第117夢 アムステルダムのある姉と弟の夢
舞台は、オランダ本国に移ります。
大尉と縁のある姉と弟が登場します。
またまた、舞台は大きく飛ぶ。
熱帯のジャングルで大尉たちが泥まみれのスパイス戦争を戦っているころ。オランダ本国は冬だった。
オランダ、アムステルダム。
世界でも有数の豊かな街だが、近年は日本との交易により、ますます栄えている。
さらに、今月はオランダ東インド会社の取締役会「十七人会」が開催されるため、オランダ全域から大商人とその家族や側近が集まって、街はさらに賑やかだ。
史実では「十七人会」はオランダ各地方の代表の大株主が取締役として、オランダ東インド会社の方針を決める会議である。
しかし、この世界では日本との交易でオランダ東インド会社が史実よりも発展している。そのため、地方ごとの対立よりも、各商人の収益源による派閥の対立が激しくなっている。
ここはその「十七人会」のメンバーの交易派の大商人の屋敷。日本の出島との交易を主な収益源とする大商人だ。
冷たい風が吹き、日本から輸入した透明で平らな、主人自慢のガラス二重窓の外側はうすく凍りついている。居間の暖炉では薪がぱちぱちと音を立て、部屋の隅にまであたたかい空気を届けていた。
居間では、金髪で青い瞳の少年が、退屈そうにあくびをした。
ぼくは何度も読んだお父さまのアジア航海記のご本を閉じた。ご本はとてもおもしろいけれど、お父さま本人のお話しはもっとおもしろい。お父さまが居間で話してくれたインドや南の島々、そして、何といっても、金銀とガラスや鏡やカーバイドランプなどの、すばらしい技の品々のあふれる日本の話を思い出していた。
けれど、ここ数日というもの、お父さまは一度も居間に顔を出していらっしゃらない。夕食をいただくと、ずっと書斎にこもって、手紙や帳簿や地図を広げてなにやら難しい顔をしていらっしゃる。お母さまも家の使用人への指示でお忙しい。ぼくとお姉さまは、こうして二人で過ごすことが多くなった。
お姉さまは今日も大好きな日本の手鏡を手に、ゆっくりと髪をとかしている。日本との交易で大儲けしたお父さまが、お姉さまにプレゼントした手鏡だ。
日本から輸入されたすばらしい平らなガラスや鏡のせいで、この国のガラス職人や鏡職人のおじさんたちは失業してしまった。でもお父さまが日本から輸入したガラスや鏡をカットして窓ガラスや手鏡に加工する工場をお建てになって、職人のおじさんたちは救われて、お父さまも大儲けされたのだ。
お姉さまの濃い青色のドレスには、白い糸で異国の鳥や草花が小さく描かれていて、まるで話に聞いた日本のお花畑のようだ。これも日本から輸入した絹織物で仕立てたドレスだ。ぼくはそのドレスを見るたび、日本のナガサキやヤマダハマという遠い出島を夢見る。
「退屈そうねえ。」
お姉さまはくすりと笑って鏡越しにぼくを見た。
「お父様はお国を戦さから救う、大事なお仕事をしているのだから、がまんするのですよ。もうすぐ大事な十七人会ですからね。しょうがないわねえ。」
またそれだ。お姉さまは、大人みたいな言い方をして、ぼくを子ども扱いする。少しムッとしたぼくは、憎まれ口をたたいてやった。
「お姉さま、居間で髪を整えるのは、はしたないからやめなさいって、お母さまに言われたでしょう。」
でも、ぼくは本当は怒ってなんかいない。むしろ、お姉さまが美しい髪をお手入れしているのを見るのは、とても好きだ。白い肌に、金色の長い髪。日本の濃い青の絹織物のドレスがぴったりだ。
お姉さまは手鏡を置くと、もう一度髪をなでつけながら言った。
「あなたも早く立派な商人になって、日本の出島へ行くのよ。」
「うん……でも、出島の商館に入っても、戦争になったら軍に行かなきゃならないんでしょう?」
そう言うと、姉は少しだけ顔を曇らせた。
「そうねえ。お父様の出島時代の部下の方も商人なのに、予備大尉におなりになって熱帯のジャングルで戦っていらっしゃるわね…。」
「そうだ。ぼく、家庭教師の先生に聞いたよ。大尉どのは南の王国を一つ海賊から取り戻す大手柄をお立てになったんだって。」
「そうね。町中で話題ね。何十万ギルダーものスパイスがアムステルダムに運ばれて、すごい景気ですって。大尉どのは英雄だってみんないってるわ。お顔も素敵だし、男性にも女性にも人気のようよ。」
お姉さまは少し顔を赤らめていった。
お姉さまも大尉どのが好きなのかな。
「すごいなあ。商人としても軍人としても優秀なんて。さすが、お父さまの部下だなあ。」
「でも、お父さまは、彼のような優秀な商人をジャングルで戦わせるなんて、陸軍派の重役は愚かだ、と怒っていらっしゃったわね。」
「そうかあ。お姉さま、りくぐんは、ってなあに。」
「お父様と同じ十七人会の重役だけど、交易じゃなくて、陸軍へ食料や武器を売って儲けている大商人たちよ。」
「へええ。」
「それにね、これはお母さまが聞いてきたないしょのお話しなんだけど。」
お姉さまは手招きしてぼくを近くに呼んだ。
お姉さまは、いい匂いがする。日本のお香かな。
お姉さまはひそひそとお話しする。
「大尉どのは、交易派のお父様の優秀な部下でしょう。だから、わざと陸軍派の重役が、大尉どのを危険な最前線に送ったんじゃないか、って。交易派の商人の奥様たちの間では噂になってるんですって。」
「えええ!」ぼくはびっくりして大きな声を出してしまい、あわてて口を手でおおった。
「そんな、ひどい!大尉どのを海賊の手で始末させて、お父さまを困らせようってこと?」
「うわさよ、うわさ。」
大尉どのは、なんてかわいそうだろう。必死でお国のために戦って大手柄もおたてになっているのに、悪い陸軍派の重役に始末されてしまうかもしれないなんて。
いやいや、ひとごとじゃないや。
ぼくも交易派の重役のお父さまの息子なんだから、商人としてアジアに行ったとしても、陸軍派の重役の命令で軍人にされて、ジャングルの戦場で死んじゃうかもしれないじゃないか!
「ああ、ぼくもジャングルで戦うのはいやだなあ。ぼくは、フェンシングより算数のほうが得意だし。死ぬのはもちろんいやだし、泥で汚れたり、虫に刺されたりするのも、いやなんだ。」
お姉さまは、明るく微笑んで、こう言った。
「だからこそ、お父様ががんばっているの。あなたを戦争に行かせないために。」
ぼくは姉のドレスの日本の草花の模様を見つめながら、うなずいた。アジア。遠くて、不思議で、ちょっと怖い。でも、ぼくはきっといつか、そこに行くんだ。戦場のジャングルに軍人としてじゃなくて、平和で豊かな日本に商人として。
オランダ東インド会社の重役が集まる十七人会。
交易派は勝てるでしょうか。




