第一話 祈りの剣(6)
闘技場でロングとルーサーは向かい合う。
兜の上から頭を殴られ、馬乗りにされが余韻で、ルーサーの息はまだ荒い。
だけれども、引き離されて息を整え直す間に、緊張は幾分かは収まった。
よくよく見れば、怪物に見えたロングの姿も虚仮威しの仮装と知れる。
いける。
そう信じて、ルーサーは剣を構える。
剣を面前に立てる『祈りの構え』。
亡き父に厳しく教えられた剣だった。
実戦の経験などは無い。
試合形式の稽古もろくにやった事はない。
礼法のために学んだ剣術だった。
とにかく、正しい型を繰り返し、正確な正しい動きを全うする。
それを延々と積み上げた剣だった。
強いかどうかなどは分からない。
ただ、積み上げた努力だけは本物だった。
一つの型の動きに入れば、意識せずに正確に身体が動く。
そして、『祈りの構え』から始まる型は十五を数え、どのような受けにも、必殺に続く技の流れが存在する。
(信じよう)
ルーサーは息を吐いて意を決する。
堅固な守りから繰り出される、半ば捨て身のこの剣技を。
柄が擦り切れ折れるまで繰り返した努力の成果を。
信じて、前のめりに走り出し。
「プギャッハァ!」
そして目の前に、拳大の土の塊が飛んで来ている事に気付いた。
「なっ!?」
慌てて立てた剣で防御する。
土塊はロングが放ったものだった。
固く整備された地面にハンマーを叩きつけ、砕けて出来た土塊を再びハンマーで打ち出したものだった。
それに気付く余裕がルーサーにはあったか無かったか。
「ゥキュララアアハッルゥラッアアアアアアア!」
土塊を叩き落した時にはもう、仮面の異形はルーサーの目前にいた。
武術の型とは程遠い全力疾走の姿のまま、長い腕がハンマーを振るう。
ギィん! と激しい音を立てて鋼と鋼がぶつかり合う。
ルーサーの防御はすんでの所で間に合った。
大振りのハンマーの叩き面と、両手で構えた刀身がぶつかり合って火花を散らす。
飛んだ火花は鋼の破片となって、ルーサーめがけて降ってくる。
かきんかきんと、兜が破片を弾く音がした。
「ルァッラア! ラァァァァァァアアアアアッアアアア!」
それを聞いている暇などは無かった。
駆け寄る赤黒の怪物は、ハンマーを叩きつけても止まらなかった。
そのままルーサーに飛びかかり、長い両手でルーサーの頭を掴む。
「くっ……強っ……!?」
怪物じみた力だった。
兜ごと掴まれた頭を捻られて、ルーサーの身体は宙に舞う。
一瞬遅れて、背中を地面が打ち据える。
投げつけられて地面に落ちたと、理解する時間はあっただろうか。
「がフッ」
「ィィィッィィッィィイイイイイイハアアアアアアアアアアアアアァアアア!」
大の字になるルーサーに、神の代理人たる獣人が馬乗りになる。
構えていた剣は、もはやどこかに飛んでいた。
長い両手がルーサーの喉元を掴む。
そしてそのまま、さしたる力を入れた様子もなく、その身を高々と持ち上げた。
「アァアアゥアアァィアアアアアア、アアアアア!」
そして決闘神判官は『歌』を唄う。
誰も知らない奇怪な言葉で。
神を讃える『歌』を唄う。
喉元を抑えられ、掲げるように上げられたルーサーは、まるで神への供物のようだった。
* *
「おーっと、決闘神判官。掟破りのラフファイト。これは危険です!」
「獣性もまた闘争には必要な要素。神判官の姿はそれを体現しているという事でしょう」
闘技場では、ロングが無茶苦茶な暴れ方をしていた。
剣技だとか戦技だとかの定石に、唾吐くような暴れっぷりに、観客たちも大興奮。
「まともに戦え! 汚ねえぞ!」
「ボーっとしてんのが悪いんだよ!」
「ルール無用なんだよこっちは!」
「立て! 剣士の技を見せてみろ!」
「やれ! 殺せ!」
酒と暴力に酔いしれて、好き勝手に叫び出す。
酒もツマミも飛ぶように売れる。
こりゃあ、神殿の破損箇所も直せるかなと、神官長は皮算用。
後はそう、ロングが上手いこと決闘神判を纏めてくれるだけでいい。
そうこうしている間に、ロングはルーサーの喉元を両手で掴むと高々と抱え上げる。
苦しげに身をよじるルーサーに、観客席にもどよめきが走った。
「さて、決闘神判官。ルーサーを高く掲げて何やら歌を唄っております。これは神に捧げる生贄の儀式なのか!?」
「闘争神ボンガロは苛烈な側面もあります。これが生贄の技であるのなら……よもや、アレをやるというのか!!」
神官長の戦慄した声が場内に響く。
知ってるのか神官長、と。誰もが言いたくなる声色だった。
「ご存知なのですか神官長!?」
全員を代表して司祭が尋ねる。
「……おお、恐ろしい。なんという事だ。あの惨劇が繰り返されるというのか!」
心底の畏れを表現しながらも、何一つ具体的な事は言わない。
この演技力である。
この演技力とアドリブ力が、神官長を神官長たらしめている。
「おお、見るがいい! 神へ捧げる力と力の炸裂を!」
抱え上げられたルーサーの身体が、さらにグンッと跳ね上がる。
抱えるロングが跳び上がったのだと、理解する暇もなく。
神の供物のように掲げ上げられた頭は、宙空で反転する。
ガコン、とすさまじい音がした。
一度跳ね上げられたルーサーの身体は、背中側から倒れ込み、後頭部から地面に叩きつけられた。
「きょぉぉぉぉぉれつ! 強烈な一撃だ!」
「間違いない! あれこそは、『バスチスの嘆き』! 再び地上にこれが炸裂しようとは!」
拡声器が壊れんばかりの声を上げる司祭と、口から出任せのウソ知識を並べ立てる神官長。
その勢いにつられて、歓声もさらに大きく盛り上がる。
「いや、それにしても凄まじい一撃でした」
「ええ。通常の投げであれば、投げられた人間の体重それだけの威力です。しかしあれは鎧をつけた決起人を、一度高く持ち上げて、そこからさらに空中で投げ下ろしています。つまり、その威力は2倍の2倍で4倍……いえ、10倍にも100倍にもなるでしょう!」
「まさしく『バスチスの嘆き』という訳ですね!」
「おそらく神判決起人は立ち上げれないでしょう。もしも立ち上がってくるとしたら……」
そこまで言って、神官長は声を潜める。
「もしも、立ち上がってくるとしたら。それは神が奇跡を授けた時だけでしょう」
神官長の真摯に祈るような声。
一瞬、観客たちも静まり返り。闘技場を固唾を呑んで注目する。
そして、闘技場に『奇跡』がおきていた。