第53夢 化学肥料を使おう その5 化学肥料職人集団育成計画の夢
久しぶりにお坊さまが、お寺に帰ってきます。
夜も更けた頃、ミツと三郎は寺の門が静かに開く音を聞いた気がした。月明かりに浮かぶのは、お坊さまの姿である。足音を忍ばせるように本堂へ向かい、そっと戸を開けた。
「お坊さま、お帰りなさいませ。」
本堂の片隅にいたミツと三郎が、ほっとしたように頭を下げた。ミツと三郎はそれぞれ自室で休んでいたと思っていたが、いつの間にかふたりで本堂に座っているのだった。ふたりは少し不思議に思ったが、そんなことよりお坊さまに報告することや、指示を受けたいことが山ほどあるので、すぐ気にしなくなった。
もちろん、ミツと三郎のふたりは実際にはそれぞれの自室で寝ていて、ミヤザワケンジ2.0が見せた夢を見ているのである。
「藩の役人には、硝酸を使った銀の精錬法を伝えてきましたよ。」
お坊さまが静かに言うと、三郎は安堵の息をついた。
「ありがとうございました。それは助かります。秘密がひとつ減り、安心いたしました。」
お坊さまは微笑んだが、ふと表情を引き締めた。
「しかし、戻し堆肥法による硝石の生産法については、もうしばらく秘密にしておくべきでしょう。」
「それはどうしてでございますか?」
「硝石は火薬の原料になります。もしこれが安価で大量に出回れば、戦の火種になりかねません。」
「はい。それは私どもも心配しておりました。」
「この日の本で大量の硝石を使って銀を精錬しているというウワサをオランダ商人を通して世界中に広め、世界の硝石の値段をつり上げて、世界の戦争を防ぐのです。人間というものは戦うよりも、儲けることが好きなものです。」
「……そのようなことまでお考えでいらっしゃったのですね。」
三郎の声には驚きが混じっていた。
ミツと三郎は日本国内が戦国時代に逆戻りすることを心配していたが、世界のことまでは考えていなかった。
「日の本だけでなく、唐、天竹、南蛮、オランダまで戦がなくなったら、素敵ですね!」
ミツも驚き喜んだ。
「ミツさんの石灰窒素の実験、実に見事でしたね。」
お坊さまにほめられたミツだが、なにか気になることがあるようだ。
「ありがとうございます。でも……申し上げたいことがございます。」
「ほう、どのようなことでしょうか?」
お坊さまの問いにミツは真剣な顔で続けた。
「石灰ちっそはとても強力です。気をつけて扱わないと皮膚がかぶれます。わたしはお坊さまの言うとおり手ぬぐいで口と鼻を覆って眼鏡をしていたので無事でしたが、ふつうの農家のみなさんに直接使わせるのは、ちょっと危険ではないかと思ったんです。」
「なるほど。」
「ですから、石灰ちっそは水に溶かして刈草に混ぜて堆肥を作るために使うべきだと思うんです。 そうすれば安全に扱えますし、畑にも優しいのかな、と思いました。」
お坊さまはしばらく考え込んだ後、満足げに微笑んだ。
「ミツさん、さすがですね。そこまで考えていたとは。私はとてもうれしいです。」
ミヤザワケンジ2.0は花巻農学校の教師だったころを思い出して胸が熱くなった。
ミツは少し照れたように目を伏せた。
「それではミツさんに大事なお仕事をおまかせしたいと思います。」
お坊さまは厳かに言った。
「化学肥料を安全に扱える職人集団を育てていただきます。」
「職人集団……でございますか!?」
ミツは驚いた。
「石灰窒素を農家の方々に直接使わせるのではなく、職人たちが石灰窒素で堆肥を作り、それを農家に届ける仕組みを作るのです。そうすれば、安全かつ効率的に肥料を広められます。」
「すごい!」
ミツは手を叩いた。
「ですが、その職人をどのように育てればよいのでしょうか?」
お坊さまは静かに言った。
「農家の恵まれぬ次男次女三男三女たちを職人に育てるのです。」
ミツと三郎は、自分の生い立ちを思い出して、はっと息をのんだ。
「農家の長男長女以外の若者たちは、土地を継げぬゆえに苦しい生活を強いられています。しかし、石灰窒素を扱う職人となれば、確かな技術を身につけ、自らの力で生きていくことができます。また、石灰窒素の除草の能力で原野を開墾し自分の田畑を持つこともできるでしょう。」
「……!」
「職人として生きられれば、彼らは貧困から抜け出し、結婚し、家庭を持ち、幸せになることができるでしょう。」
お坊さまは、ミツと三郎をじっと見つめた。
「ミツさん、三郎さん。お二人に、その職人たちを育てていただきたいのです。」
ミツは息をのんだ。
「わたくしが……?」
「ミツさんならば、きっとできます。」
お坊さまの声は穏やかだったが、揺るぎない確信があった。
しばらくの沈黙の後、ミツは拳を握った。
「……承知いたしました。お坊さまの言うとおりにがんばります。」
三郎も静かに頷いた。
「わたくしは鍛冶屋でございますが、お手伝いいたします。」
お坊さまは満足げに微笑んだ。
こうして、化学肥料を扱う職人がこの寺から育っていく未来が、新たに拓かれたのである。
ふたりは、恵まれない農家の次男次女三男三女たちを化学肥料職人に育てる夢に取り組みます。




