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猩血に沈く祈りを  作者: 藍染三月
──Ashfield
2/5

「灰雪の庭」2

     (二)


「お兄さん、着いたよ」


「ああ……どうも」


 どのくらいの時間揺られていたのか。永遠にも思われたひどい揺動からようやく解放され、深呼吸をする。


 馬車には未だ慣れていない。俺の一族は成人するまで村から出られなかった為、十数年のあいだ乗り物には縁がなかった。村を失ってから馬車に乗った回数も片手で数えられる程度。一人で乗るのは今日が初めてだ。


 人形じみた己の四肢を、魔力という糸で吊り上げていく。皮下を巡る魔力は熱い。僅かな痛みを覚える。それでも、魔法を使わなければ()()()()()()()()()


 指先から踵まで、体温が上がっていく感覚。通う命の温度を確かめるよう、拳を固め、椅子から立ち上がった。


 鉄製の扉を押し開ければ赤らんだ夕照が目に刺さる。吸い込んだ外気は苦々しい。湿った石畳からは雨上がりの気配が香っていた。


 煙草の煙を辿ると、彫り師の店先で数人の男が談笑している。埃っぽい通りを端から端まで一見する。数軒の酒場や古着屋、娼館、水煙草を扱う店が並んでおり、人通りはさほど多くない。


 馬車の過ぎる音を聞きながら、道の端へ身を寄せた。懐から依頼書である手紙を取り出し、差出人の住所を確認する。


 筆記体を目で追っていれば紙面が暗くなり、眉根を寄せて影の根元を見やった。


 陽射しを遮っていたのは二人組の男。卑しくも汚れた歯を見せて笑いながら、彼は手にしていた煙草を地面に捨てた。落ちた一点の灯火は靴底に消されていく。


「兄ちゃん、迷子か? 高そうな服着てるなぁ、結構金持ってんだろ」


「良い店連れてってやるから付き合えよ」


 酔っ払いかと思ったが、ろれつは回っているため正気なのだろう。金を巻き上げるのが目的にしても、下手な誘い文句に呆れるしかない。


 肩に置かれた手を払い、溜息混じりに吐き出した。


「悪いが行き先は決まってる。『バー・タウンゼント』はどこにある?」


「『バー・タウンゼント』ぉ? ……つったら、ジャスパーの店だよな?」


「案内してやろうぜ。一緒に飲むか?」


「──案内は不要だ。場所だけ答えろ」


 悠然と突き付けたナイフが茜を反射する。刃先は男の喉元を捉えたまま角度すら変えない。戦意のないただの鉄塊だ。それでも、剣戟と無縁な一般人は容易に怯んだ。


 彼と連れの男の動揺が、雑踏との隔たりを生んでいく。黒目を揺らしているのは明らかな倉皇。青びれた顔は開口と閉口を繰り返すばかりで返事に詰まっている。仕方なく刃を収めてやれば、引き攣った母音が風と重なった。


「あっ、あっちだ。真っ直ぐ行くと、右手側にド派手な看板が見えてくる。赤色の看板だ。そこが、その店……」


 目的地の場所さえ分かれば用はない。翻した外套に、彼らの乾いた苦笑いが染みていた。噎せそうな紫煙に眉根を寄せて石畳を鳴らす。


 軽く引っ張ったコートは新品で、襟には上質な厚みがある。その縁に装飾が施されており、高そうな服、と言われるのも納得の縫製。これを俺に与えたのは居住地である酒場のマスターだが、彼が金持ちとはいえ、居候に無駄金を掛ける必要はないだろうに。


 マスターと出会った三年前──膏血で染まった故郷の中、四肢に刺さった刃物を見ながら死んでいくはずだった。一命は取り留めたものの、痛みと温度だけを残して運動機能を失った不完全麻痺のような状態の両手足。マスターは子供が好きなのか、数年間寝たきりだった俺のことを、拾ってきた野良猫みたいに世話してくれた。


 とはいえ、魔法で手足を動かせるようになり、こうして一人でも『魔女狩り』に赴けるようになったのだ。いい加減大人扱いしてくれても良いものを。


 今回、俺が初めて『化物退治の捜査』に一人で向かうからと、数着の服や数本のナイフを買い与えられた。過保護な父親みたいで苦笑してしまう。亡き実父は、俺を甘やかさなかったが。


 思惟のせいで赤錆びた黄昏に過去が映り込む。化物の泣き喚く声がする。赤い紐がひらめく。香るはずのない灰と鉄の臭いに吐き気を覚え、現前の街路を見つめた。


 晩照の膜は薄まり、奥深い夜を透かしていく。陰影が濃くなる程この一路は華やいだ。語らう人々の煙草の火が、点々と星を模していた。


 数軒の店を通り過ぎた頃、赤い看板が見えてくる。仄かな明かりを零しているのは煉瓦造りの酒場『バー・タウンゼント』。看板の文字を見る限り、目的の店はこの建物に違いない。


 営業時間の店内は殷賑いんしんとしていた。テーブル席もカウンター席も多くの客が腰掛けている。


 演出のためか金銭的問題によるものか、電気照明は使われておらず、各座席には太い蝋燭が数本。繚乱たる燭花しょっかが薄闇を綾なす。まるで童話に出てくる冥府のよう。かからめく笑声に目を細め、黒紅を踏み超えてカウンターへ向かった。


 グラスを拭いていた中年男性と、カウンター越しに目が合った。店員は彼の他に三名ほど。各々が朗らかに接客をしていた。グラスを置いた男性店員は空席を手の平で示す。


「いらっしゃい。どこでも好きに座ってくれ。初めてのお客さんだよな? なにを飲む?」


「酒を飲みに来たわけじゃありません。俺は──」


「もしかして未成年だったか?」


「……いいえ。俺は『酒場・化物退治』の者です。この手紙の差出人である『ジャスパー・ベンソン』と話がしたいのですが」


 懐から抜き取った封筒が、薄闇の中に浮かび上がる。店員の瞠目はしかとそれを捉えていた。俺達と周囲を隔てる幕は存在しない。けれども彼が手紙を見つめた時、確かに空気が変化した。


 アルコールを溶いた笑い声は遠くへ。視認できない帳に包まれる中、彼は静かに息を継いだ。


「……驚いた。まさか、本当に『化物退治』をしてんのか? いや、半信半疑とはいえ、依頼をしてみた俺が言うことじゃねぇんだが……」


「貴方が差出人ですか?」


「ああ。ちょっと待ってな。──チャド、俺はバックヤードに引っ込む。後はお前らで回してくれ」


 彼に声を掛けられた若い店員が、了解と告げる代わりに会釈をする。俺は手招かれるまま、カウンターの奥へと足を運んだ。


 木造りの床板が軋む。カーテンを掻き分け、薄い扉の奥へ進めば、そこもまた一面の烏夜うや。彼がライターを鳴らして、蝋燭が揺らめきだした。


 幾本もの檠灯によって、どこか幻想的な雰囲気が醸し出される。従業員の休憩所と思しき一室は、テーブルが一台、ソファが二台、椅子が数脚備えられている。簡易的な台所もあり、彼──ジャスパーはグラスに水を注いでいた。


 座るよう促されたソファに影を落とす。体重をかければ擦れた革が軋んだ音を立てる。手元の封筒から便箋を抜いていたら、グラスを差し出された。


「酒をサービスしてやっても良かったんだが、仕事で来たってことは水の方がいいだろ?」


「……ええ、どうも」


「それで、あー……何から話せばいいんだろうな……」


 確認のため、手紙の文面をざっと読み返す。


 内容を要約すると『森の中で或る屋敷を見かけた。その建物からは悲鳴が溢れており、気になって中を覗き込んだら、人間の首が切断されているのを見た。その首を断ち切ったのは取り乱した女。彼女は武器も持たず、その繊手のみで人体を断ったのだ』。


 一口分の冷水を呑み込む。グラスに紅燭が映り込むと、その返照に家具の色彩が暴かれていく。赤ばんだマホガニーの机に手紙を滑らせ、正面に座っている彼に見えるよう、筆致をなぞってみせた。


「まず、ここに書かれている女性について訊かせてください。その女性は、腕に赤い紐を縫い付けられていましたか?」


『酒場・化物退治』で狩っている存在、魔女。ある組織によって、秘密裏に生み出されている化物。その人体実験では人と人を()()()()()()()()


 繋いだ二人に魔法をかけ、一人は力を吸い取られて死に至り、もう一人は並外れた力を宿して生き延びる。けれども力に耐えきれず、理性を失う。そうして暴れる化物と化す。


 素手で人体を断ち切れる人間など、魔女くらいだ。彼が見た女性にも、実験に使われた紐が縫いつけられていれば。今回の討伐対象が魔女である確信を得られる。


 ジャスパーは顎髭を擦りながら眉を顰め、唸っていた。


「紐……ああ、覚えてる。あれはなんなんだ? あんな紐、メイジーは着けていなかったのに」


「メイジー……?」


 冷たい風が通り過ぎる錯覚を肌で感じた。彼は大口を開けてから、目元の皺を深くしてかすかに笑う。


 無骨な手が衣服に隠され、取り出されたのは財布だ。使い古された革財布を開いて、彼は一枚の写真を灯光の方へ近付ける。


 写真には朗笑する彼と女性が映っていた。酒場の看板を背にして肩を組み、歯を見せる二人はとても親しげだった。


「あの日、屋敷で見たのはこの子だ。ここの、従業員だったんだ。だけどもう随分前から行方不明でな……活発な子で、よく一緒に、森で狩りをしてた。いなくなる前……些細なことで喧嘩をしちまってさ。おかげで捜索願を出しても警察は『お前に嫌気が差して出て行っただけだろう』って。俺も、そうなんだろうと納得しかけてた。メイジーはとっくに、別の街にでも行っちまったんだって」


「……彼女が一人で森に入ることもあったんですか?」


「多分、そうだ。きっと、俺みたいにあの屋敷を見つけ……屋敷の怪しい連中に捕まったんじゃないかと思ってる」


 こちらが推測した経緯も彼と同様。『奴ら』は、魔女について知った者を消す。そうして殺された人間を知っている。今回の被害者は、どうやら実験体にされたようだ。


 これ以上、理不尽な実験が繰り返されぬように、無関係の人間が死なずに済むように、『魔女研究施設』を壊して回らなければならない。その手順はマスターから教わった。あの人と共に、魔女も研究員も殺してきた。一人でもすべきことは変わらない。


 熱を持った息吹が、華燭を躍らせた。


「屋敷の場所を、教えてください」


「それは構わねぇが……なあ、教えてくれ。メイジーは助かるのか? あの子を、助けてくれるのか?」


 懇願の響きが、秋水の冷たさを伴って表皮に突き刺さる。彼の双眸で、燭光がじわりと実体を持っていく。泡が弾けるのを見届ける前に目を逸らした。燦然のふちで蝋が溶け出していた。


 炙られているのは灯芯だけでなく、こちらの臓腑も一様。潰れた肺から溢れかけたのは不要な感情だ。まばたきをして、息をする。そうして無感情の科白を返した。


「化物になった人間は、もう元に戻りません。理性のないまま、人殺しの道具として使われるか、処分される。だから……眠らせてやった方がいいと、俺はそう思っています」


「それはつまり──殺すってことか? あの子を?」


 泣き笑う彼の声。その相貌を確認することは出来なかった。噛みしめた唇の裏側で、呑み込んだ唾液は苦い味がした。


 思うに、彼は救いを求めて依頼をしてきたのだろう。女性を施設から救い出し、精神状態を安定させて、また笑い合う未来を望んでいたはずだ。


 それでも、魔女になった人間は殺すしかない。彼の希望を砕く。そうして自身の希望も擦り減らしていく。


 今抱いている曖昧な同情を、いずれはさやかに味解する。俺が探している『妹』も、魔女になっているかもしれないのだから。


 彼を平視した。揺らぐなと、己に言い聞かせた。


「化物を殺す、それが仕事なので。…………申し訳ありません」


 うなずいた彼の息差しは、くろい冬の寒声に似ていた。零下よりも冽とした静寂がおりてくる。


 無感触のまま手折った切望は薄氷のよう。それゆえ安堵した。罅割れた鋭さもじきに崩れ、罪悪感に触れる冷たさも直に溶けていく。疼痛を覚えるのは、暫くの間だけ。


 捨てた偽善が静脈を伝っていく不快感。這い回る毒を魔力で焦がし、握り潰した。


「この件については、誰にも話さないでください。国は化物のことも、人体実験についても秘密裏に認めている。化物の存在を知った貴方が始末されかねない」


「……分かった。メイジーのことは、よろしく頼む」


「ええ。それで、屋敷の場所は?」 


 零された悲泣はたった一拍。彼は気丈に瞼をこすってから、道筋を追想する。掠れた声遣いは寂静に溺れそうなほど緩慢だった。


 燈火とうかがひとつ、燃え尽きる。輪形りんけいに溶け残った蝋が死火を抱いていた。





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