第111夢 ルソン侵略の悪夢
突然、江戸城にフィリピン侵略計画を知らせる手紙が来ました。
江戸城の一室。薄暗い部屋のなかで幕府高官たちの会合がひっそりと始まっていた。
「これはたいへんなことになった。」
「島原藩主、松倉重正公が、ルソン侵略をひそかに願い出ましたぞ。」
手元にあるのは、長崎奉行からの書状。九州島原藩主松倉重正が、自前で艦船を整え、スペインの植民地ルソン、現代でいうフィリピンを侵略したいと申し出たというのだ。
史実でも1929年に島原藩主松倉重正は幕府にルソン侵略を願い出て、幕府黙認のもとに準備をすすめたが、謎の死をとげて中止となっている。侵略準備のために農民に重税を課し息子の代に島原の乱を招いたとも言われている。
この世界では史実より日本が豊かになり、松倉の妄想が早まったようだ。
「正気か!狂ったか松倉公は。」
勘定奉行がうなる。
「重正の暴走は危険だ。軍備も十分とは言えぬ九州の小藩が、外国へ攻め込もうなどと狂ったとしか思えぬ。」
「問題は、松倉公の狂気に根拠があるという点だ。」
外国奉行が書状に記された情報を指でなぞった。スペインの軍勢は、イギリスとの戦のため東南アジアの海域から兵力を引き上げつつあるとのこと。オランダ商館にも確認したが確かにそうらしい。ルソンの防備もかなり手薄になっているというやや不確かな情報もある。
「確かに、好機ではあるのかもしれん。だが。」
「だが、島原藩にその力があるか?」
「そこだ。」
一同の間に沈黙が流れる。島原藩の規模も、財政も、精強さも限られている。一撃で勝てば良し、長期戦になり世界帝国スペインが本気で増援を送りこめば目も当てられぬ。スペインには日本が作れぬ巨大なガレオン船が多数あり、日本にはない巨大な大砲を多数積んでいる。
「島原藩は3000人の軍勢を商人に化けさせて、軍船も朱印船に偽装して、ルソンの首都を一気に奇襲占領する、と言っている。」
「確かにそれなら一時的には勝てるかもしれん。」
「一気に敵の本丸を落とすか。植民地の警備兵力相手ならなんとかなるか?」
今は幕府の高級官僚の彼らも父や祖父の代には戦国武将だ。小さいころから武勇伝を聞かされて育ったのだ。戦の話となれば血が躍るのは止めようもない。
しかし、冷静さを取り戻したのは勘定奉行だ。
「いやいや、それは困る。朱印船は幕府公認の交易船。それが戦争をしかけたとあっては幕府が戦争を始めたと疑われる。」
外国奉行も我に帰る。
「そもそも我が国は今、オランダとの交易を深めようとしている最中だ。こんな時にスペインと騒動を起こせば、オランダに不安を与える。あるいは逆に、こちらがオランダに利用される形になるかもしれん。」
側用人が手を打つ。
「いや、むしろ、オランダを利用し仲間に引き入れてはどうだ。オランダもついこの前までスペインと大戦争をしていたのだ。」
「おお、その手があったか。」
「ヨーロッパ本土でスペイン軍と休戦したものの一触即発のにらみ合いを続けているそうではないか。」
「オランダが味方になれば補給もできるし艦砲射撃も頼めるし兵力輸送もできるし話はまったく違ってくるぞ。」
史実でも1637年の島原の乱で幕府はオランダに艦砲射撃を依頼している。
外国奉行があわてて水を差す。
「オランダ商館は、ルソン侵略には反対だ、とはっきり言ってきました。数十年におよぶスペインとの戦争に一時休戦し戦力を休養しているこのときに、オランダはこれ以上アジアに火種を抱えたくないのでしょう。」
勘定奉行も続けて言う。
「オランダは東南アジアでイギリスと香辛料をめぐる戦争も続けておりますしな。」
一同ため息をつく。
「我々は知らぬこととして、島原藩の勝手にさせておくか。勝てば武功として賞し、負ければおとりつぶしにすればよい。」
「それではあまりに無責任ではないか。」
「だが、止めたとして責任が我らに及ぶのも不本意だ。」
葛藤が漂う。日和見か、介入か。誰の顔にも決断の色はない。
「……豊臣の時代、秀吉公の朝鮮出征があったな。」
「あれは、ひどかったそうだな…」
低く、重たい声だった。一瞬、場の空気が凍る。確かに、あの悪夢の侵略戦争が侵略された朝鮮はもちろん侵略した日本までも滅ぼしかけたという記憶が、重く横たわっている。栄光を求めて海を越えたが、帰ってきたのは絶望的な財政と兵力の疲弊だった。
「朝鮮出征の二の舞にはしたくないな…」
誰ともなく、声が漏れる。
「このまま静観するか、それとも先回りして島原藩をたしなめるか……」
「見送るか、止めるか……どちらにしても、責任は免れぬ。」
側用人がゆっくりと立ち上がった。
「ならば、もう少し様子を見るべきだ。長崎奉行と隠密に探索を命じ、島原藩の軍備、財力、そして作戦の内容を洗わせる。」
「それは妥当ですな。」
「それに、島原藩が仮に出兵を強行したとしても、幕府は非関与で通せば良い。」
一同はうなずいた。だが心中は穏やかではない。事を急げば、火種となる。静観すれば、予期せぬ大火を招くかもしれぬ。
決断を先送りしたまま、会合は延々と続いた。
「老中どのがどう出るかが問題だ」
側用人が唇を引き結ぶ。
「外国ぎらいの老中どのだ、外国との戦争そのものは喜ぶかもしれん。」
「だが、異国と接触するという行為そのものに嫌悪を抱かれるやもしれぬ。」
「どちらにしても、老中どのの怒りに触れれば、我らのクビはまぬがれぬ。」
彼らの背には、遠い南の海から吹くじっとりと湿った熱風のような予感が、確かにまとわりついていた。
老中はどうでるのでしょうか?




