第112夢 島原藩おとりつぶしの悪夢
幕府高官がひそひそと相談していると、やはりあの人が怒鳴りこんできます。
江戸城の一室。側用人、勘定奉行、外国奉行の三人は長崎奉行より届いた急報を前に、結論の出ない議論を重ねていた。九州島原藩主松倉重正が、スペインの植民地ルソン(現在のフィリピン)侵略を企てているというのだ。
「いや、まことに困った。スペインは近頃イギリスとの戦で弱っておるとはいえ、それでも大帝国よ。下手をすれば、幕府全体が災いを被るやもしれぬ」
「今はオランダとの交易が好転している折だ。ここで余計な波風を立てては…」
「一時は島原藩を黙認して勝手にさせようかとも考えたが、やはりそれは危うい。」
三人がひそひそと眉をひそめて議論を重ねていたそのとき、その時、襖が勢いよく開いた。重厚な紺の裃を纏った男が、怒りに満ちた表情で踏み込んできた。老中である。
「貴様らァッ、島原の動き、すでに耳に入っておるぞ!」
その怒声に、一同が凍りついた。老中の眼光は鋭く、雷鳴のごとき声が部屋に響き渡る。
「ルソン侵略の謀、知っておりながら黙っておったな。さては貴様ら、島原と通じておるのではあるまいな!」
三人は慌てて背筋を伸ばしし、深々と頭を下げた。老中の叱責はさらに激しくなる。
「天下泰平とは、畏れ多くも神君家康公大権現様の御信念にして御家訓ぞ。それを乱すとは、何たる逆心!」
老中は勘定奉行に鋭く視線を向ける。
「貴様は、ルソンの木材、麻、砂糖…その利に目が眩んだか。算盤ずくの奸臣が!」
続いて外国奉行へと目を転じる。
「そなたは、オランダの力を借りようとでもしたか。外夷を内に引き入れるとは、二心の証ではないか!」
さらに側用人に向き直る。
「そして貴様。将軍家に仕える立場でありながら、この一大事を将軍様に伏せるとは何事ぞ!」
言葉が飛び交う間も、三人は顔を引きつらせ、冷や汗を滝のように流していた。
すると、弁明の声が次々に上がる。
「い、いや、我々も本日になってようやく長崎からの文に目を通したばかりにござる!」
「まさか島原藩がこのような無謀を企てていたとは、まったくの寝耳に水でございます!」
「これは決して黙認などではなく、情報の伝達が遅れたゆえのことでございまして…!」
「わ、我らも驚きましてな、すぐさま対応策を協議しておったところにござりまする!」
「まこと、オランダとの交易が深まる中、このような不穏な動きは断じて望むところではございませぬ!」
「そ、そうでございます、スペインに理由もなく戦を仕掛けるなど、畏れ多くも将軍家の御威光を損なう愚策!」
「断じて島原藩に加担したわけではございませぬ、誓って潔白にございます!」
三人は次々に口を開き、懸命に弁解を並べ立てた。老中は黙して彼らを見据えたまま、しばし沈黙する。やがて、低い声で言い放った。
「…言葉を尽くすはよい。だが、御神君の御名を汚し、日の本を再び戦乱に巻き込むようなことがあれば、その時は容赦はせぬぞ」
三人は深々と頭を下げた。背筋に冷たいものが走る。
江戸城の一室には、再び重く沈黙が降りた。外では暖かな陽が射していたが、この座敷だけは冬のように冷えていた。
さらに老中は厳しい声で断じた。
「島原藩主松倉重正に斬首を申し渡しいただくよう、上様にお願い申し上げるぞ!」
切腹ではなく斬首!幕府高官たちに衝撃がはしった。
「せ、切腹ではなく、斬首でごさいますか…」
「日の本が戦乱に巻き込まれれば何万人ものもののふが死ぬのだ。小大名ひとりの斬首など軽すぎるぐらいじゃ。」
「島原藩は、おとりつぶしでごさいますか。」
「無論じゃ。天領にし、出島を設置する。」
勘定奉行は意外に良い案かもしれぬ。と思った。島原藩の領地を没収し幕府領とすれば幕府の収入が増える。出島を設置しオランダと交易すればさらに収入が増える。長崎は飽和ぎみで交易船の沖待ちが続いている。島原は長崎の補完港として使える。
側用人は治安を心配した。
「浪人が溢れては世が乱れます。藩主だけを罰してはいかがでしょうか。」
「いや、藩主の逆心をいさめぬ家臣は同罪じゃ。」
「浪人となる藩士たちはいかがいたしましょう。」
「浪人が溢れて困るなら、オランダに引き渡せばよかろう。」
「奴隷として売るのでございますか。」
「馬鹿者!幕府が日本人を奴隷として売れるか、恥を知れ!」
「それでは、どのように。」
「オランダは南洋で香辛料をめぐってイギリスと大戦争中であろう。オランダ東インド会社の傭兵として働かせれば本望であろう。」
老中どのは意外に国際情勢が分かっている。今までわからぬふりをしていたのか。幕府高官たちは、またしても冷や汗をかいた。
それにしても奴隷として東南アジアのサトウキビ畑で働かされるのと、傭兵として東南アジアのジャングルで戦わされるのと、どちらが、つらいだろうか、と幕府高官たちは思った。
「それはあまりにむごいのでは。」
「南洋の密林で戦いたいと申し出たのは奴らであろう。ルソンだろうがマラッカだろうがジャガタラだろうが同じことよ。」
史実でも島原藩は島原の乱の責任をとらされとりつぶしとなっており、第2代藩主松倉勝家が1638年に斬首されている。大名で切腹を許されず斬首された例は極めて珍しい。
この世界では初代島原藩主松倉重正のほうが斬首となり、島原の乱は起きないことになりそうである。
オランダを中心に世界情勢が大きく動きます。




