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事務課のマドンナ

「ふぅ」


 リゼナは小さく息を吐く。

 今朝は廊下でいらない注目を浴び続けたが、事務室に入ってしまえば自分に向けられる視線はほぼない。


 仕事を回してくる上司や同僚達だけで特別なことは何もない。


「ねぇ、アッシュフォードさん」


 もう少しで午後二時。

 今日も問題なく仕事を処理できたと安堵していると声がかけられる。


 近寄らなくても香ってくる香水が近くにくると強烈に鼻孔を刺激した。


「何ですか?」


 顔の前で可愛らしく手を組み、拝むような仕草で近づいてきたのはエカテリーナ・ニルである。

 女性らしい香、綺麗に整えられた爪、セットされた巻き髪、華やかな化粧を夕方まで崩さない彼女は男性職員の憧れの的だ。


 事務部の中心的な立ち位置の華やかな彼女は普段はリゼナに近づいてなどこない。

 近づいてくる時は決まっている。


「お願い、今日用事があって早く帰りたいの。ちょっとでいいから手伝ってくれない?」


 猫なで声で身体をくねらせても同性のリゼナには通用しないが、普段から同じ手口で男性に仕事を頼んでいるのでくせになっているのだろう。


「ほら、明日ってパーティーがあるでしょ? その準備があるのよ。リゼナは関係ないかもしれないけど、準備で忙しくって」


 エカテリーナの言葉でそんなものがあったな、と思い出す。


 明日は建国記念日で毎年パーティが開かれる。

 このパーティーだけは無礼講でこの城で働いていれば平民貴族関係なく参加できる。

 普段開かれるパーティーとは違い平民でもドレスコードを守れば参加ができるため貴族の玉の輿や出会いを求める平民にとってはとても貴重な場だ。


 エカテリーナもその一人の様だ。


「無理です。他を当たって下さい」


 リゼナに関係ないことは事実だが、退勤時間を遅らせる気はない。


「いいじゃない。どうせリゼナはもう帰るだけなんでしょ?」


「私は休憩を取らずに仕事を片付けているのよ。もう帰れるのは昼の休憩をこの時間に当てているからで、他の人の仕事を頼まれてあげるためじゃないの。それにあなたは退勤時間まであと二時間もあるんだから充分終わるんじゃない? あなたがやっているの私の半分ぐらいの量でしょ?」


 リゼナの所属する事務部は小休憩と昼休憩をとることが義務付けられているが、それは各自のタイミングに任されている。


 リゼナは休憩を後回しにしているだけで、決して早帰りしているわけじゃない。

 みんなが休憩している間にリゼナはその分働いているのだから。


「同じ部署なら助け合うものじゃない?」

「本当に急ぎの時は手伝ってるでしょう」


 リゼナの言葉にエカテリーナはキっと目を吊り上げる。

 そして大きな動作で顔を伏せて言った。


「酷いわ! そんな言い方しなくたっていいのに!」


 わざとらしいエカテリーナの悲し気な声に反応するように、あちこちからガタガタと椅子が動く音がした。


「おい、どうしたんだエカテリーナ」


 まるで姫を守る騎士のようにわらわらと若い男性同僚達があつまってくる。


 何だか嫌な予感がする。

 その予感は的中した。


「リゼナにちょっとだけ仕事をお願いしただけなのに…………お前の手伝いなんか御免だって…………私だってリゼナの仕事を手伝ってあげたことあるのに」


 エカテリーナは涙目で訴える。 


 ありませんけど?

 

 誓って言うが、そんなこと事実はない。

 リゼナは勤め始めてから一度も欠勤したことはないし、仕事量だってエカテリーナの2倍、他の同僚の1.5倍はこなしている。


 以前、事務課長にそのことを伝えたが『助け合うのは当然のこと』だと言って突き返されたのでお話にならない。


 全く助け合いになっていないんですけど?


 自分のノルマすらこなせない人間がどうやって私の仕事を手伝ってくれるんだか聞いてみたい。


「何だって? 酷いじゃないか、アッシュフォード!」

「同じ部署なんだから助け合うのが当たり前だろ?」

「自分は彼女に助けられているくせに、その分彼女を助けてやろうって気にはならないのか?」


 助けられた事実があればそれは当然おもうでしょうね。


 リゼナは心の中で突っ込んだ。


 それに、彼女……休憩取り過ぎなのよね。


 小休憩も昼休憩も既定の時間を明らかにオーバーしている。

 五分やそこらじゃない。

 日によっては三十分も戻らないこともあるぐらいだ。


 今日だって休憩室に籠ってなかなか出て来なかったことをリゼナは知っている。

 そらく明日のパーティーの話で他の女子達と盛り上がったのだろう。


 しかし、そんな事実を知らない同僚達はリゼナを批難する。


「魔女には人の心がないのか」


 一人の男性の言葉がリゼナに突き刺さる。

 まるで殴られたかのような衝撃を覚えた。


「…………何ですって?」


 リゼナは声が震えないようにきつく握り締め、聞き返した。


「おいおい、待ってよ! ジョン、言い過ぎだ!」

 

 間に入ってきたのは同僚のグレイだ。

 少し離れた所で他の同僚と会話をしていたが、不穏な空気を察して飛んできた。


「だってそうだろ。思いやり優しさがない冷徹な魔女だ。だからこんなにも優しいエカテリーナのことを簡単に傷つけられるんだ。お前みたいな魔女が時代のせいで狩られなかったことが悔やまれるぜ」


 そう言って男はリゼナを睨み、エカテリーナの肩を抱く。


 人の心がない? 思いやりや優しさがない? 冷徹? 

 じゃあ、何の罪もない魔女達を殺したあんた達みたいな人間に心はあるの?


『ここで待っていてね、リーナ。すぐに帰ってくるわ』

 

 リゼナを抱き締め、そう言った母と祖母は帰って来なかった。

 広場で大好きな母と祖母の遺体を見た時覚えたとてつもない悲しみと怒りがリゼナの中でぶり返そうとしている。


 胸の中から沸々と煮えたぎる憤りが爆発しそうになった時だ。

 キラリと白い光がリゼナの目の前を通り過ぎる。


「ひいぃぃっ!」


 何かに怯えるような声が室内に響き渡ったかと思えば、リゼナは目の前に広がる騎士服に言葉を失った。


「人の心ねぇ?」


 冷ややかな声が発せられ、リゼナははっと我に返る。

 決して大きな声ではないのによく通るその声にみなが注目した。


「…………ヴァイオレット隊長」


 そこには不機嫌そうに顔を顰めたリム・ヴァイオレットが男に剣を突き付けていた。


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