し、熱くなっているのが自分でも分かり、それを気取られたくなくて顔が上げられない。
「どうしたの?」
「どうもしません。非常識な家主に呆れているだけです」
揶揄い口調で言うリムにリゼナは平生を装って言い返した。




