第113話 南洋ジャングルの戦場の悪夢
いきなり、舞台は東南アジアのジャングルに移ります。
日本の出島のオランダ商館で働いていた商人が、オランダ軍予備大尉としてジャングルで戦わされています。
サムライと日本人傭兵もオランダの下で戦っています。
第113話 南洋ジャングルの戦場の悪夢
いきなり舞台は東南アジアの島々のジャングルに移る。
現在のマレーシアやインドネシアなどにあたる島々ではナツメグやコショウなどのスパイスが栽培されていた。
スパイスは食欲を増し、料理を美味しくするだけでなく、あらゆる病気に効き、体力をつけるとヨーロッパ人は考えていた。
確かにスパイスには食品の殺菌効果があったし、スパイスで食欲を取り戻した病人は生き残ることも多かった。
ペストやコレラなど伝染病が流行するなかでヨーロッパ人は老若男女、金持ちは大量のスパイスを、庶民は半分以上粗悪な混ぜ物のわずか耳かき一杯の粉を、スパイスを争って求めた。
これらのスパイスを東南アジアからヨーロッパに持っていくと現地の相場のおよそ600倍の値がつく。スパイスは金より高いといわれた。
あるオランダ人提督はイギリス海賊船と嵐で100人以上の部下と艦隊の半数を失い、失意のうちにオランダにたどり着いた。そのとき持ち帰れたのは、片手で持てるナツメグの小袋たったひとつに過ぎなかった。
しかし、そのナツメグの小袋を売った金で、部下の遺族に補償金を払い、船主に沈んだ船の賠償金を払っても、まだまだ金があまり、豪華な凱旋パレードを挙行し、豪邸を建てて妻をなだめても、次回の航海の資金が十分残ったという。
ある船員は数粒のナツメグをポケットに隠して船から逃げ出し、名前を変えひそかにオランダに戻りナツメグを売って立派な家を建てた。それ以来、スパイス船の船員の制服からポケットが廃止され、船員は不便になった。
船いっぱいのナツメグやコショウを持ち帰れた提督や商人たちの栄華は言うまでもない。
このスパイスをめぐってヨーロッパ諸国は激しい戦争を繰り広げてきた。
始めは命知らずの冒険家ぞろいのポルトガルが優勢であったが1580年に本国がスペインに併合されたこともあり、この時代アジアにおける勢力は弱くなってきている。
次にスペインが巨大なガレオン船で勢力を広げたが、1588年のアルマダ海戦でスペイン無敵艦隊がイギリス艦隊に敗北し勢力を弱めた。ルソン(現フィリピン)を死守し、他の東南アジアからは撤退しつつある。
この時代、イギリスは海賊船を軍船として承認する私掠船政策で勢力を広げつつある。しかし、ヨーロッパやカリブ海では無類の強さを誇る海賊船も、太平洋の台風やインド洋のサイクロンの荒波には弱く、輸送力に弱点を抱えている。
オランダは日本の出島を根拠地として、距離的に有利な立場で武装商船を活躍させアジアに勢力を拡大している。また世界初の株式会社であるオランダ東インド会社の潤沢な資本力もその力の源である。
江戸時代初期のこの時代にはオランダとイギリスのスパイス戦争が東南アジア各地で激化していた。
鬱蒼とした密林の中、泥濘に足を取られながらも、オランダ東インド会社軍の一団が静かに進んでいた。
先頭を歩くのはオランダ人大尉。濃紺の軍服はすでに汗と泥にまみれ、肩に吊るしたマスケット銃には湿気がまとわりついている。
隊列は止まった。ムッとする暑い湯気のような朝霧が立ち込める熱帯のジャングル。まとわりつく羽虫がうっとおしい。大尉は汗をふきながら地図を睨んだ。敵イギリスの哨戒ラインに近づいている。
背後ではオランダ兵たちが銃の手入れを終え、静かに息を殺していた。サムライと日本人傭兵たちは腰を低くし、茂みの陰に潜んでいる。
「Verstop je en kruip vooruit...(フェルストプ・イェ・エン・クラウプ・フールアウツ…)――遮蔽物に隠れて、密かに進め」
大尉は囁くように命じた。
彼の後ろの、日本刀を腰につけたサムライが静かにうなずき、「かしこまった」と低く短く返す。大尉は本業は日本の出島で働くオランダ商館員だから日本語がわかる。
サムライは、部下の日本人傭兵たちに、「今ぞ、身を隠しつつ進め。」と声を潜めて促す。湿った大地に這うように前進する彼らの姿は、まるで密林に生きる獣のようであった。
オランダ兵たちも茂みに隠れながら密林を静かに前進した。
大尉の耳に、英語と現地語の話し声がかすかに届いた。敵の哨戒隊が近くにいる。密林に阻まれて敵は見えないが声からすると人数はこちらの半分以下のようだ。油断している。
気づかれる前に、一気にもみつぶすべきだ。大尉は決断した。
ハンドサインでマスケット銃を持つオランダ兵たちを静かに前に出させる。
敵の話し声と羽虫の飛ぶ音だけが聞こえる。
「Nu! Vuur!(ヌー! フュール!)……今だ、撃て!」
叫ぶ大尉の声とともに、兵たちが一斉に引き金を引く。
だが――。
「カチッ……」「カチッ……」
マスケット銃は不発に終わった。火打石の火花は飛んだがジャングルの湿気で火薬に火がつかなかった。大尉の銃も、音を立てただけで火薬に火がつかなかった。
「Verdomme…!(フェルドメ……! ちくしょう!)」
顔を歪める大尉。
密林の葉のむこうイギリス側から恐怖の叫び声があがり、マスケット銃の火打石の音が聞こえた。カチッ、カチッ。
しまった、気づかれた!
しかし、敵のマスケット銃も不発だ。
まだ勝機はある。
「Nu! Aanval! Aanval!(ヌー!アーンファル!アーンファル!)――今だ!突撃!突撃!」
大尉が叫ぶやいなや、ジャングルの静寂が破られた。サムライが鞘から刀を抜き、「突っ込めぃ!」と一声。日本人傭兵たちが一斉に「おお」と叫び、敵の声のする方向に走り出す。
大尉とオランダ兵たちも腰のサーベルを抜いて日本人たちの後に続く。
オランダ人から見ると子どものように背の低い日本人傭兵たちは、ジャングルの木の間をすり抜け駆け抜ける。奴らの草のサンダル「ワラジ」には何か魔法でもかかっているのか、と大尉は重い革のブーツで走りながらあきれる。
サムライは躊躇なく敵陣へ斬り込んだ。ひとり、またひとりと敵を薙ぎ払う。
「な、なんだあの鬼は!」
「鬼だ!日本の鬼だ!」
「引けっ、引けえっ!」
混乱した現地王国兵たちが最初に刀を捨てて逃げた。イギリス兵も乱れ、刀や銃を捨てて、密林の向こうへバラバラに逃げ去る。
あとにはイギリス人将校1体、現地兵1体の遺体が残った。
大尉は部下に深追いを禁じ、周囲の警戒を命じた。幸い味方に損害はなかった。
逃げ帰った哨戒隊が本隊を連れて復讐に来るだろう。その前にやることが大尉にはあった。
大尉は敵の遺体に深く頭を下げると、その荷物を調べ始めた。
この島の現地のイスラム系の小王国は先月まではオランダと同盟を組んでいた。イギリス商人に賄賂でももらったのか、今月はイギリスと同盟を組んだ。
お前さんのところの王様が欲をかかなきゃ、お前さんも死ななかったのにな。現地兵の遺体を調べながら大尉はつぶやく。特にたいしたものは見つからない。
次にイギリス人将校を調べる。このイギリス人も俺と同じ予備将校か。大尉と同じ商人出身のパートタイム軍人だ。
こんな世界の果てのようなジャングルに正規軍人は来ない。まあオランダ本国は本国でスペインからの独立をかけて大軍がにらみあう情勢だし、血を血で洗うような宗教紛争も続いているからしかたがないが。
「そんな恨めしそうな顔をしなさんな。運が悪けりゃ俺のほうがそこに横たわっていたかもしれんのだからな。」
イギリス人将校の遺体に話しかけながら、大尉はイギリス人のものだった背のう(リュック)を探る。
大尉は一枚の紙を見つけた。
「地図だ!勝った、この戦争は勝った。急いで泊地に戻るぞ!」
日本の南部藩の金銀、米麦、抗生物質、ガラス鏡などで、史実より豊かになった日本とオランダ。
東南アジアの情勢も変わりはじめます。




