第一話 祈りの剣(7)
鎧って凄いんだなぁ。
ルーサーの脳裏をよぎったのは、決闘とは関係ない事だった。
いや、決闘とは関係がある。十分にある。
決闘神判が始まってからずっと、一方的に攻撃を受けてきた。
蹴られ、殴られ、踏みつけられ、投げられ。
生身で受けていたら、もうとっくの昔に戦闘不能になっているほどに攻め続けられていた。
だがしかし、今のルーサーにさしたるダメージは無い。
抱え上げられた時、首に体重がかかって少し痛めたが、それ以外に痛みらしい痛みもない。
投げつけられた時ですら、兜と分厚い内張り布のおかげで怪我の一つも無ければ、頭がフラつくという事すらない。
冷静に考えれば当たり前の事。
人間の身体というものは脆弱だ。
どれほど鍛えた達人の肉体であっても、そこいらの石ころほどに硬くはならない。
吹き付ける寒風にも、照りつける陽光にも傷つくからこそ、人間は衣服という名の鎧を必要とする。
切った張ったの場において、鎧を身につける事は当然。むしろ、鎧も付けずに戦いに向かう事こそ無礼であろう。
その事実に、ルーサー・エストレはたどり着く。
(思えば私は愚かであり、そして無礼であった)
思い出すのはあの夜の事。
『エストレ子爵家の悲劇』と、後に呼ばれるあの夜の事だった。
その日まで、ルーサーの名を知るものはほとんどいなかった。
箱入りに育てられたのだから当然だ。
その事を知らないのは、ルーサー本人だけだった。
襲撃を受けた時、当然それなりに装備を整えて出た。
そうでもしないと、使用人達が許さないからだ。
そうして、剣を握って敵に向かって、高らかに名のりを上げて。
「……誰だ?」
ひどく白けた反応が返ってきた。
挑発とか作戦とかそういうレベルではない。本当に知らないんだなぁと分かる空気が漂っていた。
当然と言えば当然であった。
彼を知っていると言えば、お披露目に出席した貴族連中くらいのもの。
大抵の者は「エストレ家には跡継ぎの男子が一人いるらしい」以上の情報はないのだから。
そうしたのは、名を知られるような事をして来なかった自分自身が原因だ。
それを理解して、ルーサーは熱くなった。
つい、熱くなりすぎた。
「私だ! エストレ家の跡継ぎ、ルーサー・エストレだ!」
自分自身を示して見せようと、召使いが折角被せた兜を脱ぎ捨てて。
――ガツン
どこからか飛んできた何かに当たって昏倒した。
それが「エストレ子爵家の悲劇」の全容だった。
今となっては、間抜け以外の何者でもない。
しかし、間抜け以外の何者ではなくても、歴史を紐解けばそういう間抜けはいくらも居る。
その気持も、今のルーサーにはよく分かる。
顔を隠す兜を装着して、それでも自分が自分であると示したい。
男心というものは複雑なのである。
――サーコートは、そのために着るんだなぁ……
なんとも当然の事に思い至る。
なんと礼法というものは、すべてに意味があるもので……。
考えていたのは数瞬の事だった。
――――わぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ
満場の歓声が鼓膜を震わせる。
まるで、ルーサーの勝利を祝うかのような声だった。
気付けばルーサーは立ち上がっていた。
闘技場の地面に二本の足でルーサーは立っていた。ただ立っていた。
大したダメージも受けていないのだから当然だった。
だがそれが、いかにも素晴らしい事のように、観客たちは喜び、感動の声を上げていた。
「お見事です。それでは仕上げ、上手くお願いしますね」
歓声の中、ルーサーにだけに響いた低い声。
それが、ロング・ザッカショーのものと気付いた時。
決闘神判官は剣を構えた。
ルーサーが持って入場した剣だった。
ルーサーが試合当初にした構えだった。
「おおっとぉ! これは、掟破りの逆『祈りの構え』! これはいったいどういう事だぁ!?」
司祭の声が闘技場に響き渡った。